【7話】
朝、学校前。
大型バスが止まっている。
それぞれのクラスが、それぞれのバスに乗り込む。
陽向の席は後ろから二番目。
窓際に座ると、続いて予想外の人物が隣に座ってきた。
「おはよう」
「──え?」
隣に座ったのは律。
陽向の隣は、他のクラスメイトの予定だった。
(な、なんで篠宮が隣に!?)
長谷川だったはずじゃ……!? と、口から漏れ出そうになる。
陽向の考えていることは律にはお見通しだったようだ。クスッと笑われてしまった。
「長谷川と変わったんだ。アイツ、乗り物に酔いやすいみたいだから」
律が指さした先に、陽向の隣に座る予定だった人物──長谷川の姿が見える。
前から三番目の席が、もともと律が座る場所だったらしい。
「そうだったんだ。へぇ~……アイツ、酔いやすいのか」
陽向は焦る。正面から律の顔が見れない。
律から告白され、その後、答えが出せないまま、修学旅行を迎えてしまった。
「全員揃ったな~! 出発するぞ~!」
担任の先生の声が車内に響く。クラス全員を乗せたバスが動き始めた。
そのとき、律の肘が陽向の腕に当たった。
(うっ……! 腕がっ!)
告白された後の自分と言えば、こういう小さなことをイチイチ意識するようになってしまった。
律は気にすることなく、肘置きに右ひじを置いて、頬杖をつきながら、前を見ている。
(そっと離れるべき? いや、意識しすぎだ。篠宮だって気にしてる様子はないんだから、このまま知らんぷりしておくべきかも)
バスガイドが、目的地までの道のりと時間などについて説明をしている。
しかし、陽向の耳にはその内容はまったく入っていかなかった。
**
「ついたぁ~!」
バスに乗って数時間。
ようやくホテルに到着した。
陽向は両手を上にあげ、うんっと背筋を伸ばす。
ここへたどり着くまでも間、体に変な力が入ってカチコチに固まって、バスの中で寝るという手段も取れなかった。
ようやく一息つける──そう思った陽向だったが、
「あれ?」
割り当てられた部屋に入り、驚きの声を上げる。
そこに律がいたからだった。
部屋の割り振りをしたときは、律とは別々のはずだった。
なのに何故、ここにいるのか。
またしても、陽向の考えは律に伝わったらしい。
律は陽向を見て、クスッと笑った。
「長谷川がダウンして、今、別室で寝てる」
長谷川の乗り物酔いは、体調不良からきているものだったようだ。
発熱し、風邪だろうとのこと。先生たちは急遽、ホテル側と部屋の相談を行ったようだった。
その結果、律が陽向たちの部屋に来ることになったらしい。
「うわ……マジか。せっかくの修学旅行なのに、長谷川も災難だな」
「本人は絶対今日中に治す! って、意気込んでたぞ」
「そりゃそうだよな~……今日は移動がほとんどだから、治すなら今だよな」
同室のクラスメイトたちも長谷川を心配し、栄養ドリンクでも差し入れするか? と話し合っている。
陽向は、彼らの案に「いいね」と返事をしながらも、律を意識してしまう。
──今日、一緒にこの部屋で……寝る!?
