一章 パターン一、二十代女性

──────「はぁ・・・・・・」
 帰りに乗る電車、帰宅ラッシュ真っ只中のこの時間帯は人と人の間に少しの隙間もない。
 そんな中で、私は一つため息をついた。
 自分が担当する取引先の人が無茶な要求をしてきて抑え込むのが大変だった。それに会議の資料づくりは溜まる一方、上司に叱られてばかり。それに加えて新人の育成。
 心も体も疲れていた。
(あぁ、実家の麻衣ちゃんが恋しいよ。お腹に顔を埋めてネコ吸いしたいし、肉球モミモミしたい)
 実家にいる猫の顔を思い浮かべると、欲求がどんどん溢れ出てくる。
 とにかく癒やしを求めていた。
 やっと家の最寄り駅に着き、他の人に謝りながら人がたくさん入っている箱から抜け出した。
 駅から家までの道のりはそこまで長くないのだが、今日に限ってものすごく長く感じた。
 ビルの明かりがなぜか猫の目に見えてしまった。通り過ぎる人たちがなぜか猫が二本足で立って歩いているように見えてしまった。
(私、そんなに疲れてるの?どれだけ猫不足なのよ・・・・・・)
「はぁぁ・・・・・・」
 本日二度目の大きなため息が出てしまった。
 そんな時、ポケットの中に入っていたスマホがバイブした。画面を開くと愛猫の画像が見えた。そして、それと同時に見えたのは仲の良い同僚からのメッセージだった。
『やっほー、あんた絶対疲れてるでしょ?』
 なんで分かるんだろう。あの子はエスパーかと疑ってしまうくらい言うことが当たっているのだ。
 こんなことはどうでもよく、続いてきたメッセージに目を向けた。
『だからおすすめの旅館を紹介してあげる!絶対行ったほうが良いよ!』
 その文章と共に届いたのは『旅館・猫人』という名の旅館のURL。
「『旅館・猫人』?なにそれ。初めて聞いた旅館の名前だな」
 気になるが今は有給も取っている暇もない。また機会があれば行ってみると返信しようとした矢先に、また同僚からメッセージが届いた。
『どうせあんたのことだから有給取る暇もないんでしょ?』
「・・・・・・」
(やっぱりエスパーだよあの子。ここまで来ると逆に怖いわ。いや、常識的に考えても怖いわ)
 少し怯えながら『御名答』と送ると、返信が来た。
『上司にあんたの仕事変わってもらえるように頼み込んだから。行ってきなよ?こんな機会二度となんだから!』
 用意周到すぎる。こうなることを見据えて行動していたのだろうか。
 彼女はエスパーなだけではなく未来予知の能力までもあるのだろうか。
 感謝の言葉を送ったあと、私は送られてきた旅館のURLをタップするのだった。

──────それから一週間後。例の同僚のおかげで掴み取った有給を使って、一泊二日のちょっとした旅に出た。
 なんとその旅館は結構田舎の方にあり、バスの便も一日に片手で数えられるほどしかないという。まさに秘境旅館だ。
 時間に間に合うようすぐに家を出る努力をしたおかげで、スムーズに旅館へ行けるバスに乗ることができた。
(本当にここ田舎って感じがする。でも、なんだか懐かしい雰囲気がするんだよね)
 いつもだったら周りはコンクリートとガラスでできた建物に大勢の人、自然なんて街路樹しかないところで生活している。
 しかし、ここはどうだろう。
 通り過ぎる民家は木製の家に瓦屋根、人はあまり見かけないが森や花、動物たちがたくさんいる。
 人間はそれを見るだけで癒やされるものだと初めて知った。
 しばらく窓の外を眺めていると、バスのアナウンスが聞こえた。
『次は、「旅館・猫人前」。「旅館・猫人前」。お降りの方は、押しボタンでお知らせください』
「あっ、もう降りるのか。ボタン押さなきゃ」
 ボタンを押し、バス停に停まるまで荷物の整理を始めた。

──────バスから降り、顔を上げるとすぐに趣のある建物が目に入ってきた。
 一階建ての木製の建物で、看板には草書で『旅館・猫人』と書いてあった。
(おぉ、すごい。創業何年くらい経ってるんだろう)
 少し重いバックを肩にかけながら歩いていき、旅館の近くまで歩いていくとお迎えに来てくれている人がいた。
────人ではないのだが。
「いらっしゃいませ、本日のお客様。『旅館・猫人』の経営者兼女将兼旦那の『照』と申します」
「ね、猫ぉー!?」
 驚くことに、この旅館の経営者は猫なのだ。
 人間のように二本足で立ち喋る。ちゃんと着物を着て姿勢も正しい。
 『照』と名乗る猫は三毛猫で、右目は黒の毛なのだが左目は茶色の毛に丸く囲まれている。
 普通目は黒や黄色なのだが、何故か照の目はきれいな天色(あまいろ)だった。三毛の血が濃ゆい雑種なのだろうか。
 観察すればするほど、どんどん私の頭の中は混乱してくる。
(えっ、猫が旅館経営していいの?ていうか『女将兼旦那』?男なのか女なのか・・・・・・。いや、猫だからオスかメスかだな)
 そんな私の様子を察してくれたのか、照は声をかけてくれた。
「お客様。まずはお名前を教えてもらえませんか?いつも私はお客様のことをお名前でお呼びしておりますので」
「そ、そうなんですか。私は『唐紅夢穂(からくれないみずほ)』といいます。長くてすみません・・・・・・」
 漢字で書くときは四文字のくせに、ひらがなで書くと九文字になるのが意味わからない。ふりがなを振るときの苦労を知ってほしい。
「唐紅夢穂様ですか。とても良い名前ですね。夢穂様の赤い瞳にお似合いです」
「ありがとうございます。嬉しいです」
 照はすこし目を細めて笑った。瞼の奥に見える天色の瞳が神秘的に見える。
「さぁ世間話はこの程度に。お部屋まで案内させていただきますね」

