「あーあ。行っちゃった」

 わたしは窓際の壁にもたれて、ぽつりとつぶやいた。

 いつもポケットに入れている腕時計を取り出して、目線の上にかかげる。

 鎖の部分が揺れてシャラリと小さく音を鳴らす。

「この時計、おそろいだったのにな」

 時計は時間の象徴だ。

 大切な人に時計をプレゼントする意味は、三つある。

 一つ目は、

『同じ時間を共有したい』

 二つ目は、

『あなたの時間を拘束したい』

 わたしの時間が、灯里の腕を包み込む。

 決して強すぎることはない、だけど簡単にははずれない鎖で、締めつける。

 そう思うと、いつでもそばにいられるような気がしたんだ。

 二時間ごとに切り替わる記憶。

 時間が経てばすべて忘れてしまう。


 そうーーそういう設定だった。

 最初から嘘だったわけじゃない。

 最初は二時間だった。

 日が経つごとにだんだんと感覚が伸びていくのに気づいていた。

 でも、言わなかった。

 嘘をついていれば、大切な人がそばにいてくれると思ったから。

 わたしのことだけ考えていてくれたから。

 嘘をつき続けていたら、いつかそれが本当になるんじゃないかとすら思った。

 でも、嘘はどこまでいっても嘘。

 いつまでも通用しないのは、わかっていた。

 実際、檜山先生は最初から気づいていたみたいだし。
 あの記者も気づいていた。

 そういう設定にしておいたほうがおもしろくなるから、記事にはしないでくれたけれど。

 ーーだから、もう少し。

 もう少しだけ、このままで。

 でも、それももう終わってしまった。

 灯里は「変わる」と言った。

 あんな灯里の顔は初めて見た。

 ……もう、この時計、つけてくれないかもしれないなあ。

 言わなければよかったかもしれない。

 無理にでも嘘をつき通せば、ひょっとしたら灯里はわたしのほうを信じてくれたかもしれない。

 いままで通りわたしたちは親友のままでいられたかもしれない。

 だけどね、後悔はしてないんだ。

 いままでずっと言えなかったこと、

 このまま言えないかもしれないと思ってたこと、

 やっと言えたから。

 ーーねえ、灯里。

 前に病院で言ったよね。

『あのとき、なんて言ったの?』

 ぼんやりとした意識の中で、灯里のその声だけがやけにはっきりと聞こえた。

『あのとき……事故のとき、何か私に言おうとしてたよね』

 ああ、あのときはねーー

 もうダメかもしれない、って思ったんだ。
 視界がぼんやりして、人の声も音もみんな遠くて。
 だんだん意識も遠くなって、このまま目覚めないんじゃないかって。

 怖くなった。

 人混みの中に、灯里の姿が見えた。
 ぼんやりとしか見えないのに、なぜか灯里がそこにいるのはわかった。

 ーー灯里。

 わたしは手を伸ばして、力の入らない口を動かした。


『 だ い す き 』


 もう、聞こえないかもしれないけれど。


 時計を贈る、三つ目の意味はーー


「離れてもあなたを思っています」


 わたしはそうつぶやいて、真珠色の文字盤にそっとキスをした。