布団と人員の配置はどういう並びになるのか、と、そんなことが気になってしまった。
**
「そろそろ風呂へ行こうぜ!」
同室のクラスメイトが声を上げる。
他の人たちも「いいね」と返した。
下着と学校指定のジャージを手に取ると、皆がぞろぞろ廊下へ出る。
陽向も律も、彼らの後に続いた。
脱衣所にて、陽向が服を脱ぐ。
上半身、裸になったところで、隣で同じように服を脱いだ律の体が目に入った。
服の下から現れた体は引き締まっており、腹筋も割れている。
顔がいい男は、体つきもかっこよかった。
陽向は思わず見惚れてしまった。
「……えき、……佐伯」
「ふぇっ!?」
あまりにも見つめすぎたらしい。気づけば、律に話しかけられていた。
「な、なに?」
「何ってそれはこっちのセリフなんだけど」
「えっ?」
「俺の体、何かついてる?」
じっと見つめていたことを指摘され、陽向の顔は熱くなる。
焦った陽向は、その場を誤魔化そうとして、思っていたことをポロリと零してしまった。
「あ、いやっ! 篠宮の体がかっこいいな~なんて」
「そう?」
「腹筋とかめっちゃ割れてるし! 筋トレとかやってんの?」
「あー……勉強の合間の息抜きに少しだけ」
「へ、へぇ~! 合間の息抜きでやって割れるんだ。俺もやってみようかな」
陽向は自分の腹をペタリと触った。
律ほどしっかりと割れているわけではないが、筋が見える程度には引き締まっている。
陽向の筋肉はほぼバイトでついたものだった。特別、意識して運動したものではない。
「佐伯は背中が綺麗だよな」
律が陽向の背中をつぅっと触る。
「うひゃっ!?」
ゾワッとしたものが背中を這い、思わず大きな声が出てしまった。
陽向は律をキッと睨む。律はそんな反応が来ると思わず、頬を人差し指でポリポリと掻きながら「……すまん」と謝った。
*
カポーンと大浴場に手桶の音が響き渡る。
陽向は湯に浸かって、手足をぐっと伸ばしていた。
「はー……生き返る」
広々とした風呂は気持ちがいい。
肩までしっかり浸かっていると、隣にザブンと入ってきた人物がいた。それは──律だった。
「でかい風呂は気持ちいいな」
「そ、そうだな」
クラスメイトの裸。
水泳の授業はあったし、体操服に着替えるときにだって見たことはある。
しかし、告白された後、律のことが何かと気になって仕方がない陽向は、恥ずかしさを覚えてしまい、自分の体を隠すように肩まで湯に浸かった。
律に話しかけられても、どこか上の空だった。
(篠宮が出たら……俺も出よう)
肩までしっかり浸かったまま、陽向はそう考える。
「佐伯はまだ入ってるのか?」
「え? う、うん。そのつもり」
「俺はそろそろ出るから、じゃあな。のぼせんなよ?」
律はそう言うとザバッと立ち上がった。
引き締まった体と股間が目に入り、陽向は「あわわ」と、顔を真っ赤にする。
(篠宮と付き合ったら……キスとか、その先もすんのかな……)
もやもやと想像してしまい、陽向は湯の中に潜った。
ブクブクと沈んでいたら、何だか意識が朦朧としてきた。
「……──えき!」
揺らめく湯の向こう側に焦った律の顔が見える。
大きな手に腕を掴まれたところで陽向は意識を失った。
律はザバッと陽向を引き上げ、自分の服が濡れるのも構わず、彼を横抱きした。
「ったく、心配かけるなよ」
小さくボソリと呟くと、律は陽向を大浴場から連れ出した。
*
「すみませんでした」
意識を取り戻し、回復した陽向は律に向かって土下座する。
ペコペコと謝り倒しているところに、枕が飛んできて陽向の頭にヒットした。
「ってぇな!」
頭を押さえながら振り返る。
同じ部屋のクラスメイトたちは、ニシシと笑って陽向の顔めがけて枕を投げてきた。
「──ぶっ!」
「佐伯、打ち取ったりー!」
陽向はゆらりと立ち上がる。
律は陽向に向かって「立ち上がって大丈夫か?」と心配そうに声をかけてきた。
「……篠宮。やるぞ」
「やるって、何を?」
今しがた、自分の顔に当たった枕を手に取る。
もう一つ──後ろ頭に当たった枕も持ち上げると、それは律に渡した。
「修学旅行といったら枕投げ! 行け! 篠宮! 俺たちが勝つぞ!!」
陽向は思いっきり枕を投げ、先ほど自分に当てた相手にヒットさせる。
「よし!」と握り拳を握った──と、思ったら真横から枕が飛んできて、頭に当たった。
男子高校生が全力で枕投げをする。
ドタバタと暴れている音が廊下に漏れたのだろうか?
