「悠宗。入るぞ。良いか?」
息子に今の姿を知らせておかねばなるまいと、私は黄麒宮を訪れた。
前回は三十代の姿でも、呼吸困難に陥るほどの衝撃を与えてしまった。ゆえに今回は前もって、現状を伝えておいたのだが。
「本当に入るぞ? 心の準備は出来たか?」
体の弱い皇帝に何かあっては困る。私は衝立の陰に身を潜め、しつこいほど念を押した。
「母上……」
架子床から、か細く震える声がする。
「十代の姿となってしまったと言うお話は、真でしょうか?」
「真じゃ」
「……」
微かに息を飲む音。そして数回、呼吸を整える音が続く。やがて「どうぞお入りください」と聞こえて来た。
「悠宗」
私はそっと顔をのぞかせる。そして衝立の陰から息子の架子床へ向け、歩を進めた。
「母う……」
大きく見開かれた息子の目は、私が近付くに合わせぐりんと天を向き、そのまま体を傾がせた。
「天佑!」
思わず幼名を叫び、私は駆け寄る。それよりも早く、江淑妃が悠宗の体を抱きとめた。
「ぶ、無事であろうか、我が息子は」
「……え、えぇ。恐らく」
江淑妃はすぐに侍女へ薬湯を持ってくるよう指示を出す。ゆっくりと布団へ横たわらせ、その口へひと匙ずつ薬湯を流し込んだ。
やがて悠宗がそっと瞼を開く。胸を押さえ、呼吸を整えながら。皇帝のまばたきを確認し、私たちはほっと胸をなでおろした。
「は、母上、でありましょうか……」
「うむ」
悠宗は、あえて私を視界に入れないようにしているようだ。
「これも、女道士の術のせいでございますか?」
「……うむ」
さすがに、傑倫の陽の気を受けたためとは言い難い。
「ならば、これからもどんどんと若返っていかれるということでしょうか?」
「いや、そこは心配いらぬ」
「なぜ言い切れるのですか? 女道士の術でそのようなお姿になられたのでしょう? ならば今後も、どんどんと逆行していく可能性があるではございませんか」
「それはそうじゃが……、き、効き目は三日と言われておってな。もうこれ以上は変化せぬ」
悠宗はフーッと息をつくと、恐る恐る横目でこちらを見た。
「……見間違いではない。今の母上は、我が息子暁明の姉にしか見えぬ」
「はは……」
もう一度陽の気を受ければ、九歳になってしまうなどとはとても言えぬ。それこそ、息子にとどめを刺してしまうやもしれぬ。
(絶対に、これ以上若返るわけにはいかぬな……)
面首たちにうっかりほだされることのないよう、気を引き締めた時だった。パタパタと軽い足音が聞こえて来て、孫の暁明が太監の霍と共に姿を現わした。
「おばあ様!」
暁明は満面の笑顔で私へ飛びついてくる。
「今日もとても綺麗」
(綺麗で済む話ではないぞ)
褒められた喜びより、無邪気すぎる孫への心配が先に立つ。
「暁明、なぜ妾がおばあ様だと分かったのじゃ?」
「? おばあ様は、おばあ様だから」
「今日は、いつもの衣を着ておらぬぞ」
私の言葉に、暁明はぱっと目を輝かす。
「本当だ! 初めて見るお着物! 綺麗!」
先日、衣が同じだからわかったと言っていたが、今日はそこではなかったのか。
「あっ、お香だ!」
「香?」
「おばあ様がいつも使っておられるお香の匂いがする」
「……そうか」
言われてみれば私の使っている香は、私のためだけに調合させた特別なものだった。
(しかし、先日は衣で判別したと言い、今日は匂いで判別したと言うのか)
それでは、それらを纏った別人を私だと勘違いする可能性もある。
(この子は大丈夫であろうか。守る人間がいなくなれば、すぐに騙され利用されていまうのではなかろうか……)
やはり私が長生きして、この子を守らねばならない。そう思い、ぐっと拳を固めた時だった。
(うん?)
柱の陰で、何かが揺らめいている。視線を下へずらせば、磨き上げられた床に二人の太監の姿が映りこんでいた。
(霍と馬?)
