《6話:俺を思い出にしないでよ》
◯駅前の書店・BL棚前【11月半ば・土曜日の昼前】
詩生はBLの並ぶ棚の前で、カゴの中に漫画を入れていく。カゴの中には三冊のBL漫画。どれも「わんこ攻め」。近くには一玖もいる。
詩生(現実逃避しないとやってけない……。色んな意味で)※受験と稀和の件。
詩生が一冊のわんこ攻めの漫画を手に取った瞬間、一玖がカゴを覗いてくる。
一玖「詩生さん、今日はなんか『わんこ攻め』ばっかり買ってますね」
詩生「え? そうかなぁ?」
詩生はカゴの中に視線を落とす。漫画の帯には『わんこ攻め』の文字。一冊どころか、三冊すべて。手に持っている漫画も。
詩生「あ」
一玖「詩生さんって、前から思ってましたけど……漫画の好みが、好きな人に左右されるんですね」
一玖が素直にそう言うと、詩生は顔を真っ赤にして必死の弁解を始める。
詩生「ち、違うよ! ほら、わんこ攻めってめそめそしてるヘタレもいるでしょ! 俺、ヘタレ攻めが好きだから」
一玖「……」
じとっとした目で見てくる一玖。
詩生は顔をそらす。
一玖「詩生さんって……分かりやすい」
ポソっと呟く一玖。
◯駅前のカフェ・窓際の席【11月半ば・土曜日の昼過ぎ】
テーブルの上には、先ほど買ったBL漫画が数冊。詩生の向かいの席には、一玖がいる。カフェに移動して、稀和とのことを聞かれた詩生。状況を説明した後、一玖はホットカフェラテを飲んで「はぁ」とため息を吐く。
一玖「詩生さん、こんなこと俺が言うのもアレですけど、馬鹿なんですか?」
詩生「え……?」
一玖「俺、二人がもう復縁したのかと思ってたんですが、進展するどころか退行してるとは思わなくて」
一玖は呆れた様子で、額に手を当てる(※一玖はこれなら俺、諦めなくてもよかったんじゃ…? なんて思っているところ)。
詩生「いや、だって……稀和、またアメリカ行くんだよ? しかも、永住って。付き合っても、意味ないじゃん」
一玖「それ、稀和さんの口から聞いたんですか?」
詩生はうぐっと言葉を詰まらせる。
詩生「聞いてない。でも、稀和の双子の兄から教えてもらったんだよ?」
一玖「いや、稀和さんがどうするかなんて分からないじゃないですか」
詩生「でも」
一玖「でもじゃないです。そこは本人とちゃんと向かい合って、話をするべきですよ」
一玖の真剣な目。
詩生はぐっと息を飲んでから、目を伏せる。
詩生(一玖くんも、ヘタレだったのに……俺こそ、ヘタレみたいになってる)
詩生「わかった。頑張ってみる。だけど、今日はもっとBLの話──」
一玖「今は語れる状況ではないんで、それはまた今度にしましょう」
顔を上げたところで、ばっさり一玖にぶった斬られる。
※一玖は何かを察知した様子。
◯駅前のカフェの外・稀和視点【同時刻】
カフェの窓際に座る詩生と一玖を、稀和は少し離れた場所からじっと観察中。普段はつけないキャップとマスク姿。全身真っ黒で、身を屈めている。完全に不審者。
稀和(……詩生、なんでまたアイツと会ってるの。俺とは受験生だからって言って、デートしてくれないのに)
稀和は目に涙を溜めて、半泣き状態。先日、遊びに行こうと詩生に言ったら、断られたのを思い出す稀和。
稀和(詩生はやっぱり、俺じゃ駄目……?)
