『控鷹監』開きの儀式を終え、私は自室へと戻って来た。
(さて、どうするか……)
面首たちにも、今日は思い思いに過ごすよう命じておいた。
(明日は、文化史の編纂でもさせるか。いや、さっさと交流をして、気に染まぬと難癖付けて帰してしまうのが良いか)
科挙でも宦官でもない第三の道で、出世を狙っている彼の者らには気の毒ではあるが。
「太后陛下」
太監の馬が、私の前で一礼する。
「なんじゃ」
「控鷹監の面首の一人が、太后陛下と院子での散歩を望んでおりますがいかがしましょう」
(なんと)
ずいぶん積極的な者がいたものだ。
「妾は好きに過ごせと命じたはずだが」
「故に、太后陛下と是非共に過ごしたいと」
普通、こういったものはこちらから声を掛けるまで大人しくしているものではないのか?
(いや、そうとも限らぬか)
私自身、先帝の目に留まるべく、色々策を弄した覚えがある。例えば庭園にて曾賢妃さまと共に先帝にお目にかかった際、わざと水に落ちて透けた衣越しに若さを見せつけたとか。
(今思えば、なんと稚拙で見え見えな策であろうか。しかしあれを機に、先帝が私を褥へ招いてくれるようになったのもまた事実)
いや、思い出に浸っている場合ではなかった。
「気が進まぬ。下がるよう申しつけておけ」
普段であれば、そこで会話は終わる筈だった。しかし、この日の馬は少し違った。
「いいえ、太后陛下。太后陛下へ奉仕をするは面首どもの仕事にございます。き奴らに仕事をさせぬと言うのであれば、何のために国の予算まで投じて控鷹府などと言う役所を新たに作ったのでございましょうか」
だからそれは若返りを目的とした役所であり、この体となった以上必要のないものと、こ奴も知っていように。
「国家予算を投じた以上、彼らに仕事をさせなくてはなりませぬ」
理屈は解るが……。
くどくどと説教を始めた馬へ、私は根負けする。
「わかった、もううるさく言うな。妾が院子の散歩に付き合えばよいのだろう」
「行ってらっしゃいませ、太后陛下。お気をつけて」
馬が両手を胸の前で重ね礼をする。それを尻目に私は部屋を後にした。
■□■
蓮花が侍女たちに付き従われ扉の向こうへ姿を消したのを確認し、太監の馬はギラリと目を光らせた。
「太后陛下には、このまま色欲に溺れていただかねばなるまい。面首たちに囲まれ、毎日ちやほやとされていれば、そのうち政治への興味も薄れるだろうて。……そうだ、そうなってもらわねば困る」
揖礼の姿勢の袖の奥で、馬は口元を野望に歪ませた。
■□■
「凌俊豪にございます」
石段の下で跪き私を待っていた者の顔を見て、私は小さく息を飲んだ。
(こ奴であったか)
先程の儀の最中、二十人の面首の中でも特に目を引いた男だ。
高い背に広い肩幅、逞しい体つき。それらが傑倫によく似ている。
よく日に焼けた肌に、濃く太めの眉。その下で、生命力にあふれた無遠慮な双眸がこちらを見上げている。口元には屈託のない笑みが浮かび、白い歯を見せていた。貴族出身ではなさそうだ。
「太后陛下と、ぜひお時間を共にする栄誉を与えていただきたく」
「うむ、分かった」
最下段まで下り、彼を立たせる。立ち上がると、俊豪の上背の高さがより際立った。
「では『蓮花様』、お手を」
(私の名を?)
恐らく『控鷹監』で、そうするように習ったのであろう。更には、手を差し伸べてきた。
(図々しい。罰当たりめが)
そう感じたものの、不思議と心弾む思いがする。国母や太后ではなく、一人の乙女として扱われることは、久方ぶりのことで合った。
「わ、手ぇちっちゃ!」
日焼けした彼の大きく厚みのある手に、私の手はすっぽりと包まれてしまう。
「それに白くてすべすべですね」
「そちの手に比べれば、大抵の手は白く見えるであろう」
「はは、確かに」
俊豪は空を仰ぎ、からからと大口を開けて笑う。
(粗野な男よ……)
面首として学んだであろう最低限の礼儀こそ身に着けているようだが、内からにじみ出てくる野性味を隠しきれずにいる。だが、それがとても新鮮に感じられた。
(妙に心が浮き立つ……)
自然と口元が笑みを片付くるのが自分でもわかった。
「うぉ、可愛い」
俊豪が頬を染めはにかむ。
「俺、こんな可愛い人の手に触れるなんて初めてです」
「無礼者。妾は皇帝が母親ぞ?」
「存じております、太后陛下。しかし、そのお立場の気品と威厳はありつつも、あなた様は少女のようにとてもお若く愛らしい」
(で、あろうな)
昨日までは皮肉としか聞こえなかった「若く見える」が、今日は素直に受け止められる。虚言ではなく、事実だからだ。
(さて、どうするか……)
面首たちにも、今日は思い思いに過ごすよう命じておいた。
(明日は、文化史の編纂でもさせるか。いや、さっさと交流をして、気に染まぬと難癖付けて帰してしまうのが良いか)
科挙でも宦官でもない第三の道で、出世を狙っている彼の者らには気の毒ではあるが。
「太后陛下」
太監の馬が、私の前で一礼する。
「なんじゃ」
「控鷹監の面首の一人が、太后陛下と院子での散歩を望んでおりますがいかがしましょう」
(なんと)
ずいぶん積極的な者がいたものだ。
「妾は好きに過ごせと命じたはずだが」
「故に、太后陛下と是非共に過ごしたいと」
普通、こういったものはこちらから声を掛けるまで大人しくしているものではないのか?
