「私は以前暮らしていたところで、『嘘つき』と呼ばれていたんです。嘘をついて師の歓心を買おうとしている、嘘つきの卑怯者だと」
「嘘つき、か」
「はい。どうやら私はいちいち人を怒らせてしまうらしく、敵を作りやすいみたいなんですよ」
よくあるいじめだと言えば話は早い。それはそれは壮絶な目に遭ったものだ。そのせいで、一時期は完全に闇落ちしていたっけ、と麗麗は懐かしく思う。
「私は、嘘はついてない。でも、信じてもらえなかった。そのときに、とある書を読みました。偉人について、詳しく書かれていたものでした」
クラスに居場所がなく、休み時間ではいつも図書室に籠もっていた。そこだけが佐々木愛子の安住の地だったのだ。そこで読んだ本に書かれていたのが……。
「偉人・ガリレオ。ガリレオとは人の名です。常識とは違うことを唱え、迫害され続け、それでも真実をあきらめなかった人です。私は、彼のその姿勢に感動しました。そして、かくありたいと願い実行しました。もう二度と嘘つきだと言われぬよう、噂を払拭してやろうと」
そう、佐々木愛子は負けず嫌いで、理不尽が嫌いなのだ。
冥焔が唇の端を持ち上げるようにして、皮肉げに笑った。
「なにを実行した?」
「氷で火をおこしました」
「なに?」
「嘘だって言われたんで、嘘じゃないってのを見せてやろうかと思って」
そもそもの問題は、超長編原稿用紙五百六十三枚におよぶ自由研究だったのだ。研究テーマは〝サバイバル〟で、野外でもしもの事態が起こったとき、どのようにして生き残るか。その中の、火のおこし方のひとつとして、氷を使って火をおこす方法を紹介した。それが文字通り、火種になったのだ。
氷で火をおこせるなんて嘘だ、ありえないと非難囂々だったのを思い出す。
だから、愛子はやった。
「皆で調理中に、菜刀と氷を使って紙に火をつけてやりましたよ」
正確には調理実習中だった。無視されているのをいいことに、包丁を使って氷のレンズを作り、太陽の光を集めて発火させる。プリント用紙がぶすぶすと煙を上げ始めたときの皆の顔と言ったら、それはもう爽快だった。もちろん、その後しこたま──本当に心が折れそうになるくらい怒られたけれど。
後悔はしていない。佐々木愛子はあのとき、自分の誇りを守ったのだ。
「それで、お前の立場は改善したのか?」
「さあ、どうでしょうね。でも、嘘つきとは呼ばれなくなりました」
そうか、とささやく冥焔の声が少しだけ柔らかく感じる。
「そのときに実感したのです。真実は真実であると主張するだけではだめで、証明することが大切なのだと。だから、私は常にガリレオを心に宿していようと誓っているのです」
けほっと麗麗は咳き込んだ。雰囲気に流されて話しすぎた。
冥焔は黙っていた。夕日はすっかり沈み、もう天には星が瞬き始めている。ややあって、ふっと笑い声が聞こえた。
「お前を嘘つきと呼ぶ者たちは馬鹿だな」
「どういうことです?」
「お前とこうして面と向かっていれば、真実を話しているのだとわかるだろうに。すぐに顔に出るからな」
麗麗はむっと顔をしかめた。
「冥焔様こそ、すぐに顔に出るではありませんか」
「そんなことはない」
「あります」
「ない」
「あります。さっきまで、なんか落ち込んでたじゃないですか!」
しまった、また口を滑らせた。せっかく黙っていてあげようと思ったのに、水の泡だ。
冥焔は口をあんぐり開けたあと、くっくっくとまるで悪の権化のような笑い方をした。
「お前の減らず口を聞いていると、なんだか己がちっぽけなことで蛆虫のように悩んでいたのだと自覚させられる」
「どういう意味です?」
「まあいい」
そう言うと、冥焔はおもむろに手を伸ばした。そして脇に生えていた木からひとつ、実をもぎ取ったのである。
「ちょっ! 冥焔様!?」
麗麗は真っ青になる。
この後宮に生えている木や草、花はすべて皇帝のものだ。その木の実を許可なしに採るなど、懲罰ものである。
「やる」
ずいっと実を押しつけられて、麗麗は心の底から悲鳴をあげた。
「い、いりません。主上に殺されてしまいます!」
「たかが木の実ひとつだ。大家なら笑って許すだろうよ」
早く持て、と押しつけられ、受け取ってしまった。
「すごい顔だな」
「これ……私、罰せられますか? 杖打ちですか? それともまさか、死……っ」
「安心しろ。手折ったのは俺だ」
やけに自信たっぷりに告げると、冥焔は踵を返した。
(受け取ったら同罪でしょうが!)