──────結論から言おう。
「ここは高級旅館ですか?」
「いいえ、普通のどこにでもある旅館ですよ」
 そんなはずはない。あり得るのならこの光景は嘘なのか、と思ってしまう。
 眩しすぎず高貴さが溢れる赤い絨毯に木製の階段、様々な技術を施して作ったのであろう壺、主張しすぎずだか存在感溢れる絵画。
 だが、何故か実家のような安心感がある。
 言葉に表すのは難しいが、とにかく同僚がおすすめしてくる理由がわかった。
「そういえば、通りすがりに着物を着た猫さんを見かけるんですが・・・・・・」
「その子たちは皆うちの従業員ですよ。流石に私一人じゃこの広い旅館を管理できませんから」
「なるほど。みんな可愛いですね」
 そう言うと、照はまんざらでもなさそうな顔をして口角を上げた。
「そうでしょう、そうでしょう。この旅館は全て猫がやっておりますからね」
「えっ、掃除も接客も料理もですか?」
 人手不足ならぬ猫手不足です、と言いながらやれやれと首を振り始めた。
 全て猫がやっているとなると、全く人間の手を借りていないということになる。
 『猫の手も借りたい』という言葉はあるが、ここの場合は『人間の手も借りたい』というのが正しいだろう。
「ですが、猫が旅館を経営しているのがうちの強みですから。まぁ税金は専属の税理士さんに頼んでいますが」
(す、すごすぎる。こんなハイスペ猫いるんだ。照さんが擬人化したら結婚したい)
 悲しいことに私は彼氏がいない。年齢イコール彼氏いない歴の人間なんだ。彼氏が欲しい、イケメンな彼氏が欲しい。
 話がそれてしまったが、そんな事を考えてるうちに私の今日泊まる部屋に部屋に着いたようだ。
「夢穂様。こちらが本日のお部屋になります」
 渡された鍵で扉をガチャリと開けると、そこにはきれいな和室の部屋が広がっていた。
「うわぁ!畳のいい匂い」
「この部屋は最近畳を入れ替えたんですよ。夢穂様は運が良いですね」
 新しい畳特有の匂いと窓の外に見える青々とした自然、どこからか聞こえる蝉の声。
 五感でこの素晴らしさを体感することができる。
「はー、とりあえず荷物置いて浴衣に着替えようかな。その後は温泉に行ったりー?」
 完全にリラックスモードに入ってしまった私は、寝転がってスマホを眺め始めた。
「夢穂様?少々お話がありますので、よろしいでしょうか?」
「あっ、すみません・・・・・・」
 ちゃぶ台の近くに正座し、照の話を聞く。
「この旅館は猫が経営しているという話はしましたよね?」
「先ほど聞きましたね」
「それでですね、この部屋専属の猫たちを選んでいただきたいのですが・・・・・・」
 そう言って照は懐から三枚の紙を出した。
「専属の、猫たち?」
「はい。それぞれ役割がありまして、癒し担当二匹、料理担当一匹、そして執事担当一匹。
この紙の中から一匹ずつお願いします」
(えっ、担当?癒しと料理ならまだしも『執事』?どういうこっちゃ)
 意味はよくわからないが、とにかく来てくれればわかるだろう。
 まず癒し担当の猫の紙を見てみると、ものすごく可愛くてもふもふな猫ばかりだった。
「うわ、うわぁー!この中から二匹も良いんですか!?」
「もちろんでございます。お好きな子をどうぞ」
 そう言われても悩ましい。だって皆可愛いんだから。選びきれない。
(この子とこの子が特に可愛いかも。えーと、名前は・・・・・・)
「あの、このメイン・クーンの『ヴェリティ』さんとブリティッシュショートヘアの『クラリティ』さんでお願いします」
「ヴェリティとクラリティですね。かしこまりました。あぁ、ちなみにこの二人同じ日にここに来たので似たような名前なんですよ」
「そうなんですか!?確かに似てるとは思いましたけど」
 写真で見た限り、ヴェリティさんはお姉さんタイプでクラリティさんは甘えん坊タイプだから相性が良かったのかもしれない。私の偏見だが。
「では料理担当はどうしますか?」
 料理担当。
 どういうことをする担当なんだろう。私の予想では、ご飯を作ってくれたり、持ってきてくれたりする担当ではないのかと思っている。
(となると、男前な感じの猫さんがいいかなー)
「じゃあ、このベンガルの『ケイナ』さんでお願いします」
「ケイナですね。ちなみにケイナはアメリカから来たんですよ。得意料理は魚のアクアパッツァです。お楽しみに」
 アメリカから来たのにアクアパッツァ。イタリア料理のはずなのに、なんだか面白い。夕食が楽しみだ。
「では最後に執事担当をお願いします」
 執事担当は多分、私のお世話をしてくれるのだろう。だから私をビシバシしごいてくる可能性がある。
 ということは、可愛い系じゃ駄目だ。かわいい顔できついことを言われたらメンタルが持たない。まだ強面に言われたほうがいい。
(じゃあダンディーな感じのイケメン猫さんがいいな)
「それじゃあ、このオリエンタルショートヘアの『ノヴァ』さんでお願いします」
「ノヴァですね。かしこまりました。ノヴァは少しクセが強いですが、夢穂様ならなんとかなると思いますよ」
「えっ?今なんとおっしゃいました?クセが強い・・・・・・?」
「猫人自慢の天然温泉にいかれてはどうですか?様々な効能がありますし、お肌もツルツルになりますよ。お部屋にお戻りになられる頃にはもう到着していると思いますよ」
 失礼します、と言って照は部屋を出ていってしまった。
(あ、話し無視された。というか、マジでしばかれちゃう感じ?私はここに癒やされに来たのだが?)
 まぁいいや、と思考を放棄して私は温泉へ向かうのだった。

