木陰の墩へ、私は俊豪と並んで座る。
「しかし、そちの手は……」
言いかけたところで、突然俊豪が慌てて手を引いた。
「申し訳ございません! 痛かったですかね?」
「? いや……」
先程まで自ら手を重ねていたくせに、俊豪は急に恥ずかしそうに自分の手を隠してしまう。
「俺の手、家業で結構荒れてて、他の奴らみたいにすべすべしてないから。蓮花様を痛い目に合わせるかもしれないから気を付けろって、最初の日に注意を受けたんですよ」
「そうなのか?」
「はい」
大きな身を縮こませる彼に、可愛らしさと可笑しみを感じた。
「何の仕事をしておったのじゃ?」
「猟師にございます。野山を駆け回り、獣を弓矢にて射抜き、生活をしておりました」
視線を落せば、浅黒く艶やかな逞しい腕には、血管が浮き上がっている。
なるほど。彼のこの腕は、弓を引くことで作り上げられたものだったか。
「安心せよ、痛くはなかった。むしろ、このように武骨で筋張った手が、これほどにすべやかなものかと驚いたくらいじゃ」
「ほ、本当ですか?」
「うむ」
私の言葉に、俊豪は嬉しそうに歯を見せる。
「良かった、頑張った甲斐がありました」
「頑張った? 何をじゃ?」
「手入れです。朝晩、薬草を煮出した湯でよく洗い、馬油と沙棘の脂を丁寧に塗りこめました。太監様より、これで何とかせよと言われて」
まるで后妃の行う肌の手入れではないか。馬油や沙棘の脂は、私も先帝がいつ触れても良いように、日夜素肌に塗り込んだものだ。
(考えてみれば、彼らは私にとっての后妃みたいなものだからの)
先帝の愛を他の后妃たちと競っていた頃の自分を思い出し、微笑ましくなる。
「妾のために、準備をしてくれたのじゃな」
「はい」
自信を得たのか、俊豪は私へぐっと体を寄せて来た。
「……手だけではございませぬ」
俊豪の低い声に、不意に艶めいた甘さが加わる。
「蓮花様がお望みの時に、お望みの場所へ触れてよいように、この体の全てを整えております」
雄を感じさせる声に、耳元がぞわりとなった。
(望む時に望む場所を?)
思わず視線を彼の体へ走らせてしまった。触れてみたい、と言う欲望が湧きあがる。服の上からでもわかる俊豪の逞しい体つき。ほのかに漂ってくる、官能的な香り。
「どうぞ、今すぐにでもお試しください」
試す? 試すと言うのはやはり……。
俊豪がはらりと衣を取り払う様を想像する。その姿が、傑倫のものと重なった。
「いかん!」
私は慌てて立ち上がる。
「蓮花様?」
虚を突かれた顔つきで、俊豪はこちらを見上げていた。
「妾は散歩をするとしか聞かされておらぬ」
強めの口調で返すと、俊豪は慌てたようにその場に這いつくばった。
「申し訳ございません。あまりにも蓮花様がお美しく、気が逸ってしまいました。どうかご無礼を許しください!」
「良い、立て。じゃが、今日のところはこれまでじゃ」
私はきびすを返し、侍女たちを引き連れ自分の宮殿へと急ぎ足で戻る。
(危なかった……!)
正直に言おう。危うく流されるところであった。
(次に男の陽の気を受ければ、九歳じゃぞ!)
脳裏に浮かんだ傑倫の姿に救われた。
(しかし、控鷹監での養成とは恐ろしいものじゃ。あんなに自然な形で、睦事になだれ込もうとするとは)
■□■
「はー、初日にいきなりはやっぱ無理かぁ」
立ち上がった俊豪は、膝についた砂を払いながら不敵に笑う。
「でもまぁ、手応えとしちゃあ悪くなかったよな」
きちんと手入れの行き届いた指先で、頭の後ろをガシガシと掻く。
その逞しい肩に、固いものが触れた。
「あん?」
振り返った先にいた人物に、俊豪はぎょっとなる。
「げっ、趙右丞相様……!」
『控鷹府』の最高責任者が、厳しい眼差しを自分に向けている。肩に触れているのが、鞘に収められたままの傑倫の剣だと気付き、顔色を変えた。
「えっと、右丞相様? 俺、割と頑張りましたよね? ちゃんと控鷹監での教えを守って、太后陛下を優しく扱いましたよね?」
「そうだな。だが、いささか性急に見えたのでな」
傑倫の目に、刃にも似た鋭い怒りが潜んでいる。
「太后陛下にはもっと敬意を表し、丁寧に優しく、大切に接しろ。さもなくば、その役を免じるぞ」
「わ、分かりました!」
俊豪は一礼し、そそくさと控鷹監へと戻ってゆく。
その姿が見えなくなると、傑倫は剣を腰に戻し、衣の胸元をぐっと握りしめた。
「……この程度で動揺するとは」
傑倫は振り返り、主のいる宮殿へ切なげな一瞥をくれる。そして深々と一礼すると、蓬莱宮を後にした。
