《5話:復縁はしたくない》
◯放課後の職員室【10月半ば、文化祭から1週間後】

 担任に呼ばれた詩生は、職員室にいる。椅子に座る担任の横に立つ詩生。担任はごそごそと書類の入っているA4サイズの封筒を取り出して、詩生の前に差し出す。

 担任「千景、悪いけど、これ稀和に渡してくれるか?」
 詩生「俺がですか?」
 担任「今日アイツに渡したかったんだけど、休んじまったからな。お前ら仲良いし、見舞いのついでにいいだろ?」

 無理やり押し付けられる形で、詩生は封筒を手渡される。手元の封筒をじっと見る詩生。

 詩生(……この前、倒れて稀和に迷惑かけたし……たしかに、お見舞い行った方がいいよね)
 
 頭に浮かぶのは、文化祭で倒れた時のこと。

◯回想:保健室【文化祭2日目のその後】

 稀和が気を失った詩生を保健室のベッドに寝かせている。目覚めた詩生を見るなり、稀和の涙腺崩壊。

 稀和「詩生ぉ〜〜〜」

 泣きながら詩生に抱きつき、しばらく離れない稀和。

◯現在:職員室

 詩生(それに……まだ稀和に伝えてない。好きだって。また付き合ってって。言うの怖くて、逃げちゃった)

 文化祭以降、詩生は稀和に対して何となく距離を取るデフォルメ絵。稀和から視線を逸らして本を渡す。話しかけられたらトイレに逃げる。など。
 
 詩生(でも、稀和に伝えたいな。だけど、もし今日言ったら、稀和、また熱上がるかな。中学の頃、お見舞い行っただけで熱上がったもんなぁ。だけど)
 
 詩生は覚悟を決めたように、担任に視線を向ける。
 
 詩生「分かりました。届けに行ってきます」
 担任「すまないな。助かるよ」

◯立派な洋風の一軒家の前【放課後・続き】

 詩生はかつての記憶を辿ってやって来た、一軒家の前に立つ。静かな高級住宅街。お金持ちだと一目でわかる、大きな家。ただ、違和感があって、詩生は首を傾げる。

 詩生(前に来た時と……雰囲気違う。というか、あれ?)

 詩生は表札が違うことに気づく。朝比奈ではなく、林。

 詩生「えぇ……。ここ、違うの? じゃあ、稀和はどこに住んで……」

 詩生はブレザーのポケットからスマホを取り出す。稀和に連絡を入れようとするも、担任が今朝「稀和は熱で休みだ」と言っていたのを思い出す。

 詩生「体調悪いなら連絡入れるのも……。あ、そうだ」

 アメリカは早朝だというのに、容赦なく千和に電話をする詩生。数コール後、千和の『なんだよ』と言う声。

 詩生「千和くん、あのさ、稀和が熱出したんだ。お見舞いに行こうと思って来てみたんだけど、前のお家……表札違って」
 千和『また熱出したんかよ。アイツ、ほんと身体弱いな』
 詩生「それもなんだけど、家……」
 千和『あぁ、前の家は売っぱらったよ』
 詩生「え?」
 千和『うちの父さんは日系アメリカ人だからもともとこっちの国籍なんだよ。んで、こっちに永住するっつって』
 詩生「そうだったんだ……」
 千和『稀和に聞いてねぇの? 俺ら、日本にはもう帰らねぇ予定だぞ? 来年からはこっちの大学』

 千和の言葉に驚きすぎて、詩生は固まる。
 
 詩生(……俺、稀和のそんな大事なこと、何も聞いてない。じゃあ……俺が稀和に好きって伝えたところで、離れ離れ?)

 急に焦りを感じて、じわりと詩生の首筋に汗が滲む。
 
 詩生(稀和はなんのために……俺とヨリを戻したがってるの? また、ただの思い出作り?)

 詩生は呆然とする。

 千和『おーい、千景。千景ってば、聞いてるかー? おーい』
 詩生「ご、ごめん。大丈夫」
 千和『今、あいつ一人で住んでるから、今から言う住所に向かってやってくれよ』
 詩生「う、うん。わかった」

 電話越しで千和から住所を聞く詩生。

◯稀和が一人で暮らすマンション・稀和視点【放課後・続き】

 稀和の部屋は4階建ての低層マンション。303号室。寝室とリビングダイニングのある1LDK。寝室には少し広めのベッドのみ。リビングへは引き戸でつながっていて、今日は水を飲みに行きやすいように、全開にしている。
 身体が重く、寝返りを打つのも辛い稀和。熱のせいで顔も赤く、ベッドの中で丸まっている。
 そんな中、インターフォンが鳴る。

