《2話:ヘタレのままでいてほしい》
◯人の多い3年の昇降口【始業式当日・放課後】
 
 昇降口は、次々と下校する同級生の姿。詩生(しお)はそのうちの何人か(詩生を姫扱いしない相手)に「またね」と手を振ってから、靴箱からスニーカーを取り出す。
 スニーカーを地面に置く。上がり(かまち)に腰を下ろして、靴を履く詩生。立ち上がって、地面で数回トントンと爪先を打ちつける。

 詩生(早く本屋に行かなきゃ。稀和(きわ)は先生に呼ばれて職員室に行ったみたいだし、今のうちに逃げないと……)

 きゅっとスクールバッグの持ち手を握り、一歩を踏み出した瞬間。背後から「詩生、ちょっと待って!」と、若干息を切らした稀和の声。

 詩生「……え?」

 振り返ると、校舎内を全力疾走したような汗をかく稀和が立っている。顔は真っ赤。
 ほんの少しだけ、昔の稀和と被って見えて、詩生はひゅっと喉を鳴らす。
 稀和は息を整えるように深呼吸してから、まっすぐ詩生の目を見る。もう一度、口を開く。

 稀和「……詩生。俺とまた付き合おう」
 
 それを聞いた詩生は、ぐっと眉間にしわを寄せる。
 周囲にいた他の男子たち、ぎょっとした顔で稀和の方を見る。

 詩生(こんなの、稀和じゃない。俺の目を見て告白なんか……ましてや、人前でできなかった)

 詩生はきゅっと握り拳を作る。
 
 詩生「いや、無理」
 稀和「え?」
 詩生「無理。絶対に無理! 無理ったら無理!」

 詩生の『無理』の言葉を放つたびに、稀和の身体に矢がぷすぷすと刺さる描写。
 でも、詩生は気にせず「もう行くから」ととてとてと小走りで昇降口を出る。
 近くで稀和がやってくるのを待っていた、派手な二人組の友人1(井野(いの))と2(嵩下(かさした))が「あらら~」「どんまい」と言いながら、ぽんと背中を叩く。

◯駅前の大型書店【同日・放課後】

 詩生(俺の好きな稀和は……もう居ないのかな)
 
 本屋にやってきた詩生は、腐男子になるきっかけでもあった稀和のことをつい考える。ため息をつきながら、とことことBL漫画のあるコーナーに向かう。
 たくさん並ぶ本棚のうち、新刊コーナーの前に行くと、同じくらいの年齢の男子高校生がいるのを目撃。彼は棚の前で真剣な顔をしてBL小説を手に取っている。しかも、手元のカゴの中には小説も漫画もある。
 詩生は思わず、足を止める。
 
 詩生(あれ? もしかしてこの人もお仲間? てか、小説も読んでるとか、俺よりもどっぷりBLに浸かってるのかも)

 気になりすぎて、ついまじまじと見てしまう詩生。
 視線に気づいた男子は、詩生の方を見る。彼は目を見開いて驚いた表情を一瞬浮かべるも、すぐに微笑む。ただ、何も言わない。
 詩生はペコっと頭を下げて、お目当ての棚の前でBL漫画を手に取る。

