初めて生のライブを見たのは、さる観光地の広場で開催されていた野外ライブだった。出演しているバンドも、歌われている曲も知らなかったけれど、肌を焼く熱狂と頭上から降り注ぐ輝きに殴られた。

夜部(やべ)志月(しづき)はギターと歌に夢中になった。

奏でたい、歌いたい。あの熱狂と輝きの中に身を投じたい。
でも、志月は地味な黒髪で、華がある容貌ではなかった。舞台(ステージ)に立っても熱狂させられない、輝けない。凡人だった。

きっと、ああいう場所が似合うのは、新舟(あらふね)海吹(うぶき)みたいな人だ。
志月が高校の入学式で出会った美しい人。志月のクラスのカースト一軍に君臨する絶対的な王様。

決して人生が交わることがない海吹に、志月の心は疼いた。
 
☆☆☆

「あいつらバンドって顔じゃないっしょ。だから、ウチらと地味メンでグループ分けたのよ」

教室の中で吐き捨てられた言葉は、廊下にいた志月の心を抉った。

そういう理由のグループ分けだったんだ。初めから俺たちはいない者扱いだったんだ。

教室でキャアキャア騒いでいるのは、志月が所属する一年C組のカースト一軍の男子生徒と女子生徒だった。
バンドとは、二ヶ月後にある文化祭の出し物のことだ。今日のロングホームルームで志月のクラスはバンドをすることに決まった。決めたのは、当然、一軍の生徒たちだ。カフェやバザーなどの案も出ていたが「地味で、ダルい」という理由で黒板から消された。

「バンド向きじゃないなら、あいつら裏方に回せば良かったんじゃね?」
「いやいや、引き立て役がいないと盛り上がらないっしょ。一番目に地味メンその一のグループを演奏させて、次に私たちが登場して最高の演奏をするの。で、最後に地味メンその二のグループが演奏したら、やっぱ私たちの演奏が一番良かったって観客も思うじゃん?」
「おお!それ最高!大盛り上がりじゃん!アンコールは俺らで決まりだな!」
「当然っしょー」

机をバンバン叩く音と小馬鹿にした笑い声が教室で爆発した。

バンド向きの顔って、なに?地味な奴はバンドしちゃいけないの?

志月は、彼らの言うところのカースト二軍と三軍の地味メンを集めた「地味グループ」に分けられていた。単純に仲の良い者同士で振り分けたのだと思っていたのに、自分たち一軍以外の生徒をひとまとめにし、引き立て役にしようとしていたなんて。

普通にじゃんけんで順番を決めて演奏するのではいけなかったのだろうか。ただ演奏するだけでも一軍の彼らは目立つ。派手な容姿と大きなパフォーマンスは良い意味でも、悪い意味でも、目につく。そんな彼らを押さえて志月たちが目立つなんてあり得ないのに、どうしてそこまでして二軍と三軍を引き立て役にしようとするのだろうか。

志月は前髪を引っ張った。目を隠すほど長い前髪は志月の表情を隠し、暗い印象を与える。髪色も黒で地味だ。

この前髪を切って、髪を染めれば、一軍のようにバンド向きの顔になれるだろうか。

いや、前髪を切ったところで志月の顔のパーツはすべてこじんまりとしていて凡庸だ。髪を染めても元来明るい性格ではないのだから明るい印象にはならない。どうしたって志月はバンド向きの一軍顔にはなれないだろう。

「いつまで固まってんの?」

ちょんちょんと肩を(つつ)かれた。

「あ、すみませんっ」

振り返ると、白に近い金髪をした男子生徒が立っていた。色が抜け落ちたみたいな白い肌に、ツンと高い鼻。切れ長の目を縁取る睫毛はバサバサと音がしそうなほど長い。まるでK-POPアイドルみたい。新舟海吹だ。

「入らないの?」
「え、その……」

話しかけられると思っていなかった相手の登場に、志月は上手く答えられない。入学して、同じクラスになってから一度も話をしたことがないのだ。

海吹は、志月のクラスのカースト一軍の生徒だ。それもカースト一軍の生徒たちの頂点に君臨する王様だ。志月にとって海吹は同じ時代に生まれたけれど、住む世界が違う人なのだ。

