君が私を忘れたことを、私はよかったと笑いたい

「……私ね」

かすれる声を振り絞った。

「恭介のこと、一生忘れられないの。
……たとえ彼が私のところに帰ってくることはなくても、嫌われても……それでも、好きなの。ずっと」

千尋くんの瞳が揺れた。
けれどそこに責める色はなく、ただ静かに受け止めている。

「だから……ごめんなさい。これ以上、千尋くんと一緒にはいられません」

言った瞬間、涙があふれ出しそうになる。

泣くな。私に泣く権利なんてない。

千尋くんがどれほど優しくしてくれたか、どれほど私を想ってくれていたか分かっている。
だからこそ、自分が最低な人間に思えた。

千尋くんは、しばらく黙っていた。
やがてポツリと呟くように口を開く。

「恭介って人の、病気のことは……彩音ちゃんから少し聞いた。
俺が聞きたいって言ったんだ。勝手にごめん」

責める気なんてこれっぽちもなくて、私はゆるゆると首を横に振る。

「……片思い病、なんだよね」

「―――うん」

肯定すれば、千尋くんの眉がどこか泣きそうに下がった。

「奈子は、それでいいの?」

どこまでも優しさに溢れる問いかけだった。
それでいて、どうしようもなく切ない響き。

「いいの。
私だけの片思いになっても、この想いは死ぬまで手放さないって決めたんだ」

千尋くんは少しの間、目を閉じていた。そしてゆっくりと頷いた。

「……分かった。奈子が決めたことなら、俺は受け入れる」

「ごめん、本当に……ごめん」

「謝らなくていいよ。
元々無理言ってたのは俺なんだから」

それ以上、彼は何も言わなかった。
席を立ち、会計を済ませる背中を見つめながら、また涙が溢れそうになった。
想いを踏みにじって、傷つけた。

そんな私から言える言葉なんてもうなかった。

「じゃあ、気を付けてね」

「うん……ありがとう」

カフェを出た別れ際、背を向けようとした私を「奈子」と千尋くんの声が呼んだ。

「今までありがとう。短い間だったけど、幸せだった」

そうして千尋くんは、いつもと変わらないあの優しい笑顔を見せてくれた。

「……っ」

最後に深く、頭を下げて。
背を向けた瞬間、堰を切ったようにあふれ出る涙をそのままに、振り返ることなく歩いた。

だから―――私の背中を見送った彼が、その後人目につかない路地裏でひとり涙を流していたことを、その時の私は知らなかった。