百茗の宴の本番はこの第二部から始まる。

 とはいっても、妃だけでもとんでもない人数の後宮で、すべての妃嬪がお茶を競うわけにはいかなかった。なので、お茶を振る舞うのは正一品の四夫人だけである。

 振る舞う対象も四夫人、および皇帝のみ。中級妃、下級妃ご一行は見学だ。

 それはそうだろうな、と麗麗は思う。

 お茶にはカフェインが含まれている。カフェインには利尿効果があるため、ここにいる人たち全員でがぶがぶお茶を飲んだらどうなるか。当然、厠が大混雑だ。そんな事態にならないように飲む回数を少なくしているのだろう。

 ここで茶の準備を終えた四夫人の女官たちは、幕裏から出て妃嬪の横についた。なにか起こったときにすぐに対処できるように控えておくのだ。

 妃嬪の席の前には長案が置かれている。茶はそれぞれの女官がこの長案の上で入れ、毒味をしたあとに各妃たち、皇帝へと運ばれる。

 茶は入れたてでないと風味が飛ぶ。ゆえにひと(わん)ずつ提供される。

 まず初めに供されたのは、貴妃・黎蘭の茶だ。黎蘭妃の女官が(ちゃ)(ふう)から茶海(ちゃかい)へと移し替えたものを、茶杯(ちゃはい)へと注ぎ入れる。五、プラス一。その一をおそらく毒味役であろう女官がひと息で飲み干し、異変がないかを確かめた。

 宦官たちがお茶を入れた盆をうやうやしく運び皇帝と妃たちの前に置く。

(おや)

 皇帝の真横についている宦官は、冥焔である。あの位置についているということは、皇帝の信が一番厚いという証左だ。側近で、直接指示を賜れるほどの人物である。たいそう偉いのだろうと思っていたら案の定だった。

(後宮の管理をしてるって話だったけど、もしかして外廷でも働いてんのかなあ)

 そのあたりの事情はよくわからないが、偉い宦官であるという事実がはっきりしたので、まあいいか。

 黎蘭妃のお茶は黒々とした色も美しい、蜂蜜のような香りのお茶だった。

「南方にて『宝樹(ほうじゅ)』の名をいただいている樹木、その新芽を摘んだ茶でございます。糖蜜のような甘い香りと、すっきりとした味わいを楽しんでいただけるかと存じます」

「まあ、(たん)(そう)(ちゃ)ね」

 女官の口上を聞いて、麗麗の後ろにいた花里がほうっと息をつきながらささやいた。

「なんです、それは」

「ひとつの木から摘んだ葉のみを使ってお茶にしたものよ。樹齢や環境によって味わいが違うのが特徴なの」

「へえ……」

「香りや旨味がぎゅっと詰まっていて、とってもおいしいのよ。特に宝樹の名を持つ樹木は、ものすごい巨木で有名ね。樹齢百年を超えているんじゃないかしら」

 花里はうっとりとした表情を浮かべていた。

「その新芽を摘むとなったら、とんでもない労力がかかっているはずよ。高級品だわ。さすが貴妃というところかしらね」

 目の前で瑛琳妃が茶器を持ち、すっと口に運んだ。目がきらきらと輝いており、どうやら気に入ったようだ。花里が「あとであのお茶を探して用意させましょう」とひとりうなずいている。さすが、厨を預かる女官だ。

 続いて供されたのは徳妃・白蓮のお茶である。

 宦官が持ってきたのは、丸餅のような形をした固形物だ。こっちの世界ではよく見る形状のお茶である。

 葉を蒸して固め、乾燥させたものを少しずつ削って使う。削った茶は沸騰したお湯と塩で煮て、それをこして飲むのだ。

「意外と普通のお茶が出てきたわね」

 同じことを思ったらしく、雪梅も首をひねって様子を見ている。

 女官が茶を削ったものを、蓋のついた茶碗(ちゃわん)──蓋椀(がいわん)へ入れる。中に茶葉を直接入れ、そこにお湯を注ぐ。飲むときは蓋を少しずらして茶葉が口に入らないようにこしながらいただく。こちらの世界ではこの飲み方が一般的である。