何やら廊下側が騒がしくなり、クラスメイトの一人が「しっ!」と口元に人差し指を当てた。
彼はドアをそっと開け、辺りを伺う。
「やべっ! 先生が来る!! 電気消せ!」
気づけば消灯時間を過ぎても、暴れていた。
皆は慌てて照明を消し、ぐちゃぐちゃになった布団に潜りこむ。
真っ暗な布団の中で、陽向は目を見開いていた。
陽向の正面に──律がいたからだ。
ドッドッと心臓が胸を叩く。
鼓動の音が、律にも伝わってるんじゃないかと陽向は気が気じゃなかった。
しかし、動くわけにもいかず、このままじっとしているしかない。
『佐伯……』
『な、なに?』
こんなときに声をかけないでほしいと陽向は切に願った。
そんな願いなど知るはずもなく、律はそのまま口を開く。
『最近さ、ちょっと変じゃない? それって、俺が告白したせい……?』
『そう? 変……かな?』
突然の指摘に、陽向は思わず視線を逸らしたものの、同じ布団の中にいては、それも上手くいかなかった。
『もしかして、迷惑だった?』
──迷惑。そんなことは……。
ない、と答えようとしたとき、ガチャッと部屋のドアが開く音がした。
「ここは寝てるか~?」
先生の声が聞こえる。
陽向は布団の中で目を見開いていた。
律の心臓の動き、音。
それらをゼロ距離で感じる。
先生が現れた瞬間、律に抱きしめられた。
彼の胸に顔をうずめることになって、まばたきを忘れた。
カーッと顔が熱くなる。
律の心臓と同じように自分の心臓もバクバクと音を立てていた。
鼻の奥に届く石鹸の香り。
同じ風呂に入ったのだから、自分も同じ匂いがしているはずだ。
だけど、律の体臭と混ざり合ったその香りは、とてもいい匂いだった。
背中に回された大きな手。律が触れる場所から伝わる体温。
抱きしめ返して、ずっとこうしていたいと思ってしまう。
そうして陽向は自覚した──律が好きだということに。
陽向派モゾモゾと体を動かし、胸にうずめていた顔を少しだけ上げる。
『篠宮……』
『ん?』
『返事、遅くなってごめん。やっと自分の気持ちがわかった』
『佐伯……?』
『俺も、お前のこと好きだ』
陽向の言葉に、律が目を見開く。
布団の中で二人見つめ合った。
ドキドキと互いの心臓の音だけが聞こえる。
どちらともなく、顔を寄せ、唇を近づけた──ところで、ガバッと布団を引っぺがされた。
「先生、もう行ったぞ! って……お前ら、どうしたの?」
顔を赤くして、抱きしめ合っている姿を見られてしまった。
陽向はすぐ近くにあった枕を手に取ると、布団を引っぺがしたクラスメイトに向かって力いっぱい枕を投げつけた。
──いいところだったのに……!
恨みを込めた一発は、顔面にクリーンヒット。
陽向の後に続いた律も、体から黒いモヤを立ち昇らせながら、枕を投げ、修学旅行初日の夜を終えた。
**
修学旅行最終日──最後の自由時間。
陽向は律と一緒にお土産物屋を訪れていた。
「う~ん……」
食べ盛りの弟たちに持って帰るお土産のお菓子を、どちらにすべきか迷っていた。
32個か、48個か。32個にして、他のものを追加すべきか、48個にして終わりにすべきか。
「これは俺が出すよ」
「……篠宮」
横から声をかけてきた律が、48個入りのお菓子を選ぶ。
「それは悪いから」と言えば、律は「旅行代のことで迷惑かけたお詫びも兼てだから」と告げた。
「そういうことなら……お言葉に甘えて」
「うん。甘えちゃって」
ニコリと微笑む律を見て、陽向は「うっ」と息が詰まる。
修学旅行初日の夜に互いの気持ちを確認しあってからというもの、こうやって陽向に向ける笑顔が増えた。
好きな人の笑顔は心臓に悪い。
きゅうっと締め付けられ、ああ……好きだと何度も自覚させられる。
