「大家。例の女官を連れてまいりました」
揖礼を捧げる冥焔の後ろで、麗麗は冷や汗をだらだらと流しながら同じく礼を捧げた。
(なにがどうしてこうなった。なにが、どうして、こうなった……!)
連れていかれたのは、内廷と外廷を隔てる門のすぐそばにある房だった。
煌びやかな装飾が施された、明らかに高貴な方用の房の中。揖礼する前に目に入った袍の色はどう見ても禁色で、もうこれだけで胃がぐりんぐりんにねじれている。
油条を食べる前でよかった。食べていたら、絶対に出てはいけないものが口からまろび出ていたに違いない。
「免礼。ふたりとも、面を上げよ」
若々しい声が礼を解けと命じる。そんなことできるかと思いながらも、命令に背くのはなお怖い。おそるおそる揖礼を解いた。
皇帝の竜顔を直視するのは、いかな麗麗とてさすがにはばかられる。目を伏せているため全容はわからないが、それでもずいぶん若い皇帝だ、と思った。
(もしかしたら、私とそんなに年が変わらないかも)
「瑛琳に聞いたぞ。冥焔、そしてそこの女官が此度の騒動を治めてくれたと。礼を言う」
「いえ。わたくしはなにもしておりません。すべてこの女官の手腕にてございます。礼は、すべてこの女官に」
(ちょっと!?)
自信たっぷりな冥焔の声に、思わず顔を上げそうになる。
麗麗は今の生活に満足しているのだ。余計なことを言わないでほしい。こんなところで変に功を立てたと思われたくないし、世の中、何事もほどほどが一番だ。
皇帝は「へえ」と興味を引かれたような声を出し、麗麗に向けていた視線を冥焔へと戻した。
「珍しいなぁ、冥焔。お前がいち女官をそこまで評価するのは」
「正当な評価です。大家」
「じゃあ、その評価を信じよう」
麗麗の背筋に嫌な汗が流れ、ぶわっと鳥肌が立つ。
「女官。発言を許そう。名は」
「……麗麗と申します」
「どこの所属だ?」
「織室です」
心の中で『一応ね』と付け足す。
妃嬪付きではない女官は大抵、六つの尚のどこかに所属している。尚とは佐々木愛子的にいうと、部署みたいなものだ。
麗麗は、『尚服局』というところの織室に配属されている。名の通り織物に関する仕事を請け負う場所である。
だが、麗麗は織物をしていない。そういった仕事は、麗麗よりももっと年季を重ねた玄人か、高位の女官が行っているからだ。
麗麗のような下級女官の仕事は、もっぱら蚕を飼育するための桑を準備するだとか、染色に使う草をひたすら踏むだとか、体をめいっぱい使う雑事が多い。
冥焔と会ったときに掃除にかり出されていたのも、いわば〝替えのきく〟女官だったからだ。別の尚局に『ちょっと手伝って』と乞われれば、『はいはい』と動く駒。それが麗麗の立ち位置である。
「では麗麗、頼みがある」
ぐえっと変な声が出かかって、ぐっと呑み込む。
そんな麗麗の様子に気づくわけもない皇帝は嬉々(きき)とした声色で言葉を重ねた。
「実は、ここ最近、後宮内でやたら怪異がはびこっているんだ」
「……後宮と怪しげな噂は、月夜と美酒の関係だと存じます」
「風流なたとえをするね」
気に入った、と皇帝は朗らかに笑う。
(しまった、またこの口が余計な発言を!)
後悔しても遅い。別に不思議な話ではないと暗に示した言葉は、皇帝の興味をますます買う材料になってしまったらしい。
もう本当にこの口が悪い。転生するならこういう短所もなんとか直してからにしてほしかった。
「確かに、後宮と怪しげな噂は切っても切れない関係にある。だがしかし、ここ最近はそうも言っていられないほどに増えているんだ。妃たちも、やれあっちでは幽鬼が出た、こっちでは妖魔が出ただの、震え上がっている始末でね。せっかくわたしが出向いても、一向によい雰囲気にならんのだ。これじゃあ、致すものも致せない」
「大家……」
ごほん、と冥焔が咳払いをするも、皇帝はどこ吹く風でからからと笑った。
「隠す話でもないだろう。ここは後宮で、わたしは皇帝だ」
堂々と胸を張る皇帝を見て、冥焔はふーっとため息をついた。
これは、鈍い麗麗でもさすがにわかる。
(つまり、えっちできないってことですね)
結構あけっぴろげに言うんだなあ、と、変なところで感心する麗麗である。
「そこで麗麗。お前には、この怪異の原因を調査し、解決してほしいんだ。どうだい、やってくれるかな」
(そんなの、『はい』か『イエス』しかないでしょうよ)
深く揖礼を捧げ〝諾〟であると皇帝に示しつつ、麗麗は心の中で毒づいた。ふと見ると、横で冥焔が涼しい顔をしている。
この宦官、こうなるとわかっていたのだ。だからこそ、先ほどああまでに麗麗を持ち上げてみせた。
つまり、後宮内では怪しげな問題が起こっていて、その問題を解決する駒として麗麗をあてがう。問題を押しつけようという魂胆なのだ。
(なんか、腹立ってきた!)