 しかし、ここからが普通でなかった。

 女官はおもむろになにかの根のようなものを取り出した。それを削り、黄色い根の部分を細かくそぎ切りにして蓋椀の中に入れたのである。

 見守っていた妃嬪や女官、宦官が一斉にどよめいた。この国では、茶に塩以外の混ぜ物をするのは品位が欠けると言われている。ゆえに、高貴な身分であればあるほど混ぜ物を避ける傾向がある。にもかかわらず、徳妃の名をいただいている妃がこのようなお茶を宴の席で出すとは、前代未聞である。

 周囲のざわめきを気にもとめず、白蓮妃の女官は他にもさまざまなものを入れていく。(かん)の皮、なにかの実、種、木の根のようなもの。あらかた入れ終わり、お湯を注ぎ入れた。ふわりと香ばしい香りが漂う。

(薬局の匂いだ)

 麗麗は鼻をひくつかせる。生前嗅いだ、薬のような匂いである。

 人数分の茶杯に注ぎ入れたその茶を毒味役が口に含む。異変はもちろんない。どんな味がするのだろう。

 宦官によってそれぞれの卓へと運ばれると、白蓮妃の女官が口を開いた。

「何事も新しいものは嫌われ、古きをよきとする傾向がございます。しかし、此度の茶の味わいを知れば、新しきものにも目を向けていただけるきっかけになるのではないでしょうか。まずはひと口、ご賞味くださいませ」

 妃たち、皇帝もおそるおそるひと口含み……瞠目(どうもく)する。そばに控えている冥焔に耳打ちをすると、冥焔が口を開いた。

「これは新しい、体が温まる、と大家はお喜びである」

 それを聞いて、白蓮妃の女官が明るい顔をする。

 供された茶について、麗麗には見当がついていた。

 白蓮妃が用意したのは薬膳茶だ。体によいとされている数種類の食材を茶と共に楽しむ、いわば〝飲む薬〟である。

 皇帝からのお褒めの言葉を受けて、白蓮妃の女官が揖礼し、発言を求めた。

「品位は大切でございます。しかし本来、食は体を作るもの。茶は体を癒やし、毒を排出するもの。体によいものを摂り、毒を排し、健やかに生きる。それこそ(イェン)帝──初代皇帝の望まれたことと存じます」

(……炎帝?)

 眉を寄せ、首をかしげていると、隣に立っていた雪梅がこそこそとささやいた。

「焱の初代皇帝よ。自分の体を使って毒物の有無を確かめたって話が伝わってるの」

 どちらも読みが一緒だからだろう、自分の手のひらに文字を書いて説明してくれた。

(なるほど。炎帝が作った国だから、国名が焱なのかぁ)

 安直だ。でも、覚えやすくていいのかもしれない。

 皇帝が肯定的な言葉を使ったからだろう、周囲の顔は明るい。興味津々で話を聞く妃たちも多いようだ。品位に欠けると言われていた飲み方だが、これからどんどん流行っていくのだろうなと麗麗は思った。

 次は玉璇妃である。

 玉璇妃が用意した茶は、丸かった。手のひらにのる程度の小ささで、(まり)のような形をしている。

 用意された茶器を見て、麗麗はぎょっと目をむいた。

「がっ──!」

 思わず大声を出しそうになって、慌てて口を塞ぐ。

(硝子だ……!)

 しかも、透明である。

 この国でも硝子──玻璃(はり)を使った器は出回っている。そのどれもがしっかり着色されており、陶器のような味わいを持つものがほとんどだ。しかし、今、玉璇妃の女官が手にしていた茶器は、向こう側が透けて見えている。

(すごい! すごいすごい! あれがあれば……!)

 麗麗の口からぐふっと変な音が漏れる。

(望遠鏡、作れるかもしれない!)

 麗麗の動揺をよそに、女官は粛々と茶を用意する。鞠状の茶を玻璃の器に入れ、その上から湯を注ぐ。すると。

「おおっ……」

 感嘆の声があがった。

 丸い茶葉がゆるゆるとほどけ、中からまるで花が咲くように茶葉が立ち上がった。

 皇帝が感心したような息を吐く。

 玉璇妃は綺麗に彩られた唇を嬉しそうに持ち上げて、ほほほと笑った。

「茶葉を(ひも)で結び、花のように形を整えております。願わくば、この紐で結ばれた茶葉のように、大家とも末永く縁が結ばれますよう。そして今宵花を咲かせ、いずれ実をつけてみとうございますわ」

