君が私を忘れたことを、私はよかったと笑いたい

そして、次の第三週目の金曜日。

「……気が向いたから」

そう言って、恭介はまた音楽室にやって来た。

私たちの間に、相変わらず会話という会話はなかった。
けれど恭介は前回と同じように隅に座り込みながら、私の演奏に耳を傾けてくれているのが分かった。
ピアノを褒めて貰えたことを思い出して、密かに嬉しくなる。
心なしピアノの調子も良かった。

そして別れ際。

「あんた、名前は?」

恭介の方から、初めて尋ねられた。

「白石奈子」

素直に名乗れば、恭介は「そう」と頷いた。

「……また来る」

そう言い残していった恭介。
これが、二度目。


そして、三度目。
一曲弾き終えてから恭介に目を向けると、何かに向かって一心にペンを走らせていた。

「何書いてるの?」

恭介がここで何かをしているのは初めてだったから気になって、声をかけてみる。

顔を上げる恭介。
その手元をよく見れば、それは五線紙だった。
そこに手書きの譜面が描き込まれている。

「あ、楽譜書いてる……というかもしかして、曲を作ってる?」

私は立ち上がり、恭介の前にしゃがみ込む。

「……あんたのピアノを聴いてると、イメージが湧いてくるんだよ」

「すごい!
作曲できる人はじめて見た!」

走り書きのように書かれた楽譜。
これは、世界に一つだけのオリジナル曲という訳だ。

見ていると何だかうずうずしてきて、恭介に尋ねてみる。

「これ、描き終わったら……ちょっと弾いてみてもいい?」

「……もう大体描き終わった」

そう言って差し出された楽譜を受け取る。
これはつまりOKってことだよね。

私はピアノに座り直し、貰った楽譜をセットする。
読み込みながら、少しずつメロディにのせていった。

「何これすごい……いい曲……!
立花くん天才だよ!」

心からの賛辞を伝えれば、どこか気恥ずかしそうに視線を逸らす恭介。

「でもまだ完璧じゃない。から、次に完成版を持ってくる」


その言葉通り、次に恭介は完成版の楽譜を持ってきた。

「あ、歌詞もついてる……!」

「完成版だからね」

何でもないように言う恭介。
作詞作曲ができるなんて尊敬でしかない。

早速楽譜をセットして、私はピアノに向かう。

ああ、いい曲だ。
弾きながらそうしみじみと思う。
何度か練習で弾いてコツを掴んだら、つい気分良く歌詞を口ずさんでみたりして。

すると、吹き出すような声。
振り返れば、笑いを堪えているような恭介の姿。

「あんた、ピアノは上手いのに歌は下手すぎるでしょ」

確かに歌ヘタな自覚はあるけれど……ちょっとストレートすぎません?
そこで恭介が、堪えきれないという風に笑った。

「……笑った……」

それは、はじめて見る恭介の笑顔だった。
くしゃっと笑い皺のできたその笑顔に、胸が高鳴る。

「そ、そこまで言うなら立花くんが歌ってみてよ!
私は伴奏するからさ」

軽い意趣返しのつもりで、返事を聞く前に伴奏をスタートする。
恭介は特に狼狽えることもなく息を吸い込んだ。

「いや上手いんかい」

思わずそう突っ込みたくなる程、恭介は歌が上手かった。
作詞作曲に加え歌も上手いなんて、神は二物を与えるものだ。

この日をきっかけに、恭介が作った曲を私がピアノで弾いて、恭介がそれに合わせて歌う。
そんな過ごし方が私たちの定番となっていった。

「またね」は言わなくても、次の約束が当たり前になって。
出会った当初は刺々しかった恭介の態度が、段々と柔らかくなっていって。
「あんた」だった呼び方も、いつしか「奈子ちゃん」と呼んでくれるようになった。

私はいつの間にか恭介に恋をしていて、恭介も私のことを好きだと言ってくれた。
そして中学二年生の冬に、私たちは恋人同士となったのだ。