私が生きてきた世界は、汚れきり、疫病が蔓延する場所だった。第四次世界大戦時に使用された核兵器と細菌兵器、そして急速な科学技術の発展が世界からその美しさと未来を奪ってしまった。温暖化も急激に加速し、海に浮かぶ小さな島々が既に飲み込まれつつあり、日本が水底に沈む日もそう遠くはなかった。
 私が所属していた研究所のある東京の風景は戦時中の影響が色濃く残る灰色に包まれていた。放射能に冒された大地。何度も爆撃を受け、崩れた建物。水は毒々しい色に濁り、有害物質で汚染された空気は人々の肺を蝕んだ。敵国の飛行機によって散布された細菌が引き起こしたパンデミックに人々は悩まされていた。
 ある者は肺を患って死に、ある者は蔓延した疫病によって命を落とした。こうして人類はその数を大きく減らしていった。
 わずかに生き残った人々は戦時中に作られた防空シェルターへと潜り、遠からず訪れる世界の終わりに怯えながら日々の生活を営んでいた。これは日本に限ったことではなく、世界中が似たりよったりの状態だった。
 人類が生き延びるためには地球を捨て、他の惑星へと移住するほかなかった。私たちは宇宙へと無人探査機を飛ばし、人間が住める環境の惑星を探した。
 私たちがようやく見つけた惑星は、何億光年も先のいくつも銀河を越えた先の遠い宇宙の果てにあった。
 その惑星へ移住し、人類の未来を繋ぐために、コールドスリープやワープの技術の研究――《方舟計画》は始まった。かの地――惑星オフィールは遠く、長い長い宇宙の旅にはそういった技術が不可欠だった。
 私たちの研究の進捗は芳しくなかった。世界中から科学者が集まり、協力を惜しまずに、人類の未来のために研究を続けていたが、思うような結果を得られないままいた。
 あれは西暦二三一六年三月十八日のことだった。大気の汚染の度合いを示す数値が、人間が生きることができる限界の数値を超えた。私たちの研究はまだ途中にあり、間に合わなかったのだと私は己の無力さを痛感した。
 所長は実験という体裁で、研究途中の技術を使って私たち七人の若手研究者を被検体として宇宙へ送ることを決めた。私たちは研究所にあった七台のコールドスリープマシンの試験機の中で眠りについた。

 次に目覚めたときには、私たちの乗った宇宙船は青い景色の中にいた。惑星オフィールに着いたのかと思い、宇宙船の座標を確認すると、そこは惑星オフィールではなかった。そこは私たちの時代から何百万年も経った地球だった。私たちは愕然とした。
 目覚めた私たちはもう一つ、ある事実を知った。所長は開発用のコールドスリープマシンに自分の娘を入れ、密かに私たちと共にあの時代の地球から送り出していたのだ。
 私たちは彼女をコールドスリープマシンの中で眠らせ続けることに決めた。まだ十二歳の彼女に自分の置かれた状況を受け入れろというのはあまりに酷だと思った。大恩ある所長の娘である彼女には、せめてこんなどうなるかわからない過酷な状況下ではなく、穏やかに生きていけるその時が訪れるまで、幸せな夢を見ていてほしかった。それに私たちもきちんと現状を把握し、これからの方針を決めるための時間が欲しかった。
 私たちは宇宙船に残っていたログと資料を調査した。その結果、私たちの作っていたワープ装置には重大なバグがあったことが判明した。
 惑星オフィールへ改めて向かうにはかの地はあまりにも遠すぎる。何もかもがなくなり、空と海だけになってしまったこの惑星に、私たちは大昔の美しかった世界を再び築くことを決めた。
 私たちはかつて、高い山があったような比較的水深の浅い場所を選んで、七つの人工島を作った。そして、手元に残っていた昔の地球の生物データをもとに、私たちは人工生命体を生み出した。そうして、世界には動物や生き物が増えていった。
 世界が少しずつ生命の美しさで色づき始めたころ、私たちは自分たちの持つ科学技術を捨てることに決めた。かつて私たちを破滅に追いやったこの力は、新しいこの世界には必要のないものだと私たちは考えた。
 この先の未来、この世界はどうなっていくのだろうか。今度は滅びの道を歩むことなく、いつまでも美しいままその営みが続いていってほしいと思っている。
 そして、いつか、彼女がこの美しい世界で幸せに生きられる日々が訪れてくれることを私は願っている。