君が私を忘れたことを、私はよかったと笑いたい

そして、第三週目の金曜日。

朝から私はいつもより念入りに身なりを整えた。
放っておくとあちこちにはねる髪をアイロンで伸ばして、毛先は内巻きに。
やつれてこけた頬を隠すようにチークを塗って、先生に注意はされない程度にだけれど化粧を頑張った。

そして放課後、音楽室に行く直前には髪を櫛でとかして、リップも塗りなおす。

だってあなたの最後に映るのは、少しでも綺麗な私でいたいから。

「恭介」

今日も恭介は先に来ていた。
立ち尽くしたまま、ドアが開かれるのを待っていた。

足を進めて、恭介の前に立つ。

「……奈子ちゃん、今日は化粧してるの?」

恭介は、相変わらず私の変化にすぐ気づく。

「うん」

「髪も……いつもとちょっと違う。くるってしてる」

「……可愛い?」

ちょっと小首を傾げてみれば、恭介の目が優しく細められた。

「うん、可愛い。
すっごい可愛い」

「良かった」

私はきっと今、心から笑うことができたと思う。

けれど恭介は、何かに気づいたかのようにハッと目を開いた。
何かを言おうとして、形のいい唇が小さく開く。
しかしそれは短い呼吸音にのまれ、やがて沈黙の一部となる。

「恭介」

もう一度名前を呼んだ。
察しのいい恭介は、私が何を言おうとしてるかなんてとっくに分かっているのだと思う。

言わないでくれ、言わせたくない。その瞳が語る。
それでも震える唇が、それを留める言葉を吐けないのを私も分かっている。

「私たち、こうやって会うのこれで最後にしようか」

その上で私は、この人を殺す言葉を告げる。

「この間ね、病院の先生のところに行って聞いてきたの。
片思い病患者の一時的に記憶が戻るという症状は、対象者との何かしらの接触が続いている場合に限る。
それってつまり、会わなくなれば思い出すこともなくなるってことですよねって。
はっきりとこうだとは言えないらしいけど……その確率が高いって言ってた」

私は恭介から目を逸らさずに言う。

「だからねきっと、あなたも私を忘れられるよ」

「……忘れたくない……」

恭介は震える声で、でもはっきりと言った。

「奈子ちゃんのことを忘れたくない」

「だってこのままだと恭介は、ずっと苦しいままだよ」

私の言葉に、恭介がかぶりを振った。

「それでいい。
奈子ちゃんを失うくらいなら、永遠に苦しいままでかまわない」

「私は嫌だよ」

恭介の泣きそうな目が私を見つめた。

「病気になった恭介のことも、私は結局嫌いになれないの。
いっそあんなの恭介じゃないって、憎んで切り離せたら良かった。
でもダメなの。どうしても、苦しんでほしくないって思う」

”立花恭介”の幸せを私は願う。
そのために、私はあなたの中から“私”を消す。

「これからの恭介の幸せは、私がいたら成立しない。
それを分かっていて、このままを続けることは私にはもうできないよ」

何が正解なのかなんて知らない。
どうすればよかったのかなんて分からない。

「それに私だってね、恭介に傷つけられるのはもうこりごりなの。
すぐには難しいかもしれないけど、恭介のことなんて綺麗さっぱり思い出にするから大丈夫」

こんな嘘は、溢れている涙できっとバレバレだ。

それでも私は、ひどい女を貫いてあなたに言う。
最も効果的で、残酷なこの言葉を。

「―――私のために死んで?」

そして、幸せになって。


十七歳の秋。
こうして私は、愛する人に別れを告げた。