稀和がぐすっと鼻を鳴らして涙を拭った時、一玖が稀和の方を見る。※稀和は気づいていない。
◯駅前のカフェ・詩生視点【同時刻】
一玖「あの……詩生さん。稀和さんがまた、俺たちを見てます。あの真っ黒の不審者」
詩生「……は?」
詩生が窓の外を見ると、全身真っ黒な稀和と目が合う。稀和は一瞬だけ固まるも、すぐに顔をそらす。それどころか、立ち上がって逃げ出す。
一玖「詩生さん、行った方がいいですよ。たぶん、なんか勘違いしてます、あの人」
詩生「勘違いって何を」
一玖「それは本人に聞いてください」
詩生「えぇ?」
戸惑いながらも、詩生は席を立つ。
慌てて店の外に出て、稀和を追いかけることに。
◯駅前通り〜駅裏【続き】
カフェを出ると、11月半ばというだけあって、肌寒い。詩生はぶるっと身体を震わせて、辺りを見回す。
稀和は駅ビルの方ではなく、高校のある方向(人の少ない通り)へと走って行く。
詩生も慌てて、走り出す。
だが、稀和の背中はどんどん遠ざかって行く。
詩生(稀和、なんで逃げるの……! てか、稀和っ! 足速すぎない⁉︎)
詩生は必死に追いかけるものの、一向に距離は縮まらない。稀和は身長が高くて見つけやすいはずが、いつの間にか見失ってしまう。
詩生「稀和っ! 稀和どこっ!」
稀和を呼びながら、探す詩生。
駅裏の通りは人通りも少なければ、車通りも減る。
肩で息をしながら、周囲を見回す詩生。
近くにある、信号のない横断歩道を渡ろうとした瞬間、よそ見していて詩生に気づかない車が突っ込んでくる。だが、詩生は稀和のことばかりに気を取られて、気づいていない。
稀和の「詩生っ!」という声と共に、詩生の腕が引っ張られる。詩生の目の前を猛スピードの車が走り去って行く。
詩生のなのか稀和のなのか分からない、激しいドッドッという心臓の音。詩生が顔を上げれば、息を切らしながら、稀和が詩生を抱き寄せている。二人して、地面に座り込んだ状態。
稀和「……詩生が死んじゃうかと思った」
今にも泣き出しそうなへにょへにょの顔をする稀和。
稀和「俺……やっぱり詩生がいないと生きてけない」
ぐすぐす泣き出す稀和。
稀和「俺、頑張るから。頑張るから、詩生……俺を捨てないでぇ」
イケメンが台無しになる稀和。
詩生「なんで……なんで、そんなこと言うの」
詩生は唇を震わす。
詩生「稀和の方でしょ。……俺を置いて、またアメリカに行くじゃん」
詩生、目に涙を溜める。
稀和、詩生がなくと思わず、驚きのあまり涙引っ込む。
稀和「詩生、なんでそれ」
稀和が右手を詩生の顔に近づける。だが、詩生はキッと睨みつけて手を振り払う。稀和を突き飛ばして、詩生は腕の中から逃れる。立ち上がって、距離を取る詩生。
詩生「稀和はっ……俺の気持ちなんて全く考えてない! 置いていかれる辛さ、知らないでしょ!!!」
詩生、我慢の限界でポロポロ泣いてしまう。
詩生がなく姿を見たことがない稀和は、戸惑う。
稀和「し……詩生?」
詩生「稀和のことっ……俺、大好きなんだよ。中学の頃から……、ずっと大好きだった!」
詩生は叫び、稀和は目を見開く。
詩生「だからっ……また好きになっちゃうの、当たり前じゃんか。稀和のことっ……忘れられなかったんだもん」
服の袖でぐっと涙を拭う詩生。
詩生「ずっと、BL漫画で誤魔化してた。でも……稀和は……稀和は俺を思い出にしかしてくれないっ。それなのにっ……」
詩生は涙でぐしょぐしょの顔。その先が言えなくて、ひっくひっく言い出す。
稀和「詩生……そんなに、俺のこと好きなの?」
信じられないというような顔の稀和。
涙が止まらない詩生。
詩生「好きにっ……決まってる! だからっ……もぉっ……苦しいの嫌だぁ」