──────「ヴェリティ、クラリティ、ケイナ、ノヴァ。指名が入りましたよ。一◯二号室の夢穂様です」
 今日のお客様の唐紅夢穂様は猫でもわかるほど良い方で、とても疲れていらっしゃる。
 お客様に満足していただくことが私たちの務めである。
「四匹とも、頼みますよ」
「やったぁ!ヴェリティと一緒だぁ。気合い入れていくよぉ」
「そんなにはしゃがないでちょうだいクラリティ。まぁ、私たち二匹を選ぶなんて見る目ある人なのね。頑張ってあげてもいいけれど」
 ヴェリティとクラリティはすごく嬉しそうだ。
 あんなふうにヴェリティは言っているけれど、尻尾が真っすぐ立っている。ご機嫌だ。
「よっしゃ!結構久しぶりの指名だぜ。夢穂様の舌を唸らせるほどの絶品作ってくぜ!」
 料理担当の猫たちは人気のある猫とそうでない猫の差が少しある。
 ケイナは人気な方なのだが、最近はあまり指名が入っておらず不満そうだった。
 だから久しぶりに振るう料理は、とても豪華なものになるだろう。
 三匹ともとてもやる気満々なようだが、ノヴァだけは表情を全く変えていなかった。
「・・・・・・」
「ノヴァ?どうされたのですか?」
「照さん、また俺は指名変更されるのでしょうか?」
 そう。ノヴァはよくお客様から指名変更されていた。
 真面目で正義感が強い子なのだが、それが裏目に出てしまい癒やされるどころかストレスが溜まる一方になったと苦情が入ることもしばしばだった。
 最初は楽しそうに働いていたが、だんだん表情を顔に出さずつまらなそうに仕事をするようになってしまったのだ。最近は仕事をやるどころかお客様に顔を見せないと聞いている。
(猫たちの間でのノヴァの評価は高い。うちには欠かせない存在だ。やめないでほしいが、このままでは・・・・・・)
 そんな事を考えるよりも、まずは夢穂様のところに行ってもらおう。
 もし今までと同じ通りになったら対応をちゃんとしなければだが、夢穂様はきっとそうならないだろう。
「ノヴァ、夢穂様は今までと違う人なんですよ。きっと、貴方を受け入れてくれると私は思っています」
「照さん、それは本当ですか?」
「あの人の雰囲気が、そう語ってましたよ。一度行ってみてはどうてしょうか?」
「・・・・・・分かりました。行ってみます。頑張ってみます」
 良かった。これで安心だ。
 四匹の了承を得たところで、早速部屋に行ってもらおう。温泉からそろそろ上がってくる頃だろう。ちょうどいい時間だ。
「それではみなさん、よろしくお願いしますね」
「『ニャー!』」

──────温泉から上がった私は、牛乳を飲みながらマッサージ機に体を委ねていた。
「あがごごごご・・・・・・。マッサージ機最高うううううう」
 肩を叩かれているせいで体が揺れてまともに声が出せない。牛乳がこぼれそうだったから、隣にあるサイドテーブルに置いた。
(やっぱりノヴァさんのこと気になるなぁ。『クセが強い』のクセの意味がわからない。ま、Sっぽい子だったら大歓迎!そんなドMというわけではないのだけれどね)
 だが、どんな子であったとしても私は担当を変えるつもりはない。
 あんなイケメンの猫、今後絶対に会えないと思うから!
「よーしっ!そろそろお部屋に来ているはずだし、帰るかぁ」
 牛乳を一気飲みしてしまったせいで少しむせながら、部屋への帰路を急いだ。

