傑倫の静かながら凄みのある声が、空気をビリッと震わせた。
「もしも奴らの中に幼女趣味がいて、あえて蓮花様を抱くことで九歳、あるいは更にその半分にしようと企む者がでてきたらどうします?」
「……そんな者がおるのか?」
「わかりませぬ。ですが、嗜好と言うのは理解しきれぬものもございますれば。それに」
「それに?」
振り返れば、険しさの中に慈しみを宿した傑倫の双眸があった。
「ひょっとすると、蓮花様を弱体化させる目的で襲ってくる輩が出て来ぬとも限りません。面首どもは臣の管理下にはございますが、大人しく言うことを聞く者ばかりでないことは、ここ数日でおわかりになったでしょう。ひょっとすると良からぬものの息がかかっているやもしれませぬ」
「それは、いかんのぅ」
私は茶杯の縁を指で辿る。
「傑倫。今日、妾を抱こうとしたのは、挙人であった」
「匡佩芳ですな。優秀な男であるのは間違いありませんが、かと言って今日の行動は許されてよいものではございません」
「挙人となるには、合格者が百人に一人と言う郷試を越えて来ねばならぬ。その前段階として国立学校の学生となるべく童試を突破せねばならんが、これも相当の難関よな。孫の暁明より幼い時分より、その教育は始まると聞く。つまり佩芳は二十年以上、ひたすら勉学に励んでおったのだ」
今日目にした、彼の筆跡を思い出す。あれは見事なものだった。
「その人生を捨てて、妾に仕えると言う道を選んだ。二十年もの間、恐らく中央官吏となることだけを目指し勉学に励んできた人生であったろうに」
「失礼ながら、いつ報われるか分からぬ科挙に挑み続ける人生に疲れ、女人を抱いて出世すると言う安易な道を選んだだけにございます」
「かもしれぬがな」
私は傑倫へ視線を戻す。
「新たな希望を見せておきながら、妾の都合で、たった一週間で放り出すのも無責任な気がしてきておるのよ」
「蓮花様の御身の大事とは比べようもございませぬ」
「今日、佩芳の暴走から助けてくれたのは、俊豪と小龍であった」
「共に、蓮花様を我が物にしたいだけにございます」
傑倫の面首に対する評価は手厳しい。
「妾はあの者らを、ただ陽の気を捧げさせる目的で集めた。ひょっとすると、人とは思っておらなんだのかもしれん。ゆえに彼らも妾を、出世のための道具としか思えなかったのかもしれん」
「蓮花様を、道具などと……!」
「怒るな。だがのぅ、妾はこの数日で面首どもにもそれぞれの人生があったと気付かされた。そして妾が気付くと同時に、彼らの妾に対する態度も変わった。そんな気がするのよ」
「……」
傑倫は酷く機嫌の悪い顔つきをしている。
「どうした、傑倫。妾が面首どもに心を砕いているのが不満か?」
「諾、と申し上げます」
「はは、嫉妬か?」
「その通りでございます」
(え?)
揶揄うつもりで言ったのだが、傑倫の表情は真剣そのものだった。
「蓮花様が奴ばらを、陽の気を捧げる道具としか思われていないのであれば、彼らと触れあうことにも納得できました。いえ、無理に自身を納得させてきました。ですが、面首どもを人として扱い心を寄せるようであるならば、臣は……」
その険しい瞳に憂いが滲む。
「心を殺し、蓮花様の道具に徹してきた臣は、気持ちが収まりませぬ」
「傑倫……」
私は立ちあがり、傑倫の熱い胸に身をもたせかける。
「蓮花様!」
「おかしなことを。妾が最も信頼しているのはそちだと言うのに。じゃから幾度も身を任せたであろう?」
頭上で、ごくりと唾を飲み込む音がした。やがて逞しい両の腕がしっとりと私を縛める。頭の芯から痺れてとろけてしまうような幸福感が湧きあがる。
「……こんな時、じかに肌を重ねて気持ちを伝えられれば良いのじゃがのぅ」
「それは出来ませぬ。ですが……、お気持ちはとても嬉しく思います」
大きく温かな手が、私の背を包む。
「傑倫、面首どもは我らの子のようなものじゃ。力になってやりたいのぅ」
耳のすぐ側で、傑倫の心臓の跳ねる音がした。
■□■
興奮を抑えきれぬ様子で、自室へ急ぐ太監の姿があった。
(太后は、もう一度男子の陽の気を受けると、幼子になる!)
蓮花付きの太監、馬俊煕であった。蓮花と傑倫の会話を盗み聞きしていたのだ。
「はは、ははは……!」
部屋に辿り着くなり、馬は堪えていた声を上げる。
信じがたいことではあるが、この数日で異常な若返りを見せて来た蓮花であればありえないことではないと思えた。
(これまでは年老いた体に負担をかけることで、あるいは色に狂わせることで太后の弱体化を目論んでおったが、まさか幼子にすることが出来るとは!)
毒々しい笑みの浮かんだ口元を、馬は袖で抑える。
(面首どもをけしかけ、目障りな太后など赤ん坊にしてしまえばよい。そうすれば、天下は私と霍殿のものじゃ!)