実を言うと麗麗は、理不尽が嫌いである。そして、負けず嫌いでもあった。
怪異が起きて、それを解決するのはいい。先日の呪い事件のように、ちょっとした実験ができるのも大変よろしい。けれど、押しつけられるのはまっぴらごめんだ。
「主上」
麗麗はゆっくりと顔を上げ、口を開いた。ぎょっとした冥焔が麗麗を振り返ったが、もう遅い。
「わたくしひとりでは不安です。冥焔様と一緒に、というお話であれば、お受けしたいと存じます」
「はっ!? おい、お前っ……」
冥焔が『嘘だろ』というような顔をして麗麗に詰め寄った。
残念ながらあいにく本気だ。
(私ひとりに押しつけようったって、想得太美了ってわけ)
麗麗の提案に、皇帝は一瞬ぽかんと口を開けた。ややあって、呵々大笑、腹を抱えてくの字になっている。
「いや、おもしろい。お前のような女官がいたとはなあ。いいだろう、許可しよう」
「大家!」
悲鳴をあげる冥焔に、皇帝はくつくつと笑いを嚙みしめ応える。
「麗麗だけでは荷が重いそうだ。話を持ってきたのはお前なのだからな。お前も共に行動するように」
「しかし!」
「いいな、ふたりだ。ふたりで、怪異の原因を探れ。わかったな」
冥焔は目を見開き、口の中が苦いものでいっぱいだ、というような顔をした。
「……是、遵命」
宦官、お前も道連れだ。
麗麗が心の中でにっこりしたのは言うまでもない。
揖礼を捧げる冥焔の後ろで、麗麗は冷や汗をだらだらと流しながら同じく礼を捧げた。
(なにがどうしてこうなった。なにが、どうして、こうなった……!)
連れていかれたのは、内廷と外廷を隔てる門のすぐそばにある房だった。
煌びやかな装飾が施された、明らかに高貴な方用の房の中。揖礼する前に目に入った袍の色はどう見ても禁色で、もうこれだけで胃がぐりんぐりんにねじれている。
油条を食べる前でよかった。食べていたら、絶対に出てはいけないものが口からまろび出ていたに違いない。
「免礼。ふたりとも、面を上げよ」
若々しい声が礼を解けと命じる。そんなことできるかと思いながらも、命令に背くのはなお怖い。おそるおそる揖礼を解いた。
皇帝の竜顔を直視するのは、いかな麗麗とてさすがにはばかられる。目を伏せているため全容はわからないが、それでもずいぶん若い皇帝だ、と思った。
(もしかしたら、私とそんなに年が変わらないかも)
「瑛琳に聞いたぞ。冥焔、そしてそこの女官が此度の騒動を治めてくれたと。礼を言う」
「いえ。わたくしはなにもしておりません。すべてこの女官の手腕にてございます。礼は、すべてこの女官に」
(ちょっと!?)
