「なんじゃ?」
 見れば面首は幸せそうに顔を赤らめ、高いびきをかいている。
「飲み過ぎたようですね。まったく、蓮花様の御前でこのような醜態を」
 言って星宇(シンユー)は寝こけた面首の元へ水差しを持っていく。
「君、飲めますか? 水ですよ」
 星宇が布に水を含ませ、微かに開いた口の上でそっと絞れば、寝こけた面首の喉がコクリと動いた。
(やれやれ)

 苦笑しながら、今度こそ私は椅子から立ちあがる。
「私は先に部屋へ戻る。皆、それぞれ楽しむがよい」
 だが、面首たちに背を向けた私の手を、何者かが掴んだ。
「むっ?」
蓮花(リェンファ)様」
(リー)秀英(シゥイン)……!)
 秀英はとろんとした目つきで、私をグイと引き寄せる。
「何をする、秀英!」
「蓮花様、わ、私の陽の気を受けとめてください! 私は、蓮花様のお役に立つためにここへ参ったのです!」
 私の体にしがみつき、酔った秀英は足元をふらつかせる。
「危ない!」
 千鳥足の秀英は、私を抱きしめたままその場にどっと倒れた。
「これ!」
 酔っ払いながらも、私を庇うように下敷きになったのは、見上げたものだというべきか。
(などと思っている場合か!)

 倒れ伏した私の足に、数人の手がかかった。怖気がぞわりと肌を伝う。
「蓮花様ぁ」
 彼らは口々に私の名を呼びながら、脚を揉み始めた。
「血の巡りを良くして差し上げます」
「やめよ!」
「こちらは築賓(ちくひん)と申しまして、むくみを取るツボでございます」
(むくんでなどおらぬわ!)
 バタバタと振り回す手を、別の手がとらえる。
「蓮花様、心地よくして差し上げますので、お任せください」
臂臑(ひじゅ)のツボは脂肪燃焼に効果があると申します」
「こちらは、簡使(かんし)と申しましてお通じをよくするツボにございます」
(肥えておらんし、便秘もしておらん!)
 しかし先程から何なのだ。全員でツボ押しを始めよって。
(いや、あれか……!)
 先日、小龍(シャオロン)馬油(バーユ)を使い滑りを良くした状態で、あちこち指圧したのを思い出す。結果、確かに体が芯から火照り始めた。
(こうやって徐々に、妾の体を受け入れ態勢に持って行く気じゃな)

 悔しいがツボ押しの効果か、体の奥からじわりと心地よさが湧きあがってくる。と、同時にどうしようもない悍ましさで、肌が粟立つ。
「えぇい、俊豪(チンハオ)はどこじゃ! 何をしておる!」
 私のために自慢の腕を役立てると言った俊豪の姿が、先ほどから見えない。
「こんな時に妾を守るのが、そちの仕事であろうが!」
 ヴォエ、と、嫌な音がした。
 首を捩じって見てみれば、庭の片隅で俊豪が吐いている。視線をずらせば、小龍と佩芳(ベイファン)も酔いつぶれていた。
(どういうことじゃ。あの程度の酒で、皆が悪酔いをするなどと。全員が理性を飛ばすほどの量の酒は、なかったはずじゃが)

「蓮花様、こちらは崑崙(こんろん)。血行促進に効果がございます」
「ここは三陰交(さんいんこう)と申しまして、血行不良に効果がございます」
曲泉(きょくせん)、こちらは二日酔いに効果がございます」
(それは私よりも、お前たちに必要なツボであろうが!)
 脚のツボを押す手は、じりじりと北上してくる。私を囲む面首たちは、十人ほどに上っていた。
「蓮花様」
「私どもの責務を、果たさせてくださいませ」
「お望みの陽の気をお受け取り下さいませ」
(嫌じゃ! このままでは赤ん坊にされてしまう!)

 その時、面首たちの背後に一つの影が忍び寄った。爪の先まで手入れされた綺麗な指先がグイと顎を持ち上げると、開いた口へ水差しの中身を注ぎ込む。
「悪酔いしすぎですよ。皆さん、お水でも飲んで酔いを醒ましてください」
「星宇!」
 星宇は一人一人の口へ、水を注ぎこんでゆく。流し込まれた面首は、糸の切れた操り人形のようにガクリとその場に倒れ伏した。
「ふぅ……」

 その場にいた全員が昏倒すると、星宇は額の汗をぬぐった。
「御無事でございますか、蓮花様」
「星宇」
 星宇に引き起こされ、私は大きく息をつく。
「お気の毒に。御手が震えてございます」
「うむ。情けないが、さすがに先ほどのは身の危険を感じた」
 あちこちに転がり気絶している面首たちに、星宇は冷ややかな目を向ける。
「これは全員、処罰ものですね。()丞相(じょうしょう)様にご報告せねば」
「しかし、一体何だったのじゃ……」
 真っ赤な顔をして倒れている面首たちを、不審に思う。
「ここまでなるほどの酒は、用意されていなかったはずじゃ。現に(わらわ)はピンピンしておる」
 私は倒れている面首を避けながら、皆が使っていた酒器を取り上げる。
「あっ、蓮花様」
「……なんじゃこれは」
 酒器の底には、花弁らしきものがいくつも沈んでいた。
 目を上げれば満開の月芍薬の花がそこにある。
「同じものじゃな……」