君が私を忘れたことを、私はよかったと笑いたい

今日は千尋くんと出かける約束をしていた。
朝から空はやけに澄み切っていて、雲ひとつない青が広がっている。
それはまるで私の胸の中の曇りを見透かして、皮肉のように広がっているようで、自嘲じみた笑いがこぼれた。

千尋くんと並んで歩く商店街。
二人で並んであるいていると、レトロちっくな雰囲気のカフェに目が留まる。
それに気づいた千尋くんが「行ってみようか」と言って、私たちはカフェの前に立ち止まる。

店先に置かれた看板メニューをのぞき込む、彼の横顔を盗み見た。

爽やかな笑顔。優しくて、誠実で、私なんかにはもったいないほどの人。
なのに―――私は、彼に別れを告げるためにここにいる。

ぬるま湯のように心地いい、千尋くんの優しさに甘え続けることをきっと”平穏”とか”幸せ”っていうのだろう。
私の選択は、きっと誰も幸せにしない。

それでも、私は。


「奈子、大丈夫?」

カフェに入って向かい合うと、千尋くんが穏やかな声で問いかけてきた。

「なんか、今日は元気がない気がする」

ほら、彼はやっぱりよく人を見ている。
そしていつでも、こちらを気遣う優しい言葉をくれるのだ。

「……ううん、大丈夫」

「本当? 無理してない?」

千尋くんにはきっと、私が上手く笑えていないことなんてバレバレだ。
その証拠に、千尋くんの目がまっすぐ私を射抜く。

ごまかせない。私は視線を逸らした。

ホットココアの上にたっぷりと乗ったクリームをスプーンですくう。
それを口に含むでもなく、ココアに溶かしてかき混ぜて、指先が震えないようにするので精一杯だった。

喉の奥が締め付けられて、上手く声が出ない。

言わなきゃ。今日、ここで。そうでないと、この優しい人をもっと傷つけてしまう。

けれどどうしようもなく、言葉は重かった。
唇からは声にならない吐息が小さくもれるばかりで、なかなか出てきてはくれない。

そんな私に、千尋くんは静かに言った。

「言いたいことがあるんだよね。俺、聞くから」

その優しさに、心臓が痛む。

どうしてこの人は、こんなにも私を大切にしてくれるのだろう。
どうして―――恭介は、私を忘れてしまったのだろう。