泣き喚く詩生。稀和は立ち上がり、そんな詩生の左手で肩を抱き、後ろ頭に右手を回す。瞬く間に、勢いよく、詩生の唇を奪う。
唐突なキスに、ひくっと泣き止む詩生。びっくりして目を見開く。
詩生(稀和……なんで)
突き放したいのに、突き放せない詩生。
むしろ、好きな人からの初めてのキスへの戸惑いから、目を閉じてしまう。
軽いキスが数回、繰り返される。心臓はドキドキうるさい。
唇が離れた頃、稀和が目を細めて詩生の頰に触れる。
稀和「よかった、詩生。泣き止んだ」
泣き止ませるためのキスだと分かって、詩生はむっとする。
詩生「よくない……これ、ファーストキス」
稀和「だって……詩生が泣いてるの、見たくなかったんだもん」
稀和は詩生のおでこにコツンと自分のおでこをつける。
詩生「そんな理由でしないでよ」
稀和「ごめんね。ほんとは、詩生のことが可愛くてしちゃった」
詩生「ばか」
また泣き出しそうになる詩生を見て、稀和はふっと笑う。ぎゅっと抱きしめる。
稀和「詩生、いっぱい悲しませてごめんね」
詩生「うう。もうやだぁ……稀和のこと嫌いになりたいぃ」
稀和「ならないで。……俺、詩生を思い出にするつもりないよ」
稀和はさらに力を込めて抱きしめる。
詩生「でも、稀和はアメリカ行く」
稀和「詩生が俺を求めてくれるなら……俺も日本の大学に通う」
詩生「……え?」
稀和がゆっくり身体を離して、詩生の顔をじっと見つめる。
稀和「俺はヘタレることも多いけど、詩生のためなら、どんなことでも出来るから」
詩生の目元を指で触れる稀和。その手つきは優しい。
稀和の目も赤い。
詩生「そんな簡単に」
稀和「詩生と一緒にいたくて日本に帰ってきたの、もう忘れた?」
帰ってきた初日。みんなの前での発言が詩生の頭の中に蘇る。
──稀和「詩生と最後の高校生活を送りたくて、特例でこの学校に戻して貰いました」
詩生「だけど、それとこれは別じゃ」
稀和「詩生のためなら、なんでもできる」
詩生はごくっと唾を飲み込む。
詩生(稀和は……こういう時、俺のことを一番に考えてくれる。でも、そのせいで稀和の世界を狭めてしまうのも、俺は嫌)
詩生は俯く。
詩生「でも……俺は夢も何もなくて。ただとりあえず、大学行こうとしてるだけなのに、稀和が日本に残るのは勿体無いよ。稀和、頭いいのに」
稀和はふっと笑う。
稀和「じゃあ……詩生がアメリカ来る?」
詩生「俺が……アメリカ?」
考えたこともなくて、きょとんとする詩生。
稀和「実はね……詩生と両思いなれたら、アメリカに連れて帰ろうって計画練ってた」
詩生「え? ど、どういうこと」
稀和「とりあえず、俺の家に帰って話そ」
詩生は目をぱちくり。
◯稀和の家【同日(土曜日)・夕方】
カフェに残っていた一玖から荷物を回収してから、二人は稀和の家に。リビングのラグの上に座る詩生の前に、稀和は「はい」と、ホットココアを入れたカップを差し出す。
詩生「ありがと」
稀和「どういたしまして」
二人で隣に座るも、しばし沈黙。
詩生「……稀和、それでさっきの」
稀和「うん。えっとね……これ」
稀和はアメリカの大学のパンフレットを渡してくる。
稀和「詩生についてきて欲しい」
真剣な表情で言う稀和。
詩生「そんな急に……」
稀和「アメリカの大学じゃ、だめ?」
即答されて、詩生はたじろぐ。
詩生「そ、そんな簡単じゃないでしょ」
稀和「詩生の学力に合った大学なら、もうリサーチ済みだよ。この前、資料も渡した」
詩生(そういえば……あのときの)
詩生は少し前に、職員室前で稀和がくれた資料を思い出す(3話参照)。
なぜか、一番最後のページにアメリカの大学の一覧もあった。
