ギターと歌への想いを溢れさせた野外ライブから二日が経ち、文化祭当日。

志月は第二体育館の舞台袖から客席を呆然と見ていた。

体育館は、まるで一昨日の野外ライブのように混み合っていた。等間隔に並べられたパイプ椅子は満席。手の空いた教員たちが追加のパイプ椅子を並べようと四苦八苦している。椅子を諦め、壁に寄りかかって立ち見している人もいた。

「どうなってるのよ」
「人、多過ぎじゃね?」

志月と同じく、舞台袖から客席を見ていた一軍の生徒たちが小声で話している。その声は震えていた。

「誰か他校の友だちを呼んだのか?」
「私は呼んでないわよ」
「俺だって。なぁ、俺たち大丈夫だよな……」
「大丈夫って、なにがよ……」

一軍の生徒たちが互いの格好を見比べる。男子生徒は格安量販店で買った警察官やヴァンパイアのコスプレ衣装を着て、ヴィジュアル系バンド風の白塗りメイクをしている。女子生徒はナースやメイドのコスプレ衣装を着て、キャバ嬢みたいな盛りヘアをしている。誰も楽器を持っていない。どちらもハロウィンで悪目立ちする仮装集団みたいで、とてもバンドマンには見えなかった。

「志月、ちょっといい?」

元町仲通りで買った白色のパーカーに着替え終えた海吹が志月の隣に立った。背中に、白色のストラップで吊った海色のギターを背負っている。

「何ですか?」
「本番前に、少し話さない?」

海吹が体育館の二階部分を指差す。志月は「はい」と頷いて、置いてあった月色のギターを背負った。

体育館の二階に続く梯子は生徒が上がれないように縄が巻かれ、立ち入り禁止の紙が下がっていた。海吹が長い足で縄を跨ぎ、梯子を昇っていく。志月は勢いをつけて縄を跨ぎ、海吹の後に続いた。

「満員になったな」

二階に着いた海吹が下を見下ろしながら言った。一軍の生徒のように声は震えていない。いつもの堂々とした海吹だった。

「すごいですね。まだ人が入って来てます」
「宣伝したから」
「宣伝?」
「弟のSNSのアカウントで宣伝したんだ。文化祭で、空河の双子の兄がバンドやるって」

海吹がスマホの画面を見せる。画面には空河のSNSが表示されていた。ここ二ヶ月ほど毎日、顔にモザイクがかかった志月と顔出しの海吹がバンド練習をしている動画がアップされていた。

「顔出しなんて……、どうして、こんなことを?これは弟さんのファンなんですか?」
「空河のファンだけど、俺たちに興味がある人たち。今日の演奏によっては、俺たちのファンになってくれるかもしれない」
「俺たちのファンって、どういうことですか?」
「志月、これが一番の近道だよ。高校を卒業するのを待たなくても、大人にならなくても、今すぐカーストをひっくり返せる」

今、一軍と戦っても意味がないと言っていたのに。時が経てば、カーストはひっくり返ると言っていたのに。芸術に勝ち負けはないと言っていたのに。音楽は武器じゃないと言っていたのに。

気づかなかった。海吹は志月と一緒にカーストと戦ってくれていた。志月が傷つかないように守ってくれていた。志月をカーストから解き放つために導いてくれていた。志月が立つ最高の舞台(ステージ)を用意してくれていた。
澄ました顔の下で、こんなにも志月のことを想ってくれていたなんて。これ以上の舞台(プレゼント)はない。

体育館に開演のアナウンスが入った。一軍の生徒と同じく、アナウンスの声も緊張で震えていた。

「行こう、志月」

海吹が「顔バレ防止」と、志月の青色のパーカーのフードをかぶせる。

「俺がいるんだ。絶対、失敗しないよ。緊張しているなら、志月は俺の特別だっていう魔法をかけてあげる」

志月の頬に海吹が触れた。フードの下の志月の頬を、そっと撫でる。

「志月。お前の目には、スタンディングオーベーションする観客が見える。お前の手は、最高の音楽を奏でる。お前の歌は、ここにいる奴らを殴る」

海吹の顔が近づいてくる。志月は背伸びをして、海吹の背中に手を回した。目を見張る海吹を抱き締めて、薄い唇を()んだ。下唇をくすぐり、海吹にキスをした。

「んっ……」
「……っ」

乱暴に、海吹が志月の頭を抱いた。フードの上から志月の頭を抑えつけて、何度もキスを降らせた。

階下では、地味グループその一が演奏していた。ピアノとリコーダーの音は途切れ途切れで、歌声はほとんど聴こえない。

「はぁっ」
「し、づき……」

志月と海吹の顔が離れる。唇を光らせて、二人は見つめ合った。

「志月」
「はい」
「お前は特別だよ。俺の特別。魔法にかかった?」
「海吹くんが俺のことを好きだって言ってくれた日から、俺は海吹くんの魔法にかかっています。自信をなくすことがあっても、海吹くんが隣に居てくれれば、俺は立ち上がれます。何度だって。海吹くんは、どうですか?」
「俺もだよ。俺も志月が隣に居てくれれば、どこにだって飛びこめる。志月と一緒なら最高の舞台(ステージ)になる。俺も志月に出会ってから、志月の魔法にかかってるよ」

