「呪いだの、なんだの。あまり(りゅう)(げん)飛語(ひご)ばかり口にしてると、罰せられますよ」

 麗麗の言葉に、女官たちは一瞬言葉に詰まった。ややあって、その顔がどんどん赤くなっていく。

 「なっ……なによ! みんな言ってることじゃない!」

 「みんなが言ってるからって、噂していいとは限らないんじゃないですか?」

 反論すれば、女官たちはきーっとますます激化する。ぶち切れさせてしまった。

 「だいたい! 呪いじゃないってんならなんなのよ! 首絞められてんのよ!? そんなのが自然に起こるわけないじゃない、(うそ)ばっかり言ってんじゃないわよ!」

 「そうよ! この、大噓つき!」

 ──ぶちっ。

 あまり丈夫ではない堪忍袋の緒が切れた。よろしい、ならば戦争だ。

 「首絞めも、火が消えるのも。実際に現場に行かないと断言できませんが、話を聞く限り自然現象で説明できます」

 「なによそれ!」

 「呪いじゃないって言うんだったら、証拠を見せなさいよ!」

 なるほどそうきたか、と麗麗はほくそ笑む。この女官たちは、麗麗が尻尾を巻いて逃げると思っているのだろう。

 だとすれば、残念だったと言わざるを得ない。

 「いいですよ」

 覆水難収(覆水盆に返らず)

 「私にその場を調べさせてもらえれば、証拠など、いくらでも」

 もし時間が巻き戻せるなら、きっと麗麗は巻き戻したいと願うに違いない。この不用意なひとことが、彼女の後宮での生活を大きく変えてしまうのだから。

 「証拠など、いくらでも……か」

 麗麗の背後から、耳に飛び込んできた第三者の声。

 「その話、詳しく聞かせてもらおうか」

 「めっ……冥焔様!」

 ふたりの女官があっという間にのぼせたような顔つきになった。口を閉じ、顔を紅潮させ、なにやらもじもじし始める。

 (冥焔様……?)

 麗麗の記憶にない名前に、おそるおそる振り返る。目に入ったのはとんでもなく整った顔だった。

 年の頃は二十代前半といったところか。切れ長の瞳に、すっと通った鼻筋。形のよい薄い唇は引き結ばれており、気難しい性格であると見ただけでわかる。

 (ほう)の色は青灰色──宦官(かんがん)である。

 性を切り取られた者のみが着る袍を身に(まと)っているのにもかかわらず、幞頭(ぼくとう)を被っていない。手入れの行き届いた漆黒の髪を背中に流し、体は麗麗よりも頭二個分、高い。こちらを見下ろす態度も様になっており、堂々たる(たたず)まいだ。

 (へー、美形だなあ)

 ふと周りを見回すと、いつの間にか女官の数が増えている。回廊の掃除を言いつけられた麗麗たち以外にもあちこちから熱い視線を感じる。

 なるほど。鑑賞に値する宦官は、女官たちの恋愛対象(アイドル)だ。

 「そこの女官」

 宦官の言葉に、麗麗はおとなしく黙礼する。この宦官の身なりや振る舞い、女官たちの反応からすると、相当な上役だと判断したためだ。

 (なにかあって、首が飛ぶのは嫌だもんね)

 後宮では宦官が力を持っている事例が往々にしてある。妃嬪ならいざ知らず、ただの女官が無礼な振る舞いをしたらどうなるか。首と体がさようならするなんて、ここでは日常茶飯事なのだ。

 しかもこの見目のよさは、どこぞの妃嬪のお気に入りに違いない。そうであるなら、なおのこと。いのち、だいじに。前の人生では生き急いだ自覚があるので、今世では長生きしたい。

 冥焔、と呼ばれた宦官は無遠慮な視線を麗麗に送る。

 「例の噂の件、自然現象だ、と先ほど耳にしたが」

 「はい」

 「なにかわかっているのであれば、言え」

 冥焔の切れ長の瞳がさらにすっと細まった。

 さてどうするか、と麗麗の頭の中で大会議が始まった。

 言ってもいいが、この宦官の目的がわからない。気に入った答えを返さなかったと因縁をつけられ、殺されるのはまっぴらごめんだ。

 下手なことを告げれば首が飛ぶ。女官の命は塵芥と一緒だ。でも……。

 (このまま呪いの噂が広まったら……死人が出るよねえ)

