【3話】

 佐伯家のリビング。
 大きめのコタツテーブルが置いてあり、その中央に律は正座で座っている。

 兄とは正反対の雰囲気を持つ人物──高身長のイケメンが気になって仕方がないのか、佐伯家の弟たちは律の隣に来て、詰め寄っていた。

「兄ちゃんの友達?」
「イケメンすぎない!?」
「これみてくださいっ!」

 彼らの勢いに押され、律は少し背中を仰け反らせる。
 どうしていいか分からない、と対応に困っている律の助けに入ったのは、キッチンからリビングにやってきた陽向だ。

「こらこら~! 篠宮が困ってるだろうがっ! 離れろ!」

 双子の弟たちを律から剥がす。
 いつの間にか律の膝に座ってい末っ子の凛は──……可愛いので許した。(許された)

「すまん、篠宮。うるさい弟たちで」
「いや、大丈夫」
「あ、これ麦茶な。よかったら飲んで」
「ありがとう」

 コップを渡された律は受け取ると一口飲むとテーブルの上に置いた。

「それじゃ、俺、急いで夕飯作ってくるから。悪いけど、凛の相手してもらってもいいか?」
「ああ、わかった」

 陽向はキッチンに向かう。
 律の膝に座っている凛はお絵描き帳をめくり、先ほどと同じ言葉を律に投げた。

「これみてくださいっ!」

 ダイナミックに描かれた恐竜のような絵。
 律は「上手だね」というと、目の前にある小さな頭を撫でた。

 *

「あら、いい匂い」

 キッチンに母がやってきた。
 カレーのにおいに誘われてきたと言って、ふふふと笑う。

「今日はトッピング付きなのね?」
「うん。篠宮が買い出し手伝ってくれて、特売玉子が二パック買えたから」

 カレー鍋の隣にある片手鍋の中で玉子が六個茹でられている。
 温泉卵にして、カレーの上にトッピングするつもりだった。

 いい匂いに誘われたのは母だけではないらしい。
 玄関の方でガチャッという音が聞こえ、「ただいま」と朔弥の声がした。

「カレーのにおいがする」

 朔弥は自分の部屋に荷物を置かず、キッチンへ直行してきた。
 陽向は「ふっふっふっ」笑いながら、カレー鍋の隣を指さす。

「今日は温玉トッピングスペシャルだぞ、朔弥!」
「わっ! 豪勢!」
「もうすぐできるから、着替えてこい」
「うん。あ、兄さん、玄関に知らない靴があったけど、誰か来てるの?」
「ああ、それ友達の靴。篠宮っていうんだけど、今日、そいつも一緒に夕飯食べるから」

 陽向がそう言うと、母も朔弥もリビングに顔を出し、「こんにちは」と篠宮に挨拶する。

「篠宮くんってイケメンねぇ」
「……うん。兄さんとは正反対の雰囲気がある人だね」

 母さんは片手を頬に当て「ほぅ」と息を吐く。
 朔弥は母の意見に同調した。
 陽向は朔弥に「イケメンじゃない」と言われた気がして、口を尖らせながら「お兄ちゃんもイケメンですぅー!」と答えた。

 *

「できたぞー! テーブルの上、片付けろ~!」

 陽向がリビングに顔を出す。
 その瞬間、「ぶふっ!」と律が吹き出した。

 右手で口元を押さえ、ひとり身体を震わせる。
 佐伯家の弟たちは「?」と首をかしげる。

「篠宮、どうした?」
「さ、さえきっ……その、エプロ……っ」

 律に指摘され、ようやく陽向は、自分がフリフリの白いエプロンを身に着けていたことに気づく。
 弟も母も見慣れていた陽向のエプロン姿は、律には衝撃的だった。

 カッと真っ赤になって、慌ててエプロンを外す。
 恥ずかしさを誤魔化すように、朔弥に向かって「折り畳みテーブル出して!」と指示を出し、キッチンへ戻って行った。

(くそ恥ずいぃ~!)