 稀和「だれ……」

 稀和(ネットショッピングしてないけど)
 
 薄手の毛布を肩に引き寄せて、スウェット姿の稀和はゆっくりベッドから足を下ろす。熱でふらつく身体。でも、よたよたとした足取りでリビングの方に向かう。
 ぼんやりしすぎて、モニターに映る相手に気づかない。インターフォンの応答ボタンを押す稀和。

 稀和「はい」

 喉の痛みを覚えながら、ガラガラの声をあげる。
 ようやく壁にあるインターフォンのモニターを見る。詩生の顔が映っている。びっくりしすぎて腰抜かす。大きな音が立つ。
 
 詩生『あっ、稀和! いま凄い音したけど。大丈夫? お見舞いきた。先生から書類も預かったよ』

 稀和(……ほんとに、詩生? 夢?)

 混乱しながら、床に座り込んだ稀和はインターフォンのモニターを見上げる。モニターに映る詩生は、心配そうに眉を下げた顔をしている。
 その顔を見た瞬間、稀和は胸が痛んで、右手で左胸のあたりの服をきゅっと掴む。

 稀和(詩生が来てくれた……うれしい)

 稀和「いま、あけるね」

 モニターの詩生に声をかけて、ふらつきながら立ち上がる。壁に手をつきながら、よろよろと玄関へ。
 玄関の棚に置くマスクの箱からマスクをとって、口につける。ドアに手をかけて、扉を開けた瞬間、目を見開く詩生が現れる。

 稀和「夢かと思った。詩生……来てくれたんだ」
 
 稀和は熱でぼんやりしたまま、ふにゃっと笑う。目はとろんとしている。
 冷えピタが外れそうで、詩生が額に手を伸ばしてくれる。

 詩生「稀和」

 稀和が辛そうで、詩生も泣きそうな表情。でも、必死になって笑顔を作っている詩生。

 詩生「色々、食べれそうなもの買って来たよ。上がらせてもらっていい?」
 稀和「ん」
 詩生「ありがと。お邪魔します」

◯詩生視点・稀和の一人暮らしの家、1LDKの部屋【続き】

 稀和はふらつきながらも、詩生を部屋に招き入れてくれる。熱があるのもあってか、部屋は乱雑。ダイニングの椅子には服がかかり、靴下も床に落ちている。
 テーブルの上には飲みかけのスポーツドリンクと食べかけのパン、開きかけの薬袋。

 詩生(稀和は一人でここで……)

 やや俯きながら、詩生は詩生が袋からゼリー飲料と経口補水液、レトルトのお粥などを取り出して並べる。マスク姿の稀和はダイニングテーブルに座って、桃のゼリーに手を伸ばす。

 稀和「俺の好きな味」
 詩生「稀和が桃好きだったなって思って」
 稀和「覚えてくれてたの」
 詩生「覚えてるよ。……薬、飲んだ?」
 稀和「朝に」
 詩生「じゃあ、それ食べてからちゃんと飲んで」
 稀和「うん」

 詩生は「はい」とプラスチックのスプーンを袋から出して渡す。受け取る稀和は、マスクを下げてゼリーを食べ始める。

 詩生(稀和に聞きたいことが山ほどある。でも……聞ける感じじゃないよね)

 ぽやんとした様子でゼリーを頬張る稀和を見て、詩生は諦めるように「ふぅ」と息を吐く。

 稀和「……詩生?」
 詩生「なんでもないよ。そうだ、一人暮らし、大変じゃない?」
 稀和「うん。……でも、詩生が来てくれたから、今日は幸せな日」

 ふっと目元を緩める稀和。
 詩生はきゅっと胸が軋むのを感じながら「そっか」と言う。テーブルの上の冷えピタの箱をとる。
 
 詩生「俺ね、最初ね、稀和の前の家に行っちゃったんだよね」
 稀和「……あ、ごめん。言おうと思ってたけど、タイミングなくて」
 詩生「いいよ、大丈夫。千和くんに教えてもらったから」
 
 詩生はそう言いながら、稀和の額に冷えピタを貼り直す。

 稀和「……そうだったね。昔も、千和が家を教えて、詩生がお見舞いに来てくれた。その時も、コレ貼り直してくれたの覚えてる」

 詩生の手が止まる。
 幸せそうに目を細める稀和。

 稀和「詩生とまた会えて、お見舞いきてもらえるのすごく幸せ」

 噛み締めるように稀和は言う。
 詩生は顔を背ける。目に涙が溜まり始めて、バレないようにブレザーの袖で軽く拭う。

 詩生「稀和、食べたら薬飲んで早く寝なよ」
 稀和「うん。……でも、寝たくないなぁ。詩生と離れたくない」

 しみじみという稀和。
 
 詩生(そんなの……俺だって)
 