──────部屋の前に到着し、扉を開けるとそこには天国が広がっていた。
「はわわわわ」
(わぁー!可愛い猫さんたちですね。これからよろしくお願いします)
「あの。気のせいかもしれないけれど、本音と建前が逆になってない?」
 目の前に自分で選んだ猫がいる。しかも写真で見るよりもずっと可愛い。
 こんな状況で混乱せず冷静にいられる猫好きは世界にいないはずだ。いたのなら、私はその人を拝める自信がある。
「あの、大丈夫ですか?なんかフリーズしていますが・・・・・・」
「はっ。すみません、少し考え事をしていたもので。あはは」
「では気を取り直して。私たちの自己紹介をさせていただきますね」
 四匹の猫たちは一列にぴしっと並んで話し始めた。
 最初に話し始めたのはメイン・クーンのヴェリティさんからだった。
「癒し担当の『ヴェリティ』よ。よろしくね」
 やはりヴェリティさんはお姉さんタイプだった。
 その性格によらずクリーム色のもふもふの毛に、それに合うコーヒー色の目をしていた。
 それとは対照的にブリティッシュショートヘアのクラリティさんはキリッとしていた
「癒し担当の『クラリティ』です!クラリティちゃんって呼んでくれると嬉しいなぁ」
 クラリティちゃんは灰色と白の毛のハチワレだ。私の好みすぎて倒れそう。
(とにかく!ヴェリティさんとクラリティちゃんがニコイチ!尊すぎる。アイドル活動とかしてくれないかな?貢ぎまくるよ)
 二匹とも見た目と中身のギャップがあって、でもそれがまた魅力的だ。
「クラリティ、ちょっとぶりっ子がすぎるんじゃない?」
「えぇー?そんなことないよぉ。このくらいでいいですよね、夢穂さまぁ?」
「もちろんです。むしろお願いします!」
 そんな風に言うとヴェリティさんが引きつった笑顔をしてこちらを見てきた。
「食い気味に言ってきたわね」
「ふふ、嬉しいです」
 そんな会話をしていると、早速私の膝の上に寝転がってきた。癒しを与えるために仕事をしているのだろうか。
 もふもふの感じがたまらない。しかも、私の上で二匹はじゃれている。可愛すぎる。言葉が出ない。
 そんな感じでヴェリティさんとクラリティちゃんがキャッキャウフフしている間に、ケイナさんが挨拶をしてきた。
「こんちは!俺は『ケイナ』っていうんだ。俺を呼ぶときは呼び捨てでいいぜ。よろしくな」
「よろしくお願いします。ケイナ」
 ケイナはきれいなヒョウ柄の毛に、緑がかった目の色をしていた。
 少し野性的な目は何を捉えているのか、狙っているのかはわからないが少し鋭い視線を向けてきた。
 三匹が挨拶を終えたが、ノヴァさんの姿だけは見つからなかった。
 周りを見渡していると、ケイナが何かに気づいたのか上の方にある棚に向かって言い放った。
「おいおい、ノヴァ。お前も挨拶しなきゃだぜ?」
「そうよ、ノヴァ。貴方も夢穂様に選ばれた担当猫なのだから」
「ノヴァさぁん。私さみしいですよ?夢穂さまも寂しがっちゃいますよ?」
 三匹ともどこに向かって話しかけているんだろうと思い、視線を辿ってみるとそこにノヴァさんがいた。
 いや、厳密に言うと黒い尻尾だけが見えた。
(えっ?棚の上に座っているの?同じ床にいたくないってことかな。そんなに私のことが嫌い?悲しいんだけど)
 結構落ち込んでしまったが、私は諦めない。
 ここからだとノヴァさんのことが見えないので、下に降りてきてもらえるように話しかけてみる。
「ノヴァさん。少しお話がしてみたいんです。降りてきてもらえませんか?」
「・・・・・・」
 ふいっと顔を背けられたが、一目惚れした猫を見るためだ。
 しつこいと思われるかもしれないが何度も何度も話しかける。
「ノヴァさん、私お片付けが苦手なんです。一緒にやってくれませんか?」
「・・・・・・」
「ノヴァさん、執事担当って何をするんですか?照さん説明してくれなくて。教えてくれませんか?」
「・・・・・・」
(いやいや、流石にここまでスルーされるのはきついって。私のメンタルお豆腐よ?)
 無視するどころか、姿すら見せてくれない。何も反応してくれない。
 ヴェリティたちはこれが当たり前なのか、やれやれと首を振るばかり。諦めてしまっている。
 でも、私は絶対に引き下がれない。引き下がらない。
「ノヴァさん!あなたに一目惚れしたんです。写真を見た時、ピンと来ました。この猫は私が癒しを求めるのに欠かせない存在だって!」
「・・・・・・!」
 少し関心を持ってくれたのか、尻尾の先が動いている。
 あともう少しで、きっと姿を見せてくれるはずだ。
「ノヴァさん!あなたの声を聞きたいです。姿を見たいです。今まで何があったのかはわかりませんが。私はあなたのすべてを受け入れることを誓います」
「・・・・・・」
 必死に思っていることを伝えてみたが、届かなかったみたいだ。ノヴァさんからの返事はない。
(反応無し、か。やっぱり私のこと嫌いなんだ・・・・・・)
 四匹の中で最推しとも言えるノヴァに振られたショックは大きかった。
 膝から崩れ落ちてしまい、ポロポロと涙を流してしまった。
(あれ?最推しとはいえ、涙を流すほど悲しいの?今日出会ったばかりなのに、私にとってノヴァさんの存在は大きいの?)
 なぜかはわからないけれど、ノヴァさんは私にとって大事な存在らしい。
 そんな私の様子を見たヴェリティとクラリティちゃんがすり寄ってきてくれた。
「えっ、どうしたの。そんなノヴァに振られたのがショックだったの?」
「泣かないでよぉ。クラリティも悲しくなってくるじゃん」
 二匹とも私の頬を舐めてきたり慰めてくれている。ノヴァさんに対しては何も思っていないのだろう。
 だが、ケイナはノヴァさんにすごく怒っているようだ。
「おいノヴァ。夢穂様は今までと違うって照さんが言ってただろ?なのに頑張ろうとする素振りすら見せてないな。頑張るって照さんに宣言してたのにな。がっかりだぜ」
「・・・・・・そうだな」
「自分でもわかっているなら降りてきたらどうなんだ?夢穂ちゃんが嫌がっているだろ?」
 ケイナとノヴァさんが言い争っている。ケイナに色々言われているにも関わらず、ノヴァさんは降りてこようとしない。
 そんなこと気に留めず、ずっと私はノヴァさんがなぜ自分にとって大切な存在となったのか思考をめぐらしていた。
(ノヴァさんとなにか共通点がある人が私の過去にいたのかもしれない。ノヴァさんに似ている人?誰かいたっけ?)
 色んな人の顔を思い浮かべてみても、中々見つからない。
 なぜノヴァさんの雰囲気が誰かに似ているんだろう。
 なぜ急にこんな思考になったんだろう。
 色々考えてはみるも答えにたどり着かない。
(あぁ、温泉に入ったからかな。体がポカポカして眠くなってきた。こんな状況だけれど寝ちゃおう・・・・・・)
 睡魔に勝てなかった私は、畳に吸い込まれるようにして倒れてしまった。

──────懐かしい、夢を見た。
 中学生の時、私には生まれたときから仲良しの幼馴染がいた。
 同い年の男の子で、彼は誰もが認めるほどかっこよかった。
 正義感が強く真面目で、勉強もスポーツもできる。皆から慕われていて友達百人タイプだった。
 対する私は、スポーツはあまりできなかったが勉強は学年トップ十にはいるほどできていた。友達もまぁいたのだが、ある事件をきっかけに皆いなくなってしまった。
 私の目は、日本人離れした赤い瞳。
 母の遺伝で、目は赤かったが髪の毛は黒かった。それが唯一の救いと言えただろう。
 まぁ気味が悪いと思われるのは当然だろうが。
 中学二年生の時、それがきっかけで私はいじめられた。
『気持ち悪い!こっち来んなよ』
『お前なんて人間じゃねえよ』
『生きる権利もない』
『同じ空間にいるのも恥ずかしいわ』
 あからさまな陰口と仲間外れ、机を物置に隠されたり落書きされていたり・・・・・・。
 同じ人間なのに、同じ歳の子供なのになんで仲間外れするんだろう?
 少し目の色が違うだけで、ちょっとあなたたちと違うだけでなんでいじめるんだろう?
 クラスメイトの感性がよくわからなかった。
 ────だんだん自分の心が壊れていくのがわかった。
 それから私は学校に行けず、家に引きこもってしまった。
 そんな時、幼馴染の彼はよく私の部屋に来て他愛もない話をしてくれた。妹や昨日の夜ご飯の話、縫い物をしていたら指に針を刺してしまったとか。
 学校の話は一切しなかったから、私もずっと話を聞けたのだろう。
 二ヶ月ほど経ったとき、彼はこう言った。
『夢穂、そろそろ学校に戻らないか?』
『・・・・・・え?』
 なんで戻らないといけないんだろう。あの狂った感性を持った奴らと一緒に低レベルな勉強をしたくない。低レベルな頭を持った教師に教わることなんてないのに。
(そうよ。私がいじめられているということを知っておきながらも、無視してきた彼に言われる権利なんてないじゃない)
『・・・・・・あんたなんかに言われたくないよ。不登校になったら味方ぶるし、少し私が元気になったからって学校に戻れるんじゃないかって勝手に決めつけて!』
『ちょ、待ってよ!僕は決めつけてなんかないし、味方ぶってなんか────』
『もう喋りたくない。二度と来ないでよ!出ていって・・・・・・!』
 今思えばそんなことはないだろう。完全に私の八つ当たりだった。
 言い訳になってしまうが、その時の私は他人のことを考える余裕などなかった。だからこんなふうに言ってしまうのも仕方がなかったのかもしれない。
 彼は悲しそうに、部屋を出て行ってしまった・・・・・・。