詩生(あれは……稀和が冗談で入れてたのかと思ってた)
詩生「で、でも……お金のこともあるし」
稀和「詩生のお父さんとお母さんの了承は貰ったよ」
詩生「え?」
稀和「むしろどうぞって」
詩生「いつの間に⁉︎」
詩生(たしかに父さんと母さんには、中学の頃に一度だけ、会わせたことあるけど……)
稀和「静さんと理生さん、あと歌生さんともアメリカで会ってたから。詩生さえ説得できたら、連れてっていいって」
※参考のため、詩生の家族情報:詩生の父・静は国際線のパイロット。母・理生は世界的に有名なカメラマン。姉・歌生は大学卒業後、母のアシスタントとしてついて回っている。
まさかの状況に詩生、絶句。
稀和「詩生……海外に興味あるんでしょ、ほんとは」
詩生「な、何言って……俺なんかが、そんなこと考えるわけないじゃん。勉強、苦手だし」
手元のココアを一口飲む詩生。
稀和「でも、中学の時に詩生の家に行ったら、英語の本いっぱいあった。英語得意なの知ってる」
詩生「あれは、父さんと母さんがお土産にくれただけで」
稀和「詩生が英語の漫画買ってるのも知ってる」
詩生「な……んでそれを」
稀和「歌生さんが『あの子、英語のBLまで読んでるよ』って、言ってたから。びーえるってなんだろ? って思ったけど」
稀和はココアをローテーブルに置く。
そして「ふぅー」と息を吐く。
稀和「詩生。アメリカなら、同性でも結婚できる」
詩生「意味……わかんない」
稀和「俺、ずっと考えてたから。詩生と生きていく未来」
詩生「突拍子なさすぎるよ」
稀和「わかってる」
詩生「稀和らしくない」
稀和「……ダメ?」
稀和のうるうるした顔。
詩生「ず、ずるい! その顔!」
稀和「あと、詩生。これ、詩生が使っていいよ。ここにあるお金で、一緒に夢を見つけようよ」
稀和がスマホの画面を見せてくる。そこにあるのは、稀和の口座の画面。
詩生「な……なんか見たことない桁があるんだけど」
稀和「これね、中学の頃に親が作ってくれた口座」
詩生「そんな大事なものを⁉︎」
稀和「あ、違うよ。これ、俺が投資の利益」
よく見れば、証券口座となっている。
詩生(稀和のご両親って何者? ずっと気になってたんだけど)
※設定:稀和の父は投資家。母はモデル。母同士は仕事関係で繋がりあるため、稀和が詩生の家族と会っていた。
詩生は稀和をじっと見る。
稀和「じいちゃんたちからのお小遣いとか全部使って、詩生との未来のために投資してたんだ」
詩生「えぇ……」
稀和は「そうだ、これだけあったら詩生と学生結婚も夢じゃないかも」と、へらぁっと幸せそうに笑う。
詩生「……稀和、ヘタレ攻めだったくせに、なんかハイスペすぎて怖い」
詩生の一言に一瞬で稀和、凍りつく。
稀和「こ、こわ、こわい……?」
稀和、呆然とする。
詩生「いや、違う! ごめんね! 怖いっていうか……なんでそんなに俺のこと好きなの⁉︎」
稀和「……詩生が俺を助けてくれた中二のあの日。俺の人生は、詩生に出会うためにあったんだって思ったから」
詩生「……重いっ!」
心の中で言ったつもりが、声に出してしまう詩生。
これまた稀和にクリーンヒット。ショックを受ける顔をする稀和に、詩生はぎゅっと抱きつく。
詩生「重いけど、嫌いじゃないから。稀和のこと大好きだから……俺」
稀和「じゃあ、結婚しよう?」
元気になったような声を耳元であげられて、詩生はパッと離れる。
詩生「まだ高校生だし! アメリカ行くとも言ってないから!」
詩生の言葉で、しゅんとする稀和。
詩生(ほんと……稀和ってばずるいよ。すごくかっこいいくせに、すごく可愛いんだから!)