 詩生は涙がこぼれそうになるのを必死に堪えながら、スポーツドリンクを稀和の前に置く。

 詩生「眠るまでそばにいるから」
 稀和「ほんと?」
 詩生「ほんとだよ。だから、早く治して元気になろ」

◯稀和の寝室【お見舞いの続き】

 薬を飲み終えた稀和は、ベッドに横になる。
 詩生はそっと毛布をかけて、ベッドの端に腰を下ろす。

 稀和「……詩生、ほんとにそばにいてくれるの?」

 心細そうな顔をする稀和。詩生は左手を伸ばして、稀和の右手を握る。
 
 詩生「うん。寝ていいよ。眠るまでちゃんと隣にいるし、手を繋いでるから」
 稀和「うれしい。あ……でも待って。詩生、そこの引き出し開けてくれる?」

 詩生は後ろを向く。サイドテーブルの引き出しを開けると、鍵がある。

 詩生「……?」
 稀和「詩生、持ってて。合鍵」
 詩生「え……」

 詩生は受け取るか迷う。

 稀和「詩生に持っててほしい」
 
 背中を押すように言われて、詩生はそっと手に取る。

 詩生「ありがとう」
 稀和「ううん。俺こそ、ありがと」
 
 渡したら、安心したのか。稀和は眠そうな顔をする。

 詩生「寝ていいよ」
 稀和「うん」
 
 そっと目を閉じる稀和。数分後、すやすやと寝息を立てる。

 詩生(……稀和。俺、ほんとは今日こそ言おうと思ってたんだ。稀和が好きだよって。もう一度、付き合ってって)

 詩生は右手で稀和の髪をそっと撫でる。

 詩生(でもね、もし言っても、稀和はアメリカに戻るんでしょ。俺ね……また稀和と別れるのは、嫌なんだ)
 
 稀和の寝顔を直視できなくなって、詩生は顔を背ける。目尻に涙が滲む。
 
 詩生(俺ね……稀和との思い出に縋って生きるのは、もう嫌なの。だから、復縁したいなんて言えない。これ以上、苦しい思いしたくない。ごめんね……弱くて)

 ぽろぽろと涙がこぼれ落ちる。声は出さずに、ただ静かに泣く。

◯マンションの外【稀和が寝て少し経った頃】
 
 詩生は玄関の前に立ち、ポケットから合鍵を取り出す。
 そっとドアを閉めて、鍵をかける。カチリと音が鳴る。
 詩生はブレザーのポケットに鍵を入れて、ゆっくり歩き出す。
 マンションの外に出て、夜の住宅街を歩く詩生。足音だけが響く。
 帰り道を辿りながら、自販機の前で止まる。
 スマホに視線を落とす。マップを開いたら、家まで徒歩40分。

 詩生(……稀和ってば、俺の家と電車の路線違うのに、毎日家まで送ろうとしてたの、馬鹿みたい)

 詩生はバッグから財布を取り出して、桃のジュースを選ぶ。稀和の好きな味の缶を取り出す。

 詩生(そんな稀和のこと、中学の頃は近寄りがたいなって思ってた。クールで、いつも何かを諦めたような顔してて)

 缶のプルタブを開けて、一口飲む詩生。

 詩生(でも、そんな詩生は千和くん経由で告白された時には、もう全然違って。すぐ真っ赤になる。泣き虫で、頑張り屋で、ちょっと抜けてて……)

 詩生はふぅ、と息を吐く。

 詩生(だけど、俺が困ってるとき、誰よりも早く気づいてくれる。そんな魅力たっぷりな人なんだもん。惹かれちゃうよね。稀和のこと、もっと知りたいって思ったんだ)

 詩生は小さく笑う。

 詩生(……再会してからは、まぁちょっと色々あったけど、可愛いところは変わってなくて。やっぱり、好きだなあって思った)

 また、こくりとジュースを飲む。

 詩生(……でも、これ以上好きになったら、また傷つくだけだ)
 詩生(好きって言って、また離れてしまうのなら──言わない方が、ずっと楽)

 詩生は夜空を見上げる。
 星は見えず、雲の隙間にぼんやりと月が浮かぶ。

 詩生「稀和以上に好きになれる人、出会えるかなぁ」

 詩生は胸が軋むのを感じながら、夜空に向けて言葉をこぼす。
 詩生の缶を持つ手には、必死に耐えるように、力が入っていた。