君が私を忘れたことを、私はよかったと笑いたい

辿り着いたのは保健室ではなく、人気のない非常階段だった。
彩音に促されて、私たちは横並びで座る。

「……それで、何があったか話せる?」

誰もいない静かな空間で、彩音が尋ねてくる。
こんなこと、親友の彩音にしか話せない。

感情はぐちゃぐちゃで、何にも整理がつかないまま。
私は恭介が“片思い病”にかかってしまったことを打ち明けた。

「あんなに奈子が世界の全てって感じだった男が……信じられない」

話を聞き終えた彩音が、呆然と呟いた。

「でも、奈子の顔見てたら本当なんだって分かるよ。
まさか立花が片思い病だなんて……」

そこで言葉は途切れ、彩音が黙り込む。

「……ごめん。
私いま、奈子にかける言葉が見つからない」

彩音はどこか悔しそうにそう言った。

「大事な親友がこんなに辛い思いして苦しんでるのに、気の利いたことの一つも言えないなんて……」

その目には、涙が浮かんでいて。

「……私ね、どこかで楽観視してたの。
まさか自分たちの身に降りかかるわけないって」

私の声は、みっともないくらいに震えていた。

「……うん」

「何でもないような明日がまた来るって疑いもしなくて、恭介にあんな冷たい目を向けられる日がくるなんて……思いもしなかった」

「……うん…」

彩音が何度も頷いてくれる。

「どうして恭介だったんだろう。
どうして、神様は恭介を選んじゃったのかなあ」

「うん……うん……っ」

枯れ果てない涙が、ポロポロと零れ落ちる。
隣で彩音も涙を溢していた。

その姿が余計に涙腺を緩めて、止まらない。
私は共に涙を流してくれるただひとりの親友と、声を上げて泣き続けた。

「……ティッシュ使う?」

「……ありがとう」

私たちは、揃ってティッシュでずるずるになった鼻をかむ。

「……私ね、もう少し頑張ってみようと思う」

ひとしきり泣いたら、少しだけ前向きな気分になれたような気がする。
私は決意も込めて、言葉にする。

「たとえ忘れられても、私たちのこれまでがなくなった訳じゃない。
でも私が今ここで折れたら、これからの恭介との繋がりが絶たれてしまう」

だから私は、今の恭介とも関わっていきたい。

彩音が私の手をぎゅっと握る。

「辛い時は、私がいる。奈子はひとりじゃないから」

「……ありがとう……」

その想いが嬉しくて、私は少しだけ笑うことができた。


それから、当然のように恭介から連絡がくることはなかった。
クラスが違うと、どちらかの意思がなければ会って話すことすら滅多にない。

だから私は、一日一回。
そのルールを決めて、自分から恭介に会いに行くことにした。

「……あ、おはよう!」

今日は下駄箱で、登校してきた恭介と会うことができた。
笑顔で挨拶をすると、恭介は何も言わずにさっさと歩いて行ってしまう。

「……なっにあれ! 無視!?」

隣にいた彩音は、それを見て怒りをあらわにした。

「さすがにそれはないでしょ……おい立花ァ!」

「彩音、ありがと。大丈夫だから」

今にも掴みかかっていきそうな彩音を宥める。
今日で四日目。
話しかけても無視されるのは毎度のことだ。

そうへらりと笑ってみせると、彩音の怒りが消える。

「……奈子……」

その代わり、眉を下げて私を見つめた。

今の恭介は、病気によって私にマイナスな感情を抱くようになっている。
だからこれもしょうがないことなんだ。
そう言い聞かせることで、心の痛みには気づかないフリをする。

「こうやって少しずつ話しかけてれば、せめてマイナスがプラマイゼロくらいにはなれるかもしれないでしょ」

頑張るって決めたんだから、簡単に根を上げるわけにはいかないよね。

そうして、恭介に話しかけては無視される日々が続いた。
そんな異様な私たちの姿は、すぐに噂になった。

「もしかして別れたの?」
そう直接聞かれることも増えた。

私は、恭介と別れたつもりはない。
そしてこれからも、別れるつもりはない。

でも、今の私たちを見たら付き合っているという方がおかしいくらいだ。
かといって、恭介の病気のことを勝手に吹聴はできない。
だから私は、曖昧に笑って誤魔化すことしかできなかった。

そんな日々が続いた、一週間目のことだった。

いつものように話しかけて、無視されて終わりかと思った時。

「ちょっとついてきて」

初めて恭介から反応が返ってきたのだ。
驚きつつ、素直に恭介の後を追う。