──────それから二年後、私は高校生になった。
 高校ではカラーコンタクトをして赤い瞳を隠し、信用のできる親友にのみ打ち明けた。
 彼女たちは本当の事を受け入れてくれ、むしろ褒めてくれた。
『えっ、髪は黒で瞳は赤!?なにそれ憧れる!』
『二次元とかにありそうな見た目ね・・・・・・。いいやん』
『めっちゃ綺麗な赤だね。名前にピッタリ!』
 嬉しかった。
 でも、最初に受け入れてくれたのは彼だった。
 生まれたときからずっと、味方だったのだ。
(あぁ、私はなんてことをしてしまったんだろう。謝らないと。許してくれないかもしれないけれど、それでも・・・・・・)
 彼の家に尋ねると、彼の母親は衝撃の事実を伝えてきた。
『あの子は今、がんなの。抗がん剤の副作用でね、髪の毛が抜けてしまっていて。だから、もしあなたが家に来ても部屋に入れるなって言われてて・・・・・・。ごめんなさい』
『そんなっ・・・・・・!』
 ここに来た理由とは全く関係のないことで断られてしまうのか。
 しかも、彼はがん。物騒な話だが、いつ死んでしまってもおかしくはない。
(もう、今日しか機会はない。強行突破させてもらう)
『おばさん!扉の向こうからでいいので、お話させてください!』
『まぁ、部屋の中に入らないなら良いと思うけれど・・・・・・』
 許可をもらったところでお家に上がらせてもらう。
 彼の部屋の前に立ち、少しでも伝わるように話しかける。
『あぁ〜、んと。久しぶり?夢穂だよ』
『・・・・・・』
『いきなり来て図々しいよね?ごめん。言い訳にしかならないけど、あのときは本当に自己中心的な思考しかできなくて、傷つけたと思う。ごめんなさい』
『・・・・・・』
『まぁ、今でも自己中心的な思考回路してるか』
『・・・・・・』
 全部無視してきた。いっそのこと清々しい。
 それでも私は伝える。
『でもね、あの時も今も君が味方で良かったって思ってるよ』
『・・・・・・!』
 なんとなく、気配で私の話に耳を傾けてくれているのがわかる。幼馴染としてずっといたんだからわからないわけがないでしょう?
 きっともう少しで、この声は届く。
『あの笑顔も声も、どうでもいい話も慰めてくれた優しいあの手も。君の全部が好き。君は私が生きるうえで欠かせない存在だって、気づいたんだ』
『・・・・・・』
『抗がん剤の副作用で髪の毛が抜けて私の前に出られない?そんなの関係ないよ!私だってずっと赤い瞳で生きてきたんだから。お互いちょっと皆と違うところがあるだけだよ』
 自分のことを例に上げるのは少し違う気がするが、まぁ同じような感じだろう。
 あともう一押し。
『「暁星新太(あけぼししんた)」!私はあなたの顔が見たい、姿が見たい!どんな格好になっていたとしても、絶対に私はあなたを受け入れると誓う!』
『・・・・・・夢穂』
『だからね、お願い。ちゃんと新太の顔を見て謝らせて・・・・・・』
 泣いてしまった。泣きたいのは新太の方だろうに。私が加害者なのに、涙を流す権利なんてないのに。
 だが、一度溢れてしまったものはもう止まらない。
 手で顔を隠しながら泣いていると、後ろからガチャと扉が開く音がした。
 びっくりして後ろを振り返ってみると、見覚えのある帽子を被った彼がいた。
(あの帽子は、私が学校に行けていないときに、新太に編んであげたやつだ・・・・・・)
 あぁ、彼は私のことをずっとそばに置いていてくれていたんだ。
『・・・・・・夢穂、泣かないでくれ。僕まで泣きたくなるだろう?』
『新太っ・・・・・・。うわぁーん!ごめんなざい、ゴメンなさぁーい!』
 二年ぶりの再会に対する感動と、許してくれたという安心感、ひどいことをしていたのだという罪悪感。
 色んな気持ちが一気に込み上げてきて、心のダムが壊れてしまった。
 久しぶりに聞いた彼の優しい声はひどくかすれていて、悲しくなってしまって・・・・・・。
 お互いの腰に自分の腕を回し、力強く抱きしめた。

──────それからというものの、私はほぼ毎日新太の部屋を訪れた。
 あの時の彼のように、他愛もない話を聞かせた。親友との話や先生の愚痴、バレーのボールが顔面に直撃したことまで。元気になってほしいという一心で、色んな話をした。
 病院に行っているし、手術もしている。それでも日に日に新太は顔色が悪くなっていっている。
 ある日、彼は珍しく自分から私に話しかけた。
『夢穂。僕はもうそろそろ死ぬ』
『・・・・・・え?』
 急な告白に、脳の思考が止まる。
『それって、どういうこと?』
『そのままの意味だよ。僕は死ぬ。自分でわかるんだ。お医者さんも言ってたし』
『自分で認めちゃ駄目だよっ!頑張ろうよ、生きようよ』
 どんなに説得しても、彼は首を横に振るばかり。
 私は諦めたくなかった。やっと話せるようになったというのに、またできなくなるのか。
 それも、永遠に。
 そう考えると涙が出てきた。会えなくなるのが悲しいし、何もできない自分に悔しくなるし。色んな気持ちが一気に込み上げてくる。
『嫌だぁ、私は新太に死んでほしくないよぉ・・・・・・』
『じゃあさ、約束しようか』
『何を?』
『僕は生まれ変わって、また君に会うと約束しよう。人間じゃなくたってね。犬でも、猫でも。君に話しかけられるまでずっと待ってる。ずっと探してる。もし、夢穂が僕に会いに来てくれたなら────』

