【2話】

 早朝の佐伯家。
 いつものように朝は戦争である。

 弟たちはいつものように「靴下がない」「ハンカチがない」と言っている。
 陽向はキッチンで弁当を作っていた。

「あれ~? 兄ちゃん、弁当一個多いよ?」

 佐伯家三男・陸斗(りくと)がキッチン台に広がっているお弁当を指さし、中にあるミニハンバーグを一つ、つまみ食いする。

「こらっ! 食べるな! これは学校に持っていくんだよ!」

 陽向はそう言いながら、お玉で陸斗の頭をコンッと叩く。
 陸斗は頭を押さえた。

「えーっ? 何で二つも持っていくの?」
「これは……なんだ、クラスメイトに」

 陽向の歯切れが悪い。陸斗はハッとする。

「もしかして、彼女……?」と聞く陸斗。
 陽向はふるふると頭を振って否定した。

 陸斗はそんな兄の背中をポンポンと叩く。
「兄ちゃんならそのうちできるよ」と弟から謎の励ましを受けていた。


 ***


 学校──二年の教室。
 キーンコーンと昼休みを告げる合図が鳴れば、静かだった教室が一気に騒がしくなった。

 陽向は机の横に掛けてある自分のバッグの中から、弁当の包みを二つ取り出す。
 前に座っている律の背中を、弁当で軽く叩いた。

「ほい、篠宮。約束の弁当」

 律は後ろを振り向く。
 緑色のランチクロスで包まれた弁当を受け取った。

「ありがとう、楽しみだな。あ、ちょっと待って」

 受け取った弁当を陽向の机に一度置く。律は自分のカバンの中から財布を取り出した。
 財布を開き、千円札を取り出そうとする。陽向は慌てて、律の行動を制止した。

「ばっ!? おまっ! ここで財布開くなよ!」
「え? でも、忘れる前に」

 弁当を渡して、千円を受け取る──その行為を他のクラスメイトに目撃されるのは、ちょっとどころじゃなく嫌だ。そう思った陽向は立ち上がる。
 弁当の包みを二つと律の手を掴むと、急いで教室の外へ出た。

 *

「おー! いい天気!」

 教室の外へ出たい陽向が向かった先は屋上だった。
 ドアを開けると、空は青く、雲一つない晴天が広がっている。

 屋上のフェンスを背もたれにして、床に座る。
 律も同じように座って、お互いの弁当を広げた。

「──あ。」

 陽向が弁当の蓋を開けて、口を開いた。
 自分の弁当も律の弁当も、おかずの配置がすべて同じだったからだ。

 朝、準備したのは自分なのだから当たり前と言えば、当たり前だ。
 作っている最中は気づかなかった。

(っぶねぇー!)

