私は交差点の真ん中に立っていた。
『美久……』
道路に横たわる美久を見下ろす。虚な黒い瞳が私を見ている。
かすかにその口が動く。
どうしてーー
『どうして、灯里がそこに立ってるの』
白く細い手が伸びて私の足を掴んだ。
ぞっとするほど冷たい手だった。
『ーーごめんね、美久』
私は首を振りながら、何度も、ごめんね、を繰り返した。
はっと目を覚まして時計を見る。
十一時。宿題を終わらせてから、いつの間にか眠っていたようだ。
エアコンのタイマーが切れていたおかげで、背中にじっとりと汗をかいている。
目が覚める直前の、暗闇に引きずり込まれるような恐怖がくっきりと刻むように頭に残っている。
暑いのにもかかわらず、ぞわっと体が粟立った。
事故の日から、こういう夢ばかり見るようになった。
楽しい夢を見ていても、最後には決まって悪魔になる。
ーーまるで私が、美久を恐れているみたいに。
そんなこと、あるはずがないのに。
寝ても覚めても、何かに取り憑かれたみたいにずっと体が重いのは、たぶんそのせいだ。
七月後半。学校は夏休みになった。
夏休みだからといって、これといって予定もなく。私はだらだらと時間を持て余していた。
学校があるときは毎日気を張っていたから、一気に空気が抜けたみたいだった。
いつもなら、夏休みは暇さえあれば本を読み漁っているはずだった。
予定がなくたって、本さえあれば、休みがどれだけあっても足りないくらい満喫できたのに……
あの日以来、私はまったく本が読めなくなってしまった。
バッグの中には、読みかけの文庫本が入ったままだ。
『六月の世界』
水色の表紙をめくって、しおりのページから読もうとする。
だけど、読もうとすると、気分が悪くなってすぐに閉じてしまう。
教科書は読めるのに、どういうわけか大好きな小説は読めないのだ。
何度試してもダメだった。
たぶん、好きなことをしているのに、罪悪感があるからだと思う。
美久を一人で置きざりにするような気がして。
それなら私も、六月のままでいよう。そう思ったのだ。
夏休みの初日に、美久のお母さんから電話があった。
『夏休みだし、どこかお出かけとかするでしょう。いつもお世話になってるから、灯里ちゃんはゆっくりしてね』
ゆっくりして、と言われても、やっぱり落ち着かなかった。
美久、困ってないかな。また不安になって飛び出したりしてないかな。
そんなことを考えていたら、いつもなら三日で終わる夏休みの宿題が、今年は五日もかかってしまった。
宿題を片付けて着替えると、もうやることがなくなってしまった。
明良は朝から遊びに行っているし、親は夕方まで仕事だ。
やることがないとなんとなく落ち着かない。
「お腹すいた……」
家には誰もいないし、冷蔵庫の中身には調味料が並んでいるくるいで、ほとんど空だった。
コンビニでお弁当でも買ってこようかな、と立ち上がった。
玄関を開けて、すぐ目の前が大地の家だ。
一階が大地の両親がやっている喫茶店で、二階に住んでいる。
レトロなレンガ造りの壁に飴色の窓ガラスが、昔ながらの喫茶店の雰囲気を醸し出している。
前はここにしょっちゅう来ていたな、とガラス越しにうっすらと透けて見える店の中を眺めて、懐かしくなった。
小学校の頃はよく学校帰りに寄って、アイスクリームをもらって食べてたっけ。
夏休みはランチまでごちそうしてもらった。ここのトマトたっぷりのパスタが、私は大好きだったのだ。
私が行くと、おじさんは決まって、お金はいらないと言う。
中学になると、さすがに図々しい気がして、なんとなく行きづらくなってしまった。
光が反射して、中が見えづらい。けれど、カウンターに人がいるのが見えた。
あーー大地。
いつも人使いが荒いとか文句言ってるわりに、ちゃんと店番してるじゃん。
思わずくすりと笑う。
そのとき、ばっちりと目が合ってしまった。
ドキリ、と胸が鳴った。
まずい。
いや、何がまずいのかわからないけど。