──────変なところで言葉が途切れてしまったせいで、すやすや気持ちよく寝ていた私は目が覚めてしまった。
「うぅん・・・・・・。はっ、私は一体何を?」
「あっ!夢穂様、大丈夫?あんた急に泣いたと思ったら倒れるように寝ちゃったんだから心配したのよ?」
「ヴェリティ・・・・・・。心配かけてごめんなさい。クラリティちゃんとケイナもね」
 現実に引き戻された私は、周りにいた三匹にとりあえず謝った。
 畳の上で寝ていたせいなのか、頬には畳の跡がついていた。くっ、私の美しい顔(かんばせ)が・・・・・・!
「ねえあんた。気のせいかもしれないけれど、自分に自惚れてない?」
「なわけないじゃないですか!彼氏いない歴イコール年齢の私が自分の顔(かんばせ)を美しいと思えるとでも!?」
「・・・・・・そういうことにしておくわ」
 やっぱり呆れ顔のヴェリティだったが、その顔もかわいい。隣にいるクラリティちゃんも同じような顔だった。
 本当の姉妹みたいでかわいい。
 でも、切り替えて可愛い顔ですり寄ってくる姿は流石癒し担当だ。
「あ。ところで私どのくらい寝ていましたか?」
「二時間くらいだぜ。今六時だからな。夕食の準備はできているから、いつでも声かけてくれよな!」
「ケイナ!あの、さっきめっちゃ怒ってたけど大丈夫?」
 ノヴァさんにあんだけ怒鳴っていたケイナのことだ。
 まだ怒っているのかと思いきや、ケロッとしていてむしろニコニコしていた。
「全然大丈夫だぜ!ノヴァとも和解したし、更に仲が深まったぜ。これこそ男の友情ってやつなんだぜ!」
 私が心配するよりも大丈夫そうだった。良かった・・・・・・。
(あ、ノヴァさんはどこだろう?)
「ノヴァさんは出ていっちゃいましたよぉ?なんかケイナさんに勧められて温泉に入りに行きましたぁ」
「温泉!?ていうか、心を読んだんですか・・・・・・?」
「従業員用の温泉があるのよ。もちろん、お客様たちと同じ温泉から引いているお湯よ」
 心を読んだという点はスルーされてしまった。
 クラリティちゃんも、もしかしたらエスパーなのかもしれない。私の周り、エスパーが多すぎないか?
 話を戻すが、ノヴァさんがいないのなら話をすることができない。
(何しよう・・・・・・)
 ここには癒やされに来たのだから、ゲーム機や本は一切持ってきていない。スマホは今充電中だ。
 ならば、やることは一つしかない。
「ヴェリティさんとクラリティちゃんをモフる!」
「その前に夕食を食べてくれよな!」
「あ、忘れていました」

──────「・・・・・・気持ちいい。温かい」
 猫用にぬるま湯となっている湯は、澄んでいるようで濁っていた。俺の心の中を表しているみたいだ。
 温泉に入っている俺は、考え事をしていた。
(夢穂様、みずほさま・・・・・・。どこかで聞いたことがある。どこだろう。遠い昔のような、意外とそこまででもないような)
 カポーンという音が鳴り響く中、ハッとしたように思い出した。
「夢穂は、俺の前世の幼馴染」
 急に思い出した。
 普通はなにか緊急事態が起こって、そこで思い出したとか。前世でも出会ったことがある人を見て思い出したとか。
 なのに俺は、全裸で温泉に入っている時、なんとなく考え事をしていたときに思い出した。
 味気ないな。
 そもそも俺は前世なんてないと思っている。否、思っていた。
 それは昔からだし、これからも変わらないと思っていた。
(俺の前世の名前は『暁星新太』。がんで死んだ、あっけない人生だった)
 自分で言うと悲しくなるが、実際そうだろう。
 普通に生きて、急に病気になって、たいした環境の変化もなく闘病の末死んだのだ。
 こんな普通にありそうな人生だった人、世界にどのくらいいるのだろうか。
(・・・・・・いや。俺の人生は普通じゃない。夢穂という俺の大切な存在がいた。夢穂のいる人生を経験し、十六歳のときにがんで死んだやつはたった一人だろう)
 モノクロの人生に一滴の『夢穂』という存在を垂らしただけで、鮮やかに彩られたのだ。
 喧嘩したりもしたが、一番仲の良かった存在は夢穂だったかもしれない。
 ありきたりかもしれないが、俺にとっては二人で過ごす時間の一分一秒が宝物だった。
 がんになったときも、死にたくないと思えたのは、闘病しなければと思えたのは・・・・・・。
(『夢穂と仲直りする。そして、結婚し一生一緒にいる』。このために俺はあの時生きていた)
 仲直りできたときも、もっと生きなければと思った。
 この笑顔を、声を、誰にも奪われたくない。ずっと隣で見ていたい。
 こう思うのも、俺だけでありたい。
「ふっ。独占欲しかないな」
 それでも死んでしまったが、転生して再会することができた。
 これは、神様がやり直してこいと言っているようなものではないか。
(待っていろ。俺の、俺だけの夢穂)
 ザバーン!と大きな音が、光の差し込んでいる大浴場に響いた。

