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数日後。
食堂で朝餉を食べようと配給の列に並ぶ麗麗の耳に、かしまし女官たちの雑談が飛び込んでくる。
「ねー! あの房、すごく綺麗になってたよ」
「首締めの話も聞かなくなったし、よかったよねえ」
「女官が呪い殺されたっていうのも、その女官が別の誰かを呪おうとしていたっていう噂も、主上が正式に否と言ったのでしょう?」
主上というのは、皇帝の呼び名だ。後宮では、皇帝を主上と呼ぶのは女官、大家と呼ぶのは宦官と妃嬪と相場が決まっている。大家はつまり、佐々木愛子の感覚では〝だんな様〟というような意味合いになるらしい。
そんな事情はともかく。
(そっかあ、主上が噂をきっぱり否定したんだ。よかったよかった)
うんうんとうなずきながら、配給の列を確認した。あと十数人ほどで麗麗の番だ。今日は油条と温めた豆漿──つまり、ちょっと甘い揚げ面包と豆乳である。
(朝から豪勢だよね)
面包はしっかり油を吸っており、優しい味わいながらがつんと胃にくる。豆乳にひたして食べると、さくじゅわっとした食感のあとにとろりが加わり、なお美味だ。
減量中の人が見たら卒倒するような量が配給されるので、最初こそ驚いたものの、今ではもう、これだけじゃ足りないとさえ思う。ここで食べておかないと夜まで配給がなく、体が持たないのだ。
食べ物や着る物に困らず、夜は敷物の上で眠れる境遇に、麗麗は非常に満足している。いじめやら処刑やらときどき怖い事件もあるけれど、衣食住が安定しているのはとてもよい。
そんなことを考えていると、もう配給まであとわずかだ。頭の中は油条のさくじゅわっとした食感でいっぱいで、腹の虫がぐうと鳴る。
そのときである。食堂の入り口で小さな悲鳴が次々と起きた。
緊急性の高い声色ではない。どちらかというと、意中の人に不意に出会ってしまった乙女が発する、黄色みを帯びた嬌声だ。そして、そののちの沈黙。先ほどまであんなに騒がしかった食堂が、しんっと静まり返っているのである。
(待って、嫌な予感がする)
「おい、女官」
聞き覚えのある声に、麗麗はちらっと横目で見上げた。無駄に背が高く、偉そうで、無駄に 顔が整った宦官が、麗麗を見下ろしていた。
「ついてこい」
「なんでですか」
「いいから来い」
「でも、食事が……」
恨みがましい目を冥焔に向けると、はあ~っとあからさまにため息をつかれた。腹立たしいことこの上ない。
「労働者の楽しみを邪魔するなんて、万死に値しますよ」
「来ないと後悔するぞ」
女官たちの羨望の視線を一身に請け負った宦官──冥焔は、麗麗の耳元でこそっと言葉を落とした。
「大家がお呼びだ」
(……はい?)
ぎょっと目をむき、冥焔を振り仰ぐ。涼しい顔をした宦官は他人事のように『早くしろ』と言わんばかりの表情だ。
どうやら、嘘をついているわけではないらしい。麗麗はごくりと唾を飲み込み、蚊の鳴くような声で〝諾〟を告げるよりほかはなかった。