「いいな。俺が手折った。だからお前はおとなしくそれを食え。じゃあな」
冥焔はずかずかと歩いていってしまった。
(あの宦官……)
皇帝の側近という話であるが、それにしても他の宦官と比べて皇帝に対する態度が違いやしないだろうか。皇帝のものである木の実をもぎ取っておいてなお、あんなに偉そうなのだ。懲罰など、まるで気にしていない。
(なんかおかしいんだよね)
考えようとして、やめた。
冥焔が偉い宦官だということはわかっている。それで自分には十分だ。
麗麗は手元に残された木の実を見る。石榴 だ。ざっくりと割れた隙間から見えるのは、宝石のような赤い実である。
(果物に、罪はないし)
それでも一応周囲をうかがって、誰もいないことを確かめてからひと粒、口に含んだ。
みずみずしい酸味が口いっぱいに広がり、ちょっとだけ体に力が入るような気がした。
「嘘つき、か」
「はい。どうやら私はいちいち人を怒らせてしまうらしく、敵を作りやすいみたいなんですよ」
よくあるいじめだと言えば話は早い。それはそれは壮絶な目に遭ったものだ。そのせいで、一時期は完全に闇落ちしていたっけ、と麗麗は懐かしく思う。
「私は、嘘はついてない。でも、信じてもらえなかった。そのときに、とある書を読みました。偉人について、詳しく書かれていたものでした」
クラスに居場所がなく、休み時間ではいつも図書室に籠もっていた。そこだけが佐々木愛子の安住の地だったのだ。そこで読んだ本に書かれていたのが……。
「偉人・ガリレオ。ガリレオとは人の名です。常識とは違うことを唱え、迫害され続け、それでも真実をあきらめなかった人です。私は、彼のその姿勢に感動しました。そして、かくありたいと願い実行しました。もう二度と嘘つきだと言われぬよう、噂を払拭してやろうと」
そう、佐々木愛子は負けず嫌いで、理不尽が嫌いなのだ。
冥焔が唇の端を持ち上げるようにして、皮肉げに笑った。
「なにを実行した?」
「氷で火をおこしました」
「なに?」
「嘘だって言われたんで、嘘じゃないってのを見せてやろうかと思って」
そもそもの問題は、超長編原稿用紙五百六十三枚におよぶ自由研究だったのだ。研究テーマは〝サバイバル〟で、野外でもしもの事態が起こったとき、どのようにして生き残るか。その中の、火のおこし方のひとつとして、氷を使って火をおこす方法を紹介した。それが文字通り、火種になったのだ。
氷で火をおこせるなんて嘘だ、ありえないと非難囂々だったのを思い出す。
だから、愛子はやった。
「皆で調理中に、菜刀と氷を使って紙に火をつけてやりましたよ」
正確には調理実習中だった。無視されているのをいいことに、包丁を使って氷のレンズを作り、太陽の光を集めて発火させる。プリント用紙がぶすぶすと煙を上げ始めたときの皆の顔と言ったら、それはもう爽快だった。もちろん、その後しこたま──本当に心が折れそうになるくらい怒られたけれど。
後悔はしていない。佐々木愛子はあのとき、自分の誇りを守ったのだ。
「それで、お前の立場は改善したのか?」
「さあ、どうでしょうね。でも、嘘つきとは呼ばれなくなりました」
そうか、とささやく冥焔の声が少しだけ柔らかく感じる。
「そのときに実感したのです。真実は真実であると主張するだけではだめで、証明することが大切なのだと。だから、私は常にガリレオを心に宿していようと誓っているのです」
けほっと麗麗は咳き込んだ。雰囲気に流されて話しすぎた。
冥焔は黙っていた。夕日はすっかり沈み、もう天には星が瞬き始めている。ややあって、ふっと笑い声が聞こえた。
「お前を嘘つきと呼ぶ者たちは馬鹿だな」
「どういうことです?」
「お前とこうして面と向かっていれば、真実を話しているのだとわかるだろうに。すぐに顔に出るからな」
麗麗はむっと顔をしかめた。
「冥焔様こそ、すぐに顔に出るではありませんか」
「そんなことはない」
「あります」
「ない」
「あります。さっきまで、なんか落ち込んでたじゃないですか!」
しまった、また口を滑らせた。せっかく黙っていてあげようと思ったのに、水の泡だ。
冥焔は口をあんぐり開けたあと、くっくっくとまるで悪の権化のような笑い方をした。
「お前の減らず口を聞いていると、なんだか己がちっぽけなことで蛆虫のように悩んでいたのだと自覚させられる」
「どういう意味です?」
「まあいい」
そう言うと、冥焔はおもむろに手を伸ばした。そして脇に生えていた木からひとつ、実をもぎ取ったのである。
「ちょっ! 冥焔様!?」
麗麗は真っ青になる。
この後宮に生えている木や草、花はすべて皇帝のものだ。その木の実を許可なしに採るなど、懲罰ものである。
「やる」
ずいっと実を押しつけられて、麗麗は心の底から悲鳴をあげた。
「い、いりません。主上に殺されてしまいます!」
「たかが木の実ひとつだ。大家なら笑って許すだろうよ」
早く持て、と押しつけられ、受け取ってしまった。
「すごい顔だな」
「これ……私、罰せられますか? 杖打ちですか? それともまさか、死……っ」
「安心しろ。手折ったのは俺だ」
やけに自信たっぷりに告げると、冥焔は踵を返した。
(受け取ったら同罪でしょうが!)
「いいな。俺が手折った。だからお前はおとなしくそれを食え。じゃあな」
冥焔はずかずかと歩いていってしまった。
(あの宦官……)
皇帝の側近という話であるが、それにしても他の宦官と比べて皇帝に対する態度が違いやしないだろうか。皇帝のものである木の実をもぎ取っておいてなお、あんなに偉そうなのだ。懲罰など、まるで気にしていない。
(なんかおかしいんだよね)
考えようとして、やめた。
冥焔が偉い宦官だということはわかっている。それで自分には十分だ。
麗麗は手元に残された木の実を見る。石榴 だ。ざっくりと割れた隙間から見えるのは、宝石のような赤い実である。
(果物に、罪はないし)
それでも一応周囲をうかがって、誰もいないことを確かめてからひと粒、口に含んだ。
みずみずしい酸味が口いっぱいに広がり、ちょっとだけ体に力が入るような気がした。