 瞬間、その場の空気が凍ったように冷たくなった。妃たちは顔色を変え、女官たちは浮き足立つ。中には、玉璇妃をにらみつけている者もいる。

「あんのくそ女……」

 雪梅が爪を嚙みながらささやく。

「こんなところで堂々とそんな発言をするなんて。品位のかけらもないわ……っ」

「あのう」

 麗麗の言葉に、雪梅がじろりとこちらを見やった。

「なによ。まさか、今のがわからないなんて言うんじゃないでしょうね」

 そのまさかである。

「簡単でしょうが。主上に、『今夜私のところに来てね。子作りしましょうね』って言ってんのよ」

 なるほど。そりゃ皆の顔色も変わるというものだ。

「普通はね、こういう場では妃はしゃべらないんだよ」

 香鈴も相づちを打つ。

「今までの妃たち、みんな女官がしゃべってたでしょ。それなのに、玉璇妃は直接声をあげたの。あれ、暗に自分が主上と仲がいいんだって主張してるんだよ」

(後宮って怖い……)

 さて、いよいよ瑛琳妃のお茶である。

 麗麗たちは花里の指示のもと、急いで茶の準備を整えた。茶葉を取り出し、内側が白い大きな器に入れ、上からぬるめの湯を注ぐ。

 次の瞬間、ふわっと花の香りが漂い、まるで容器が染められたように青の色が広がった。あちこちから驚きの声があがる。

 皇帝は目を輝かせ、身を乗り出して冥焔に耳打ちをした。

「美しい。夜明けの空の色だな、と大家は大変感心しておられます」

 つかみは上々のようだ。

 毒味がすんだものをそれぞれ取り分け、蜜とともに供する。その縁には櫛形に切った柑橘(かんきつ)を添えた。

「薬用のある花を乾燥させ、茶にしたものでございます」

 花里が微笑みながら口を開いた。

「まさしく、先ほど主上がおっしゃった通り、はるか西方ではこの茶を『夜明けの空』と呼ぶそうです。そのままでも美しいのですが、添えてある柑を絞って入れてみてくださいな」

 柑橘の汁をひと絞りすると、まるで夜明けに太陽がゆっくりと昇るかのように、青から桃色へと美しい色彩変化(グラデーション)を起こした。

「……おおっ!」

 周囲から驚嘆の声が一斉にあがった。

「これが、夜明けの空と呼ばれる所以でございます。召し上がるときはお好みで蜜をお入れくださいませ」

 花里の言葉通り、おのおのが蜜を入れ、茶を味わっている。

 花里、雪梅、香鈴が麗麗を見てうなずいた。瑛琳妃も微笑んでいる──これから麗麗がやろうとしていることは、すでに相談済みである。『責任は自分が持つので、好きにやれ』と頼もしい言葉を頂戴していた。

 なれば、暴れるのみ。

(今だっ……!)