 男子「……あ」
 詩生「……え?」

 詩生がもう一度、男子の方を向く。彼は口元を手で覆っていた。どうしようというような困り顔をしている。

 詩生「これ知ってるの?」
 男子「あっ……あ、あの……えっと……はい。……雑誌で……読んでて」

 しどろもどろになりながら話す、他校の男子。
 詩生はぱあっと表情を明るくする。

 詩生「そうなの? 俺もね、これだけは電子で単話追いしてたんだ。この書店なら特典ペーパー貰えるし、書き下ろしも楽しみで」

 目を輝かせながら、ぺらぺらと話す詩生。
 それを見ながらふっと目を細める、男子高校生。

 詩生「あっ、ごめんね。初対面なのに……」

 詩生はハッとして、謝る。

 男子「い、いや。えっと……あの……BLのこと話せる人初めてなので、嬉しい……です」
 詩生「ほんと?」
 男子「はい」
 詩生「俺も嬉しい!」

 詩生がニコッと笑うと、男子はポッと顔を赤くする。

 詩生「あの、よかったらなんだけど俺と友達になってくれない? ここで出会ったのも何かの縁だし、BLのこと話せる友達が欲しかったんだ」

 ぐいっと、彼の方に一歩近づく詩生。
 ※詩生は可愛い顔してコミュ力おばけ。誰とでも気さくに話す。

 男子「俺でいいんですか……?」
 詩生「うん! 俺は千景(ちかげ)詩生。A高の三年だよ」
 男子「あ、えっと、俺は笹原(ささはら)一玖(いく)です。K高の二年です」
 詩生「ほへ〜。K高の二年生なんだ? めちゃくちゃ頭いいねぇ」
 一玖「えっ、いやいや。……A高もじゃないですか?」
 詩生「んー、俺は落ちこぼれ組〜! でもまぁ、受験勉強ばっかで嫌になるから、こうしてBLに癒しをもらってるんだ」

 詩生は手にした漫画を顔の横に持ってきて、ニコッと笑う。

 一玖「かわいい……」

 詩生には届かない声で、ぽそっと呟く一玖。
 
 詩生「ねぇ、よかったらなんだけどこの後、ちょっと暇?」
 一玖「あ……はい。予備校、今日はないので」
 詩生「じゃあ、良かったら俺とお茶しない?」

 一玖は目を大きくする。けれど、こくりと頷く。

◯駅前のカフェ店内【同日・続き】

 近くのチェーン店のカフェにやってきた詩生と一玖。学生も多い店内。歩道に面したガラス張りの席に向かう。椅子に荷物を置いて、詩生は一玖に「何がいい? 俺が頼んでくる」と言う。

 一玖「あ、いや、俺も……」
 詩生「いいのいいの〜。実は親からこれ貰ってるんだ〜。だから好きなの頼んでよーし」

 詩生はドヤ顔で、家族カードを見せる。
 ※詩生の実家は太め。父は大手航空会社の国際線パイロット、母は世界中を飛び回る人気フォトグラファー。
 一玖はクスッと笑う。

 一玖「いいんですか?」
 詩生「いいのいいのー。てことで、何にする?」
 一玖「じゃあ──」

◯駅前のカフェ前・稀和視点【始業式当日・放課後】

 詩生と一玖が書店での買い物を終えて、窓際の席でお茶中。二人が楽しそうにBL談義をしている前を、とぼとぼと稀和が歩く。
 残暑が続き、外を歩くだけで汗が滲む。稀和の少し長い髪が首筋に張り付く。ハンカチで汗を拭う。

 稀和(詩生……無理って。やっぱり……俺、嫌われたのかな)

 肩を落とした稀和の足取りは、かなり重い。
 
 稀和(付き合ってたとき、俺……全然ダメダメだったから、また付き合っても同じだって思われてるのかな)

 うるっとして、稀和は目元をグッと押さえる。
 だが、ふと視線を上げると、ガラス越しに見えるカフェの店内に、詩生がいるのに気づく。向かいの席に座るのは、見知らぬ他校の男子高校生(一玖)。詩生も釣られるようにして、笑っている。

 稀和(……詩生。その人、誰?)

 稀和の涙腺がますます緩む。
 詩生が何かを話すたびに、男子は照れながらも詩生の言葉に頷く。

 稀和(……もしかして、詩生はその人と付き合ってるの?)

 ぽろぽろと稀和の目から涙がこぼれ、頬を伝う。

 稀和(でも、俺は──もう、詩生を諦めたくない)

 稀和は手の甲でぐっと涙を拭う。唇を噛む。

◯駅前のカフェ店内・詩生視点【同時刻】

 一方、楽しく一玖とBLについて語る詩生。

 詩生「いやー、俺ね、ヘタレ攻めが大好きなの。でも、商業は供給少ないでしょ?」
 一玖「たしかに」
 詩生「需要がないのは分かってるんだけど……俺ね、グイグイくるような自分に自信があるタイプが苦手で」

 詩生は注文したチーズケーキをパクッと食べて、肩をすくめる。
 
 一玖「そうなんですね」
 詩生「かといって、スパダリなのも……いーって、全身が痒くなるんだよねぇ」
 一玖「へぇ」
 詩生「って、俺ばっか話してる! 一玖くんはどんな攻めが好き?」