律は48個入りのお菓子を持ってレジに並んだ。
陽向は店内をうろついていると、ある物を見つけた。
*
会計が終わった律がキョロキョロと辺りを見回す。
すると、後ろからポンと背中を叩かれた。その相手は律が探していた相手──陽向だった。
「佐伯? 何か買ったのか?」
「ん、まぁね」
陽向の手には包装紙で作られた小さな封筒のようなものが握られていた。
「っと、いっけね! 時間やばっ! 篠宮、そろそろバスに乗らないと!」
陽向は律の手を取り、走り始めた。
集合時間まであと五分。二人はダッシュしてバスの元へ向かった。
*
修学旅行の帰り道。
クライスメイトたちは二泊三日の旅行の疲れからか、ほとんど寝ているようだった。
陽向は隣に座っている律の腕をちょんちょんと突っつく。
「佐伯?」
「これ、お前にあげる」
「俺に……?」
律に渡したものは先ほどお土産屋で買ったものだった。
小さな包装袋に包まれたものを受け取った律は、その場で開封する。
中から出てきたのは小さなキーホルダー。
黄色くて、美味しそうな玉子焼きの形をしていた。
「また、弁当作るよ。食べてくれるだろ?」
陽向はズボンのポケットに手を入れるとキーホルダーを取り出した。
それは律が持っているものと同じものだった。
陽向がキーホルダーを揺らす。
小さな鈴がチリンと鳴った。
お揃いのものが二つ。
それは、お互いを繋ぐきっかけとなった弁当のおかずだった。
あの日、律が弁当を忘れ、陽向が弁当を律と半分こしなければ、こうやって楽しい修学旅行を過ごすこともなかった。
律が嬉しそうに、柔らかな笑みを浮かべた。
「もちろん食べるに決まってる。これからもずっとお前の弁当が食べたい」
律はそう言うと、周囲を見回し、陽向をちょいちょいと手招きした。
それは、少し身を屈めろ、という合図だった。
陽向は頭に「?」を浮かべながらも、言われた通りに身を屈める。
前の席の背もたれに完全に隠れると、律がちょんっと啄むようなキスをしてきた。
『なっ……!? ばっ、おまっ! こんなところでっ!?』
『大丈夫。皆、寝てるの確認したから』
律はそう言って、もう一度唇を重ねる。
陽向も、律の唇を受け入れた。
時間にして数秒のはずなのに、自分たちの周りだけ時が止まったように感じた。
唇を互いに離すと、屈めた体を元の位置に戻した。
律は外を眺めるふりをする。
陽向は律の肩に頭を乗せると、赤い顔をしたまま、寝たふりを決め込んだ。
周りから分からないように二人は手を重ね、ぎゅっと握りしめる。
二人の恋人契約の物語は、これから始まっていくのだった。
〈了〉
朝、学校前。
大型バスが止まっている。
それぞれのクラスが、それぞれのバスに乗り込む。
陽向の席は後ろから二番目。
窓際に座ると、続いて予想外の人物が隣に座ってきた。
「おはよう」
「──え?」
隣に座ったのは律。
陽向の隣は、他のクラスメイトの予定だった。
(な、なんで篠宮が隣に!?)
長谷川だったはずじゃ……!? と、口から漏れ出そうになる。
陽向の考えていることは律にはお見通しだったようだ。クスッと笑われてしまった。
「長谷川と変わったんだ。アイツ、乗り物に酔いやすいみたいだから」
律が指さした先に、陽向の隣に座る予定だった人物──長谷川の姿が見える。
前から三番目の席が、もともと律が座る場所だったらしい。
「そうだったんだ。へぇ~……アイツ、酔いやすいのか」
陽向は焦る。正面から律の顔が見れない。
律から告白され、その後、答えが出せないまま、修学旅行を迎えてしまった。
「全員揃ったな~! 出発するぞ~!」
担任の先生の声が車内に響く。クラス全員を乗せたバスが動き始めた。
そのとき、律の肘が陽向の腕に当たった。
(うっ……! 腕がっ!)
