瑛琳妃の暮らす深藍宮。決して狭くはないこの殿舎を切り盛りするのは容易ではない。けれど、三人の女官たちは驚異的な手腕を発揮して仕事を終わらせていく。
「瑛琳様が、人を増やせないかって主上に頼んでくれようとしたみたいなんだけど、私たちがお断りしたんだ」
そう言いながら香鈴は調度品を拭き上げていく。今掃除をしているのは、瑛琳妃が客人を招くときの房だ。
「そうそう、もともと多すぎたのよ。殿舎全体の掃除は尚寝局の子たちがやってくれるでしょ?」
さっぱりと笑いながら卓子を磨いているのは雪梅だ。さすがに院子や回廊までには手が回らないので、掃除などを担当する尚寝局の女官に依頼をしているのだという。しかしそれ以外のところ……つまり瑛琳妃が直接使う主要な場所は、すべて自分たちの手で管理をしているのだとか。
「瑛琳様の身の回り程度だったら、今の人数がちょうどいいわ。多ければそれだけ、気も遣うしね」
「故郷にいたときなんて、もっと大変だったもんねぇ。掃除しても掃除しても砂だらけでさ。それに比べたら、こんなの余裕だよ」
ちなみに花里はここにはいない。彼女は厨担当で、みんなの食事を作っている。
驚くことに、花里はもともと瑛琳妃の故郷で厨師をしていたのだという。その味に惚れ込んだ瑛琳妃がなんとか彼女を口説き落とし、お側付きの女官になってもらったのだとか。
麗麗もせっせと掃除に勤しんだ。
そうこうしているうちに、小主の起床時間である。
掃除を一通り終えた麗麗たちは、瑛琳妃を起こしに行く。とはいっても、瑛琳妃は早起きだ。戸を叩き、入室を求めるとすぐに〝諾〟が返ってきた。すでに目を覚ましていたらしい。
「おはようございます、瑛琳様」
向けられた視線は、なんだか気だるげというか、色っぽいというか、いつもの覇気があまり感じられない。
理由は明白。昨晩、皇帝が来たからである。
瑛琳妃は皇帝のお気に入りなのだそうだ。そう日を開けずに熱心に通ってくるので、だいぶお疲れのようである。
揖礼を捧げ、香鈴が用意した盥で洗顔を行う。髪をくしけずり、結い上げるのは雪梅だ。
麗麗はやることがない。仕方がないので揖礼したまま、瑛琳の話に耳を傾ける。
普段なら、どこそこの花が咲いたみたいだ、とか、香のなにそれがよい香りだったのであつらえるつもりだ、とか、当たり障りのない会話が繰り広げられる。
しかし、今日は違った。
「そういえば麗麗、大家から言づてを頼まれている。今日は冥焔が来るそうだ」
「えっ」
思わず顔を上げてしまうと、瑛琳はおもしろそうにふふっと笑った。
「お前は本当におもしろい子だなあ。顔に全部出ているぞ。迷惑だって」
「ええと……申し訳ありません」
「見目麗しいお方じゃないか。なにが問題なんだ」
「本当。あんなかっこいい人と仲良しだなんて、代わってもらいたいくらいです」
ほんの少しだけ頰を染めて雪梅が言い、こくこくと香鈴もうなずく。かなり激しく頭を上下しているのに、手に持った盥からは一切水がこぼれない。優秀だなあ、なんて麗麗は関係のないことを考えてしまう。
冥焔と関わるようになってから、かの宦官の噂はいろいろと聞いた。
皇帝の側近であり信が厚く、皇太后と皇后不在の後宮においてその管理を一任されている。女官に対する態度がとにかく塩対応であり、そこがまたいいのだと謎に評価されている。そして、とにかく見た目のよさが飛びぬけている、などなど。
確かに、女官たちがのぼせ上がるのも無理はない。けれど、麗麗は違う。本当に興味がないのだ。
「確かに見目はよいのでしょうが、あの方に関わるようになってからというもの、気の休まるときがありません。はっきり申し上げて困っているのです」
「おや」
瑛琳妃がわざとらしく目を見張った。
「なにかあったような口ぶりだね」
「あったなんてものじゃないんですよ、瑛琳様」
雪梅がくすくすと思い出し笑いをした。