 詩生は手を伸ばして、何も気にせず、テーブルの上に置いていた一玖の手をぽんぽんと叩く。
 ※詩生はややボディタッチ多め。
 
 一玖「あ……えっと……俺は攻めは特に好きも苦手もないんです」

 若干俯き加減で答える一玖。
 
 詩生「そうなの?」
 一玖「はい。受けだと、ちょっと強気な受けとか、しっかり者の受けの話を好んで読みますけど」
 詩生「へぇ〜! じゃあ、一玖くんは受けにフォーカス当てて作品選ぶ感じなんだね」
 一玖「たぶん、俺がちょっと頼りない性格だから……そういう子に惹かれるのかなって」

 少し顔を赤ながら答える一玖。カフェオレに手を伸ばそうとしたとき、一玖は誰かの視線に気づく。
 詩生は気づいていないが、ガラスの向こうで泣く男子高校生(稀和)を確認。
 
 一玖「詩生さん……あの」
 詩生「ん? どうしたの?」
 一玖「えっと……あの、黒髪で身長の高いすごくイケメンな人とお知り合いですか?」
 詩生「え……?」

 ガラスの向こうに視線を向ける詩生。だが、駅前の通りは人が行き交っているものの、一玖の言うイケメンらしき人物はいない。

 詩生「そんな人いないよ?」
 一玖「あれ?」

 一玖はきょろきょろと辺りを見る。
 その次の瞬間、ガラスとは反対側から手がヌッと伸びて来て、詩生の腕を掴む。

 詩生「えっ」

 詩生は慌てて、その手の主を見上げる。そこにいたのは稀和。目元を赤くした稀和が、一玖の方を見ている。
 
 稀和「詩生は俺のだから」

 唐突な発言に、詩生も一玖も目をぱちくり。
 ハッとした詩生はすぐに稀和の手を振り払う。

 詩生「いやいやいやいや、何言ってるの? ていうか、稀和がなんでここに? 意味わかんないから」
 稀和「歩いてたら詩生が見えたから」
 詩生「見えたから、何? なんで稀和に邪魔されなきゃいけないの」

 ぷんすか怒る詩生。すると一玖は何かを察したように立ち上がる。

 一玖「あの……俺は帰りますね」

 慌てて荷物をまとめ始める一玖。

 詩生「えっ……一玖くん待って」
 一玖「いえ、また今度……続きをお話ししましょう。ご馳走様でした」

 一玖は目を逸らすように、食べ終えた皿とカフェオレが半分入ったコップを持って、そそくさと立ち去る。

 詩生(……せっかく、友達になれそうだったのに)

 稀和は勝ち誇った表情。それを見た詩生はげんなり。

 詩生(最悪。稀和のせいだ。てか、なんなのその顔)

 詩生「稀和、何がしたいの?」
 稀和「あの人、詩生に気がありそうだったから」
 詩生「ないよ。今日初めて会ってお茶しただけなのに」
 稀和「初めてで……お茶?」

 稀和は顔面蒼白になる。
 ※ヘタレすぎて、詩生にデートのお誘いができたのは、付き合って一ヶ月くらい経ってから。

 詩生「そうだよ。せっかく仲良くなれそうだなって思ったのに。連絡先交換する前に別れちゃったじゃん」
 稀和「……」

 押し黙る稀和。
 それを見て、はぁとため息をこぼす詩生。
 
 詩生「ねぇ。何を勘違いしてるのか分かんないけど、俺は稀和以外の男と付き合ったことないよ」
 稀和「分かってる。詩生の恋愛対象は女の子だから」

 小声で呟く稀和。

 詩生「分かってるなら、一玖くんとは何でもないことくらい分かるじゃん」
 稀和「でも、詩生は」

 稀和は何かを言おうとして、急に口を閉ざす。
 
 詩生「俺が何?」
 稀和「……俺と付き合っただろ」
 詩生「そうだね。なら、俺にもう復縁とか持ちかけないで」
 稀和「なんで」
 詩生「なんでって、今の稀和ホント無理だから(俺様攻めみたいで)」

 詩生の言葉で、稀和の体がピクッと跳ねる。

 詩生「じゃあもう、俺も帰るから」

 詩生が立ち上がって、荷物をまとめる。食べ終えた食器を持って行こうとしたら、稀和が「やる」と奪うように持っていく。

 詩生「だから、そういうところが……嫌なんだってば」

 稀和の背を見ながら、小声で呟く詩生。

 詩生(俺は今じゃヘタレ攻め好きな腐男子になってるけど……男に女の子扱いされたいわけじゃない)