告白された後の自分と言えば、こういう小さなことをイチイチ意識するようになってしまった。
律は気にすることなく、肘置きに右ひじを置いて、頬杖をつきながら、前を見ている。
(そっと離れるべき? いや、意識しすぎだ。篠宮だって気にしてる様子はないんだから、このまま知らんぷりしておくべきかも)
バスガイドが、目的地までの道のりと時間などについて説明をしている。
しかし、陽向の耳にはその内容はまったく入っていかなかった。
**
「ついたぁ~!」
バスに乗って数時間。
ようやくホテルに到着した。
陽向は両手を上にあげ、うんっと背筋を伸ばす。
ここへたどり着くまでも間、体に変な力が入ってカチコチに固まって、バスの中で寝るという手段も取れなかった。
ようやく一息つける──そう思った陽向だったが、
「あれ?」
割り当てられた部屋に入り、驚きの声を上げる。
そこに律がいたからだった。
部屋の割り振りをしたときは、律とは別々のはずだった。
なのに何故、ここにいるのか。
またしても、陽向の考えは律に伝わったらしい。
律は陽向を見て、クスッと笑った。
「長谷川がダウンして、今、別室で寝てる」
長谷川の乗り物酔いは、体調不良からきているものだったようだ。
発熱し、風邪だろうとのこと。先生たちは急遽、ホテル側と部屋の相談を行ったようだった。
その結果、律が陽向たちの部屋に来ることになったらしい。
「うわ……マジか。せっかくの修学旅行なのに、長谷川も災難だな」
「本人は絶対今日中に治す! って、意気込んでたぞ」
「そりゃそうだよな~……今日は移動がほとんどだから、治すなら今だよな」
同室のクラスメイトたちも長谷川を心配し、栄養ドリンクでも差し入れするか? と話し合っている。
陽向は、彼らの案に「いいね」と返事をしながらも、律を意識してしまう。
──今日、一緒にこの部屋で……寝る!?
布団と人員の配置はどういう並びになるのか、と、そんなことが気になってしまった。
**
「そろそろ風呂へ行こうぜ!」
同室のクラスメイトが声を上げる。
他の人たちも「いいね」と返した。
下着と学校指定のジャージを手に取ると、皆がぞろぞろ廊下へ出る。
陽向も律も、彼らの後に続いた。
脱衣所にて、陽向が服を脱ぐ。
上半身、裸になったところで、隣で同じように服を脱いだ律の体が目に入った。
服の下から現れた体は引き締まっており、腹筋も割れている。
顔がいい男は、体つきもかっこよかった。
陽向は思わず見惚れてしまった。
「……えき、……佐伯」
「ふぇっ!?」
あまりにも見つめすぎたらしい。気づけば、律に話しかけられていた。
「な、なに?」
「何ってそれはこっちのセリフなんだけど」
「えっ?」
「俺の体、何かついてる?」
じっと見つめていたことを指摘され、陽向の顔は熱くなる。
焦った陽向は、その場を誤魔化そうとして、思っていたことをポロリと零してしまった。
「あ、いやっ! 篠宮の体がかっこいいな~なんて」
「そう?」
「腹筋とかめっちゃ割れてるし! 筋トレとかやってんの?」
「あー……勉強の合間の息抜きに少しだけ」
「へ、へぇ~! 合間の息抜きでやって割れるんだ。俺もやってみようかな」
陽向は自分の腹をペタリと触った。
律ほどしっかりと割れているわけではないが、筋が見える程度には引き締まっている。
陽向の筋肉はほぼバイトでついたものだった。特別、意識して運動したものではない。
「佐伯は背中が綺麗だよな」
律が陽向の背中をつぅっと触る。
「うひゃっ!?」
ゾワッとしたものが背中を這い、思わず大きな声が出てしまった。
陽向は律をキッと睨む。律はそんな反応が来ると思わず、頬を人差し指でポリポリと掻きながら「……すまん」と謝った。
*
カポーンと大浴場に手桶の音が響き渡る。
陽向は湯に浸かって、手足をぐっと伸ばしていた。
「はー……生き返る」
広々とした風呂は気持ちがいい。
肩までしっかり浸かっていると、隣にザブンと入ってきた人物がいた。それは──律だった。
「でかい風呂は気持ちいいな」
「そ、そうだな」
クラスメイトの裸。
水泳の授業はあったし、体操服に着替えるときにだって見たことはある。
しかし、告白された後、律のことが何かと気になって仕方がない陽向は、恥ずかしさを覚えてしまい、自分の体を隠すように肩まで湯に浸かった。
律に話しかけられても、どこか上の空だった。
(篠宮が出たら……俺も出よう)
肩までしっかり浸かったまま、陽向はそう考える。
