宮城の西には、皇帝や妃嬪たちが自然を愛でるために作られた(えん)──『(チン)(ツェイ)苑』がある。

 妃嬪たちが作った天灯は一度、清翠苑へ持ち込まれ、宦官たちの手により一斉に火をつけられる。

 ひとつ。そして、またひとつ。風のない夜に暖色の光が群れをなし、ゆうるりと天へと消えていく。漆黒の夜空に無数の灯りが昇っていくさまは、この世のものとは思えないほどに美しい。

 (へん)(しょう)の厳かな音とともに、楽士の奏でる笛の音が緩やかに響いている。

 皇帝は設えられた座で、妃嬪たちは点在する亭子で、それぞれ音と天灯を楽しんでいるようだった。

 その雅やかな空気をぶち壊すかのように、ふたつの足音が苑に響き渡る。

 「すみませんっ……」

 麗麗と冥焔は一気に苑を駆け抜けると、天灯を灯している宦官の群れに突っ込んだ。

 「白蓮様の天灯はどれですか!」

 「なんだ、お前は! ……冥焔様!」

 最初は居丈高だった宦官たちは、麗麗の背後にいる冥焔に目を向けると、ひっくり返った声を出した。

 「いいから答えろ。白蓮妃の天灯はどれだ!」

 冥焔の声に、宦官たちはおびえたように視線をさまよわせた。

 「びゃ、白蓮様の天灯ですか!? そんなこと言われましても……!」

 「そ、そういえば白の天灯で、ひとつだけ作りが違う天灯がありましたが……」

 その宦官の胸ぐらを、冥焔ががしっとつかんだ。

 「それは、どこだ!?」

 「もう天に上げてしまいましたよ!」

 「なに!?」

 「さっき上げたばかりなので、まだそんなに遠くへは行っていないと思いますが……」

 宦官から手を離し、冥焔は弾かれたように天を見上げる。

 天灯に貼られた紙は、四夫人の色。黒、青、赤、そして白。それらはすべて、天に無数に上げられている状況だ。

 その中からひとつを探し出すなど、とてもできそうになかった。

 麗麗も必死で天を仰いだ。

 白蓮妃が天灯に仕掛けをしているのは、おそらく間違いない。早く探さなくてはならないと気ばかりが焦った。

 そのとき、麗麗の耳が小さな音を拾った。まるで硬質なものを爪でひっかいたような、耳に障る音だ。

 (どれ!?)

 視線をすばやく左右へ動かす。

 (あれだっ……!)

 「冥焔様! あれです! 異音がします。それに、動きが!」

 冥焔は麗麗の指さす方を見る。その天灯は、無数に昇る天灯の中でひとつだけ、他のものよりも上昇が遅い。

 冥焔の行動は迅速だった。武装していた宦官から(いしゆみ)をひったくると、その(やじり)を天灯へと向ける。

 放たれた(つぶて)は正確に天灯を貫いた。

 「やった!」

 気の抜けた天灯は浮力を失い、ゆっくりと落ちていく。これにて一件落着だ──と安心した麗麗の頭に、ひとつの予感がよぎった。

 (もしかして、落ちたら逆に毒が拡散するんじゃ……?)

 天灯に毒を仕込んでいるのだとしたら、空中、あるいは火が消えて落ちたあとにまき散らすかの二択。そして白蓮妃の予言は……。

 『流れ星が墜ち、天の刑罰が下される』

 (まじ!? やばい……っ)

 さーっと麗麗は青ざめる。

 (ううん、それよりも……!)

 頭の中がめまぐるしく回っている。

 白蓮妃の房で、作りかけの天灯が置いてあった。卓子の上には、もうひとつ。ものすごく薄くて、つやつやで、透明度の高い玻璃がありはしなかったか。

 (もしや、毒を入れているのは、あの薄い玻璃では──?)

 麗麗の耳が拾った、ちりちりとした音。あれが玻璃を熱する音だったとしたら……と思い至った途端、麗麗は地面を蹴った。

 冥焔の声が聞こえたような気がしたが、今は気にしていられない。

 走る。胃もみぞおちも、喉も痛い。それでも、全身全力の力で走る。

 あの天灯が、もし落ちたら……。そんなこと、させてたまるか!

 「間に合って!」

 必死に伸ばした手に、天灯の先端が触れた。しかし無情にも弾かれる。

 「さ……せるかあっ!」

 突進。滑走。

 自らの体を地と天灯の間に滑り込ませた麗麗は、背中で天灯を受け止めた。ほっと息をついた、そのとき。

 ──ごとん。

 (ごとん?)

 ──ばりん。

 (ばりん?)

 ぎぎぎ、と麗麗はうつ伏せのまま横を向いた。

 ひしゃげた天灯が地に落ちているのを見て、慌てて飛び起き天灯を胸に抱えた。

 「ああっ……」

 やはり使われていたのは玻璃だったのだ。薄くて、つやつやで、あんなに綺麗だった玻璃がぱくりと割れてしまっている。

 次の瞬間、急激に意識が遠のいた。体が傾ぎ、前のめりに倒れ込む。そして、ふっ……と火が消えるように──。

 すべてが途絶えた。