 詩生は口を軽く尖らせる。
 
 詩生(……稀和を好きになったから、ヘタレ攻めを好きになったんだよ)

◯駅前のカフェの外・稀和視点【同日・続き】

 稀和は外に出るなり、詩生をチラと見る。
 詩生は稀和の方を見ない。その表情は曇っていて、隣にいるのに遠い。
 
 稀和(やってしまった……。どうやってもから回ってるみたいだ。俺の行動ひとつひとつが詩生の癪に触るみたいで、つらい)

 稀和はぐっと奥歯を噛み締める。

 稀和(俺は詩生のことが……ただ好きなだけ。好きだから会いたくて、必死になって勉強して飛び級で卒業した。父さん母さん説得して、一人で戻って来たのに……)

 考えれば考えるほど悲しくなって来て、稀和はしゅんとする。

 稀和(どうしたら詩生は……俺を見てくれるんだろ。付き合ってた時も……俺だけが詩生を好きだったし。千和の真似しても、ダメなのかな)

 はぁとため息をこぼした時、前方で困った様子の男性二人組の外国人を見かける。観光客のように見えるが、周囲の人に話しかけるも、うまく意思疎通ができないよう。他の人は頭を下げてどこかへ逃げていく。
 稀和は駆け足で向かって、「Hi!」と話しかける。
 早口の英語で観光地について聞かれるも、ハイスペ男子に成長した稀和は、ペラペラと返してサクッと道案内してしまう。
 道案内を終えて、詩生のところに戻る。

 稀和(詩生に褒めて欲しくてやったわけじゃないけど……。そもそも、詩生英語得意だし。でも、少しは俺のこと、かっこいいって思ってくれたかな)

 ちらっと詩生の顔色を伺う稀和。
 詩生は目をぱちくり。

 詩生「稀和、何その顔」
 稀和「えっ……」
 詩生「褒められたい犬みたいな感じになってる」

 稀和はしまったという顔をして、そっぽを向く。

 稀和(こんなんじゃ……詩生に嫌われる)

 詩生「稀和」
 稀和「……?」
 詩生「そういう稀和の方がいいよ。かわいいから。……じゃあ、俺はもう行く」

 詩生は稀和を置いて、さっさと歩き出す。
 その背中を見ながら、稀和は目元を緩める。

 稀和(詩生が……俺のこと、見てくれた)
 
 スキップしそうになるのを必死に抑えながら、稀和は犬のように詩生の背を追いかける。


◯自宅・詩生の部屋【同日・夜】

 受験生の詩生。机の上には大量の参考書。今日のノルマを記入した手帳には赤ペンで、やり終えた項目から順に線を引いて消している。最後の英語の長文を読み終えた詩生は「ふぅー」と息を吐きながら、伸びをする。
 書店で購入した漫画をスクールバッグから取り出して、袋を開ける。

 詩生「今日のノルマも終わったし……やっと読める」

 シュリンクを開けて、さっそく読み始める詩生。ぺらぺらとページをめくるも、5分も経たない間に、詩生の手はぴたりと止まる。

 詩生「駄目だ……。稀和とかぶって見えちゃう。なんで? 今の稀和って、なんか違うのに。ハイスぺだし、自信ありげだし……前と違うのに」

 詩生の手に持つ漫画は、わんこなヘタレ攻めが主人公の受けのために頑張ってかっこよくなろうと努力して、から回っている作品。

 詩生「単話で追うくらい好きなのに……」

 詩生は眉間にしわを寄せて、再び作品に視線を落とす。
 そこにはヘタレ攻めが『俺、君のためにかっこよくなったんだよ』とベソをかくシーン。

 詩生「……もしかして、稀和もこんな感じで俺のためにかっこよくなろうとした……とか、ないよね?」

 きゅっと漫画を持つ手に力が入る詩生。

 詩生(稀和がもしそうだったら……俺──)

 だが、すぐに「でも、そんなことあるはずないか」と呟く。

 詩生(……俺がありのままの稀和が好きだったこと、知ってるはずだもん)

 詩生は漫画を手に持ったまま、ベッドに向かう。ポスっと横になって、天井を見上げる。

 詩生(え? ……言った、よね? 稀和の可愛いとこが好きって)

 今更ながら、自分がちゃんと稀和に気持ちを伝えていたかどうか、詩生は一晩中悩む羽目になる。