君が私を忘れたことを、私はよかったと笑いたい

学校に行くと、やっぱり体は思うように動かない。
黒板の文字がにじんで見えたり、頭の奥からズキンと痛みが走ったり。

今だって、黒板の文字が霞んで頭がぐらりと揺れた。鉛筆を握る手に力が入らない。
隣の席の男子が、ぎょっとしたように私を見る。
ごまかすように笑って、黒板を写すふりをする。

私はあと何回、普通の生活を送ることができるのかな。

結局、ノートはろくに書き写すことができなかった。


「ねえ奈子、今日の帰りどこか寄っていかない?
ご飯食べ行こうよ」

休み時間になると、彩音が席を立って真っすぐに私の元にやって来た。

「んー……ごめん、今日はちょっと体調が悪くって……」

今日は本当に、調子が良くない日だった。
そんな体で放課後どこかに出かけるのは難しいだろう。
母だってそれを知ったらきっと怒る。

「今日は、じゃなくて”今日も”でしょ?」

え、とその言葉に顔を上げた。

目の前の彩音は、どこか険しい表情をしていて、私は驚きが隠せない。

「最近の奈子、ずっと体調悪いように見えるよ」

「えー?
今月アレが重かったから、そのせいかなぁ……」

生理のせいだと笑ってごまかそうとしても、彩音の強い視線が私をじっと捉えている。

「……本当に、それだけ?」

今度は笑うこともできなかった。
視界が曇って、涙が勝手ににじむ。

親友(彩音)に、隠し事なんて無理できない。
そう痛感させられて、私は震える唇を開いた。

「……彩音に、話しておかないといけないことがあるの」


私たちはある種定番となった非常階段へ移動した。
肌寒さを感じるカラリと乾いた風が、少しだけ気持ちを落ち着かせてくれる。

「とりあえず、座ろ?」

「……うん」

彩音はこうして、いつも隣に座って私の話を聞いてくれる。

言わないと。私の、病気のこと。
でも、言わなければと思うほどに言葉が喉に引っかかる。

乾いた風が頬をなでると同時に、喉の水分まで攫っていくようで、息をするたびに乾きが増した。

彩音はただじっと、私が話し出すのを待ってくれていた。

「彩音……実はね」

声が震えた。

「私……病気なの。脳腫瘍、だって。
……余命、半年って言われた」

沈黙。
彩音は瞬きもせず、ただ私を見つめていた。

「……治らないの?
だって、そういうのって手術とかさぁ……」

藁にも縋るような声だった。
私はゆっくりと首を横に振る。

「……手術はできない。
現在の医学じゃ手だてがないって、はっきり言われた」

「そ、んな……」

彩音が一瞬、言葉を失って固まる。
やがて肩が震えて、その目から涙が溢れ出した。

「どうして……ほんとに、どうして奈子ばっかなの……?」

彩音は私の腕にしがみつき、声を殺して泣いた。

どうしてどうして、とうわ言のように呟く彩音。
私もつられて泣きそうになったけど、ここで泣いたら駄目だと思って、必死に堪えた。

「ごめんね……私、彩音のこと泣かせてばっかだね」

恭介が片思い病になった時。恭介との別れを決めた時。
彩音はいつも私の悲しみに寄り添って、一緒に涙を流してくれた。

「……そんなのいいんだよ、ばかぁ……」

しがみついた腕に、彩音がぐりぐりと顔を押し付ける。

大好きで、唯一無二な私の親友。
あと半年後には、そんな親友のことも私は置いていくんだ。

「ごめんね……」

こんな時にふさわしい言葉は何一つ出てこなかった。


「もうさ、今日ティッシュ持ってないのに……」

彩音がそう呟きながら、ポケットから取り出したハンカチで豪快に鼻水も拭っている。
それでもポロリと涙がこぼれては鼻をすする音がする。

こちらを見上げた彩音は、目の周りも鼻の下も真っ赤に腫らしていた。

「……立花には、言わなくていいの?」

彩音からのその問いに、私は「うん」と頷いた。

「言わなくていい。
私はもう、恭介の中から消えた存在だから」

あの日……保健室で見た、私の名前を呼ぶ恭介の姿が脳裏によぎる。

そう。それなら尚更、恭介には知られてはならない。

「でも……っ」

言いかけた彩音は、しかし私の表情を見て意見を曲がることはないと察したのだろう。
悔しそうに唇を噛みしめたまま、強く頷いた。

……ごめんね。
心の中で、もう一度呟いた。