あわてているうちに大地がカウンターから出てきて、扉を開けた。カランカランと鐘が鳴る。
「覗き見してんなら入ってこいよな。暇なんだから」
「暇なんだ」
「見ての通りな。この暑さじゃ人も出てこねえよ」
「それ、大丈夫なの……?」
「大丈夫大丈夫。うちは朝と夕方でもってるようなもんだから」
シックな色合いの店の制服を着ている大地は、いつもよりちょっと大人びて見える。
「ま、そういうわけだからさ、なんか食べてけよ。トマトソースのパスタ、好きだっただろ」
「う、うん。じゃあ、いただきます」
覚えてくれてるんだ。
何気ない一言に嬉しくなる。
「了解」
大地はそう言うと、奥のキッチンへと姿を消した。
おいしそうなトマトのにおいがふわりと漂ってくる。
しばらくして、大地がお皿を手に戻ってきた。
「おまたせ」
底が深くなっているお皿に、トマトソースがたっぷりとかかったパスタが盛られている。
湯気がたつほど熱々だ。
「いただきます」
手を合わせてフォークにパスタを巻いた。
「おいしい……」
ほう、とため息をつきたくなるほどだった。
濃厚なトマトの風味に、さっぱりとしたバジル。
これこれ、と食べながら懐かしくなった。子供でも食べられるようにと、少し甘めの味つけなのも変わらない。
「いい食べっぷりだなー」
大地がニヤニヤしながら言う。
「……だって、お腹空いてたから」
私は少し恥ずかしくなって言った。
「そういえば、大地の料理食べるの初めてかも」
前はおじさんがいつも作ってくれていたから。
そのおじさんが去年、ぎっくり腰で一時期動けなくなってしまったのだ。
大地がよく手伝いに入るようになったのは、それからだった。
いまはおじさんも復帰して、元気にお店に立っているようだった。
「ああ、前は作らせてもらえなかったからな。ああ見えて頑固なとこあるから。最近、やっとオッケー出たんだ」
と照れくさそうに言う。
「俺、おいしそうに食べてる人見るの、けっこう好きみたいでさ。自分で作るようになって、楽しくなってきたんだ」
「へえ……」
意外だった。
この前まで、めんどくさいとか人使いカ゚荒いとか、愚痴ばかり言っていたのに。
あれ、とふいに思った。
ーー大地って、こんなに大人っぽかったっけ。
最近、二人で話すことがあまりなかったから、気づかなかった。
私の知らない間に、大地がどんどん離れていくような気がした。
幼なじみというだけで、勝手に同じ場所にいたつもりでいた。でも本当は、私よりずっと先のほうを歩いているのかもしれない。
お皿はあっという間に空になった。
冷たいレモンティーをストローで少しずつすする。
ーーもう少し、ここにいたいな。
大地のお父さんが休憩から戻ってくるまで。
お客さんが入ってくるまで。
もう少しだけ、こうしていたい。
そのとき、ふと壁に貼ってあるポスターが目に留まった。
今週の土曜日にある、花火大会のポスターだった。
そういえば、去年はーー
「そういや、去年は花火大会行けなかったんだっけ」
大地が私が考えているのと同じことを言ったから、一瞬、心の声が漏れてしまったのかと思った。
中学までは、毎年、大地と、まだ小さかった晃良と三人で行っていた。
去年は花火大会の前日におじさんがぎっくり腰で動けなくなった。
今年は、どうするんだろう。晃良は友達と行くって言ってたし、もう行かないかもしれない。
そう思っていたときーー
「今年はどうする?」
と大地が言った。
「晃良は友達と行くって言ってたけど……」
「そっかあ。なら、俺らだけで行くか」
えっ、と思わず声が上ずった。
嘘みたいだった。
大地と二人で花火大会なんて。
そんな、デートみたいなこと。
内心は、胸がうるさいくらいドキドキ鳴っていた。
美久も誘ったほうがいいかな。
一瞬、そう思った。
でも……
深い意味はなかったとしても、ただ毎年行っているから今年も、という軽いノリだったとしても。
大地と二人で行きたかった。
「うん、行こう。花火」
ーーたまにはいいよね?