詩生はこほん、と咳をして正座をする。
詩生「それよりもまず……稀和。ちゃんと話さないといけないことがあるんだ」
稀和「何?」
詩生は深呼吸を一つ。心臓がうるさくなってくるのを感じながらも、まっすぐ稀和を見る。
詩生「稀和。まだアメリカ行くとか、頭全く追いついてないし……この時期から準備して間に合うのかとかわかんないけど」
詩生は膝の上で握り拳を作る。
詩生(これだけ、俺のことを好きでいてくれるなら……稀和のこと信じられる)
詩生「俺と、また付き合ってくれる?」
稀和は満面の笑みを浮かべて「もちろん! 当たり前っ!」と言う。思いっきり、尻尾が生えたような描写で詩生に飛びつく。
◯駅前の書店・BL棚前【11月半ば・土曜日の昼前】
詩生はBLの並ぶ棚の前で、カゴの中に漫画を入れていく。カゴの中には三冊のBL漫画。どれも「わんこ攻め」。近くには一玖もいる。
詩生(現実逃避しないとやってけない……。色んな意味で)※受験と稀和の件。
詩生が一冊のわんこ攻めの漫画を手に取った瞬間、一玖がカゴを覗いてくる。
一玖「詩生さん、今日はなんか『わんこ攻め』ばっかり買ってますね」
詩生「え? そうかなぁ?」
詩生はカゴの中に視線を落とす。漫画の帯には『わんこ攻め』の文字。一冊どころか、三冊すべて。手に持っている漫画も。
詩生「あ」
一玖「詩生さんって、前から思ってましたけど……漫画の好みが、好きな人に左右されるんですね」
一玖が素直にそう言うと、詩生は顔を真っ赤にして必死の弁解を始める。
詩生「ち、違うよ! ほら、わんこ攻めってめそめそしてるヘタレもいるでしょ! 俺、ヘタレ攻めが好きだから」
一玖「……」
じとっとした目で見てくる一玖。
詩生は顔をそらす。
一玖「詩生さんって……分かりやすい」
ポソっと呟く一玖。
◯駅前のカフェ・窓際の席【11月半ば・土曜日の昼過ぎ】
テーブルの上には、先ほど買ったBL漫画が数冊。詩生の向かいの席には、一玖がいる。カフェに移動して、稀和とのことを聞かれた詩生。状況を説明した後、一玖はホットカフェラテを飲んで「はぁ」とため息を吐く。
一玖「詩生さん、こんなこと俺が言うのもアレですけど、馬鹿なんですか?」
詩生「え……?」
一玖「俺、二人がもう復縁したのかと思ってたんですが、進展するどころか退行してるとは思わなくて」
一玖は呆れた様子で、額に手を当てる(※一玖はこれなら俺、諦めなくてもよかったんじゃ…? なんて思っているところ)。
詩生「いや、だって……稀和、またアメリカ行くんだよ? しかも、永住って。付き合っても、意味ないじゃん」
一玖「それ、稀和さんの口から聞いたんですか?」
詩生はうぐっと言葉を詰まらせる。
詩生「聞いてない。でも、稀和の双子の兄から教えてもらったんだよ?」
一玖「いや、稀和さんがどうするかなんて分からないじゃないですか」
詩生「でも」
一玖「でもじゃないです。そこは本人とちゃんと向かい合って、話をするべきですよ」
一玖の真剣な目。
詩生はぐっと息を飲んでから、目を伏せる。
詩生(一玖くんも、ヘタレだったのに……俺こそ、ヘタレみたいになってる)
詩生「わかった。頑張ってみる。だけど、今日はもっとBLの話──」
一玖「今は語れる状況ではないんで、それはまた今度にしましょう」
顔を上げたところで、ばっさり一玖にぶった斬られる。
※一玖は何かを察知した様子。
◯駅前のカフェの外・稀和視点【同時刻】
カフェの窓際に座る詩生と一玖を、稀和は少し離れた場所からじっと観察中。普段はつけないキャップとマスク姿。全身真っ黒で、身を屈めている。完全に不審者。
稀和(……詩生、なんでまたアイツと会ってるの。俺とは受験生だからって言って、デートしてくれないのに)
稀和は目に涙を溜めて、半泣き状態。先日、遊びに行こうと詩生に言ったら、断られたのを思い出す稀和。
稀和(詩生はやっぱり、俺じゃ駄目……?)