 よかった。教室で弁当開けなくて──と、陽向はそう思う。
 お揃いのお弁当。万が一、他の男子生徒に見られていたら、揶揄われ、二人して憤死していたことだろう。

 そんなことに気づかない律は両手を合わせ「いただきます」と言って、箸を手に取る。
 陽向は、少しドキドキしながら、ミニハンバーグを口に運んだ律の反応を待った。

「ど、どう……かな?」

 待ちきれず催促する。

「……うまい。このハンバーグ、マジでうまい」
「そっか。よかった」

 陽向は安堵の息を吐く。
 家族以外の人間にお弁当を作るなんて初めてのことだった。

 比較的きれいに焼けた玉子焼きやハンバーグは律の弁当に。
 少し焦げたものは自分の弁当に詰めた。
 律が目ざとく、それに気づく。

「そっちのちょっと焦げたやつもちょっと食べたい」
「ええ……? 何で?」

 リクエストとあれば致し方ない。
 陽向は弁当を持って差し出し、律はその中から焦げたミニハンバーグを一つ取った。
 
 パクッと食べ、咀嚼しながらも、どこか幸せそうな顔をしている。

「こっちもうまい」
「本当かよ?」
「こういうのってさぁ、手作りじゃないと経験できないから」
「まぁ……確かに?」

 焦げたものを出す弁当屋はないだろう。
 そう言われれば、これは家で作る弁当だからこそ食べれるもの、筆頭かもしれない。

「俺だったら、コンビニ弁当の方が美味しいと思うんだけどなぁ……」

 今の佐伯家では、コンビニ弁当なんて贅沢品だ。
 余程のことがなければ、手を出せない物になっている。

「ちょっといびつだったり、この玉子焼きだって、毎日まったく同じ味じゃないのがいいんだよ」

 律は玉子焼きを箸で掴んで、じっと見ている。
 それから、口の中に放り込んで、また「うまい」と言った。

「そういうもんか?」
「そういうもん」

 律があまりにも美味しそうに食べるので、陽向も玉子焼きに手を伸ばす。
 口の中に広がるのは、いつもの食べ慣れている味だった。

 弁当を食べ終わる。
 律も陽向も手を合わせた。

「ごちそうさまでした」
「おそまつさまでした」

 互いに弁当箱をランチクロスに包む。
 律は折りたたんだ千円札を包みの隙間に入れ、弁当箱を受け取ろうと手を差しだしていた陽向にそれを渡した。

 受け取った陽向は千円札を見て、それからチラッと律を見る。

「……本当にいいのか?」
「そういう契約を交わしたと思うけど」
「や、それはそう……なんだけど」

 現金を目にして、本当にいいのかと戸惑う陽向。
 そんな陽向に、いいんだ、と律の目が言う。

「材料費は受け取らないんだから、むしろ安い方だぞ?」
「そうかなぁ?」

 先日、陽向は律とべんとう契約を交わしたとき、材料費はいらないと断った。
 ついでに作る弁当に、そこまで出してもらうのは悪いと考えたからだった。

「……じゃあ聞くけど、佐伯のバイトって時給いくら?」
「え? 大体千円くらいだけど……?」

 高校生というだけで、百円ほど時給が低い。
 そもそも働くことができる場所も、高校生の身では限られているので仕方ないことだった。

「だったら、妥当なところだろ?」
「でも、弁当作るのに一時間もかからないけどな!?」

 思わず陽向は律にツッコミを入れる。
 しかし、すぐにツッコミ返しを食らった。

「材料費、人件費を入れたら妥当だろ?」
「たし……かに?」

 ぐぬぬ……と、納得できるようで、できないと言うような顔をしている。
 同級生から金を貰うことにどこか罪悪感を抱いてしまう。

 それを感じ取った律は、陽向に一つ提案することにした。

「じゃあ、明日の弁当にはタコウインナー、よろしくな」
「へ? タコ……?」

 弁当のおかずのリクエストを入れることで罪悪感の解消を試みる。
 それは功を奏したらしい。それまで眉根を寄せていた陽向の表情が変わった。

「わかった。タコさんウインナーな! なぁ……もしかして、篠宮ってお子様?」

 先日の炭酸ジュースを買ったときに律に言われたセリフをやり返す。
 ニヤリと笑う陽向に向かって、律もニヤリと笑い返した。

 財布からピッと追加の千円札を取り出すと、弁当の包みにそれを差し込み、陽向を困惑させるのだった。


 ***


 翌日。昼休み。

 チャイムの音が鳴ると、律が後ろを振り返った。
 目が合った陽向は、机の横にかけたカバンの中から、昨日と同じような弁当の包みを二つ取り出す。

「佐伯、どこで食べる?」
「今日も天気いいし、また屋上に行くか」

 二人は立ち上がって屋上へ向かう。
 フェンスを背にして、床に座り込む。

 律の表情や態度は普段と変わりない様子なのだが、陽向の目には犬の耳としっぽが付いているように見えた。
 そこにないはずのしっぽをブンブンと振って喜びを表している──そんな気がする。