ほんの少し、チクリと後ろめたさを感じたけれど、気づかないふりをした。
✣
夏休みでも学校はある。
自由参加の夏期講習なので生徒は普段の半分くらいだ。
ほどよく冷房が効いた教室で、午前中だけの気だるい時間がはじまる。
でも今日は、一限目の授業がはじまる前からいつもより教室の空気がそわそわしていた。
「今日港まつり行くー?」
「行く行くー」
「あたしバイト代で浴衣買っちゃった」
「デートだもんねーいいなぁー」
みんな行くんだ、と思うと、余計に緊張してくる。
店番を口実に補習を受けていない大地は来ていないから、とりあえず学校で顔を合わせる心配はないけれど。
何着ていこう。服何があったっけ……。
好きな人と行く女の子は、みんな同じ気持ちなんだろうか。
楽しみと不安が混ざり合って、こうなふうにぐるぐるしながら、早く来てほしいような来てほしくないような、悶々とした時間を過ごすんだろうか。
中学のときまで毎年行っていたけれど、晃良がいたおかげでそんなに緊張はしなかった。
でも、今年は二人なんだ……。
「灯里は行くの?」
前の席の梨奈が振り返って尋ねた。
長いポニーテールが今日も決まっている。
「行くよ」
「美久と?」
「ううん」
美久は補習はとっていない。
今日は連絡をしていなかった。
「あっ、もしかして鈴村と?」
うん、まあ、と答えると、梨奈が途端にニヤニヤしだした。
「ふぅーん。灯里がデートかあ」
「いやいや、幼馴染だし、前は毎年行ってたし。そういう感じじゃないって」
「照れんなって。灯里が鈴村ラブなことくらいわかってるから」
「……うそ」
驚いて、つい否定するのも忘れていた。
「むしろいまさら? 本人と美久以外はみんな気づいてるって」
みんな気づいてたんだ……。
温かい目で見られて、穴があったら入りたい気分だった。
「でも鈴村は美久一筋って感じだもんねえー。男はバカだからなあ。たしかに美久は可愛いけど、あたしなら灯里を選ぶな。なんでもやってくれそうだし」
「それ褒めてる?」
「てか、ふたりでお祭りなんて、告るチャンスじゃん。頑張ろうよ」
「告白とか、そんなつもりないよ」
私は苦笑をこぼす。
ーーそんなこと、できない。できるわけない。
気持ちを伝えたら、私たちの関係はこれまでとは違うものになってしまう。
結果はわかりきっているけれど、伝える前と同じに戻ることは、きっとできないから。
だけど、変わることも、思い出を作ることも、美久はできないんだ。
それが罪悪感の正体だった。
私だけ変わることなんて、できないよ。
はあ、と梨奈は机に手をついて、ため息を吐く。
「なんだかなあー」
「な、なに?」
「灯里はさ、なんでも自分でやっちゃうわりに、自分たな自信なさすぎ。結果なんて誰にもわかんないんだからさ、当たって砕けろだよ」
「砕ける前提なんだね」
「えっ、いやまあ、それはねえ……?」
急にしどろもどろになる梨奈に、私はぷっと笑った。
こんなに普通に恋の話をするのは、久しぶりだった。
きっと、なんでもない、普通のことなんだろうけど。
美久は男子が苦手だから、自然とそういう話題を避けるようになっていた。
私、自分でも気づかないくらい、いつの間にか美久中心の生活になっていたんだ。
✣
お祭りの日は、朝からずっとそわそわしていた。
白いTシャツに黒のハーフパンツ。
補習から帰ってきてから散々悩んだ結果、いつも通りのシンプルな服装に落ち着いた。
ドアを開けると、ちょうど隣の部屋から出てきた明良と鉢合わせた。
やけに気合いの入った服装にバッチリ髪型をセットしている。
「姉ちゃんも行くの? 花火大会」
「うん。大地と」
そう言うと、明良の目が意外そうに開いて、しまった、と後悔する。
「まじ? 付き合うことになったとか?」
「何いってんの、なってないよ」
「なんだ違うのかあ」
あからさまにがっかりした顔をする明良。
まったく、失礼な弟だ。
「でも姉ちゃん、好きだろ大地くんのこと。あ、むこうにも選ぶ権利あるか」
言葉を詰まらせていると肩を叩かれて、
「ま、がんばれよ。俺は姉ちゃんを応援するよ」