稀和がぐすっと鼻を鳴らして涙を拭った時、一玖が稀和の方を見る。※稀和は気づいていない。
◯駅前のカフェ・詩生視点【同時刻】
一玖「あの……詩生さん。稀和さんがまた、俺たちを見てます。あの真っ黒の不審者」
詩生「……は?」
詩生が窓の外を見ると、全身真っ黒な稀和と目が合う。稀和は一瞬だけ固まるも、すぐに顔をそらす。それどころか、立ち上がって逃げ出す。
一玖「詩生さん、行った方がいいですよ。たぶん、なんか勘違いしてます、あの人」
詩生「勘違いって何を」
一玖「それは本人に聞いてください」
詩生「えぇ?」
戸惑いながらも、詩生は席を立つ。
慌てて店の外に出て、稀和を追いかけることに。
◯駅前通り〜駅裏【続き】
カフェを出ると、11月半ばというだけあって、肌寒い。詩生はぶるっと身体を震わせて、辺りを見回す。
稀和は駅ビルの方ではなく、高校のある方向(人の少ない通り)へと走って行く。
詩生も慌てて、走り出す。
だが、稀和の背中はどんどん遠ざかって行く。
詩生(稀和、なんで逃げるの……! てか、稀和っ! 足速すぎない⁉︎)
詩生は必死に追いかけるものの、一向に距離は縮まらない。稀和は身長が高くて見つけやすいはずが、いつの間にか見失ってしまう。
詩生「稀和っ! 稀和どこっ!」
稀和を呼びながら、探す詩生。
駅裏の通りは人通りも少なければ、車通りも減る。
肩で息をしながら、周囲を見回す詩生。
近くにある、信号のない横断歩道を渡ろうとした瞬間、よそ見していて詩生に気づかない車が突っ込んでくる。だが、詩生は稀和のことばかりに気を取られて、気づいていない。
稀和の「詩生っ!」という声と共に、詩生の腕が引っ張られる。詩生の目の前を猛スピードの車が走り去って行く。
詩生のなのか稀和のなのか分からない、激しいドッドッという心臓の音。詩生が顔を上げれば、息を切らしながら、稀和が詩生を抱き寄せている。二人して、地面に座り込んだ状態。
稀和「……詩生が死んじゃうかと思った」
今にも泣き出しそうなへにょへにょの顔をする稀和。
稀和「俺……やっぱり詩生がいないと生きてけない」
ぐすぐす泣き出す稀和。
稀和「俺、頑張るから。頑張るから、詩生……俺を捨てないでぇ」
イケメンが台無しになる稀和。
詩生「なんで……なんで、そんなこと言うの」
詩生は唇を震わす。
詩生「稀和の方でしょ。……俺を置いて、またアメリカに行くじゃん」
詩生、目に涙を溜める。
稀和、詩生がなくと思わず、驚きのあまり涙引っ込む。
稀和「詩生、なんでそれ」
稀和が右手を詩生の顔に近づける。だが、詩生はキッと睨みつけて手を振り払う。稀和を突き飛ばして、詩生は腕の中から逃れる。立ち上がって、距離を取る詩生。
詩生「稀和はっ……俺の気持ちなんて全く考えてない! 置いていかれる辛さ、知らないでしょ!!!」
詩生、我慢の限界でポロポロ泣いてしまう。
詩生がなく姿を見たことがない稀和は、戸惑う。
稀和「し……詩生?」
詩生「稀和のことっ……俺、大好きなんだよ。中学の頃から……、ずっと大好きだった!」
詩生は叫び、稀和は目を見開く。
詩生「だからっ……また好きになっちゃうの、当たり前じゃんか。稀和のことっ……忘れられなかったんだもん」
服の袖でぐっと涙を拭う詩生。
詩生「ずっと、BL漫画で誤魔化してた。でも……稀和は……稀和は俺を思い出にしかしてくれないっ。それなのにっ……」
詩生は涙でぐしょぐしょの顔。その先が言えなくて、ひっくひっく言い出す。
稀和「詩生……そんなに、俺のこと好きなの?」
信じられないというような顔の稀和。
涙が止まらない詩生。
詩生「好きにっ……決まってる! だからっ……もぉっ……苦しいの嫌だぁ」
泣き喚く詩生。稀和は立ち上がり、そんな詩生の左手で肩を抱き、後ろ頭に右手を回す。瞬く間に、勢いよく、詩生の唇を奪う。
唐突なキスに、ひくっと泣き止む詩生。びっくりして目を見開く。
