【連載】月光カクテル - Moonlight in Your Glasses -

「いらっしゃいませ」
少し掠れた爽やかな声を聴いた瞬間、俺はここに入って来た事を猛烈に後悔した。
「こちらへどうぞ」
中はまるでレトロな喫茶店のようだった。
狭い。カウンター席が5席しかない。磨き抜かれた木のカウンターは落ち着いた漆色をしていて、同色の棚には色とりどりの酒瓶が飾ってあった。

バースツールではなく背もたれ付きの黒糖色のスツール。背もたれにはレースのカバーが掛かっている。
壁には楕円形のパッチワークの壁掛け。赤と白を組み合わせたデザイン。カウンターの脇には白と黒と赤紫色のラインが入った花瓶。両手をつぼめたような形。
その花瓶に生けてある白いぼんぼりのような花は、

「アジサイ、では、ないですよね?」
「良くご存知で。これは『オオテマリ(大手毬)』と言うんです」
まだ若いマスターは、そう透き通るような声で言って花瓶を手元に引き寄せた。
「お好きな席へどうぞ」
「あ、はい」
俺は促されるがままに、真ん中からひとつ入り口寄りの席に座る。
ひとつ席を空けて隣にはカップルがいたが、ひそひそと話す声が聞き取れないくらいの小声だった。
何て美しいマスターだろう。

俺はオオテマリと言うそのオフホワイトの丸い花に手を添えるマスターに思わずぽうっと見惚れてしまった。
染めているのだろうか。かなり明るい茶色の髪が形の良いビスケットのような耳に掛かる。
肌は白いと言うより上質なホワイトチョコレート・クッキーのような色。流麗に整えた茶色の眉に前髪がさらりと掛かる。動く度にハープのような音がしそうな綺麗な髪だ。
伏せられたその目は彫りの深い二重の切れ長。瞳は瑪瑙(メノウ)のような深い茶色をしている。
高くて細い鼻、紅を引いたような煌く珊瑚の色薄い唇。面長。
長い睫毛が動く度に心地良いクラシックを聴いているような気分になる。
美しい。やや細身の身体を真っ白なシルクのシャツと黒いカーディガンに包んでいる。
(何て美しいんだろう -)

年は、同じくらいか、少し上か。
「あんまり見ないでください」
「はっ!」
困ったように微笑えまれて俺は思わず真っ赤になった。あまりにも美しいものを目にしたせいで心臓がバクバクと早鐘を打っている。
「マスター、いつものを」
「えぇ、お待ちください」
隣のカップルの女性の方がマスターにそう言うと、マスターはまるで昼間の初夏の風のように柔らかく、温かく返事をした。
(そう言えば)
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