──────問題です。私の目の前に広がっている光景はどんな光景でしょうか!
 一。あぁー!どこを見ても猫しかいないー!天国。
 二。うわー!こんなにたくさんのご馳走・・・・・・!天国。
 三。はわー!夜空に光るきれいなお星さまー!天国。
「・・・・・・ふむふむ。あなたの答えはそれなんですね。それでは正解発表!」
「あなた誰に言ってるのよ、それ」
「正解はー!全部でしたー!はははっ、引っかかったなぁ?」
「本当にどうしたの。お医者さん呼ぶ?」
 ここが天国過ぎてヴェリティに本気で心配されてしまった。大の大人が不甲斐ない。
 到着したばかりのときの森にきれいな青空が見えるのも良かったが、漆黒の夜空に数え切れないほどの輝く星が見えるのも素晴らしい。
 窓越しでこれなのだから、外に出てみたらさぞかし綺麗なのだろう。
 そして私の周りにはケイナ、ヴェリティ、クラリティちゃんがいる。目の保養になるどころか、眼精疲労になるほど三匹からはオーラが放たれている。眩しい。
 特にケイナはコック帽子を被って、ネクタイエプロンをしている。あったときとはまた違う格好をしている。
(ケイナが尊い・・・・・・!)
 そして、そのケイナが作ってくれた料理。和食だ。
「んじゃ、お品書きの説明をしていくぜ。前菜は、もずくと山菜の酢の物だな。山菜はウドとワラビにタケノコ、セリを使っているぜ。もずくは沖縄県産のものだ。うまいぜ!」
「説明を聞くだけで美味しそうです。私、もずく大好きなので嬉しいです!」
 結構説明が長かったので、品名だけ言わせてもらう。
 吸い物はナスとウナギの挟んだやつ。だしがよく効いているらしい。
 焼き物は常陸牛を使ったステーキ。最初から豪華すぎん?
 煮物はジャガイモやニンジン、あとレンコンなどの根菜を使った醤油の煮物。全部型抜きされてあって、余ったやつは野菜ジュレにしているらしい。
(・・・・・・正直言って美味しくなさそうだよね。根菜の野菜ジュレ)
 ご飯は鶏肉とサンマのひつまぶし。醤油ベースで少し柚子の香りがする。肉と魚が入っているひつまぶしは初めてかもしれない。
 香の物は日向かぼちゃ漬。質問してみると、宮崎県の郷土料理らしい。色合いが綺麗で、ケイナのアレンジで更に見た目も美しくなっているから食べるのがもったいない。
 最後のデザートはチョコレートケーキだ。ケイナが担当して作ったものらしい。チョコレートソースが輝いていて、金箔がのっているから高級感が増している。
「どれも食べるのがもったいないくらい、綺麗で美しいですね。流石ケイナです!」
「へっへへーん。そうだろう?でも食べてくれなきゃ悲しいから、食べてくれよな!」
「もちろん今からいただきますよ!?」
 食べないという選択肢は私の中に元から存在していない。安心してほしい。
「それじゃあ、いただきます」
「おう。召し上がれ!」
 パクッと一口食べると、口の中に美味しさが広がる。
 目をキラッと輝かせ、どんどん口に運んでいく。
 これは、これは。止まらない美味しさだ。言葉に表現できない。
 そうしていると、ヴェリティとクラリティちゃんが箏を演奏し始めた。
(ここは天国だ・・・・・・)
 ────ここに、ノヴァさんがいれば完璧なのに。
 先程の夢と異様なほどのノヴァさんに対する執着心?というか気持ちからすると、ノヴァさんの前世が彼だったりするのだろう。
 考えづらいが、こうすると辻褄が合う。
 なんとなく彼と似ているところもあるし、話しかけたときに言った言葉が、声をかけたときと同じような言葉だった。
 神様はちゃんとあの時約束したことを叶えてくれたのだろうか。
(まぁ、会えただけでも嬉しいかな。ノヴァさんは覚えていないかもしれないし、しょうがない。別にいいか)
 もそもそとご飯を食べ進めながら考えるが、あまり味を感じない。考え事をしながら食べるのがよくないのだろうか。
 少し悲しくなりながら三匹と喋っていると、ドアの方からノック音が聞こえた。
「だっ、誰だ!?ここはお客様がいらっしゃるお部屋だぞ。無断で入ってくるな!」
「そうよ!底にいるのはわかっているわ。出てらっしゃい!」
 ケイナとヴェリティがドアの向こうにいる人物か猫に威嚇をする。
 クラリティちゃんは私の目の前に立っている。そこまでしなくても良いのだろうか、と思っているとヴェリティは見透かされたようにそれに対する回答を話してきた。
「結構前なんだけど、従業員かと思って部屋に入れた人がお客様を襲ってきたことがあったの。酒に酔っていたんでしょうね」
「そんなことが・・・・・・」
「えぇ。それ以来部屋に全員揃っているとき、特に連絡が入っていないときはこうして警戒するようにしているの」
「なるほど。そんな事があってはこんな風になるのは当然かもですね」
(・・・・・・ん?全員揃っている時?)
 この部屋には明らかに一匹足りない。なのに、なんでこの対応をしなければならないのだろうか。
 もしかして、すでに仲間外れしているのかもしれない。というか、もう私の担当から外されたということなのだろうか。
 そうだとしたら、困る。
「待ってくださいみなさん!外にいるのはノヴァさんなのでは?」
「『・・・・・・え?ノヴァ(さん)?』」
 気づいてなかっただけなのか・・・・・・。
 ケイナさんが走って行き、急いでドアを開けると、案の定ノヴァさんがいた。
「ノヴァ!ごめんな。俺たちお前が不審者かと思って、警戒態勢取っちゃったぜ・・・・・・」
「ごめんね、ノヴァ。めっちゃ威嚇してたわ」
「私もぉ!ドアスコープから見ればよかったねぇ・・・・・・」
 三匹とも反省しているのか、ノヴァさんの前で体を丸めて小さくしている。
(べ、別に?そんな皆さんの様子が可愛いなんて思ってないですけど?)
 私もなんか気まずくて目を逸らしていると、驚きの発言をノヴァさんがしたことによって、一気に空気が変わった。
「夢穂。前世の約束通り会いに来てくれたんだな?先程の対応はすまなかったな。思い出せなかったなんて、婚約者失格だな・・・・・・。こんな俺だが、結婚しよう」
「『・・・・・・は?』」
「え、ノヴァさん。前世のこと覚えてくれていたのは嬉しいですけど、婚約者?そこまでは約束してないですよね・・・・・・?」
 確か約束では・・・・・・。
 ────僕は生まれ変わって、また君に会うと約束しよう。人間じゃなくたってね。犬でも、猫でも。君に話しかけられるまでずっと待ってる。ずっと探してる。もし、夢穂が僕に会いに来てくれたなら、僕たちはずっと一緒にいよう。
(・・・・・・婚約者の『こ』の字も言ってないじゃぁーん!)
 どこでどう勘違いしたのかわからないけれど、とりあえずこの誤解を解かなければ。
 だって、完全に部外者になってしまった三匹がマジのスペース猫状態になってしまったのだ。こっちの対応も困る。
「あのぉ、ノヴァさん?結婚するとか、婚約者になるとか、一言も言ってないですよね・・・・・・?」
「言ったじゃないか。『ずっと一緒にいる』と。ということは、結婚に繋がるだろう?」
「まったく繋がりません!とりあえず、お外でお話しましょう?ヴェリティたちには状況を理解する時間が必要なので!」
 ノヴァさんの背中を押しながら、旅館の庭園に向かうのだった。

