君が私を忘れたことを、私はよかったと笑いたい

駅前にある、小さな喫茶店の窓際。
午後の光が柔らかく差し込み、テーブルの上にカップの湯気がゆらめいていた。

目の前に座る千尋くんが、カップに角砂糖を一つ入れる。
それをなんとなく目で追って、私もカップに手を伸ばそうとする。

肌に浮かぶ青白さ、細くなった手首。
さりげなく袖口を伸ばして、気づいてしまった自分の変化を隠そうとする。

「奈子……ちょっと痩せた?」

胸が跳ねた。ああ、やっぱり千尋くんには気づかれるよね。
私はカップを手に取り、誤魔化すように笑った。

「最近、あんまり食欲がなくて。大したことじゃないよ」

「……そっか」

それ以上、彼は追及しなかった。安心と同時に、胸の奥がひりひりと痛む。

沈黙を破るように、千尋くんは話題を変えた。

「今日は来てくれてありがとう」

「ううん、こちらこそ……誘ってくれてありがとう」

”良かったらお茶でもしない?”
そう、連絡をくれたのは千尋くんの方からだった。
私が別れを告げたあの日以降、会うのは初めてのことだった。

「本当は、もう会わない方がいいのかとか、色々考えたんだけどさ。
一回フラれたからって、これまでもこれからもなくなるのは、嫌だなって思ったんだ」

千尋くんの声はいつだって穏やかで、私の心をほっと安らげてくれるココアみたいだ。

「だから、奈子さえ良ければ……これからも友だちとして、仲良くしてくれないかな」

少しだけ照れたように、こちらを伺う千尋くん。

「私はもちろん嬉しい、けど……本当にいいの?」

私に、そんなこと言ってもらえる資格があるのだろうか。

「うん。これは俺のワガママでもあるから」

千尋くんがそう言って笑うから、つられて私もちょっと笑った。

「ありがとう、千尋くん」


「ありがとうございました」

丁寧に頭を下げる店員さんに見送られながら、私たちは揃って喫茶店を出た。

「今度は彩音ちゃんも誘ってさ、また映画でも行こうよ」

「いいね。彩音にも言っておくね」

「あ、でも今度はできればホラー以外でお願いシマス」

以前一緒にホラー映画を見た時のことを思い出したのか、渋い顔になる千尋を見て思わず吹き出す。

「うん、それも伝えとくね」

外は店内と違ってすっかり肌寒い季節になっていたけれど、心はポカポカと温かい。
今日千尋くんに会えて、本当に良かった。

別れ際、もう一度「ありがとう」を伝えようとした瞬間。

「ぅ……っ」

ズキン、と脈打つように激しく頭が痛んだ。
そして、視界がぐらりと揺れた。

「奈子!?」

千尋くんの声が響いた瞬間には、もう地面が目の前に迫っていた。

暗転する意識の端で、彼が駆け寄る音と、誰かのざわめきが遠ざかっていくのをただ聞いていた。