自信たっぷりな冥焔の声に、思わず顔を上げそうになる。
麗麗は今の生活に満足しているのだ。余計なことを言わないでほしい。こんなところで変に功を立てたと思われたくないし、世の中、何事もほどほどが一番だ。
皇帝は「へえ」と興味を引かれたような声を出し、麗麗に向けていた視線を冥焔へと戻した。
「珍しいなぁ、冥焔。お前がいち女官をそこまで評価するのは」
「正当な評価です。大家」
「じゃあ、その評価を信じよう」
麗麗の背筋に嫌な汗が流れ、ぶわっと鳥肌が立つ。
「女官。発言を許そう。名は」
「……麗麗と申します」
「どこの所属だ?」
「織室です」
心の中で『一応ね』と付け足す。
妃嬪付きではない女官は大抵、六つの尚のどこかに所属している。尚とは佐々木愛子的にいうと、部署みたいなものだ。
麗麗は、『尚服局』というところの織室に配属されている。名の通り織物に関する仕事を請け負う場所である。
だが、麗麗は織物をしていない。そういった仕事は、麗麗よりももっと年季を重ねた玄人か、高位の女官が行っているからだ。
麗麗のような下級女官の仕事は、もっぱら蚕を飼育するための桑を準備するだとか、染色に使う草をひたすら踏むだとか、体をめいっぱい使う雑事が多い。
冥焔と会ったときに掃除にかり出されていたのも、いわば〝替えのきく〟女官だったからだ。別の尚局に『ちょっと手伝って』と乞われれば、『はいはい』と動く駒。それが麗麗の立ち位置である。
「では麗麗、頼みがある」
ぐえっと変な声が出かかって、ぐっと呑み込む。
そんな麗麗の様子に気づくわけもない皇帝は嬉々(きき)とした声色で言葉を重ねた。
「実は、ここ最近、後宮内でやたら怪異がはびこっているんだ」
「……後宮と怪しげな噂は、月夜と美酒の関係だと存じます」
「風流なたとえをするね」
気に入った、と皇帝は朗らかに笑う。
(しまった、またこの口が余計な発言を!)
後悔しても遅い。別に不思議な話ではないと暗に示した言葉は、皇帝の興味をますます買う材料になってしまったらしい。
もう本当にこの口が悪い。転生するならこういう短所もなんとか直してからにしてほしかった。
「確かに、後宮と怪しげな噂は切っても切れない関係にある。だがしかし、ここ最近はそうも言っていられないほどに増えているんだ。妃たちも、やれあっちでは幽鬼が出た、こっちでは妖魔が出ただの、震え上がっている始末でね。せっかくわたしが出向いても、一向によい雰囲気にならんのだ。これじゃあ、致すものも致せない」
「大家……」
ごほん、と冥焔が咳払いをするも、皇帝はどこ吹く風でからからと笑った。
「隠す話でもないだろう。ここは後宮で、わたしは皇帝だ」
堂々と胸を張る皇帝を見て、冥焔はふーっとため息をついた。
これは、鈍い麗麗でもさすがにわかる。
(つまり、えっちできないってことですね)
結構あけっぴろげに言うんだなあ、と、変なところで感心する麗麗である。
「そこで麗麗。お前には、この怪異の原因を調査し、解決してほしいんだ。どうだい、やってくれるかな」
(そんなの、『はい』か『イエス』しかないでしょうよ)
深く揖礼を捧げ〝諾〟であると皇帝に示しつつ、麗麗は心の中で毒づいた。ふと見ると、横で冥焔が涼しい顔をしている。
この宦官、こうなるとわかっていたのだ。だからこそ、先ほどああまでに麗麗を持ち上げてみせた。
つまり、後宮内では怪しげな問題が起こっていて、その問題を解決する駒として麗麗をあてがう。問題を押しつけようという魂胆なのだ。
(なんか、腹立ってきた!)
実を言うと麗麗は、理不尽が嫌いである。そして、負けず嫌いでもあった。
怪異が起きて、それを解決するのはいい。先日の呪い事件のように、ちょっとした実験ができるのも大変よろしい。けれど、押しつけられるのはまっぴらごめんだ。
「主上」
麗麗はゆっくりと顔を上げ、口を開いた。ぎょっとした冥焔が麗麗を振り返ったが、もう遅い。
「わたくしひとりでは不安です。冥焔様と一緒に、というお話であれば、お受けしたいと存じます」
「はっ!? おい、お前っ……」
冥焔が『嘘だろ』というような顔をして麗麗に詰め寄った。
残念ながらあいにく本気だ。
(私ひとりに押しつけようったって、想得太美了ってわけ)
麗麗の提案に、皇帝は一瞬ぽかんと口を開けた。ややあって、呵々大笑、腹を抱えてくの字になっている。
「いや、おもしろい。お前のような女官がいたとはなあ。いいだろう、許可しよう」
「大家!」
悲鳴をあげる冥焔に、皇帝はくつくつと笑いを嚙みしめ応える。
「麗麗だけでは荷が重いそうだ。話を持ってきたのはお前なのだからな。お前も共に行動するように」
「しかし!」
「いいな、ふたりだ。ふたりで、怪異の原因を探れ。わかったな」
冥焔は目を見開き、口の中が苦いものでいっぱいだ、というような顔をした。
「……是、遵命」
宦官、お前も道連れだ。
麗麗が心の中でにっこりしたのは言うまでもない。