 麗麗が揖礼しながら、発言を求めた。

「もうひとつ、皆様へお見せしたいものがございます」

 そう言いながら袖から取り出したのは例の袋──玉璇妃の女官の落とし物である。

「ちょっ……!」

 玉璇妃たちが、ぎょっと目を見開いた。

「今から、この夜明けの空を深い森へと変えてご覧に入れましょう」

 麗麗は、取り出した袋から指でひとつまみ。それをまだ茶が残っていた容器へと振りかけた。

「……なんと!」

 さあっと色が変わった。桃色から深い緑色へと変化をとげた茶を見て、場内が再びどよめいた。

「素晴らしい! おもしろいな、まるで仙術だ!」

 手を打って皇帝が喜ぶ。

 皇帝が、宦官を通さずに言葉を発した。周囲がぎょっと目をむき、先ほどとは違った驚嘆の声があちこちからあがった。

 だんっと音がした。玉璇妃が、悔しそうに顔をゆがめながら椅子の肘掛けを叩いたのだ。

「大家。あの粉は、灰ですわ! 恐れ多くも大家の飲む物に灰を入れるなんて、言語道断です!」

 かかった!とばかりに麗麗はにたりと笑う。

「申し上げます。なぜ玉璇様はこの粉が灰だとご存じでいらっしゃるのですか?」

「そっ……それは」

 口ごもる玉璇妃に、麗麗はなおも畳みかける。

「ああ、わかりました。先ほどの使いは玉璇様の女官だったのですね」

 ぽんっと手を打ち、麗麗は唇を引き上げた。

「実は、先ほど茶を用意している最中に、どなたかの使いがいらっしゃいまして。この粉を瑛琳様の茶に混ぜようとしていらっしゃったのです」

「えっ……それって」

 南側に陣取っていた妃嬪たちから声が漏れた。玉璇妃が瑛琳妃に嫌がらせをしていることを、皆知っているのだ。

 顔を真っ赤にした玉璇妃やその女官たちが、なにやら言葉を発しようとした、そのとき。

「玉璇妃の深いお心遣いに感謝申し上げます」

 麗麗の言葉に従って、瑛琳妃含む女官たちが深々と礼を取った。

 周囲が何事かと首をかしげている。なぜ礼を言ったのかと疑問に思っているのだ。

「女官、説明せよ」

 皇帝の耳打ちを受け、冥焔が麗麗に視線を向けた。

 当の皇帝は、唇の端が少し笑みの形にゆがんでいる。この状況を楽しんでいるのだとわかり、麗麗は少しほっとした。

 茶目っ気のある皇帝でよかった。瑛琳妃の口添えもあるし、こうやって堂々と仕返しができる。

「この茶は、柑の酸で色が桃色に変わるのです。しかし、他にも色を変える方法がございます。それが、この灰です」

 言いながら、麗麗は灰の入っていた袋を袖から取り出した。

「灰に含まれている要素で、茶を緑色に変えられるのでございます。美しい色合いではございますが、飲み物に灰を入れるなど言語道断。ですからわたくしたちは、この灰を入れるのをためらっておりました。しかし……」

 ちらりと玉璇妃ご一行に視線を送る。

「わたくし、感動いたしました」

 胸に手を当て格好(ポーズ)を取ると、後ろからぐふっと声がした。瑛琳妃、およびその女官たちが、また笑いを嚙み殺しているに違いない。

「玉璇様は、瑛琳様がこの茶を供することをご存じの上で、この灰を私たちに授けました。『創世神話の再現をせよ』とお伝えしたかったのでございましょう」

 一瞬、場に沈黙が落ちた。次の瞬間、場内を揺るがすかのような感嘆の声が広がった。

 皇帝はというと、口のゆがみがよりいっそうひどくなっている。爆笑寸前なのだ。

 その顔のまま冥焔の耳になにやらささやき、冥焔はぎょっ目を見開いた。それをごまかすように咳払いをし、芝居がかった口調でこう言った。

「そういうことか」

 重々しく冥焔はうなずく。

「我が焱は夜明けの太陽が燃え尽き、その灰より出でし国。灰は緑を茂らせ水を生み、そして再び太陽を昇らせ光あふれる国となった。初代皇帝・炎帝は灰から生まれた緑──植物を食し、我らを導いたのだったな。大家は感動しておられます。おもしろい、との言葉を賜りました」

(なるほど)

 実を言うと、麗麗はわかっていなかった。この作戦を立てていたときは、単純にみんなの前で灰を入れ、玉璇妃が瑛琳妃に嫌がらせしようとした事実を明らかにしてやろうと思っていたのだ。

 しかし『それじゃあ、つまらないでしょ』と雪梅が目を輝かせたのである。

 今の〝創世神話〟の口上は、雪梅が作ったものだ。それをそのまま暗記して述べただけなのだが、なるほど、皮肉が効いている。後宮で一番やっていけるのは、案外雪梅のような性格(タイプ)なのかもしれない。

「おっしゃる通りでございます。おかげさまで、主上にこのような美しい変化をご覧いただくことができました。改めて、玉璇妃に、感謝申し上げます」

 ははあ~っととどめで深々と揖礼を捧げた。

 袖の隙間から玉璇妃をうかがうと、真っ赤な顔で唇を嚙みしめている。なんだかんだで、かの妃は頭のいい人に違いない。麗麗がこうして玉璇妃を立てるような発言をしつつ、実はこの人嫌がらせしようとしてたんですよと皇帝に言いつけていることに気づいているのだ。

 ざまあみろ。瑛琳様に嫌がらせなんかするからこんなことになるんだ。反省しろ。

 悔しそうに歯ぎしりする玉璇妃の顔を見て、あーすっきりした、と朗らかな笑みを浮かべる麗麗であった。