実はひと悶着、あったのだ。麗麗が後宮に来てほぼ初めて出会ったお約束のような出来事、女官たちによる嫌がらせである。
「瑛琳様が、人を増やせないかって主上に頼んでくれようとしたみたいなんだけど、私たちがお断りしたんだ」
そう言いながら香鈴は調度品を拭き上げていく。今掃除をしているのは、瑛琳妃が客人を招くときの房だ。
「そうそう、もともと多すぎたのよ。殿舎全体の掃除は尚寝局の子たちがやってくれるでしょ?」
さっぱりと笑いながら卓子を磨いているのは雪梅だ。さすがに院子や回廊までには手が回らないので、掃除などを担当する尚寝局の女官に依頼をしているのだという。しかしそれ以外のところ……つまり瑛琳妃が直接使う主要な場所は、すべて自分たちの手で管理をしているのだとか。
「瑛琳様の身の回り程度だったら、今の人数がちょうどいいわ。多ければそれだけ、気も遣うしね」
「故郷にいたときなんて、もっと大変だったもんねぇ。掃除しても掃除しても砂だらけでさ。それに比べたら、こんなの余裕だよ」
ちなみに花里はここにはいない。彼女は厨担当で、みんなの食事を作っている。
驚くことに、花里はもともと瑛琳妃の故郷で厨師をしていたのだという。その味に惚れ込んだ瑛琳妃がなんとか彼女を口説き落とし、お側付きの女官になってもらったのだとか。
麗麗もせっせと掃除に勤しんだ。
そうこうしているうちに、小主の起床時間である。
掃除を一通り終えた麗麗たちは、瑛琳妃を起こしに行く。とはいっても、瑛琳妃は早起きだ。戸を叩き、入室を求めるとすぐに〝諾〟が返ってきた。すでに目を覚ましていたらしい。
「おはようございます、瑛琳様」
向けられた視線は、なんだか気だるげというか、色っぽいというか、いつもの覇気があまり感じられない。
理由は明白。昨晩、皇帝が来たからである。
瑛琳妃は皇帝のお気に入りなのだそうだ。そう日を開けずに熱心に通ってくるので、だいぶお疲れのようである。
揖礼を捧げ、香鈴が用意した盥で洗顔を行う。髪をくしけずり、結い上げるのは雪梅だ。
麗麗はやることがない。仕方がないので揖礼したまま、瑛琳の話に耳を傾ける。
普段なら、どこそこの花が咲いたみたいだ、とか、香のなにそれがよい香りだったのであつらえるつもりだ、とか、当たり障りのない会話が繰り広げられる。
しかし、今日は違った。
「そういえば麗麗、大家から言づてを頼まれている。今日は冥焔が来るそうだ」
「えっ」
思わず顔を上げてしまうと、瑛琳はおもしろそうにふふっと笑った。
「お前は本当におもしろい子だなあ。顔に全部出ているぞ。迷惑だって」
「ええと……申し訳ありません」
「見目麗しいお方じゃないか。なにが問題なんだ」
「本当。あんなかっこいい人と仲良しだなんて、代わってもらいたいくらいです」
ほんの少しだけ頰を染めて雪梅が言い、こくこくと香鈴もうなずく。かなり激しく頭を上下しているのに、手に持った盥からは一切水がこぼれない。優秀だなあ、なんて麗麗は関係のないことを考えてしまう。
冥焔と関わるようになってから、かの宦官の噂はいろいろと聞いた。
皇帝の側近であり信が厚く、皇太后と皇后不在の後宮においてその管理を一任されている。女官に対する態度がとにかく塩対応であり、そこがまたいいのだと謎に評価されている。そして、とにかく見た目のよさが飛びぬけている、などなど。
確かに、女官たちがのぼせ上がるのも無理はない。けれど、麗麗は違う。本当に興味がないのだ。
「確かに見目はよいのでしょうが、あの方に関わるようになってからというもの、気の休まるときがありません。はっきり申し上げて困っているのです」
「おや」
瑛琳妃がわざとらしく目を見張った。
「なにかあったような口ぶりだね」
「あったなんてものじゃないんですよ、瑛琳様」
雪梅がくすくすと思い出し笑いをした。
実はひと悶着、あったのだ。麗麗が後宮に来てほぼ初めて出会ったお約束のような出来事、女官たちによる嫌がらせである。



