小龍(シャオロン)は無邪気に顔をほころばせ、茶杯を手に取り中身に口を付ける。そして、ゆっくり飲み干すと、ほぅ、と息をついた。
「喉元を通り過ぎた後にほのかに残る、蜜のような風味。こんなおいしいお茶、初めて飲みました」
「おや、その味わいがわかるか」
「詳しくはわかりませんが、その辺で味わえるものではないということはわかります」
 目をくりくりと輝かせ、屈託ない笑顔を浮かべる小龍を前に、私は僅かに首をかしげる。
(考え過ぎであったか?)
 先程まで布越しの濡れた肢体を見せつけて、あざとく誘引(アピール)しているように見えた小龍ではあるが、今はそれを全く忘れ去ったかのように茶を楽しんでいる。それに、着替えを補佐する侍女に対しても、にこやかに丁寧に礼を述べていた。
(ひょっとすると最初から計算でもなんでもなく、ただただ天真爛漫な仕草であったか)
 そう思うと、恥じ入る思いがした。
(かつての自分が計算ずくでした行為と似ていたからとて、この者まで同じ心根とは限るまいに。清い心の若者相手に、私は何という邪推を)
 詫びと言うわけではないが、私は棗と胡桃の菓子を小龍へ与える。
「小龍、食すがよい。(わらわ)のお気に入りじゃ、美味であるぞ」
蓮花(リェンファ)様! ありがとうございます、いただきます!」
 ぱあっと顔を輝かせ菓子に手を伸ばす小龍の姿に、つい頬が緩む。孫の暁明(シァミン)に菓子を与えた時のように心が和んだ。

「あっ」
 菓子をもぐもぐと()んでいた小龍が、突如自分の手を見つめた。
「どうした」
「れ、蓮花様、申し訳ございません」
 小龍はしょんぼりと眉を下げる。
「せっかく蓮花様に触れる時のために、手指もすべすべに手入れしていたのに、先ほどの掃除で少し荒れてしまいました」
 小龍は指と指をこすり合わせ、その感触に肩を落とす。
「これでは蓮花様に触れられません。面首失格です」
(やれやれ、世話の焼ける子よ)
 可愛らしいドジに苦笑しつつ、私は鏡台の引き出しから馬油(バーユ)を取り出す。
「小龍、使うがよい」
「いいんですか? ありがとうございます!」
 小龍は嬉しそうに微笑み、遠慮なく馬油を指先で掬い上げる。
「あっ」
「今度は何じゃ」
「取り過ぎちゃいました」
 小龍の人差し指の先にこんもりと乗っかった馬油を見て、私は吹き出した。
「そちは、本当にそそっかしいのぅ。次から次へと」
 私は手を差し出す。
「どれ、妾も塗るとしよう。過ぎた分はこちらへ寄こすがよい。二人の手なら丁度良い量じゃ」
「本当にすみません。それでは」
 言って、小龍は馬油の半量を私の手へ乗せる。そして自身は手をこすり合わせ、素早く馬油を行き渡らせた。
「手荒れは治りそうか?」
「はいっ、ありがとうございます!」

 声を弾ませ丁寧にすりこんでいた小龍は、やがて「そうだ」と小さな声を漏らす。
「蓮花様、どうぞお手をこちらへ」
「なんじゃ急に」
「僕が、蓮花様のお手にも塗り込んで差し上げます」
 私が困惑していると、小龍は無邪気に私の手を取ってしまう。
「あ、これ」
控鷹監(こうようかん)で習ったのです。手には、体の不調を緩和するツボがいくつもあると」
 そう言って小龍は馬油を薄く伸ばしながら、私の手を指先で丁寧に押してゆく。
「蓮花様のお手に塗り込めながら、癒して差し上げます」
「んっ」
「今のは労宮(ろうきゅう)。気疲れや倦怠感を改善するツボにございます」
「そうか」
 明らかに何かが効く手応えがあった。気疲れ、言われてみればあるかもしれない。
 馬油の効果で小龍の指は滑りが良く、指圧も妙に心地よい。
「おぉ」
「ここは合谷(ごうこく)。緊張を和らげ、痛みを取る効果があるそうです」
「なるほどのぅ」

 一つ一つ説明しながら、小龍は温かな手で揉み続ける。力加減も絶妙で、私はすっかりくつろいでしまった。目を閉じ、ほぐされる快感に身をゆだねる。
「蓮花様」
 艶めいた低めの声が、思いの外近くから聞こえた。瞼を上げると、息もかかるほど間近に、小龍の整った(かんばせ)があった。
「なっ……」
「気持ち、いいですか?」
 微かに掠れた声でそう言って、小龍は私の指の間にぬるりと自分の指を絡ませる。快感が背筋を駆け抜けた。
「僕、蓮花様を心地よくして差し上げられていますか?」
 その双眸は熱を帯び、とろりと蜜を含んでいる。
「僕は、蓮花様の指に触れているだけで、とても幸せです」
 再びぬるりと指の間を刺激され、そのはずみで漏れそうになった声を辛うじて飲み込む。
「小龍、そちは……」
 小龍は優美に微笑みながら、指の間を緩急つけて刺激する。爪の先を丁寧に優しくこする。ぬるりぬるりと馬油を塗り広げながら。
「蓮花様」
「……なんじゃ」
「体が火照ってきたのではございませんか?」
(いかん……!)