「しかし、そちの手は……」
言いかけたところで、突然俊豪が慌てて手を引いた。
「申し訳ございません! 痛かったですかね?」
「? いや……」
先程まで自ら手を重ねていたくせに、俊豪は急に恥ずかしそうに自分の手を隠してしまう。
「俺の手、家業で結構荒れてて、他の奴らみたいにすべすべしてないから。蓮花様を痛い目に合わせるかもしれないから気を付けろって、最初の日に注意を受けたんですよ」
「そうなのか?」
「はい」
大きな身を縮こませる彼に、可愛らしさと可笑しみを感じた。
「何の仕事をしておったのじゃ?」
「猟師にございます。野山を駆け回り、獣を弓矢にて射抜き、生活をしておりました」
視線を落せば、浅黒く艶やかな逞しい腕には、血管が浮き上がっている。
なるほど。彼のこの腕は、弓を引くことで作り上げられたものだったか。
「安心せよ、痛くはなかった。むしろ、このように武骨で筋張った手が、これほどにすべやかなものかと驚いたくらいじゃ」
「ほ、本当ですか?」
「うむ」
私の言葉に、俊豪は嬉しそうに歯を見せる。
「良かった、頑張った甲斐がありました」
「頑張った? 何をじゃ?」
「手入れです。朝晩、薬草を煮出した湯でよく洗い、馬油と沙棘の脂を丁寧に塗りこめました。太監様より、これで何とかせよと言われて」
まるで后妃の行う肌の手入れではないか。馬油や沙棘の脂は、私も先帝がいつ触れても良いように、日夜素肌に塗り込んだものだ。
(考えてみれば、彼らは私にとっての后妃みたいなものだからの)
先帝の愛を他の后妃たちと競っていた頃の自分を思い出し、微笑ましくなる。
「妾のために、準備をしてくれたのじゃな」
「はい」
自信を得たのか、俊豪は私へぐっと体を寄せて来た。
「……手だけではございませぬ」
俊豪の低い声に、不意に艶めいた甘さが加わる。
「蓮花様がお望みの時に、お望みの場所へ触れてよいように、この体の全てを整えております」
雄を感じさせる声に、耳元がぞわりとなった。
(望む時に望む場所を?)
思わず視線を彼の体へ走らせてしまった。触れてみたい、と言う欲望が湧きあがる。服の上からでもわかる俊豪の逞しい体つき。ほのかに漂ってくる、官能的な香り。
「どうぞ、今すぐにでもお試しください」
試す? 試すと言うのはやはり……。
俊豪がはらりと衣を取り払う様を想像する。その姿が、傑倫のものと重なった。
「いかん!」
私は慌てて立ち上がる。
「蓮花様?」
虚を突かれた顔つきで、俊豪はこちらを見上げていた。
「妾は散歩をするとしか聞かされておらぬ」
強めの口調で返すと、俊豪は慌てたようにその場に這いつくばった。
「申し訳ございません。あまりにも蓮花様がお美しく、気が逸ってしまいました。どうかご無礼を許しください!」
「良い、立て。じゃが、今日のところはこれまでじゃ」
私はきびすを返し、侍女たちを引き連れ自分の宮殿へと急ぎ足で戻る。
(危なかった……!)
正直に言おう。危うく流されるところであった。
(次に男の陽の気を受ければ、九歳じゃぞ!)
脳裏に浮かんだ傑倫の姿に救われた。
(しかし、控鷹監での養成とは恐ろしいものじゃ。あんなに自然な形で、睦事になだれ込もうとするとは)
■□■
「はー、初日にいきなりはやっぱ無理かぁ」
立ち上がった俊豪は、膝についた砂を払いながら不敵に笑う。
「でもまぁ、手応えとしちゃあ悪くなかったよな」
きちんと手入れの行き届いた指先で、頭の後ろをガシガシと掻く。
その逞しい肩に、固いものが触れた。
「あん?」
振り返った先にいた人物に、俊豪はぎょっとなる。
「げっ、趙右丞相様……!」
『控鷹府』の最高責任者が、厳しい眼差しを自分に向けている。肩に触れているのが、鞘に収められたままの傑倫の剣だと気付き、顔色を変えた。
「えっと、右丞相様? 俺、割と頑張りましたよね? ちゃんと控鷹監での教えを守って、太后陛下を優しく扱いましたよね?」
「そうだな。だが、いささか性急に見えたのでな」
傑倫の目に、刃にも似た鋭い怒りが潜んでいる。
「太后陛下にはもっと敬意を表し、丁寧に優しく、大切に接しろ。さもなくば、その役を免じるぞ」
「わ、分かりました!」
俊豪は一礼し、そそくさと控鷹監へと戻ってゆく。
その姿が見えなくなると、傑倫は剣を腰に戻し、衣の胸元をぐっと握りしめた。
「……この程度で動揺するとは」
傑倫は振り返り、主のいる宮殿へ切なげな一瞥をくれる。そして深々と一礼すると、蓬莱宮を後にした。