「佐伯はまだ入ってるのか?」
「え? う、うん。そのつもり」
「俺はそろそろ出るから、じゃあな。のぼせんなよ?」
律はそう言うとザバッと立ち上がった。
引き締まった体と股間が目に入り、陽向は「あわわ」と、顔を真っ赤にする。
(篠宮と付き合ったら……キスとか、その先もすんのかな……)
もやもやと想像してしまい、陽向は湯の中に潜った。
ブクブクと沈んでいたら、何だか意識が朦朧としてきた。
「……──えき!」
揺らめく湯の向こう側に焦った律の顔が見える。
大きな手に腕を掴まれたところで陽向は意識を失った。
律はザバッと陽向を引き上げ、自分の服が濡れるのも構わず、彼を横抱きした。
「ったく、心配かけるなよ」
小さくボソリと呟くと、律は陽向を大浴場から連れ出した。
*
「すみませんでした」
意識を取り戻し、回復した陽向は律に向かって土下座する。
ペコペコと謝り倒しているところに、枕が飛んできて陽向の頭にヒットした。
「ってぇな!」
頭を押さえながら振り返る。
同じ部屋のクラスメイトたちは、ニシシと笑って陽向の顔めがけて枕を投げてきた。
「──ぶっ!」
「佐伯、打ち取ったりー!」
陽向はゆらりと立ち上がる。
律は陽向に向かって「立ち上がって大丈夫か?」と心配そうに声をかけてきた。
「……篠宮。やるぞ」
「やるって、何を?」
今しがた、自分の顔に当たった枕を手に取る。
もう一つ──後ろ頭に当たった枕も持ち上げると、それは律に渡した。
「修学旅行といったら枕投げ! 行け! 篠宮! 俺たちが勝つぞ!!」
陽向は思いっきり枕を投げ、先ほど自分に当てた相手にヒットさせる。
「よし!」と握り拳を握った──と、思ったら真横から枕が飛んできて、頭に当たった。
男子高校生が全力で枕投げをする。
ドタバタと暴れている音が廊下に漏れたのだろうか?
何やら廊下側が騒がしくなり、クラスメイトの一人が「しっ!」と口元に人差し指を当てた。
彼はドアをそっと開け、辺りを伺う。
「やべっ! 先生が来る!! 電気消せ!」
気づけば消灯時間を過ぎても、暴れていた。
皆は慌てて照明を消し、ぐちゃぐちゃになった布団に潜りこむ。
真っ暗な布団の中で、陽向は目を見開いていた。
陽向の正面に──律がいたからだ。
ドッドッと心臓が胸を叩く。
鼓動の音が、律にも伝わってるんじゃないかと陽向は気が気じゃなかった。
しかし、動くわけにもいかず、このままじっとしているしかない。
『佐伯……』
『な、なに?』
こんなときに声をかけないでほしいと陽向は切に願った。
そんな願いなど知るはずもなく、律はそのまま口を開く。
『最近さ、ちょっと変じゃない? それって、俺が告白したせい……?』
『そう? 変……かな?』
突然の指摘に、陽向は思わず視線を逸らしたものの、同じ布団の中にいては、それも上手くいかなかった。
『もしかして、迷惑だった?』
──迷惑。そんなことは……。
ない、と答えようとしたとき、ガチャッと部屋のドアが開く音がした。
「ここは寝てるか~?」
先生の声が聞こえる。
陽向は布団の中で目を見開いていた。
律の心臓の動き、音。
それらをゼロ距離で感じる。
先生が現れた瞬間、律に抱きしめられた。
彼の胸に顔をうずめることになって、まばたきを忘れた。
カーッと顔が熱くなる。
律の心臓と同じように自分の心臓もバクバクと音を立てていた。
鼻の奥に届く石鹸の香り。
同じ風呂に入ったのだから、自分も同じ匂いがしているはずだ。
だけど、律の体臭と混ざり合ったその香りは、とてもいい匂いだった。
背中に回された大きな手。律が触れる場所から伝わる体温。
抱きしめ返して、ずっとこうしていたいと思ってしまう。
そうして陽向は自覚した──律が好きだということに。
陽向派モゾモゾと体を動かし、胸にうずめていた顔を少しだけ上げる。
『篠宮……』
『ん?』
『返事、遅くなってごめん。やっと自分の気持ちがわかった』
『佐伯……?』
『俺も、お前のこと好きだ』
陽向の言葉に、律が目を見開く。
布団の中で二人見つめ合った。
ドキドキと互いの心臓の音だけが聞こえる。
どちらともなく、顔を寄せ、唇を近づけた──ところで、ガバッと布団を引っぺがされた。
「先生、もう行ったぞ! って……お前ら、どうしたの?」
顔を赤くして、抱きしめ合っている姿を見られてしまった。
陽向はすぐ近くにあった枕を手に取ると、布団を引っぺがしたクラスメイトに向かって力いっぱい枕を投げつけた。
──いいところだったのに……!
