燃えていた。
世界遺産が燃えていた。
築850年を超えるゴシック様式の建造物が燃えていた。
高さ96メートルの尖塔が真っ赤な炎に包まれて落ちていった。
こんなことってあるのだろうか?
目を疑った。
ありえない!
見ているものを信じられなかった。
フランスだった。
パリだった。
セーヌ川だった。
中州に浮かぶシテ島だった。
2019年4月15日だった。
18時50分だった。
ノートルダム大聖堂が出火した。
1時間もしないうちに大きな炎を上げて燃え始めた。
30分も前に火災警報アラームが鳴ったのに……、
異常を確認できなかったなんて……、
もしスプリンクラーがあったら……、
もし……、
しかし、タラレバをいくら繰り返しても元に戻ることはない。取り返しのつかないことが、あってはならないことが、してはいけないことが、起こってしまったのだ。
当時、建物の内部では屋根の改修作業が行われていた。その足場にはタバコの吸い殻があったことが確認されている。
タバコの吸殻?
ということは喫煙?
木造建造物の内部で喫煙?
それも歴史的な建造物の内部で?
それが原因かどうかはわからないが、やってはいけないことが行われていたことは間違いない。喫煙者は、そして、それを容認していた監督者は、850年の歴史の重みをまったく感じていなかったのだろうか?
どんな感覚をしているのだ!
男には理解できなかった。不意に〈愚か者〉という言葉が頭に浮かんできた。余りにも愚かすぎる。
出火から2か月を過ぎたあとに「原因は特定できず」と仏検察が発表したが、男の頭の中から〈人災〉という言葉が消えることはなかった。古の大工が丹精を込めて造ったものを、現代の愚か者が破壊した可能性は排除できないのだ。
取り返しのつかないことを……。
*
瞼を開けると、首里城の焼け跡が目に戻ってきた。
これも原因不明か……、
先日発表された沖縄県警の捜査終了時コメントを思い出していた。ノートルダム大聖堂と同じく原因不明。捜査を尽くしたあとの結果なので受け入れるしかないのだが、今一つ釈然としないものを感じざるを得なかった。
出火原因がわからないまま復興作業に着手することが本当にいいことなのだろうか?
また同じ間違いを繰り返すことにならないだろうか?
疑問が消えることはなかった。
そんなことを考えていると、痛ましい姿を晒している首里城が可哀そうに思えてきた。戦争で焼かれて、原因不明の火事で焼かれて、それでも何も言わずに立ち尽くす首里城。「いい加減にしてくれ!」と叫んでもいいんだよって心の中で声をかけたが、当然のことながらなんの返事も返ってこなかった。
可哀そうに、と心の中で呟いたが、観光資源によって飯を食わしてもらっているのになんの力にもなれない情けない自分に溜息が出た。
一気に力が抜けてボーっとなってきた。これ以上ここにとどまることはできなかったので、重たい足を引きずるようにしてホテルに戻った。
*
ベッドに横になったのは覚えているが、すぐに寝入ってしまったらしい。目が覚めた時には部屋の中は暗くなっていた。信じられないが、4時間も眠っていたようだ。それでも体は重かったし、首里城の痛ましい残像が消えたわけではなかったが、これ以上寝ることをお腹が許さなかった。ホテルを出て沖縄料理専門店へ向かった。
食べるものは決まっていた。黒毛豚の中でも希少な100パーセント純血統種『金武アグー』だ。これだけはなんとしても食べなければならない。テーブルに腰を下ろすなり店の人に告げると、「ご用意できます」と笑顔が返ってきた。その途端、気持ちが切り替わった。すぐにカメラを用意して、今か今かと待ちわびた。
ビールに続いてしゃぶしゃぶと地野菜が運ばれてきたが、そこには通常目にするポン酢はなく、胡麻、塩、味噌の3種の薬味で食べ比べるようになっていた。早速食べ始めると、余りの美味しさと見た目の美しさに箸が進んで、目の前の食材はあっという間に無くなってしまった。最後にシークヮーサーのパウダーをかけたシャーベットで口直しして、大大大満足で店を出た。
部屋に戻ってシャワーを浴びるとビールが飲みたくなった。しかし冷蔵庫は空っぽだったので、自販機で買うために服を着て靴を履いた。そしてチェーンを外してドアを開けようとした時、何かに呼び止められたような気がした。
そうだった。空港の売店で買ったものを忘れていた。泡盛の古酒。早速製氷機から氷を取ってきて、ガラスコップに注いだ。
キレのある味わいが喉に沁みた。その上、室温を高めに設定しているのでオンザロックがたまらない。テレビから聞こえる沖縄民謡が心地良く、二度三度とお代わりが進んだ。クースと沖縄民謡は最高のマリアージュだと思った。
沖縄民謡の番組が終わってコマーシャルの時間になったので、それを利用してトイレへ行った。
戻ってくると、ニュース番組に変わっていた。アナウンサーの声が深刻そうだった。気持ちの良い酔いが一気に醒めた。
ダイヤモンドプリンセス号のニュースだった。感染者数は増え続けていた。あの時の嫌な予感は当たってしまったようだ。背筋を気持ち悪い寒さが襲った。
*
8日に見たニュースにも驚いた。中国で一人の医師が死亡したニュースだった。武漢の眼科医だった。彼は昨年12月にSARSに似た7人の症例に気づき、SNSで同僚の医師に発信した。大流行が起きている可能性が高いということと、感染を防ぐために防護服を着なければいけないということを。
しかし、その情報を目にした警察は彼の情報は虚偽だと決めつけ、このような違法行為を続ければ裁かれることになると脅した。
間違っていたのは警察の方だった。彼の情報は虚偽ではなかった。真実だった。医療現場で起きている明白な真実だった。もし彼の告発を真剣に受け止めていればと思うと、残念でならなかった。
それに、彼は34歳だった。彼の前途は開けていた。その上、奥さんは2人目の子供を身籠っていた。妊娠5か月だった。あと5か月ほどで可愛い我が子を抱けるはずだった。新たな家族を迎えての幸せな家庭生活が始まるはずだった。
だが、その夢はもろくも崩れ去ってしまった。幸せの絶頂から不幸のどん底に落とされたのだ。しかも、それだけでは終わらなかった。妻や子にも会えず、親族にも会えず、孤独な最期を迎えさせられたのだ。
なんと言うことだろう……、
男は彼の無念を思った。



