君が私を忘れたことを、私はよかったと笑いたい

また次の第三週目の金曜日がやって来た。
ある種の予感を抱えながら音楽室に行く。

「……奈子ちゃん」

少し疲れたような顔をした恭介が、そこで待っていた。

「また……思い出せたんだね」

私の顔は今、笑っているのだろうか。
そんなことも分からなくなって、力なく恭介のそばに近づく。

「……ごめ……」

「謝らなくていい。
何も言わなくていいから、今はただ抱きしめて欲しい」

謝罪の言葉を遮って、私は懇願する。
恭介は言う通りに口を閉ざして、私の体を優しく抱きしめた。
鼻先をくすぐる恭介の匂い。心地良い体温。
ただそれだけを感じていたくて、私は目を閉じる。


―――おかえり。世界で一番大好きな人。


どれくらいの時間そうしていただろうか。
カーディガンに入れたスマホが音を鳴らしたのを合図に、私は恭介から体を離した。
届いていたのはただのメルマガで、マナーモードに切り替える。

「……ごめん、もう大丈夫。座ろっか」

恭介をそう促して、隣同士に座る。

何かを言おうとして、口を閉じる恭介。
きっと出てこようとするのは謝罪の言葉ばかりだからだろう。
私の言ったことを、律儀に守ろうとするのが恭介らしい。

「先月、私と別れた後……どのくらいで恭介は私を忘れたの?」

「……翌日の朝、目が覚めた時。
眠りにつく寸前までは、確かに奈子ちゃんのことを覚えてた」

「……そっか」

それから恭介は、今の時点で分かったことを話してくれた。
まず、片思い病にかかった今の状態を恭介A。私のことを一時的に思い出しているのを恭介Bとする。
恭介Aは、恭介Bの時のこと……つまり、私を思い出している間のことを覚えていない。

反対に、恭介Bは記憶を失わない。
つまり前回と同様に、ここにいる恭介は片思い病になった自分の行動を全て覚えている。

「この口で“もう関わるな”って言ったことも。
……嫌ってくらいに覚えてるよ」

その目に涙はなくとも、恭介の心が泣いているのが分かる。

「自分が自分でないみたいだ。
心を乗っ取られて、気づいた時には取り返しのつかないことになってる」

見えない悲鳴をあげて、ズタズタに引き裂かれている。

「俺は奈子ちゃんが必要なのに。
奈子ちゃんしかいらないのに……どうして“俺”はそれを否定する?」

恭介は掻きむしるように頭を抱えた。
噛み締めた奥歯がギリギリと今にも砕けてしまいそうな音を立てる。