──────旅館の庭園は、息を呑むほど絶景だった。
 松の木や紅葉、桜に苔。まさに和風といった光景だ。四季折々に見た目が変わるのだろう。
 それに、空には一面の星。何度も言うことになってしまったが、本当に綺麗なのだ。
 ベンチの上に座る私の隣には、同じく夜空を見上げているノヴァさんがいる。
 そういえばまともに見たのは初めてだ。
 ノヴァさんの容姿はとにかく『美男子』という言葉が似合うだろう。
 スラッとした体格に、墨のような真っ黒な毛。耳の内側は白くて、正直言って耳だけは犬みたいだ。そして瞳は向日葵色で、本物のヒマワリみたいな色だ。
 その瞳で見られると、吸い込まれてしまいそう。
(いやいや!今は関係ないな。とにかくノヴァさんと話し合わないと!)
 とりあえず、猫と人間は結婚できないということを話さなければならないだろう。
「あぁー・・・・・・。ノヴァさん?」
「呼び捨てで良いぞ」
「・・・・・・ノヴァ。大変言いにくいのですがね、猫と人は結婚できないんですよ」
「・・・・・・は?」
 目を見開いて固まってしまった。知らなかったのだろうか。
(いや、別に当然のことだな。今までこの旅館で働くのに必要な知識しかいらなかっただろうから)
 圧倒的に社会で生きていくのに知識が足りない。よく働けたな。
 社会人目線で言ってしまったが、猫だから仕方ない部分はある。厳しすぎたわ。
「じゃあさ。俺が総理大臣?とやらになって法律を変えれば良いのでは?」
「そもそも選挙権も被選挙権もないよ・・・・・・」
 だめだ。話が通じない。なんとか私と結婚しようとしてくる。
 これは頑張って説得しなければ。
「結婚したところで何をするのさ」
「ずっと一緒にいるんだよ。俺だってここで働いた分のお金はあるし、家事は全部任せてくれ。夢穂は俺に何でも頼れば良い」
「そこまでおもむろにアピールされたの初めてなんですけど・・・・・・」
 なんか精神的に疲れる。人の話を聞かない人、猫と話すのは初めてだから慣れない。こういう人と話せる人はすごい。
 というか、一緒にいたいだけなら・・・・・・。
「一緒に住む?私がノヴァの飼い主になってさ」
「・・・・・・そしたら一緒にいられるか?」
「もちろん!最近保護猫を飼おうとしててさ。猫グッズは揃ってるし、足りないものは帰る途中で買えばいいし。すぐに家に来れるよ」
 そう。仕事が落ち着き始めたら保護猫を飼おうとしていたのだ。だからケージやキャットタワーに首輪、器など食べ物以外は全部揃っている。
 ちょくちょく買っていた甲斐があった。まさかこんなときに役立つとは。
 一応言っておくが、特にどの子を預かるかとかまったく検討していなかったので急遽やめても問題ない。
 つまり、ノヴァを迎える準備はできている。
 結婚はできないが、ペットという意味で家族になることはできる。
(これでも納得してくれなかったらもう手段がない。頼む、了承してくれぇ)
「いいぞ、それで。しょうがない」
「ほ、本当?飼い猫になってくれる?」
「夢穂といれるなら、どんな形だって良いってことに気がついたからな」
「やったー!」
 説得できた達成感もあるが、ノヴァと、新太との約束を果たせることを嬉しく思う。ノヴァといられるということはもちろん嬉しいのだが。
 だが、新たな問題が浮上する。
「あれ?旅館の従業員の猫さんをもらっても良いのかな?貴重な働く猫さんだろうし」
「大丈夫だと思うぞ。今までに何十匹も貰われる猫を見てきたし。それに、そこまで働く猫が貴重ってわけではないぞ。保護猫とか野良猫を訓練させてるし。もちろん、その子の意思でな」
 そうなんだ。喋れるようにしたり、特定の技術を覚えさせたりするのかな。いや、その前に二本足で立てるようにしなければいけないのでは?
 色々やることが多そうだな.。そんな訓練をこなして、今働いてるということなのか。
 すごい猫さんたちだったのか。尊敬する。
「まぁとにかく、照さんに相談しなきゃだな」
「そうですね。じゃあ部屋に戻りましょうか」
「スペースキャット状態から抜け出せているといいけどな」
 あははと二人・・・・・・。一人と一匹で笑いながら部屋に戻った。
 光る星が私たちを見ていたかもしれない。
 三匹が仲良くなった私たちを見て、いろいろ尋問されたのは言うまでもないだろう。

──────思えばあっという間の二日間だった。
 昨日は本当にいろいろなことがあって、現実とは思えないくらいだ。
 今日の朝食も美味しかったし、お腹いっぱいだ。
 朝から露天風呂に入ってリラックスもした。お肌がこころなしかツルツルになっている。
 癒し担当の二人を吸ったり、肉球も揉ませてもらった。
 昨晩は四匹で同じ布団に入って寝た。
(本当に最高だった。あーあ、働きたくないなぁ・・・・・・)
 でも、働かないとお金が入らない。休みはちゃんといれるけど、今まで以上に気合を入れなければならない。
 なぜなら────
「ノヴァ。さみしくなりまずが、幸せになってくださいね」
「連絡入れろよ!」
「ばいばーい!」
「はい。またいつか会いに来ます」
 そう。ノヴァといっしょに暮らすことになったのだ。
 あのあとすぐに照さんに会いに行き、ノヴァを飼うことについて話し合った。
 元々譲渡も目的として猫たちを働かせていたので、歓迎とのことだった。
 そして、ノヴァを飼うことで一つだけ条件が出た。
『ただ一つ条件があります』
『・・・・・・なんでしょうか』
『ノヴァの命が尽きるその時まで、ずっと面倒を見ることを約束してください』
 当たり前だろう。ノヴァの前世から、私が小さい時からずっと一緒にいたのだ。
『手放したりなんて、するものですか』
 やっぱり私は執着しているのかもしれない。
(もう彼氏なんて作る暇ないわ!別にこっちのほうが幸せだし、一生独身でもいいかな)
 少し涙目になりながら、私と一匹は旅館を出た。
「二日間ありがとうございました!」
「はい。またのお越しを、お待ちしております」
 これから先も、来世もずっとノヴァと、新太といっしょにいよう。