息子に今の姿を知らせておかねばなるまいと、私は黄麒宮を訪れた。
前回は三十代の姿でも、呼吸困難に陥るほどの衝撃を与えてしまった。ゆえに今回は前もって、現状を伝えておいたのだが。
「本当に入るぞ? 心の準備は出来たか?」
体の弱い皇帝に何かあっては困る。私は衝立の陰に身を潜め、しつこいほど念を押した。
「母上……」
架子床から、か細く震える声がする。
「十代の姿となってしまったと言うお話は、真でしょうか?」
「真じゃ」
「……」
微かに息を飲む音。そして数回、呼吸を整える音が続く。やがて「どうぞお入りください」と聞こえて来た。
「悠宗」
私はそっと顔をのぞかせる。そして衝立の陰から息子の架子床へ向け、歩を進めた。
「母う……」
大きく見開かれた息子の目は、私が近付くに合わせぐりんと天を向き、そのまま体を傾がせた。
「天佑!」
思わず幼名を叫び、私は駆け寄る。それよりも早く、江淑妃が悠宗の体を抱きとめた。
「ぶ、無事であろうか、我が息子は」
「……え、えぇ。恐らく」
江淑妃はすぐに侍女へ薬湯を持ってくるよう指示を出す。ゆっくりと布団へ横たわらせ、その口へひと匙ずつ薬湯を流し込んだ。
やがて悠宗がそっと瞼を開く。胸を押さえ、呼吸を整えながら。皇帝のまばたきを確認し、私たちはほっと胸をなでおろした。
「は、母上、でありましょうか……」
「うむ」
悠宗は、あえて私を視界に入れないようにしているようだ。
「これも、女道士の術のせいでございますか?」
「……うむ」
さすがに、傑倫の陽の気を受けたためとは言い難い。
「ならば、これからもどんどんと若返っていかれるということでしょうか?」
「いや、そこは心配いらぬ」
「なぜ言い切れるのですか? 女道士の術でそのようなお姿になられたのでしょう? ならば今後も、どんどんと逆行していく可能性があるではございませんか」
「それはそうじゃが……、き、効き目は三日と言われておってな。もうこれ以上は変化せぬ」
悠宗はフーッと息をつくと、恐る恐る横目でこちらを見た。
「……見間違いではない。今の母上は、我が息子暁明の姉にしか見えぬ」
「はは……」
もう一度陽の気を受ければ、九歳になってしまうなどとはとても言えぬ。それこそ、息子にとどめを刺してしまうやもしれぬ。
(絶対に、これ以上若返るわけにはいかぬな……)
面首たちにうっかりほだされることのないよう、気を引き締めた時だった。パタパタと軽い足音が聞こえて来て、孫の暁明が太監の霍と共に姿を現わした。
「おばあ様!」
暁明は満面の笑顔で私へ飛びついてくる。
「今日もとても綺麗」
(綺麗で済む話ではないぞ)
褒められた喜びより、無邪気すぎる孫への心配が先に立つ。
「暁明、なぜ妾がおばあ様だと分かったのじゃ?」
「? おばあ様は、おばあ様だから」
「今日は、いつもの衣を着ておらぬぞ」
私の言葉に、暁明はぱっと目を輝かす。
「本当だ! 初めて見るお着物! 綺麗!」
先日、衣が同じだからわかったと言っていたが、今日はそこではなかったのか。
「あっ、お香だ!」
「香?」
「おばあ様がいつも使っておられるお香の匂いがする」
「……そうか」
言われてみれば私の使っている香は、私のためだけに調合させた特別なものだった。
(しかし、先日は衣で判別したと言い、今日は匂いで判別したと言うのか)
それでは、それらを纏った別人を私だと勘違いする可能性もある。
(この子は大丈夫であろうか。守る人間がいなくなれば、すぐに騙され利用されていまうのではなかろうか……)
やはり私が長生きして、この子を守らねばならない。そう思い、ぐっと拳を固めた時だった。
(うん?)
柱の陰で、何かが揺らめいている。視線を下へずらせば、磨き上げられた床に二人の太監の姿が映りこんでいた。
(霍と馬?)