 弁当を開けると、玉子焼きにリクエストのタコウインナー。それと唐揚げが入っていた。
 メインのおかずの隙間を埋めるように、きゅうりの浅漬けや枝豆が入っている。

「唐揚げが入ってる。いいにおいだ、美味しそう。いただきます」

 律はそう言うと箸を手に取り、一番最初に唐揚げを摘まんだ。
 パクッと食べて、小さく目を見開き、陽向の顔を見た。

「──うっま!」
「ふっふーん、だろだろ?」

 唐揚げは陽向の自信作だったらしい。
 陽向の鼻がニョキッと伸び、鼻高々だ。

「にんにく醤油に漬け込んだからな! これはかなり美味いと自負している」
「めちゃくちゃ美味しいよ」
「いや~、考えてた通りの反応が返ってくると嬉しいね」

 陽向はニカッと歯を見せながら笑う。
「俺も」と言って、唐揚げを頬張った。

 弁当を食べ終わると、陽向が小さなタッパーの蓋を開け、律に差し出した。
 中に入っていたのはカットされたリンゴだった。

「ほい。デザート」
「……リンゴ?」
「にんにくを使った料理の後はリンゴを食べるといいんだぜ。におい解消アイテム」
「そうなんだ」

 律はつまようじが刺してあるリンゴに手を伸ばし、口の中に入れる。
 シャクシャクと音を立て、甘酸っぱい味が広がった。

「佐伯って物知りなんだな」
「実はバイト先のおばちゃんが教えてくれたんだよね~」
「へぇ~」

 デザートも食べ終わり、二人は空になった弁当箱をランチクロスに包んだ。

「佐伯、これ」
「ん。あんがと」

 律が差し出した千円札を陽向は受け取る。
 お金をポケットに仕舞いながら、律に話しかけた。

「明日のリクエストは何かある?」
「そうだな~……キンピラが食べたい」
「おっけー。キンピラね」

 二人は立ち上がって、屋上のドアを開く。
 階段を下りながら、自分たちの教室へと向かった。


 ***


 ──翌日。

 ──さらに翌日。


 陽向と律は昼休みになると二人で屋上に向かい、一緒に昼食を食べる。

 今日のお弁当は二色のそぼろ弁当。
 陽向が弁当を食べ終わると、律が「賄賂」と言って炭酸ジュースを差し出した。
「さんきゅ」と言って遠慮なく受け取り、それを飲む。

 そのあと、ポケットからスマホを取り出し、陽向はスーパーのチラシと睨めっこしていた。

「う~ん……」
「どうしたんだ?」

 唸っている陽向のスマホ画面を律がチラッと覗く。
 そこには特売品の玉子が映っていた。

「この玉子、お一人様一パックじゃなければなぁ~……」

 佐伯家の主婦と化している陽向の呟きを聞き、律は「あ」と口を開いた。

「佐伯、スーパーの買い出し、手伝おうか?」
「えっ!?」
「俺、今日は塾ないから、放課後時間ある。俺も行けば、それ二つ買えるだろ?」
「マジ!? いいの!?」

 陽向の瞳が輝く。
 彼の顔も、その周りにも花が咲いているようだった。

「弁当作ってもらってるんだし、それくらいなら全然」
「ありがとう~! しのみやぁ~!」

 陽向は律の右手をガシッと掴む。
 ぎゅっと握りしめながら、頭を下げ拝んだ。


 **


 夕暮れ、スーパーの出入り口。
 陽向は両手にスーパーの袋を抱え、ルンルンと満面の笑みを浮かべていた。

 お一人様一個までの商品を二つ買えるって素晴らしい……!

 あまりの満足感に、陽向は涙を流し感動している。


 陽向の隣を、通学用のバッグを肩に掛け、片手にスーパーの袋を持った律が歩く。
 歩くたびにガサガサと音を立てながら、二人は陽向の家に向かっていた。

「篠宮、悪いな。荷物持ってもらっちゃって」
「いや、これくらいなら平気だし」
「家、遠回りになんない?」
「こっちの方角なら、俺の家もそんなに遠くないと思う」
「お。ならよかった」

 そんな会話をしつつ歩いていると、あっという間に家に辿り着く。
「ここ」と陽向が指さし、表札に「佐伯」と書かれていた。

 律は玄関先で陽向にスーパーの袋を渡し、立ち去ろうとする。
 陽向は律に「待った」をかけた。

「篠宮、お前夕飯ってどうしてんの?」
「え? テキトーに買って食べてるけど」
「だったら、夕飯食ってけよ。買い出し手伝ってくれたお礼」
「……いいのか?」
「うち、ちょっとうるさいかもしんないけど、そこは勘弁な!」

 ガチャリとドアを開け、律に「どうぞ」と促す。

「お邪魔します」

 そう言って律は、佐伯家の玄関を潜ったのだった。