終章 『旅館・猫人』の創業秘話

─────私は猫。猫の中では、野良猫に分類される。名前はない。そんなものいらないからな。
 私は三毛猫だが、瞳は天色だ。変だろう?そのせいで元飼い主に捨てられた。きっと私は売り物にならないからだろう。
 悲しいが、元飼い主は大したやつではなかった。別に構わない。
 野良だって生きていける。事実、二年ほどはこの状態で生き延びているからな。
 縄張り争いや餌を探したりするのは大変だが、優しい方が餌をくれたり遊んでくれたりすることもある。
 私の寝床は一番可愛がってくれている方が作ってくださった段ボール箱だ。なかなか良いものだ。
 ずっと、このまま暮らしていければなと何度も思った。
 だが、そんな平和な暮らしはいきなり終止符を打たれた。
 大きな地震だ。人間たちの間では『はんしんあわじだいしんさい』と呼ばれているらしい。
 呼び方など私には関係ないが、地震は今でも覚えている。
 恐ろしかった。死ぬのかと本気で思った。
 大きく縦に揺れ、その後横にも揺れた。時間も長かった。本当に何分も揺れていたかのように思えた。
 私の住処がある家も崩れそうになり、急いで抜け出した矢先、やはり家は倒壊してしまった。もし気がついていなかったらと思うとゾッとする。
 揺れが収まったと思ったら、次は火災が発生した。
 渦のように炎がどんどん人や家を飲み込み、まるで怒った龍のようだと思った。
 私に気づいた優しい方が、避難所まで運んでくださった。
 だが、避難所では私を受け入れてくれなかった。
 この世界は残酷だ。
 仕方なく避難所の近くで生活していると、『よしん』と呼ばれるものが何回も発生し、そのたびにビクビク震えた。
 餌は優しい方が非常食の残りをくださったり、崩れた家からキャットフードってきてくださったり・・・・・・。
 なんとか私は生き残った。
 一週間ほどもすれば『ぼらんてぃあ』の方々が手伝ってくれたりもした。
 私を保護してくださったりもしたが、私は反抗した。
 ここから離れるのは嫌だ。思い出がたくさんある街だ。これから復興していく様を見ていたい。
 だが、願いが叶うことはなかった。
「よぉ、猫さん。私についてきてくれるかい?」
「・・・・・・」
 そいつは私が人間の言葉がわかるということを知っているのか、話しかけてきやがった。
 『ついていく』ということは、この街を離れなければいけないということか。
「・・・・・・行かぬ」
「おぉっ!?猫が日本語を喋ったぁ!?」
「話せる猫は話せる。人間はこんな事も知らぬのか」
 今まで話しかけられたことはなかった。一方的になにか話していただけだからな。だから知らないのは当たり前なのかもしれない。
 行かないと言ったのに、何回もこいつは説得しようと話しかけてくる。
「いやいや。こんなに環境の悪いところで生きていけるのか?」
「事実、私は生きているだろう?これより悪くなるなんてことはしばらくないだろう」
「それはそうなんだけどよぉ・・・・・・」
 頭を掻きながらヘラヘラしてやがる。こんなだらしない人間は初めて見た。
 何を考えているのかわからない目、衛生的にはきれいな方であろう容姿。人間の分類ではこいつはかっこいい方なのだろうか。女性がチラチラとこいつに視線を向けている。
 こいつのどこがかっこいいのか。人間の考えることはわからない。
「そうだ!お前、一緒に住むんじゃなくて、働かね?」
「・・・・・・働く?」
「あぁ。私は旅館を経営しててな。従業員が不足しているのが最近の悩みで・・・・・・。だから、猫を働かせるっていうのはどうだろう、と思ってな」
 こいつは馬鹿なのか?
 どう考えてもそんな思考にはならないだろう。なんてやつなんだ。
 あぁ・・・・・・。面白い。やってやろうじゃないか。
「・・・・・・お前のことを信じてやる。働いてやろう。やってやるよ」
「おぉ!そうかそうか!そうと決まれば、すぐに行くぞ」
 どんどん前に進むあいつに、ついていく。これから飼い主となるあいつに。
 まだ撤去されていない瓦礫の向こうに、太陽が昇り始めていた。

──────『くるま』という乗り物は、心底不愉快だった。
 うるさいし、とても揺れるし、外が全く見えない。これで襲撃でもされたらどうするんだ。
 そのことを飼い主こと、『押領司耀(おうりょうじひかり)』という名のやつに言うと、大爆笑された。心外である。
「そんな襲撃なんてされないって。それに、この車は頑丈だからなぁ。大丈夫だ!」
「本当か?この『くるま』とやらに乗ったまま死んだら承知しないぞ?」
「安心しろ!私は布団の上で死ぬと決めているからな」
 その時は頼むぞ、と物騒なことを言い出す。こちらがどう反応すれば良いのかわからない。
 そういうところが、こいつの面白いところでもあるのだが。
「さて、着いたぞ。ここが私の経営する『旅館・猫人』だ」
「ほぉ。なかなか趣のあるところではないか」
「はははっ。その上から目線の言い方も矯正しなければな」
 談笑しながら、こいつの横に並んで旅館の中へ入っていった。