蕩けるような笑みを浮かべ、志月と海吹は手を繋いだ。二人の出番を告げるアナウンスが流れる。アナウンスに急かされ、二人は階下に戻った。

舞台袖では、未だに一軍の生徒たちが固まっていた。

「大丈夫だって。ね?ね?」
「だよな!カラオケで歌、練習したしな!」

一軍の生徒たちが空元気な返事を繰り返す。アイドル志望の相良は青褪めて、一言も発さない。
その横を志月と海吹は通り過ぎた。舞台に出て行く。

海吹の登場に、悲鳴が上がった。パイプ椅子から立ち上がる人もいる。

観客のほとんどは他校の女子生徒か、大人の女性だった。中には、ライブで見るようなうちわやペンライトを持っている人もいた。何台ものスマホが舞台に向いている。まるで本物のライブだ。

海吹が笑顔で手を振った。観客が悲鳴を上げて、うちわを振る。

次いで、観客の視線が志月に向いた。投稿されていた動画では顔にモザイクがかかっていて、一片の情報も公開されていない、謎の人。果たして、フードの下はどんな顔なのか。観客は興味津々だった。

志月はフードを取った。一切の躊躇いもなかった。長い前髪をかき上げ、耳にかける。派手ではないけれど、整った、穏やかな顔が晒された。

海吹が目を見張る。

観客から、また悲鳴が上がった。

「志月、顔……」
「大丈夫。あ、ヘアピン持ってますか?」
「ああ、あるけど」

海吹が体育の授業で使っているヘアピンを差し出した。受け取って、志月は耳にかけた長い前髪を留めた。

「海吹くん、いこう!」

志月が笑顔で海吹に呼びかける。

「ああ、いこっか」

釣られて、海吹も笑顔になる。ギターを構えた。

演奏が始まった。ギターに志月の歌がのる。海吹が良いと褒めた、掠れた色っぽい声。観客の手拍子と声援が合わさる。

不思議と、志月は緊張していなかった。バンドを組んだこともなければ、舞台で演奏をしたこともなかったから、緊張すると思っていた。でも、志月は緊張していなかった。楽しんでいた。舞台で輝き、観客を熱狂させていた。

二ヶ月前までは考えられなかったことだ。カースト三軍のまま、教室の隅で高校生活を終えると思っていた。入学式で見た海吹に心が疼いた意味も分からず、卒業すると思っていた。どれだけギターと歌が好きでも、決して輝けない、熱狂させられないと諦めていた。でも、今は舞台の上で好きなバンドの曲を、好きな人を奏でている。

俺の背中を押してくれて、ありがとう。俺と一緒にバンドを組んでくれて、ありがとう。俺のことを好きになってくれて、ありがとう。海吹くん、大好きです。

志月は隣で演奏する海吹の美しい横顔を見つめ、微笑んだ。

海吹も緊張していなかった。が、驚いていた。

志月がここまで輝くなんて。

海吹が志月を初めて認識したのは、四月のことで、割と早い時期だった。国語の授業で音読に当てられた志月の声を聞いて、思わず振り返っていた。『NOISE』のボーカルに似ている。ハスキーで、掠れた、ちょっと色っぽい声。『NOISE』のラブソングを歌わせてみたい。

でも、海吹と志月が交流をもつことはなかった。志月はカーストに縛られてしまっていた。だから、更衣室で志月がバンドを組もうと誘ってきたとき、海吹はチャンスだと思った。志月のために時間を割き、彼に歌わせた。

志月の歌は更衣室で輝いていた。もったいない。舞台で輝ける才能があるのに。カーストなんか気にするな。海吹は志月を輝かせるために柄にもなく奔走した。気づいたときには、献身は恋心に変わっていた。すっかり志月の輝きに魅せられていた。

もっと、もっと輝け、志月。もっと、もっと熱狂させろ、志月。お前は、もっと先まで、高みまでいける。お前は俺が選んだ特別な人だから。一緒に行こう、志月。

志月と海吹の目が合った。興奮でギラついた目。滴る汗。口角が上がる。

「まだいけるよね!」
「お前ら、ついてこい!」

大好きなギターと歌に、この興奮をのせて、殴れ!


カーストの崩れる音がきこえた。