翌日の控鷹監。
一室に集められた面首たちは、右丞相趙傑倫より改めて注意を受けた。
「講義の中でも伝えた通り、蓮花様の宮の内に立ち入るのは禁止だ。お前たちはここ控鷹監で、蓮花様の訪れを待つ立場である。決定権は、主である蓮花様にあると心せよ」
面首たちは互いに顔を見合わせ、今更何を?と首を傾げ合う。
「昨日、宮の掃除を手伝うという名目で、潜り込んだ者がいた」
傑倫の言葉に、面首たちはどよめいた。信じられないと目を見開く者、その手があったかと悔しがる者、反応はそれぞれだ。
「重ねて伝える。蓮花様の宮に立ち入ってはならない。宮の前の石段の下、そこより先に足を踏み入れた者は、即刻控鷹監より追放する」
「誰だよ、蓮花様の宮に乗り込んだ奴って」
傑倫が部屋から出ていくと。面首たちは互いに探り合った。
「俺さあ、夜に蓮花様の寝室の窓の外から声を掛けようって考えてたんだけど。石段から先に入っちゃいけないってことは、やっちゃ駄目ってことだよなぁ」
「夜にそんなところから何するつもりだったんだよ」
「前に読んだんだ、恋物語の書でさ。愛を囁くんだ。甘くて情緒的だろ?」
「ふん。窓の下で蛙がゲコゲコ鳴いてるな~、って無視されるのがオチさ」
ドッと笑いが起き、からかわれた面首はカッと顔を朱に染める。
そんな彼らを遠巻きに、頬杖をついて眺めている小柄な人影があった。林小龍である。
そこへ一人の面首が近づいた。
「さっきのあれ、お前のことなんだろ?」
突如背後から飛んで来た声に、小龍は振り返る。
「俊豪」
面首の中でもひときわ目立つ体格の俊豪が、にやりとわらって小龍を見下ろしていた。
「昨日、昼過ぎからお前の姿を見なかったからな。どこに行ったのかと思っていたが、まさか蓮花様の宮に潜り込んでいたとはな」
「ふふ」
小龍は臆することなく、俊豪へ無邪気に笑って返す。
「初日に散歩にお誘いしてた君の積極性を見習ったよ。僕は宮どころか、部屋に入れてもらったけどね」
「本当かよ」
「うん、お茶とお菓子もいただいた。房中術の講義で習った、手指の指圧をするところまではいい感じだったんだけどなぁ」
悪びれる様子のない小龍に俊豪は呆気にとられ、やがて盛大に吹き出した。
「お前、やるじゃねぇか!」
ゲラゲラと笑いながら、俊豪は小龍の華奢な肩に腕を回す。
「ガキくせぇお坊ちゃまだとばかり思っていたが、見直したぜ!」
「へへっ」
強引にじゃれる俊豪に、小龍は屈託なく笑って返す。
「だって出世がかかっているからね」
あどけない表情の中、瞳には怜悧な光が宿っている。
「ここを追い出されたら、また兄の家で使用人としてこき使われるだけだ。僕は、ここで蓮花様の心を掴んで、成り上がるしかないんだよ」
「だな」
俊豪は窓の外へ遠い目を向ける。
「猟師の仕事も嫌いじゃねぇが、目の前に黄金の扉が開かれちまったら、飛び込むほかねぇよなあ。後戻りはごめんだ。そのためには……」
小龍と俊豪は互いに不敵な視線を交わす。
「多少強引な手を使ってでも」
「蓮花様のお目に留まらなくちゃね」
二人は笑い合った後、ふっと息を吐く。
「けど、蓮花様の宮への立ち入りを禁じられてしまっちゃあなぁ」
「他に手を考えるしかないよね。だけど待っているだけじゃ、きっとどうにもならない」
他より一歩抜きんでるにはどうすればいいか。頭をひねる二人へ冷ややかな目を向ける一人の面首がいた。
「姑息な手を使うから封じられるのですよ」
白い指先で、眼鏡をそっと持ち上げる。
彼の声は、俊豪と小龍の耳には届かなかった。
■□■
昼下がり、私は太監の馬と共に控鷹監へと足を向けた。
私の姿に気付いた面首たちは、我先にと駆け寄ってくる。口々に私をたたえる言葉を連ね、熱を帯びた視線を寄こしながら。
(懐かしいのぅ)
かつて、先帝の寵を競った自分たちの姿と重なる。その心の内も、手に取るように感じ取れた。
立身出世。
この後宮では、主の愛を勝ち取ることで立場が決まる。
彼らは単純に私からの愛が欲しいわけではない。願っているのはその先。気に入られることで、盤石たる地位を手に入れることこそが最終目的なのだ。だからそのために、こちらの心をとろかそうとしてくる。これも、私のいた後宮と変わらない。
(以前の体であれば、それも楽しめたと思うが、な)



