王宮内に、祝福の声が響いていた。
 後宮の第一王妃、雪雫(ゆきしずく)が王の子を懐妊したのだ。

 雪雫は後宮内で最も美しいと称され、誰にでも優しく、人望のある人物だった。
 王宮内で最も品格があるとされ、多くの者から信頼されている人物だった。

「おめでとうございます。雪雫様」

 女官が彼女の部屋を訪れては、祝いの言葉を述べる。
 雪雫は柔らかく微笑み返した。

「私は幸せ者ですね。大好きなあの方との子を授かれたのですから」

 雪雫は膨らんだ自身の腹に手を添える。
 その姿からは、彼女の品の良さが感じられた。

 だがその影で、嫉妬の刃が強く握りしめられていた。



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 もう一人の妃、炎園(えんえん)は鋭い眼光をある妃に向けていた。
 その妃は今もなお多くの者から祝いの言葉を受けていた。

 穏やかな表情を浮かべる彼女とは裏腹に、炎園は憎悪に満ちた顔をしていた。

 艶やかな唇が強く引き締まる。
 彼女は決して笑顔を見せず、胸の内に熱い炎を宿していた。

「あんたが来てからあの人は私のことをすっかり忘れてしまった。本当にあの人の寵愛を独占すべきあ私のはずなのに」

 炎園は知っていた。
 今のままでは雪雫には勝てない。
 だが万が一、王妃が子を産めなくなれば……


「全部、あなたが悪いのよ」



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 その夜、後宮の一室。
 薄暗い中、息を殺しながら薬を調合していた影があった。

 その部屋には薬草やキノコ、水銀などが置かれていた。

 彼女が作っていたのは、少量ではあるののの、妊婦に投与すればお腹の子が命を落とす。

 王宮内で禁忌とされていた堕胎剤だった。



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 数日後──

「……うっ、……あああああ!!」


 雪雫の部屋から苦悶の声が響く。
 寝台の上で彼女は腹を押さえ、床には血が滴る。

「雪雫様! ち……血が……!?」

 悲鳴を聞きつけて駆け込んだ女官が雪雫を見て騒然とした。
 すぐに女官が医官を呼んだが、その時には既に胎児は息をしていなかった。
 まだ小さくとも、確かに生きていた命。

 だがそれは、一夜にして泡となった。

 王が事態を聞きつけたが、お腹の子が亡くなったことを知ると、途端に冷たい視線を向けた。

「そうか……」

 医官は雪雫がもう子を産めない身体であると王に伝えた。
 それ以来、王の目線が雪雫へ向けられることはなかった。

「待ってください。今度こそあなたとの子を産んでみせます」

 涙で滲んだ瞳に映るのは、何も言わず去っていく王の姿。

 絶望に歪む雪雫を、集まる女官の中から、炎園が笑みを浮かべて見下ろしていた。
 ふと顔を上げた雪雫の目が炎園を捉える。
 炎園は涙で汚れた雪雫の顔を見て、音の出ない拍手をした。

 雪雫は気付いた。

「お前か……」

 お腹の子の命を奪った人物を、雪雫は鋭い眼光で睨みつける。
 だが証拠はないと嘲笑うように、炎園が鼻で嗤う。

 やがて雪雫は王妃の座を奪われ、後宮を後にした。
 彼女が去った後宮で、炎園が王の寝室へ呼ばれていた。

「……ねえ、あなたが今抱き締めているその女は──」

 雪雫は外から後宮を睨む。


「──私から全てを奪ったバケモノなのよ」


 雪雫の声が月下に響いた。
 けれどその言葉は誰にも届かない。

 その夜、闇の中で何かが目覚めた。

 それは、亡くなった胎児の代わりに彼女に宿った──

 復讐という、異形の炎だった。