(いや、そうとも限らぬか)
私自身、先帝の目に留まるべく、色々策を弄した覚えがある。例えば庭園にて曾賢妃さまと共に先帝にお目にかかった際、わざと水に落ちて透けた衣越しに若さを見せつけたとか。
(今思えば、なんと稚拙で見え見えな策であろうか。しかしあれを機に、先帝が私を褥へ招いてくれるようになったのもまた事実)
いや、思い出に浸っている場合ではなかった。
「気が進まぬ。下がるよう申しつけておけ」
普段であれば、そこで会話は終わる筈だった。しかし、この日の馬は少し違った。
「いいえ、太后陛下。太后陛下へ奉仕をするは面首どもの仕事にございます。き奴らに仕事をさせぬと言うのであれば、何のために国の予算まで投じて控鷹府などと言う役所を新たに作ったのでございましょうか」
だからそれは若返りを目的とした役所であり、この体となった以上必要のないものと、こ奴も知っていように。
「国家予算を投じた以上、彼らに仕事をさせなくてはなりませぬ」
理屈は解るが……。
くどくどと説教を始めた馬へ、私は根負けする。
「わかった、もううるさく言うな。妾が院子の散歩に付き合えばよいのだろう」
「行ってらっしゃいませ、太后陛下。お気をつけて」
馬が両手を胸の前で重ね礼をする。それを尻目に私は部屋を後にした。
■□■
蓮花が侍女たちに付き従われ扉の向こうへ姿を消したのを確認し、太監の馬はギラリと目を光らせた。
「太后陛下には、このまま色欲に溺れていただかねばなるまい。面首たちに囲まれ、毎日ちやほやとされていれば、そのうち政治への興味も薄れるだろうて。……そうだ、そうなってもらわねば困る」
揖礼の姿勢の袖の奥で、馬は口元を野望に歪ませた。
■□■
「凌俊豪にございます」
石段の下で跪き私を待っていた者の顔を見て、私は小さく息を飲んだ。
(こ奴であったか)
先程の儀の最中、二十人の面首の中でも特に目を引いた男だ。
高い背に広い肩幅、逞しい体つき。それらが傑倫によく似ている。
よく日に焼けた肌に、濃く太めの眉。その下で、生命力にあふれた無遠慮な双眸がこちらを見上げている。口元には屈託のない笑みが浮かび、白い歯を見せていた。貴族出身ではなさそうだ。
「太后陛下と、ぜひお時間を共にする栄誉を与えていただきたく」
「うむ、分かった」
最下段まで下り、彼を立たせる。立ち上がると、俊豪の上背の高さがより際立った。
「では『蓮花様』、お手を」
(私の名を?)
恐らく『控鷹監』で、そうするように習ったのであろう。更には、手を差し伸べてきた。
(図々しい。罰当たりめが)
そう感じたものの、不思議と心弾む思いがする。国母や太后ではなく、一人の乙女として扱われることは、久方ぶりのことで合った。
「わ、手ぇちっちゃ!」
日焼けした彼の大きく厚みのある手に、私の手はすっぽりと包まれてしまう。
「それに白くてすべすべですね」
「そちの手に比べれば、大抵の手は白く見えるであろう」
「はは、確かに」
俊豪は空を仰ぎ、からからと大口を開けて笑う。
(粗野な男よ……)
面首として学んだであろう最低限の礼儀こそ身に着けているようだが、内からにじみ出てくる野性味を隠しきれずにいる。だが、それがとても新鮮に感じられた。
(妙に心が浮き立つ……)
自然と口元が笑みを片付くるのが自分でもわかった。
「うぉ、可愛い」
俊豪が頬を染めはにかむ。
「俺、こんな可愛い人の手に触れるなんて初めてです」
「無礼者。妾は皇帝が母親ぞ?」
「存じております、太后陛下。しかし、そのお立場の気品と威厳はありつつも、あなた様は少女のようにとてもお若く愛らしい」
(で、あろうな)
昨日までは皮肉としか聞こえなかった「若く見える」が、今日は素直に受け止められる。虚言ではなく、事実だからだ。



