君が私を忘れたことを、私はよかったと笑いたい

教室の後ろのロッカーに置かれた花瓶が、視界の端に映る。
そこに活けられた花は、昨日よりも色褪せ、花びらを重たげに垂らしていた。

支えを失ったその姿が、病室のベッドの上で力なく横たわっていた白石奈子と重なる。

―――「もう会いに来ないで」

白石奈子に告げられた言葉は、いつまでも耳の奥に残っている。

白石奈子に会わなければ、感情がかき乱されることもない。
その代わりに、全てが”無”だった。
授業も、クラスメイトの笑い声も、全部が遠くにあった。
自分の中身が空っぽになって、ただの殻だけでここに座っているような日々。

無味乾燥な時間を終えて、自宅である施設に帰る。
ベッドに横たわり、意味もなく天井を見上げていると、控えめなノック音。

「恭介、ちょっと話があるんだけど……」

陽子さんを部屋に招き入れ、向かい合って座る。

「今日の夕飯はカレーよ」
なんて、当たり障りのない雑談から始めようとする陽子さんに、直球で尋ねた。

「で、何の用?」

陽子さんはどこか言いにくそうに切り出した。

「……奈子ちゃんのお見舞いには、もう行かないの?」

この人には、白石奈子の元に通っていることを伝えていた。
それを初めて聞いた時の陽子さんは、やたらと嬉しそうだった。

だから俺が、パタリと通わなくなったことが気がかりなのだろう。

「もう行かない」

そう望まれているのだから、とは言わなかった。
これ以上話を続ける気にはならなくて、口を噤むことでそれを示そうとした。
けれど。

「恭介は、それで本当にいいの……?
だって奈子ちゃんは―――あと余命が三か月もないっていうのよ……?」

その言葉で、全てが吹き飛んだ。

「…………は?」

胸を殴られたみたいに、息が止まった。

「……まさかあなた、知らなかったの……?」

陽子さんの目が、驚愕に見開かれた。

「……それ、本当なの」

声はひどく震えていて、自分のものではないかのようだった。

陽子さんが、傷ましいものを見るようにくしゃりと顔をゆがめる。

「……ええ。確かに、そう聞いたわ」

白石奈子の様子からして、相当悪いとは思っていた。
けれど、まさかこんなにも早いなんて―――嘘だと思いたかった。

頭の中で何度も否定の言葉を繰り返すのに、現実は冷酷にそこにあった。
視界がかすんで、眩暈に足元がふらついたが、立ち止まっているわけにはいかなかった。

「……行かないと」


会わないと、会いに行こう―――会いたい。
どんな顔をされても、どんな言葉をぶつけられても、今度こそ間違えない。

次の瞬間、俺は駆け出していた。

「ちょっと、恭介……!?」

焦ったような陽子さんの声は、届いていなかった。
胸をかきむしるような鼓動を抱えて、病室へ向かうために―――ただ、全力で走った。