 ああああ、と頭を抱えたくなりながら、陽向はカレー皿にカレーをよそう。そして、トレイに載せ、リビングへ運んだ。

 コタツテーブルと折り畳みテーブルをくっつけた、長い食卓テーブルに佐伯家全員と律が並んで座る。
 ぎゅうぎゅう詰めになって、皆で両手を合わせた。

「「いっただきまーす!」」

 皆で一斉にスプーンを手に取り、カレーを口に運ぶ。
 律も同じように一口食べた。目を少し見開き、感想が口から漏れ出る。

「……おいしい」

 その言葉を聞いた双子たちが「でっしょー!」と言ってさらに続く。

「兄ちゃんのカレーは絶品なんだぜ!」
「今日は温玉も乗ってて、さらに最高!」
「さいこう~!」

 双子の弟たちが、エッヘンと自慢げに言い、凛も兄たちの真似をした。
 こいつら、調子のいいことを……と陽向が思っていると、隣に座っている律が「ああ」と返す。

「そうだな。最高だ」

 律がそう言った瞬間、佐伯家の全員が黙った。
 一瞬にしてシーンと静かになったことに、律が慌てる。

「えっ、俺なんか変なこと言った……?」
「いや、気にすんな。篠宮の微笑みにやられてるだけだから」

 陽向は何度も律と弁当を食べていることで、彼の微笑みには耐性があった。
 律の笑顔に惑わされることなく、パクパクとカレーを食べている。

 佐伯家メンバー(※陽向以外)は部屋の隅に集まり、内緒話をし始めた。

「もしかしてお兄ちゃん、餌付けしてるのかしら」
「兄さんがお弁当渡してる相手って篠宮さん?」
「イケメンを釣る兄ちゃん、すっげー!」
「兄ちゃんは、嫁に行くのか?」
「いくのか~?」

「おーい! ご飯食え~!」

 ヒソヒソ声は陽向と律には届いていなかった。
 陽向は皆に声をかけ、律は美味しそうに、またカレーを頬張った。

 *

 家族団らんの夕飯タイムが終わり、小休憩を挟んだあと、律は帰ると言って、玄関で靴を履く。
 玄関先には佐伯家メンバーが全員揃っていた。

「お邪魔しました」
「また、遊びに来てね」

 母がそう言うと、律は「はい」と言って軽く会釈をする。
 律が靴を履き終わると、陽向も靴を履いた。

「母さん。篠宮を送ったら、そのままバイト行ってくる」
「行ってらっしゃい。車に気をつけてね」

 玄関を出ると、ドアが閉まる前に律はもう一度、会釈した。
 弟たちも「バイバーイ」と元気よく手を振っている。

 薄暗くなった外を二人並んで歩く。
 陽向は改めて、律にお礼を告げた。

「今日はほんっとありがとな」
「いや、こちらこそ夕飯ありがとう。めちゃくちゃ美味しかった」
「そっか。喜んでもらえたならよかった」
「でも、俺がいたことで逆に高くついたんじゃないのか? 材料費出すけど」

 肩から下げている通学バッグから、律は財布を取り出そうとする。
 陽向は両手を振って、「出すな!」と律の動きを止めた。

「いいって! これはお礼なんだから!」
「本当にいいのか?」
「もし、出したら、明日弁当持ってこないからな!」
「それは困る」

 そんな会話をしていると、律が足を止めた。
 T字路に差しかかった所だった。

「俺んち、すぐそこだから、ここまででいい」
「んじゃ、俺はバイト先こっちだから。また明日、学校でな」
「ああ」

 お互いに片手を挙げる。
「じゃ!」と挨拶を交わし、そこで別れた。


 **


「ただいま」

 玄関のドアを開けた律は呟く。
 しかし、返事が返ってくることはなかった。

 リビングのドアを開け、照明をつける。
 テレビの電源を入れると、静かだった部屋の中が笑い声に包まれた。

 食卓テーブルの上には、メモとお金が置いてある。
 律はお金を手に取ると、自分の財布に入れた。
 
 キッチンのシンクで手を洗い、冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを取り出す。
 コップに入れると、テレビの前のソファーに座った。

 芸能人が地元野菜を使ったカレーを食べ、食レポをしているようだ。

(佐伯のカレー……美味しかったなぁ)

 テレビを見ながら思い出す。あの温かな家を。
 あんな大人数で食卓を囲んだのはどれくらいぶりだろうか?

 凛が口の周りをカレーだらけにし、陽向がティッシュでそれを拭いていた。
 双子の弟たちが、おかわりするときは、陽向もついて行き、肉ばかりを取らないように監視していた。
 
 そんな小さな出来事が、どれも新鮮だった。
 お腹も満たされたが、心の方が満たされた──と、律は胸の内が温かくなるのを感じていた。

『また、遊びに来てね』

 佐伯家の家を出るときに言われた言葉を思い出す。

(また……行きたいな。また、食べたい)

 律はスマホを取り出し、SNSを開いた。
 陽向に向けてメッセージを送る。

『スーパーの特売日の買い出し、付き合うからさ。また、夕飯食べに行ってもいいか? 材料費なら出す』

 すぐに既読はつかなかった。
 今はバイト中なのだろう。

 律はスマホをテーブルの上に置くと、自室へ行く。
 着替えを手に取り、風呂へ向かった。

 風呂を終え、キッチンでもう一度ミネラルウォーターを飲むと、歯を磨く。
 そうして、自室のベッドに入り、スマホを充電するためにケーブルを挿すと、ポコンと通知音が鳴った。

 メッセージを送ってきた相手は陽向だ。
 律が送った内容への返事だった。

『おっけー! 篠宮が来たら、弟たちも喜ぶ。あ、でも、材料費はいらないからな!』

 また、あの家で一緒にご飯が食べれる。
 そう思うと律は自然と口元が緩んでしまった。

「楽しみだな」

 そう呟いてから、布団に潜ると静かにまぶたを閉じるのだった。