詩生(稀和……なんで)
突き放したいのに、突き放せない詩生。
むしろ、好きな人からの初めてのキスへの戸惑いから、目を閉じてしまう。
軽いキスが数回、繰り返される。心臓はドキドキうるさい。
唇が離れた頃、稀和が目を細めて詩生の頰に触れる。
稀和「よかった、詩生。泣き止んだ」
泣き止ませるためのキスだと分かって、詩生はむっとする。
詩生「よくない……これ、ファーストキス」
稀和「だって……詩生が泣いてるの、見たくなかったんだもん」
稀和は詩生のおでこにコツンと自分のおでこをつける。
詩生「そんな理由でしないでよ」
稀和「ごめんね。ほんとは、詩生のことが可愛くてしちゃった」
詩生「ばか」
また泣き出しそうになる詩生を見て、稀和はふっと笑う。ぎゅっと抱きしめる。
稀和「詩生、いっぱい悲しませてごめんね」
詩生「うう。もうやだぁ……稀和のこと嫌いになりたいぃ」
稀和「ならないで。……俺、詩生を思い出にするつもりないよ」
稀和はさらに力を込めて抱きしめる。
詩生「でも、稀和はアメリカ行く」
稀和「詩生が俺を求めてくれるなら……俺も日本の大学に通う」
詩生「……え?」
稀和がゆっくり身体を離して、詩生の顔をじっと見つめる。
稀和「俺はヘタレることも多いけど、詩生のためなら、どんなことでも出来るから」
詩生の目元を指で触れる稀和。その手つきは優しい。
稀和の目も赤い。
詩生「そんな簡単に」
稀和「詩生と一緒にいたくて日本に帰ってきたの、もう忘れた?」
帰ってきた初日。みんなの前での発言が詩生の頭の中に蘇る。
──稀和「詩生と最後の高校生活を送りたくて、特例でこの学校に戻して貰いました」
詩生「だけど、それとこれは別じゃ」
稀和「詩生のためなら、なんでもできる」
詩生はごくっと唾を飲み込む。
詩生(稀和は……こういう時、俺のことを一番に考えてくれる。でも、そのせいで稀和の世界を狭めてしまうのも、俺は嫌)
詩生は俯く。
詩生「でも……俺は夢も何もなくて。ただとりあえず、大学行こうとしてるだけなのに、稀和が日本に残るのは勿体無いよ。稀和、頭いいのに」
稀和はふっと笑う。
稀和「じゃあ……詩生がアメリカ来る?」
詩生「俺が……アメリカ?」
考えたこともなくて、きょとんとする詩生。
稀和「実はね……詩生と両思いなれたら、アメリカに連れて帰ろうって計画練ってた」
詩生「え? ど、どういうこと」
稀和「とりあえず、俺の家に帰って話そ」
詩生は目をぱちくり。
◯稀和の家【同日(土曜日)・夕方】
カフェに残っていた一玖から荷物を回収してから、二人は稀和の家に。リビングのラグの上に座る詩生の前に、稀和は「はい」と、ホットココアを入れたカップを差し出す。
詩生「ありがと」
稀和「どういたしまして」
二人で隣に座るも、しばし沈黙。
詩生「……稀和、それでさっきの」
稀和「うん。えっとね……これ」
稀和はアメリカの大学のパンフレットを渡してくる。
稀和「詩生についてきて欲しい」
真剣な表情で言う稀和。
詩生「そんな急に……」
稀和「アメリカの大学じゃ、だめ?」
即答されて、詩生はたじろぐ。
詩生「そ、そんな簡単じゃないでしょ」
稀和「詩生の学力に合った大学なら、もうリサーチ済みだよ。この前、資料も渡した」
詩生(そういえば……あのときの)
詩生は少し前に、職員室前で稀和がくれた資料を思い出す(3話参照)。
なぜか、一番最後のページにアメリカの大学の一覧もあった。
詩生(あれは……稀和が冗談で入れてたのかと思ってた)
詩生「で、でも……お金のこともあるし」
稀和「詩生のお父さんとお母さんの了承は貰ったよ」
詩生「え?」
稀和「むしろどうぞって」
詩生「いつの間に⁉︎」
詩生(たしかに父さんと母さんには、中学の頃に一度だけ、会わせたことあるけど……)
稀和「静さんと理生さん、あと歌生さんともアメリカで会ってたから。詩生さえ説得できたら、連れてっていいって」
