広間へ辿り着いた時、既にすべての面首がその場に集っていた。

「呼びに行く必要のある者は、おりませんな」
 そう言って(マー)はこちらを振り返った。私は頷き、一同を見回す。
「皆、ここで(わらわ)を待っているだけでは退屈であろう。故に、今日は皆と共に満ち足りた時を過そうと思う」
 私の言葉に面首たちは期待に目を輝かせ、わっと歓声を上げる。
「しかし、皆でとは?」
蓮花(リェンファ)様は俺たち二十人をまとめて相手なさるおつもりか?」
「なるほど、今日は一日かけて俺たち全員を品定めなさり、今後お側に侍る者とそうでない者をふるいにかけなさると言うわけか」
(うむ、予想通りの反応じゃの)
 全員の期待をたっぷりと高めさせておいて、私はにっこりと笑う。先帝のお心を繋ぎ止めた、自慢の微笑だ。案の定、面首たちの瞳が熱を帯びる。場が温まったのを見計らい、私は口を開いた。
「今日皆には一日がかりで、文化史編纂の仕事をしてもらう」
 その場にいた全員が、笑顔のまま固まった。

「太后陛下!」
 真っ先に異を唱えたのは、太監の馬だった。
「どういうおつもりでいらっしゃいますか! ここにいるのは太后陛下を悦ばせるために集めた面首たちですぞ!」
「うん? 控鷹府(こうようふ)はそもそも文化史編纂の仕事をするために設置した役所ではなかったかの?」
「そっ、れは……。ですが、あくまでも表向きで……!」
「ならば問題なかろう」
 私は未だ唖然としている面首たちへ向き直る。
「と言うわけじゃ。ここ蓬莱宮(ほうらいきゅう)は、亡き先帝の魂を慰めながらかつての后妃たちが余生を過ごした場所。あり余る時間を使って仕上げた、刺繍、書画、織物などが山と残っておる。それらを記録として残すのが本日のそちらの役目じゃ」
「お、畏れながら……」
 おずおずと手を上げたのは、見るからに育ちの良さそうな面首だった。
「そち、名は?」
「り、(リー)秀英(シゥイン)と申します」
「ほぅ、李家の。では秀英、申してみよ」
「はい」
 秀英は一歩前に出て両手を重ね揖礼(ゆうれい)をする。
「畏れながら我々は、太后陛下……蓮花様を楽しませる任を与えられ、それに関わる勉強や訓練を重ねてまいりました。先ほどおっしゃった内容は、本来のお役目とは異なるものではないかと」
 秀英の言葉に対し、頷きあうものの姿も見える。
「未熟者」
 私はすげなく言い返した。
「我ら后妃は、先帝の命令であれば何でもやったぞ? 異国の民や功績のあった臣下に褒美として下げ渡されることなど珍しくなかった。宴席で客に酌や踊りを(きょう)すよう命じられれば、その通りにした。宮において蚕から糸をつむげと言われれば、慣れぬ虫も触った。そちらは男ではあるが、妾の后妃ではないのか? それとも、主が女ゆえ侮っておるのか?」
「め、滅相もございません!」
 秀英は慌てたように首を横に振り、一礼して下がった。私は一同を見回す。
「ここでのそちらの真の役目は周囲に秘められておる。先ほど馬にも言ったが控鷹府は、表向きは文化史編纂が目的で作られた役所じゃ。その事実が皆無となれば、さすがに不審に思われよう? ゆえに本日は皆にこの仕事をしてもらう、よいな」
 面首たちは納得いかない様子ではあったが、渋々ながら承諾した。
(よし、これで一日は時間が稼げたぞ!)

 蓬莱宮に残された、今は亡き后妃たちの作品群。それらを控鷹監にかき集め、担当者を決め詳細を記録してゆく。
(うん?)
 ふと目をやれば、眉根に深い皺を刻んだ険しい表情で何やら書きつけている(リン)俊豪(チンハオ)の姿があった。
(先日、散歩に誘ってきた時は、自信に満ちた朗らかな笑顔であったに)
 大きな背を丸め挑むような表情で書きつけている俊豪の周囲に、やがて面首たちが集まる。そして彼らは、俊豪の書いているものを指さし笑い始めた。中には、揶揄うような仕草の者まで。
 たまりかねた様子の俊豪が椅子を蹴って立ち上がる。そして笑っていた面首の胸倉を掴んだ。
「何を揉めておる」
 私の声に、彼らは動きを止める。しかし面首の一人が、俊豪の書いていたものをさっと取り上げ、皆に見せつけるように高く掲げた。
「ご覧ください、蓮花様! 俊豪のこの字!」