君が私を忘れたことを、私はよかったと笑いたい

そして、翌日。
病室にやって来た恭介が、私の布団の上に何かを放るように置く。
つられるように目を向ければ、それは”あやとり大全集”とタイトルのついた本。

「これ……」

「どうせやることなくて暇でしょ」

それで、わざわざ買ってきてくれたのだろうか。

「……ありがとう」

素直に嬉しくて、顔が綻ぶ。
恭介は無言のままいつものベッド脇に腰掛けると、昨日持ち帰っていた青のあやとりを取り出すのだった。

その後は本を見ながら、新しいあやとりの技を色々試してみたりした。
私が中級で苦労している間に、恭介は最高難易度の12段はしごをサラッと完成させていたりして。
今の恭介と、こんな風に過ごせるようになるなんて思ってもなかった。

こうしていると、片思い病なんてまるで嘘のように思えて―――その時、ページをめくろうとしたお互いの手が、触れた。

久しぶりに触れる、恭介の手と体温。
しかし次の瞬間には、バシッと音を立ててその手が振り払われた。
顔を上げた先では、恭介が驚いたような、呆然したような顔をしていた。
その瞬間、氷水を浴びせられたように心臓が縮まった。

きっと、私に触れてその瞬間に膨れ上がった嫌悪感。
その本能のような感情が、恭介を動かしたのだ。

―――この病がある限り、私たちは決して相容れない。

そう、水を差されたかのようだった。

それでも恭介は、私を振り払った己の手のひらをじっと見つめ、拳を握る。
その表情はどことなく苦しげに見えて、私は何も声を発することができなかった。



母は看護師の仕事を辞め、私についていてくれるようになった。
私を育てるために、いつも休みを惜しんで働いてくれていた母。
看護師という仕事に誇りをもって、打ち込んでいたことを知っている。

「仕事……ごめんね」

思わずそう呟けば、母は「そんなのいいのよ」と優しく頭を撫でてくれた。
その柔らかさは、冬の光のように温かく胸に染みた。




私の体調は、日に日に悪化していた。
頭痛は強くなり、視界はぼんやりとし、身体の力は鉛のように重い。
髪はほぼほぼ抜け落ちてしまい、寝る時も帽子が手放せなくなった。
顔色はさらに悪くなり、目に見えてやつれていく。

それは、恭介からもらった本を見ながら、ひとりあやとりの技の練習をしていた時のことだった。
指先に絡まった赤い毛糸を、するすると抜こうとして―――「……あれ……?」

左の薬指にかけた糸が、まるで凍りついたみたいに外れてくれない。
指が言うことを聞かない。抜こうとしても、ひっかかってしまう。

焦って手を振るようにしてみても、糸はするりと解けずに指にまとわりついている。
おかしい。こんなはずじゃない。

胸の奥に小さな恐怖が灯った。
試しに左手を強く握ってみようとする。けれど、右手に比べて力が入らない。
まるで誰かが、私の左手だけ別の場所に置き去りにしてしまったみたいだ。

「嘘……でしょ」

ぽつりと声が漏れる。
指先から、じわじわと冷たい不安がせり上がってきて、喉が乾いた。
赤い毛糸が、ただの遊び道具じゃなくて、何か重大な異変を告げる警告のように見えた。


―――”死”が、じわじわとにじり寄ってくる。そんな感覚がした。