「…………」
反抗期を通り越して急に悟ったようなことを言い出だした弟に応援されて、私は深々とため息を吐く。
弟にまでバレてた……。
私、そんなにわかりやすいのかな。
いちばん気づいてほしい本人は、これっぽっちも気づいてくれないのに。
外に出て大地を探したけれど、どこにも姿は見えなかった。
五時に店の前で待ち合わせ、ということになっていたはずだったけれど……。
「悪い! 携帯がなくてさ。一緒に探してくんない?」
と大地が窓から顔をだした。
「しょうがないなあ」
と階段をのぼって、二階にある大地の部屋に入る。
「相変わらず散らかってるなあ……って、あるじゃん」
山積みになった漫画に埋もれて携帯が顔を出していたので抜き取る。
「おお、さすが灯里! ありがと!」
「普通に目の前にあったけど。探すの下手すぎじゃない?」
あれこれやっていたら三十分以上経っていて、家を出る頃には空はピンクがかったグラデーションの夕焼けに染まっていた。
大地は黒いTシャツにカーキ色のパンツを履いていた。茶色の柔らかい猫毛が風にふわふわと揺れる。
「そういや、みんな行くって言ってたな。誰か会うかもなあ」
「みんなと一緒に行かなくてよかったの?」
「いいよべつに。灯里と約束してたし」
当たり前のように言われて、ドキリと胸が弾んだ。
ほかの人より私と行くことを選んでくれた。
それだけで、胸がいっぱいになるほど嬉しくなってしまう。
満員のバスと電車に揺られて駅に着くと、外に出た途端にお祭りの賑やかな雰囲気が押し寄せてきた。
八月の終わりにある花火大会は、この町でいちばん大きなイベントのひとつ。
毎年あふれんばかりの人が詰め寄せる。
たこ焼きやかき氷の出店が道路の両脇にずらりと連なって、薄闇に灯るイルミネーションみたいに見えた。
「はぐれんなよ、灯里」
大地ににやりとしながら言った。
「そっちこそ、見つけれなかったら先帰るからね」
「はいはい」
満員電車と変わらないくらいの人混みの中を縫うようにして歩いた。
気を抜いたらいつはぐれてもおかしくない混み具合だ。
けれど、手を繋ぎたい、なんて恥ずかしすぎる台詞は絶対に言えそうになかった。
「あ、ベビーカステラ」
大地が毎年買っていたお気に入りのベビーカステラの出店をさっそく発見して、すぐに買って戻ってきた。
はい、と大地がひとつをとりだして渡してくれる。
「ありがと」
できたてのベビーカステラは熱くて、柔らかくてほんのりはちみつの味がして、おいしかった。
こんな人混みでそうそう知り合いには会わないだろうと思っていたのに、
「あっ、灯里!」
呼び止められて、ギクリとする。
さっそく会ってしまった。できれば避けたかった人物に。
「梨奈」
梨奈は眼鏡の男の人と手を繋いで歩いていた。
赤と白の格子柄の浴衣に、いつもはひとつに結んでいる髪をアップにしてぐっと大人っぽく見える。
大学生の彼氏がいる、とは聞いていたけれど、梨奈の話から想像していたよりずっと落ち着いていて優しそうな人だ。
「梨奈、浴衣似合うね。かわいい」
「えへ、ありがとう」
梨奈は照れたように近づいてきて、とそっと耳打ちした。
「灯里もがんばってねー」
だから違うってと言い返す前に、じゃあまた学校でね、と梨奈は手を振りながら行ってしまった。
いいなあ、と思った。
楽しそうだな。
浴衣を着て、手を繋いで、好きな人の隣にいて。
好きな人の隣にいる梨奈は、いつもの何倍も見えた。
大地のところに戻ろうとして、足を止めた。
「……大地?」
人混みで姿が見えない。
どこに行ったんだろう。
ついさっきまで隣を歩いていたのに。
あっという間に人混みに飲まれて、姿が見えなくなってしまった。
携帯電話を取り出してかけようとしたとき、ふっと画面が黒くなった。
「うそ……」
そういえば、来る前に充電をするのを忘れていた。
浮かれて、見た目ばかり気にして、そんな大事なことを忘れるなんて。
『はぐれたら先帰るからね』
自分でそう言ったことを後悔する。
ーーどうしよう。
見つけられなかったら。
先に帰ってしまったら。
