夕暮れの街路は、冷たい雨に濡れていた。栞弦(かんげん)は裸足で歩き、ぼろぼろの服が体に張り付くのを感じながら、ただ前へ進むしかなかった。家出してからどれだけの日が経っただろうか。親の虐待、姉妹の冷たい視線――彼だけが家族の厄介者だった。姉妹たちは愛され、甘やかされ、栞弦は殴られ、追い出された。腹は空き、心は砕け、ホームレスとして街を彷徨う日々。もう限界だった。何か、誰かにすがりたい。たとえそれが、死の匂いを纏った者たちであっても。
路地裏で、彼は出会った。二人の巨漢。銀色の制服を着た警官――いや、銀警官と呼ばれる者たち。白い髪、白い瞳の白人男性たち。一人は無骨で鎖と武具を纏い、笑みすら恐ろしい。もう一人は大柄で、常に笑顔を浮かべているが、その筋肉質の体躯は街を壊すほどの力を感じさせた。
アクゼリュスとエーイーリー。彼らの名は、街の噂で聞いたことがある。残虐な執行者たち。栞弦は震える声で、ダメ元で頼んだ。
「お願いです……僕の家族を、抹殺してくれませんか? 親と姉妹たち……僕を虐待して、追い出したんです。もう耐えられない……」
アクゼリュスは巨体を傾け、赤黒く染まった巨斧を肩に担いだまま、恐ろしい笑みを浮かべた。牙を剥いた獣の顎のような紋章が、彼の胸で輝いている。
「ほぅ……家族抹殺かぁ。面白そうだな……。遊ぼうよ。君も一緒に娯楽を楽しもうじゃないか」
彼の声はフレンドリーだったが、目は血に飢えた獣のよう。栞弦は怯えながらも、頷いた。エーイーリーは隣で、のんびりとした笑顔を崩さず、渦巻きの紋章を指でなぞっていた。
「飯がなくなったなぁ。腹減ったよ。まぁ、終わったら何か奢ってくれるかなぁ……」
彼の言葉は素朴で、まるで遊びに行くような調子。栞弦は慌てて頷き、家族の住む家を教えた。飯で釣る――それがエーイーリーの本領だった。超重量の石槌を軽々と持ち上げ、彼はアクゼリュスに続いた。
夜の闇が深まる頃、二人は家族の家に到着した。郊外の静かな一軒家。窓から漏れる明かりが、家族の団欒を覗かせていた。親はリビングでくつろぎ、姉妹たちは笑い声を上げている。栞弦は遠くから見守っていた。心臓が激しく鳴る。
アクゼリュスが最初に動いた。巨斧を振り上げ、ドアを一撃で粉砕。木片が飛び散り、家族の悲鳴が響く。
「娯楽の時間だ! 家族揃って、楽しもうかぁ!!!」
彼は笑いながら突入した。親が立ち上がる間もなく、巨斧が弧を描く。血が噴き出し、親の体が二つに裂けた。アクゼリュスはそれを「芸術」と呼んだ。痛みに酔いしれ、常人なら死ぬ傷さえ楽しむ彼の姿は、悪夢そのもの。
姉妹の一人が逃げようとした。だが、エーイーリーがのんびりとした足取りで近づき、石槌を振り下ろす。岩塊のような槌が床を砕き、姉の体を押しつぶした。計算外の怪力で、家屋が揺れる。彼女の叫びは一瞬で途切れた。
「飯の時間まで、待てないなぁ。早く終わらせて、食おうかなぁ……」
エーイーリーは笑顔のまま、もう一人の姉妹に槌を振り回した。筋肉に頼った素朴な動きだが、圧倒的な破壊力。姉妹の体は壁に叩きつけられ、骨が砕ける音が響く。彼女たちは姉妹だけを愛し、栞弦を虐げた。だが今、二人はただの肉塊となった。
アクゼリュスは残りの親族――いや、親の残骸を巨斧で弄び、拷問のように切り刻んだ。血を吸う斧がさらに赤黒く輝く。彼は暴力に酔い、虐殺を娯楽と呼んだ。
家は血の海と化した。すべてが終わった時、二人は満足げに外へ出た。栞弦は震えながら、それを見ていた。家族は抹殺された。復讐は果たされたが、心に空虚が残る。
「楽しかった。また遊ぼうね」
アクゼリュスがフレンドリーに手を振る。
「飯、奢ってくれる???」
エーイーリーが笑顔で付け加えた。
栞弦は頷いて、二人の影が濡れた夜道に伸びていくのを黙って見送った。
雨は止むことなく、赤黒い水が石畳に流れ落ちていく。
アクゼリュスとエーイーリーの背中は、まるで別の世界へと消えていくようで、栞弦はもう声をかける勇気もなかった。
家は沈黙に包まれていた。かつて罵声と笑い声が響いていた場所は、いまや血と恐怖の匂いで満ちている。
栞弦はしばらく立ち尽くしたまま、震える唇を噛みしめた。望みは果たされた。憎しみは消えたはずだった――だが、胸の奥に広がるのは虚無と寒さだけだった。
足が勝手に動いた。
破壊された家の中へ、ゆっくりと入っていくと、血溜まりに映る自分の姿が見えた。
裸足の少年。ぼろぼろの衣。だがその瞳は、いつしか家族と同じ冷酷さを帯びていた。
「……俺は、これで自由になれたのか?」
声はただ掠れ、虚空に溶けていく。
気づけば、窓辺に一枚の羽が落ちていた。銀色に輝く、大きな鳥の羽。
アクゼリュスたちが残していったものか、それとも死が生んだ幻なのかは分からない。
栞弦はそれを拾い上げ、冷たい雨の中を歩き出した。
帰る場所はない。待っている人もいない。
けれど――彼の影は、血塗られた家の影とひとつに溶けて、夜の街路に長く伸びていた。