恨みを込めた一発は、顔面にクリーンヒット。
陽向の後に続いた律も、体から黒いモヤを立ち昇らせながら、枕を投げ、修学旅行初日の夜を終えた。
**
修学旅行最終日──最後の自由時間。
陽向は律と一緒にお土産物屋を訪れていた。
「う~ん……」
食べ盛りの弟たちに持って帰るお土産のお菓子を、どちらにすべきか迷っていた。
32個か、48個か。32個にして、他のものを追加すべきか、48個にして終わりにすべきか。
「これは俺が出すよ」
「……篠宮」
横から声をかけてきた律が、48個入りのお菓子を選ぶ。
「それは悪いから」と言えば、律は「旅行代のことで迷惑かけたお詫びも兼てだから」と告げた。
「そういうことなら……お言葉に甘えて」
「うん。甘えちゃって」
ニコリと微笑む律を見て、陽向は「うっ」と息が詰まる。
修学旅行初日の夜に互いの気持ちを確認しあってからというもの、こうやって陽向に向ける笑顔が増えた。
好きな人の笑顔は心臓に悪い。
きゅうっと締め付けられ、ああ……好きだと何度も自覚させられる。
律は48個入りのお菓子を持ってレジに並んだ。
陽向は店内をうろついていると、ある物を見つけた。
*
会計が終わった律がキョロキョロと辺りを見回す。
すると、後ろからポンと背中を叩かれた。その相手は律が探していた相手──陽向だった。
「佐伯? 何か買ったのか?」
「ん、まぁね」
陽向の手には包装紙で作られた小さな封筒のようなものが握られていた。
「っと、いっけね! 時間やばっ! 篠宮、そろそろバスに乗らないと!」
陽向は律の手を取り、走り始めた。
集合時間まであと五分。二人はダッシュしてバスの元へ向かった。
*
修学旅行の帰り道。
クライスメイトたちは二泊三日の旅行の疲れからか、ほとんど寝ているようだった。
陽向は隣に座っている律の腕をちょんちょんと突っつく。
「佐伯?」
「これ、お前にあげる」
「俺に……?」
律に渡したものは先ほどお土産屋で買ったものだった。
小さな包装袋に包まれたものを受け取った律は、その場で開封する。
中から出てきたのは小さなキーホルダー。
黄色くて、美味しそうな玉子焼きの形をしていた。
「また、弁当作るよ。食べてくれるだろ?」
陽向はズボンのポケットに手を入れるとキーホルダーを取り出した。
それは律が持っているものと同じものだった。
陽向がキーホルダーを揺らす。
小さな鈴がチリンと鳴った。
お揃いのものが二つ。
それは、お互いを繋ぐきっかけとなった弁当のおかずだった。
あの日、律が弁当を忘れ、陽向が弁当を律と半分こしなければ、こうやって楽しい修学旅行を過ごすこともなかった。
律が嬉しそうに、柔らかな笑みを浮かべた。
「もちろん食べるに決まってる。これからもずっとお前の弁当が食べたい」
律はそう言うと、周囲を見回し、陽向をちょいちょいと手招きした。
それは、少し身を屈めろ、という合図だった。
陽向は頭に「?」を浮かべながらも、言われた通りに身を屈める。
前の席の背もたれに完全に隠れると、律がちょんっと啄むようなキスをしてきた。
『なっ……!? ばっ、おまっ! こんなところでっ!?』
『大丈夫。皆、寝てるの確認したから』
律はそう言って、もう一度唇を重ねる。
陽向も、律の唇を受け入れた。
時間にして数秒のはずなのに、自分たちの周りだけ時が止まったように感じた。
唇を互いに離すと、屈めた体を元の位置に戻した。
律は外を眺めるふりをする。
陽向は律の肩に頭を乗せると、赤い顔をしたまま、寝たふりを決め込んだ。
周りから分からないように二人は手を重ね、ぎゅっと握りしめる。
二人の恋人契約の物語は、これから始まっていくのだった。
〈了〉