※参考のため、詩生の家族情報:詩生の父・静は国際線のパイロット。母・理生は世界的に有名なカメラマン。姉・歌生は大学卒業後、母のアシスタントとしてついて回っている。
まさかの状況に詩生、絶句。
稀和「詩生……海外に興味あるんでしょ、ほんとは」
詩生「な、何言って……俺なんかが、そんなこと考えるわけないじゃん。勉強、苦手だし」
手元のココアを一口飲む詩生。
稀和「でも、中学の時に詩生の家に行ったら、英語の本いっぱいあった。英語得意なの知ってる」
詩生「あれは、父さんと母さんがお土産にくれただけで」
稀和「詩生が英語の漫画買ってるのも知ってる」
詩生「な……んでそれを」
稀和「歌生さんが『あの子、英語のBLまで読んでるよ』って、言ってたから。びーえるってなんだろ? って思ったけど」
稀和はココアをローテーブルに置く。
そして「ふぅー」と息を吐く。
稀和「詩生。アメリカなら、同性でも結婚できる」
詩生「意味……わかんない」
稀和「俺、ずっと考えてたから。詩生と生きていく未来」
詩生「突拍子なさすぎるよ」
稀和「わかってる」
詩生「稀和らしくない」
稀和「……ダメ?」
稀和のうるうるした顔。
詩生「ず、ずるい! その顔!」
稀和「あと、詩生。これ、詩生が使っていいよ。ここにあるお金で、一緒に夢を見つけようよ」
稀和がスマホの画面を見せてくる。そこにあるのは、稀和の口座の画面。
詩生「な……なんか見たことない桁があるんだけど」
稀和「これね、中学の頃に親が作ってくれた口座」
詩生「そんな大事なものを⁉︎」
稀和「あ、違うよ。これ、俺が投資の利益」
よく見れば、証券口座となっている。
詩生(稀和のご両親って何者? ずっと気になってたんだけど)
※設定:稀和の父は投資家。母はモデル。母同士は仕事関係で繋がりあるため、稀和が詩生の家族と会っていた。
詩生は稀和をじっと見る。
稀和「じいちゃんたちからのお小遣いとか全部使って、詩生との未来のために投資してたんだ」
詩生「えぇ……」
稀和は「そうだ、これだけあったら詩生と学生結婚も夢じゃないかも」と、へらぁっと幸せそうに笑う。
詩生「……稀和、ヘタレ攻めだったくせに、なんかハイスペすぎて怖い」
詩生の一言に一瞬で稀和、凍りつく。
稀和「こ、こわ、こわい……?」
稀和、呆然とする。
詩生「いや、違う! ごめんね! 怖いっていうか……なんでそんなに俺のこと好きなの⁉︎」
稀和「……詩生が俺を助けてくれた中二のあの日。俺の人生は、詩生に出会うためにあったんだって思ったから」
詩生「……重いっ!」
心の中で言ったつもりが、声に出してしまう詩生。
これまた稀和にクリーンヒット。ショックを受ける顔をする稀和に、詩生はぎゅっと抱きつく。
詩生「重いけど、嫌いじゃないから。稀和のこと大好きだから……俺」
稀和「じゃあ、結婚しよう?」
元気になったような声を耳元であげられて、詩生はパッと離れる。
詩生「まだ高校生だし! アメリカ行くとも言ってないから!」
詩生の言葉で、しゅんとする稀和。
詩生(ほんと……稀和ってばずるいよ。すごくかっこいいくせに、すごく可愛いんだから!)
詩生はこほん、と咳をして正座をする。
詩生「それよりもまず……稀和。ちゃんと話さないといけないことがあるんだ」
稀和「何?」
詩生は深呼吸を一つ。心臓がうるさくなってくるのを感じながらも、まっすぐ稀和を見る。
詩生「稀和。まだアメリカ行くとか、頭全く追いついてないし……この時期から準備して間に合うのかとかわかんないけど」
詩生は膝の上で握り拳を作る。
詩生(これだけ、俺のことを好きでいてくれるなら……稀和のこと信じられる)
詩生「俺と、また付き合ってくれる?」
稀和は満面の笑みを浮かべて「もちろん! 当たり前っ!」と言う。思いっきり、尻尾が生えたような描写で詩生に飛びつく。