──────耀からは本当にいろんなことを学んだ。
 私以外にも一緒に訓練を受ける猫がいた。その子たちは皆個性的で、すぐに仲良くなることができた。初めて猫の味方ができた。
 まず最初の訓練は、二本足で立つことから始まった。
 『きもの』とやらを着ると体がきつくしまるため、歩くのが大変だ。いや、歩く以前にバランスをとるのが難しい。
 その次に、お客様に対する話し方だ。
 これは難なくマスターした。話し方を少し変えるだけだったし、敬語も暗記さえすれば応用もできる。得意なのかもしれない。
 接客に関すること以外も、人間の社会で生きていくうえで必要な知識や従業員との関わり方、店の経営に関する勉強もやった。
 そして、『ほうてきじんかく』という、これを取れば社会的に認められるらしい資格の勉強もした。
 それに耀は特に気合いを入れていた。
「お前はいつか、この旅館の経営者になる。そのためには社会的に認められる必要があるんだ。猫が店を経営するなんて前例がないだろうからな。だから、勉強を欠かすな。未来のお前を助ける手段はこれしかない」
「わかった。頑張る」
「頑張ります、だろう?」
「・・・・・・頑張ります」
 それから約一年経ったとき、やっと耀が習得しろと言ったもののテストに全部合格した。法的人格も取った。
 耀は私のことをたくさん褒めてくれた。豪華な夕食も用意して、一緒に訓練していた猫たちも一緒にパーティを開いた。
「頑張ったなぁ。私はもうお前に教えることはない。お前はこれからは他の猫たちに訓練を施す側になる。頑張れよ」
「耀?何を言っているんだ。あなたも一緒に私とやるんだろう?」
「はは、そうだなぁ。一緒に頑張ろうな」
 いつもの顔で大爆笑していた。この顔ももう見慣れたものだ。
 そして、あの笑顔が見れたのは、これが最後だった。

──────私が駆けつけたときは、耀は瀕死状態だった。
 医者はもう助からないから、最後に伝えたいことは言っておけと言っていた。
 何を言っているんだろうこいつは。人を助けるのが医者なのに。
 やっぱりこの世界は残酷だ。
 耀のそばに駆けつけ、涙を流しながら話しかけた。
「耀・・・・・・。お前は死んだりしないよな?一緒に頑張ると言ってくれたもんな?」
「・・・・・・ごめんなぁ。無理だ」
「耀!お前は以前、『死ぬなら布団の上で』と言っていただろう?『くるま』とやらに乗ったまま死なないと約束しただろう?」
 あれは伏線だったのか。何気ない、あの会話が。
 耀はくるまの衝突事故で重体の大怪我を負った。相手が信号無視をしたらしい。しかも、飲酒をして。
 酒は嫌いだ。人を変えてしまう。
 くるまは嫌いだ。人を傷つけてしまう。
 約束は嫌いだ。どうせ裏切られる。さらに傷が深くなる。
「耀!」
「最期に、お前にやるものが、ある。名前だ」
「名前・・・・・・?」
 そういえば、私には名前がなかった。特に気にしていなかったが、このタイミングでもらうのは少し嫌だ。
 だが、もらうのならば、耀がいい。
「何だ?私の名前は、どんな名前だ?」
「『照』・・・・・・。お前は、世界や人、猫を照らす、光となれ・・・・・・」
「照、だな。いい名前だ。・・・・・・もう一度、私の名前を呼んでくれ」
「照・・・・・・。よろしくな────」
 心電図モニターから高い音が鳴った。
 長い、高い音が。
 異様に白く見える、病室に響く。
 急に世界から色がなくなった。
 ぷつんと急に音がなくなった。
 耀の、死に方みたいだ。

──────それから、私は頑張った。
 耀みたいに、笑顔で接客をした。
 訓練を厳しくも優しく、猫たちに受けさせた。
 どんどん旅館は人気になっていった。
 耀が目指した旅館は、こんな感じなのだろうか。
(そういえば、耀がここの温泉について、なにか言っていたな)

『猫人に流れている温泉には、秘密の効能があるんだ』
『どんな効能なんだ?』
『奥底に眠る、大事な記憶を呼び起こす効能だ』
『そんなのがあるのか?ちょっと現実離れしているな』
『はははっ。人間はちょっと不思議なものがあると食いつくものなんだよ』
『不思議どころかホラー要素もあるけどな』
『ちなみに原因はわからない』
『わからないんだ・・・・・・』

 あぁ。こんなことも言っていたな。
 正直言って、私には関係のないことだ。
 猫人にはいろいろな不思議があるが、それがここでは当たり前なのだ。
(外の世界と関わらないと、当たり前だと思っていたことがそうじゃないと気が付かないよな)
 従業員たちにはこれを伝えるつもりは一切ない。
 これは、耀と照だけの秘密なのだ。
「照さん!お客様が来られましたよ!」
「分かりました。今行きますね」
 今日も今日とて、お客様が満足なさるよう精一杯務める。
「いらっしゃいませ、本日のお客様。『旅館・猫人』の経営者兼女将兼旦那の『照』と申します」
 それが、耀の願いだから。
 『旅館・猫人』は、猫の、猫による、猫好きと『耀の願い』のための秘境旅館なのだ。