「もしも奴らの中に幼女趣味がいて、あえて蓮花様を抱くことで九歳、あるいは更にその半分にしようと企む者がでてきたらどうします?」
「……そんな者がおるのか?」
「わかりませぬ。ですが、嗜好と言うのは理解しきれぬものもございますれば。それに」
「それに?」
振り返れば、険しさの中に慈しみを宿した傑倫の双眸があった。
「ひょっとすると、蓮花様を弱体化させる目的で襲ってくる輩が出て来ぬとも限りません。面首どもは臣の管理下にはございますが、大人しく言うことを聞く者ばかりでないことは、ここ数日でおわかりになったでしょう。ひょっとすると良からぬものの息がかかっているやもしれませぬ」
「それは、いかんのぅ」
私は茶杯の縁を指で辿る。
「傑倫。今日、妾を抱こうとしたのは、挙人であった」
「匡佩芳ですな。優秀な男であるのは間違いありませんが、かと言って今日の行動は許されてよいものではございません」
「挙人となるには、合格者が百人に一人と言う郷試を越えて来ねばならぬ。その前段階として国立学校の学生となるべく童試を突破せねばならんが、これも相当の難関よな。孫の暁明より幼い時分より、その教育は始まると聞く。つまり佩芳は二十年以上、ひたすら勉学に励んでおったのだ」
今日目にした、彼の筆跡を思い出す。あれは見事なものだった。
「その人生を捨てて、妾に仕えると言う道を選んだ。二十年もの間、恐らく中央官吏となることだけを目指し勉学に励んできた人生であったろうに」
「失礼ながら、いつ報われるか分からぬ科挙に挑み続ける人生に疲れ、女人を抱いて出世すると言う安易な道を選んだだけにございます」
「かもしれぬがな」
私は傑倫へ視線を戻す。
「新たな希望を見せておきながら、妾の都合で、たった一週間で放り出すのも無責任な気がしてきておるのよ」
「蓮花様の御身の大事とは比べようもございませぬ」
「今日、佩芳の暴走から助けてくれたのは、俊豪と小龍であった」
「共に、蓮花様を我が物にしたいだけにございます」
傑倫の面首に対する評価は手厳しい。
「妾はあの者らを、ただ陽の気を捧げさせる目的で集めた。ひょっとすると、人とは思っておらなんだのかもしれん。ゆえに彼らも妾を、出世のための道具としか思えなかったのかもしれん」
「蓮花様を、道具などと……!」
「怒るな。だがのぅ、妾はこの数日で面首どもにもそれぞれの人生があったと気付かされた。そして妾が気付くと同時に、彼らの妾に対する態度も変わった。そんな気がするのよ」
「……」
傑倫は酷く機嫌の悪い顔つきをしている。
「どうした、傑倫。妾が面首どもに心を砕いているのが不満か?」
「諾、と申し上げます」
「はは、嫉妬か?」
「その通りでございます」
(え?)
揶揄うつもりで言ったのだが、傑倫の表情は真剣そのものだった。
「蓮花様が奴ばらを、陽の気を捧げる道具としか思われていないのであれば、彼らと触れあうことにも納得できました。いえ、無理に自身を納得させてきました。ですが、面首どもを人として扱い心を寄せるようであるならば、臣は……」
その険しい瞳に憂いが滲む。
「心を殺し、蓮花様の道具に徹してきた臣は、気持ちが収まりませぬ」
「傑倫……」
私は立ちあがり、傑倫の熱い胸に身をもたせかける。
「蓮花様!」
「おかしなことを。妾が最も信頼しているのはそちだと言うのに。じゃから幾度も身を任せたであろう?」
頭上で、ごくりと唾を飲み込む音がした。やがて逞しい両の腕がしっとりと私を縛める。頭の芯から痺れてとろけてしまうような幸福感が湧きあがる。
「……こんな時、じかに肌を重ねて気持ちを伝えられれば良いのじゃがのぅ」
「それは出来ませぬ。ですが……、お気持ちはとても嬉しく思います」
大きく温かな手が、私の背を包む。
「傑倫、面首どもは我らの子のようなものじゃ。力になってやりたいのぅ」
耳のすぐ側で、傑倫の心臓の跳ねる音がした。
■□■
興奮を抑えきれぬ様子で、自室へ急ぐ太監の姿があった。
(太后は、もう一度男子の陽の気を受けると、幼子になる!)
蓮花付きの太監、馬俊煕であった。蓮花と傑倫の会話を盗み聞きしていたのだ。
「はは、ははは……!」
部屋に辿り着くなり、馬は堪えていた声を上げる。
信じがたいことではあるが、この数日で異常な若返りを見せて来た蓮花であればありえないことではないと思えた。
(これまでは年老いた体に負担をかけることで、あるいは色に狂わせることで太后の弱体化を目論んでおったが、まさか幼子にすることが出来るとは!)
毒々しい笑みの浮かんだ口元を、馬は袖で抑える。
(面首どもをけしかけ、目障りな太后など赤ん坊にしてしまえばよい。そうすれば、天下は私と霍殿のものじゃ!)



