冥焔が再び深藍宮を尋ねてきたのは、その日の夕方である。麗麗が洗い場で干していた服を取り込み、宮へと帰宅すると、今や今やと待ちかまえていた冥焔に捕まったのだ。

 あっという間に房に連れ込まれる。一緒にいた雪梅がなぜかきゃっと小さく声をあげたが、彼女の思っているようなことはなにもない。わかっているはずなのに、毎回毎回この反応でげんなりする。

 冥焔は、開口一番にこう言った。

 「女官、いい判断だった」

 「はあ、なにがです?」

 「あの者たちがいるところで、歩揺が毒だと言わなかった件だ」

 ぴんと来た。すると、つまり。

 「死んだんですか」

 「死んだとも。急ぎ大家に報告をし、配下が総出で歩揺の回収に当たっている。流行っていると言っていたが、この宮の女官たちは大丈夫だったようだな」

 深藍宮の女官たちは、まじないごとには興味を示さない。だから歩揺を手にする機会がなかったのだ。

 「ここに来るまでに調べさせたが、本当に流行っているようだった。どこの宮でも持っている者に出くわす始末だ。……なぜこんなことになっているのか」

 眉をひそめ、厳しい表情で冥焔は(うな)るように言葉を落とした。

 「皆さん、体調は大丈夫でした?」

 「……いや、怪しい者もいたな」

 「では、その人たちにはできるだけ精のつくものを食べさせてあげてください。できれば、大蒜(にんにく)を使ったものを」

 「大蒜?」

 「はい。あと、水と茶をたっぷり飲ませること。体の中から毒を流しやすくしますから」

 大蒜は雌黄の毒を吸着し、流しやすくするといわれている。茶は利尿作用があるので、毒抜きにはちょうどいいはずだ。

 「大家に伝えておこう」

 冥焔が合図をすると、房の入り口から別の宦官が顔を出した。おそらく、冥焔の配下たちだ。ご丁寧にそこで見張りをしていたらしい。宦官は(きょう)(しゅ)し、その場を去った。皇帝に伝言に行ったのだろう。

 その歩揺を流行らせたのは誰なのですか、と麗麗は聞こうとして、やめた。

 毒だと知らずに流行らせたのだとしても、知ってて流行らせたのだとしても結果は同じだ。死以上に軽い罪にはならないだろう。なら、聞かぬが花だ。

 麗麗が主上に依頼されているのは、怪異の原因の調査であって、背景ではない。それは自分の管轄外だと考えたほうが、きっといい。

 それにしても、と麗麗は思考の海に沈む。

 「……なぜ首絞めなんでしょうね」

 「なんだと?」

 冥焔が眉を跳ね上げる。

 「前回の呪いの房も首絞めでしたし、絞鬼も、首を絞めるんですよね。ちょっと、おかしくないですか?」

 実は、呪いの房事件のときから気になっていたのだ。

 「女官は病死だったんですよね。首を絞められて殺されたわけじゃない。呪いだと噂になるのであれば、同じ病気になるほうが、よほど〝らしい〟じゃないですか。なのに、なぜ〝首を絞められる〟になったのか。そこが引っかかるんです。なにか、首絞めに関する事件とかがあったんですかね。……それか、最近、首を吊って亡くなった方がいたとか?」

 麗麗の落とした言葉に、冥焔は明確に反応を見せた。

 一瞬息を呑み、視線を揺らす。ややあって息をゆっくり吸い、同じだけの時間をかけて吐く。そして口を開き、まるで体の中に凝っているよどみを吐き出すかのようにささやいた。

 「先の皇太后が、その死に方をしたのだ」

 それだけ言うと、冥焔は唐突に口を閉ざした。

 先の皇太后とは、今の皇帝のお母様だろうか。その皇太后が首を吊った?

 では、絞鬼の噂をしていた妃嬪や女官たちは、皇太后は誰かを殺してでも蘇りたいと考えている。だから自分たちを害しているのだと信じていることになりはしないか。

 そう言おうとして、麗麗は冥焔の顔を見た。そしてやってしまったと頭を抱えた。

 おそらく、これは地雷だ。触れないほうがいい。麗麗が結論づけたそのときである。

 「女官、少し付き合え」

 「えっ、どこにです?」

 「散歩だ」

 そう言うと、ずんずんと冥焔は房から出ていってしまう。嘘でしょと思いながら、麗麗は迷った。いち女官が持ち場をそう簡単に離れていいはずがない。そんなの、あの宦官もわかっているだろうに。

 「行ってきたらどうだ?」

 「瑛琳様」

 いつからそこにいたのだろう、瑛琳妃が房の入り口で麗麗を見つめていた。さっきの毒の話を聞かれていただろうか?

 「安心しろ。私はなにも聞いていない」

 多分嘘だ。聞かなかったことにする、という彼女の気遣いだろう。

 瑛琳妃は落ち着き払って麗麗を見ている。唇にうっすらと笑みを浮かべて、房へと足を踏み入れた。

 「冥焔はお前になにか相談したいとみえる」

 「相談ですか?」

 瑛琳妃は麗麗の前に立つと、眉を下げて笑った。

 「冥焔はな、普段はあれほど感情が顔に出る人間ではないのだ」

 「えっ」

 麗麗は思わず抗議めいた声をあげてしまう。

 少なくとも、麗麗の知っている冥焔は考えをすぐに顔に出す人だ。特に、不機嫌だったり、なにかを気にしていたりする表情は読みやすい。

 「そうだろうな、麗麗。お前は知らないかもしれない。けれど、冥焔は本来、面をかぶっているのかと思うくらい表情が死んでいる人間なのだぞ」

 「……想像がつきません。いっつも怒ってますし、偉そうですし、しょっちゅう変な顔してますよ、あの人」

 「お前の前だけだ、それは。おそらく似た者同士なのだろうな。だからこそ、冥焔はお前を前にするとああなる。本当に、よく似ている」

 瑛琳妃はくすりと笑うと、手でほれほれと麗麗を促した。

 「とにかく。麗しの宦官との(おう)()だ。楽しんできたらいい」

 「そういうの、本当にやめてください」

 瑛琳妃は、麗麗にその気がないのを知っていて、敢えてこういう言い方をしているのだ。妬みもそねみもおどしもないので、麗麗もこうして適当に(小主に対して適当という言葉を使っていいのかどうかは別として)あしらうことができる。

 麗麗はふうっと息をついた。

 「では、少し行ってまいります」

 「ああ。がんばれよ」

 謎の激励を受けて、麗麗は冥焔のあとを追った。