王国に鐘が響いた。
 朝を告げる鐘の音に、国中の人々が眠りから目を覚ます。
 そして今日という人生に歩みを進める。

 誰もが希望をもって今日を生きる。

 当然それは、彼女もまた同じだった。


 王の寝台で、炎園は激しく腰を振っていた。
 長い夜の交わりを終え、気付けば朝。
 王と炎園は寝台で並び、朝日を見る。

 「今日も良い一日になりますよう、お祈りしておりますわ」

 炎園は王の唇へ迫った。
 キスを交わして、炎園は後宮へ戻る。


 ■■■■


 朝は眩しいほどに太陽が照りつけていたが、日も暮れ、空は暗雲に覆われていた。

 炎園には習慣があった。
 十日に一度、密かに後宮を出て街を練り歩く。

 そのことを多くの妃が知っていたが、報復を恐れて誰も告げずにいた。

 今日もその日。
 炎園が街を徘徊していると、頬に雨粒が落ちる。
 雨が降り始めたが、炎園は傘を持っていなかった。

 後宮まで走ろうとしたところで、

「大丈夫ですか?」

 美しい容姿をした青年が傘を差し出した。
 炎園は彼を一目見て、すぐに心を奪われた。

「あなた、名は?」

「ぼくはサタです。あなたは?」

「私は炎園。傘に入れてくれてありがとう。あなた、優しいのね」

 色目遣いでサタを見る。

「ありがとうございます」

 美青年に、ますます炎園の心は惹かれる。

「もし良ければ、ぼくの家に泊まりますか。実は両親がおらず、寂しい生活を送っていたもので」

「あら、そうなの。じゃあお言葉に甘えて泊まろうかしら」

 一瞬、炎園の頬が赤く染まったのをサタは見逃さなかった。



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 十日後──

 再び炎園は後宮を抜け出すと、偶然にもあの美青年に出会った。
 美青年は偶然出会ったかのように驚き、笑みを交わす。

「まさかまた会うとは。またあなたとお会いできて嬉しいです」

 美青年の優しい微笑みに、炎園も心は完全に奪われていた。

「もし良ければ泊まっていきますか」

「ええ。そうしましょう」

 再び炎園は彼の家へ。

 寝台で二人きり。

「あなたはとても美しい。あなたほど美しい者を私は知らない」

「私もよ。あなたほど美しい青年を私は知らないわ」

 二人は熱く口づけを交わす。
 炎園は強く彼を求めた。

 夜遅くまで彼の家に泊まり、朝になって後宮へ帰る。
 これを十日おきに繰り返していた。

 炎園の行動を怪しむ者もいたが、後宮内で最も発言力のある炎園には誰も逆らえない。



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 数週間後──

「おめでとうございます。炎園様」

 医官の言葉に後宮がざわめいた。
 誰もが王の子だと思い、王が直々に祝福の言葉を述べた。

(やっぱり私があの人の一番だった。これでそのことが証明された)

 炎園は勝ち誇り、お腹に宿った命に愛情を注いだ。

 雪雫の時のようの堕胎することなく、月日は巡る。


 しばらくして、炎園は違和感を感じていた。

 異常にお腹が重い。
 初めての妊娠だったが、歩けないほどに重かった。

「いや、きっとこういうものよね。大丈夫大丈夫」

 だが日に日に違和感は増えていく。
 胎動が強く、毎日激痛に襲われる。
 夜になると、お腹から声が聞こえる。

「……ママ……」

 寝ぼけていた……わけじゃない。
 はっきりとした意識の中で、その声を聞いた。

 日に日に増す違和感に、炎園は恐怖を感じていた。

 今自分がお腹に宿している子は、いったい何だと言うのだろうか。

「……ママ…………ママ…………」

 血の気が引いた。
 だがどうすることもできず、ただ出産の日を待った。

 だが妊娠六ヶ月。
 炎園はあまりの激痛に嗚咽を漏らし、床に倒れたまま起き上がれなくなっていた。
 医官が駆けつけ、容態を確認すると、

「おかしい……と思います。明らかに普通の子じゃない」

 そう医官が告げると、王の表情が歪む。

「そんな……」

 倒れたまま震える炎園に、今までで一番の激痛が駆け巡った。
 皮膚の内側から、刃物が突き抜けるような感覚。
 激しい胎動は、お腹を歪に歪ませる。

「まさかもう出産を……!?」

 医官は驚き、お腹に触れようとした次の瞬間、炎園のお腹は裂け、現れたのは──
 頭部には禍々しい角を生やし、全身には黒い毛皮を纏った、人外のバケモノ。

「なんだ……これは……」

 その場にいた者はしりもちをつき、それを見る。
 バケモノは王を見つけ、襲いかかろうとした。
 寸前で側にいた武官が槍でバケモノの心臓を貫いた。

 バケモノの死体が転がる。
 血は黒く、容姿は人外。

「貴様、まさかバケモノだな」

 王は炎園へ冷たい視線を向ける。

「即刻この者を火あぶりの刑に処せ」

「待ってください。何かの間違いです。これは私の子じゃない。きっとバケモノが私を罠にはめるために……」

 必死に叫んで助けを乞う。
 だが周囲の目を見て、空いた口が塞がらない。

 後宮の妃たちは嗤っていた。
 邪魔者が消えていくことに喜びを感じていた。

 妃たちからも見捨てられ、王は既にこの場を去っていた。

(ああ、せっかくあなたの愛情を勝ち取ったと思ったのに……結局私も数ある妃の一人でしかなかったのですね……)

 お腹が裂けた激痛も忘れ、絶望した。

(嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。あなたのためにこの身を捧げてきたのに、どうしてあなたは──)

 その感情が炎園をバケモノにした。
 頭蓋から角が生え、背中から漆黒の翼が生える。

「や、やはりバケモノだったんだ」

 感情に呼応し、全身の見た目が変化していく。
 誰がどう見ても、その姿はバケモノだった。

「ち、違う。私はバケモノなんかじゃ……」

 否応なしに、槍が彼女を貫いた。
 武官が次々と駆けつけ、次々と串刺しにされる。
 
「何で……。私はいつ……間違えたというんだ……」

 遠くなる意識の中で思い浮かんだのは、雪雫だった。

「お前さえいなければ……」

 最期まで、彼女はバケモノのまま。
 炎に焼かれ、死んでいった。


■■■■


 遠くの森から、その煙を見つめる女性が一人。

「へえ、あなたが望んだ第一王妃の座は、簡単に崩れてしまった。そんなものに執着するなんて、ほんと、哀れね」

 雪雫は嘲笑う。

 傍らには、獣の姿に戻ったサタがいた。

「ママ、復讐は達成したの?」

「大成功だよ。私の赤子を殺したあの女に、同じように赤子を殺される痛みを味あわせた。これ以上の復讐はないでしょ」

 雪雫は笑った。

「でもね、たとえ復讐をしても命が戻るわけじゃない。だから私は復讐を成した後でも、彼女を許すことはない」

 お腹にはもう命はない。

「じゃあどうして復讐をしたの?」

「どうしてって、そんなの決まっているでしょ」

 彼女は今までで一番の笑みを浮かべて答えた。


「最高に、気持ちが良いから」