どん、と後ろから勢いよく押されて転びそうになる。
立ち止まっていたら邪魔になってしまう。
でも、移動したらもっとわからなくなるし……。
真っ暗な携帯電話の画面を見つめながら、浮かれていた気持ちに穴が開いたように一気に萎んでいった。
浮かれていたから、こういうことになるんだ。
最初から期待なんてしてなかった。
それなのに、馬鹿みたいに浮かれてしまった。
人混みに酔ったのかもしれない。
足元がふらつき蹲りかけたとき、
「灯里?」
後ろから名前を呼ばれた。
「えっ」
振り返って、目を見開いた。
美久が「やっほー」と手をあげて言う。
「灯里も来てたんだ」
「あっ、うん。美久も……」
悪いことをしているわけじゃないのに、大地と来たことをつい隠そうとしてしまう。
言ったっていいのに。
「わたしは家族で来たんだ」
美久が言った。
美久は薄いピンクに白い花柄の浴衣を着ていた。光沢のある白い帯が夜に映える。
「浴衣、かわいいね。自分で着付けしたの?」
こんな姿見たら、大地がもっと好きになっちゃうだろうな。
「……わからない」
と美久は言った。
知らない場所で迷子になったような不安げな表情にはっとする。
ここにいるのにいないようなーー
前に遊園地の前で見つけたときと同じ顔だった。
「さっきまで学校にいたはずなのに、気づいたらここにいたの」
「美久……」
美久は手に小さな巾着を下げていた。ノートは入らないサイズだ。
ねえ、と美久が私を見る。
「わたし、なんでここにいるのかな」
小さな声、不安で押しつぶされそうな表情。
そのまま雑踏の中に消えてしまいそうだった。
私は何を言えばいいのかわからなくなる。
なんてね、と美久はすぐに笑顔に戻って、笑った。
「夢でも見てたのかな。ダメだなあ、しっかりしなきゃね」
美久と別れて、私はぼうっと人混みを眺めていた。
人の流れが、ぼんやりとしたよくわからない塊に見える。
カラフルな色合いと光が混ざり合って形をなくしていく。
そのとき、人混みの向こうで、悲鳴が上がった。
人だかりができる。
『灯里っ!』
美久の声、耳をつんざくようなブレーキ音。
人の声、救急車の音。
私は凍りついたようにその場に立ち尽くす。
一歩も動けなくなってしまう。
そのとき、パシッと手をつかまれた。
「灯里!」
はっと顔を上げると、大地がいた。
「やっと見つけた。携帯、充電しとけよなー」
「ごめん……」
「て、それより、さっきそこで人が倒れてて、なんだろうって覗いたらーー森下さんだった」
「えっ」
「森下さんが、倒れてたんだ……」
さっきの嫌な予感は、気のせいじゃなかったんだ。
それからすぐ、救急車のサイレンの音が聞こえた。
駆けつけたかったけれど、人が多すぎて、美久の姿は見えなかった。
「大丈夫かな、森下さん」
大地が心配そうにつぶやく。
「どうしたんだろうね……」
さっきも様子が少し変だった。
急にいなくなったときみたいに。
すぐにでも美久のお母さんに連絡したかったけれど、携帯の充電がないので状況がわからず、余計に不安になる。
そのとき。
ドォン、と港で花火があがった。
人々が足を止めて一斉に見上げる。
「心配だけど、とりあえず、いまはこっち見るか」
大地が花火を見て言った。
ーーこんな状況なのに。ドキドキしてしまう。
急に伸びた背、ぐっと大人びた横顔。
中学のときより、1年前より、もっと意識している。
忘れようと思っていた。
美久のそばにいようと思った。
自分の気持ちなんて、捨ててしまおう。
そう決めたはずだった。
でも、どんなに必死に消そうとしても、この気持ちだけは、消せなかった。
伝わらなくても、いいんだ。
ーー好きだよ。
心の中だけで告げる。
抑えた気持ちが、一瞬であふれそうになる。
ドン、と一際大きな音がして、夜空に大きな金色の花が咲いた。
おおっ、と歓声と拍手があがった。
『どうしてここにいるのか、わからないの』
不安に押しつぶされそうな美久の顔が浮かぶ。
花火が緩やかに散って、光の粒になって空に降り注ぐ。
泣きたくなるくらいきれいだった。

