冷たい雨が、容赦なく彼女の肌を濡らす。
 彼女の肌に触れる雨粒の一つ一つが、復讐の炎に焼かれて蒸発するほど。
 強い復讐心が彼女の中にはあった。

 かつて王宮の誰にも優しく接し、誰からも親しまれていた雪雫の姿はどこにもない。

「もう……戻らない」

 お腹に手を当て、そう呟く。
 かつてそこにあったはずの命は、ある妃の手によって失われた。

 憎くて憎くて仕方がない。
 その激情が、彼女をある森へ足を運ばせた。

 王国の外れにある森。
 誰も近づかないこの場所には、ある噂があった。

 人ならざるバケモノが住まう森。

 いつからかそう噂され、誰も近づかなくなった。

 なぜそこへ足を運んでいるのか。
 彼女自身理解していなかった。

 バケモノに自分を殺してほしかったのか、はたまた──

「ねえ神様、私、何か間違えたのかしら?」

 空に向かって問いかける。
 だがお月様は何も言わない。
 人では届くはずもない遥か遠くの空から、雪雫を見下ろすのみ。

「はぁ。ほんと……こんな世界なんて……」

 ため息が自然とこぼれた。

 その時だった。

 ──ガサッ……。

 木々を揺らし、何かが動いた。
 雪雫は息を呑む。

 現れたのは、全身を真っ黒い羽毛で覆い、獣とも人とも区別がつかない四肢。
 異形の容姿をしたバケモノ。
 雪雫はすぐに引き返そうとしたが──

「……あなた、もしかして…………」

 バケモノの目を見て、恐怖心が抜け落ちた。
 不思議なほど、彼の目には深い哀しみが感じられた。

「あなたも……孤独なの?」

 思わず問いかけた。
 襲いかかられるかもしれない。
 それほどに得たいの知れないバケモノ。

 だが逃げるよりも、知りたいと思った。

「ぼくは……さみしい…………。ずっとひとりで……こんなみため、だから…………」

 バケモノの口から放たれたのは、人の言葉だった。
 か細く、ひどくか弱い声。
 見た目からは想像もつかない、弱々しさ。

 雪雫の恐怖心は完全に消え失せた。

「……あなたも、一人なのね」

 バケモノと出会い、雪雫の中に芽生えていた復讐心が薄れていく。

「ねえあなた、名前は?」

「ぼくは……さた……」

「私は雪雫。よろしくね。サタ」

 雪雫の口元が、わずかに緩んだ。

 それから雪雫はサタに今に至る経緯を伝えた。
 お腹に宿る赤子を殺されたこと、それにより後宮を追放されたこと、復讐を計画していたこと。

「でも、あなたに会って、復讐は別にいいかなって」

 きっと彼が何も言わなければ、きっとそうであったのかもしれない。
 だが──

「ぼく……なら、そのふくしゅう……きょうりょく、できる」

 サタの言葉に、雪雫は思わず目を剥く。

「ぼくは……ずっとだれかと……なかよく、なりたかった。だから、かな……。ぼくは……ひとに、へんしんできる……」

 サタは姿を変えていた。
 見紛うことなき美しい青年の姿。
 その他にも、若い女性の姿から老人の姿まで。

「じかんがたったら……とけちゃうけど……」

 サタはバケモノの容姿に姿を戻した。

 雪雫はしばらく考える。

「ねえサタ、あなたの一番の願いは何?」

「おかあさんが……ほしい。ぼくのおかあさんは……みためのせいで……すぐにころされちゃったから」

「そう……」

 サタの瞳には涙が浮かんでいた。
 それを見て、雪雫は告げる。

「私の復讐に協力して。そしたらあなたのお母さんになってあげる」

「ほんとに!」

 雪雫は頷く。

「ぼく、がんばる」

 雪雫は失われた子の幻想をサタに見ていた。
 だがサタを通して見ていたのは、慈愛ではない。

 これは復讐。

 彼女の復讐を遂げるまでの物語。



 ■■■■



 数日後──

 サタは再び姿を変えていた。
 その姿は誰がどう見ても美しい青年の姿だった。
 炎園が好むであろう、細身で美少年的な雰囲気。
 濡れたような瞳、艶やかな黒髪、整った顔立ち。

「これでいい? ママの言った通りに見た目を変えたよ」

 この数日でサタは流暢な言葉遣いを覚えていた。

 雪雫はサタの頬に触れる。

「ええ、素敵な見た目よ。さすがは私の息子ね」

 サタは笑顔を浮かべる。

「あなたのすべきことは分かっているわよね」

「うん。でも……この姿で、ぼくの子を……?」

「そうよ。孕ませなさい。あなたの身体で、あの女の身も、心も、全て壊すの。私から奪った命の分も、報いさせるために」

 サタは静かに頷いた。

「任せて。ママの仇はぼくがとるから」

「本当に……いい子ね」

 雪雫はサタを抱き寄せた。
 互いの肌が強く密着する。

「ねえサタ、私たち、ただの人間にはできない復讐をするの。私から"母親としての人生"を奪うことがどれほど呪われたことなのか、あの女に教えてあげましょう」

 空を暗雲が覆い始めた。
 月さえも暗雲に飲まれ、光のない世界で、二人は──




 ──復讐を誓い合った。