教室から聞こえてくる笑い声に海吹は「ああ、あいつらか」と目を細めた。

「気にしなくて良いと思うけど」
「でも……」
「あっちも気にしないよ」
「それは、分かってます」

今の話を志月に聞かれていたと知っても一軍の彼らは気にも留めないだろう。おずおず教室に入ってくる志月を見て、鼻で笑うだけだろう。

「あ、じゃなくて」

海吹が教室を指差した。

「あいつら、周りにどう思われてるか気づくような繊細さとかないから、気にしないと思うよってこと。だから、こっちが気遣ったり、気にしたりする必要ないから」

志月は瞬いた。もしかして、励ましてくれているのだろうか。まさかという思いで海吹の顔を見上げてみるけれど、その綺麗な顔からは何も読み取ることができなかった。

「で、教室に入らないの?用があったんだろ?」
「あ、机の中に忘れ物をしてしまって」
「今日、絶対に必要な物?」
「スマホなんです」
「分かった。ちょっと待ってて」

何が分かったの。志月が問いかける間もなく、海吹は教室のドアを開け放った。中の笑い声など聞こえていないかのように、躊躇なく教室に入って行く。怖気づいてしまった志月はドアをくぐれない。

三十秒もかからず、海吹が戻ってきた。ドアをピシャリと閉めて、手を差し出してくる。

「はい。これで合ってる?」

差し出された海吹の手には志月のスマホが握られていた。

「あ、ありがとうございます!」

どうして取りに行ってくれたんだろう。どうして志月の席を知っていたんだろう。疑問は次々と湧いてくるが質問する勇気はなかった。緊張で声が裏返らないようにお礼を言うだけで精一杯だった。

志月がスマホに手を伸ばした時、

「なぁ、これって『NOISE(ノイズ)』のステッカー?あの最近メジャーデビューしたバンドの」

スマホがくるりと裏返された。
透明なスマホカバーの下には一枚のステッカーが挟まれている。「NOISE」というロゴをギターとベース、ドラム、キーボードが囲んでいるステッカーだ。

「は、はいっ。ファンなんです」
「このグッズ、初めて見た」
「それはデビュー前に販売してた自作グッズです。俺、デビュー前から応援してて。ライブハウスにも何度も行きました」
「へぇ。良いバンドだよな。俺も好き。そういえば、ボーカルの人と夜部の声って、ちょっと似てるよね」
「え?」

志月が固まる。

夜部って、呼んだ。クラスメイトその一じゃなくて、ちゃんと志月のことを認識している。接点なんて、何もないのに。覚えていなくても支障がないはずなのに。

「ハスキーで掠れる感じが似てると思う。ちょっと色っぽくて良いなって思ってたんだよね」

良いなって、どういう意味ですか。

声優みたいな良い声だな、ということだろうか。それとも、海吹の好きな声だ、ということだろうか。海吹が好き、とは、それは志月の声のことであって、志月のことではなくて―――。

ぐるぐる、ぐるぐる。志月の頭が回る。高速で回転しているけれど、何の答えも導き出せない。目の前の海吹は涼しい顔をしていて、困っている志月に何も言ってくれない。

勘違いする前に、ここを去らなければ。勘違いって、何を、どんな。

志月はスマホを掴んだ。「ありがとっ」と踵を返したところで、左手を掴まれた。

「あっ……」

左手を引っ張られる。海吹の顔が近づいてくる。唇を噛んで、身を捩った。

「指にタコがある」
「え」

海吹の顔は志月の左手に向いていた。

「もしかして、夜部もギター弾けるの?」
「……は、い」
「文化祭で『NOISE』の曲やったら?夜部の歌、聴いてみたいな」

美しい顔に笑みが浮かぶ。海吹が志月に微笑んでいる。志月の心臓がギュッと悲鳴を上げた。
同じクラスになって初めて見る海吹の笑顔だった。初めて志月に笑顔を向けてくれた、という意味ではない。海吹はいつも斜に構えていて、年相応に笑うということがないのだ。他の一軍メンバーといても常に壁があって、近寄りがたい雰囲気を出しているのだ。
そんな孤高の王様が三軍の志月に微笑んでくれている。

心臓がギャア、ギャア、うるさい。顔も真っ赤で、熱い。頭だって回転しっぱなしで、おかしくなりそうだ。
これ以上、笑いかけないで。掴んだ手を早く離して。

志月はコク、コク、と頷いた。