 佐々木愛子の生国ではよく言われていた。人を呪わば穴ふたつだと。

 しかしこの国では穴ふたつどころではない。連座という恐ろしい規律(システム)によって、一族郎党皆殺しだ。もしその病死したという女官が呪いをかけたと断定されたら、彼女の一族に累が及ぶのは間違いない。死んだ女官の名誉のためにも、その女官一族のためにも、呪いではないと証明したほうがいい。

 助かる命があるのに無駄に散らすのをよしとするほど、麗麗は冷めてはいない。

 (ちょっと試してみよう)

 麗麗は唇をなめた。

 「その前にひとつ質問してもいいですか」

 「さっさと言え」

 この宦官、見た目はいいが気が短い。短気は損気だよ、と心の中で突っ込みながら、麗麗はその言葉を口に乗せた。

 「あなたは、この世は天が動いているか、地が動いているか。どちらだと思われますか」

 次の瞬間、ぴしっと空気が凍った。先ほどまで頰を染め、うっとりとした顔で冥焔を見つめていた女官たちが、一気に顔を引き()らせる。周りで聞き耳を立てていた女官たちも同様だ。

 (もしかして、やばいかな、これ)

 冥焔は黙ってじっと麗麗を見下ろしている。

 殺されるかも、と半ば覚悟を決めた麗麗は、ごくっと唾を飲み込んだ。しかし。

 「わからぬ」

 冥焔は事もなげにそう言い放った。

 「わからぬものは答えられぬ」

 麗麗は目をぱちくりさせる。

 (意外)

 じわじわと新鮮な驚きが胸に広がった。

 わからないことを素直にわからないと認め、口に出す難しさを麗麗は知っている。

 (それなら、こっちの話も真剣に聞いてくれるかも)

 麗麗は改めて宦官の顔を真正面から見た。

 「私が今時点でお答えできるのは、可能性の話です」

 ぴくっと冥焔の眉が上がる。

 「もし本当に真実が知りたいというのであれば、調査が必要です。問題の房を調べなければ、お答えできません」

 「逆に問おう」

 冥焔が口を開いた。無駄に美声な重低音が、重々しく空気を震わせる。

 「調べれば、真実がわかるのだな」

 「はい。実験さえさせていただけるのであれば」

 (まあ、無理だろうけどね)

 いち下級女官が、事件解決のために問題の房を調べるなんてきっと許されない。しかし、麗麗の信念において、可能性で物事を語るのは断じてごめんだ。だからこの話はここでおしまいにして、礼をしてさっさと仕事に戻ろう。

 麗麗がそう心の中でため息をついた、次の瞬間。

 「許可する」

 「えっ!」

 今、なんて?

 「その実験とやらで、呪いではないと証明してみせろ」

 それだけ告げると、冥焔はくるっと背を向けた。絹糸のような髪がさらっと舞い、たきしめられた香の薫りがふわりと漂う。女官たちは一斉にとろけた顔になった。

 だがひとり、麗麗だけは違った。

 「い、いいんですか!?」

 雑巾を握りしめ、感情のままに天高く両手を突き上げた。

 血沸き肉躍る、とはまさにこのこと。絞りきれていなかった雑巾から、多少汚水の(シャワー)をいただいたところで、この興奮を止められるわけがない。

 なにを隠そうこの麗麗、いやここは佐々木愛子と言ったほうがいい。彼女の前世での死因は過労死だ。

 しかし、強制されて労働に勤しんでいたわけではない。

 大学院に進学して、好きな研究に没頭するあまり寝食を忘れた。泊まり込みで何日も実験結果を記録するなどしていたら、ふーっと意識が遠のいて、今に至る。

 自己(セルフ)過労死とは、我ながら()(ほう)すぎると麗麗は思う。だが、それが彼女の(さが)なのだ。

 (久々にできる! 実験っ実験っ……!)

 先ほど義憤に駆られていたことも、病死した女官に対する同情心をもすっかり忘れて、麗麗は大いにはしゃいだ。

 このやっかいな性格は、転生しても直らない。