ピアノの下

l僕は返事に困って、しばし目を泳がせた。
「不法侵入じゃない。ちゃんと職員室で鍵を借りた」
とがめられたと思ったのだろうか。まだ何も言っていないのに。(彼の中で僕はそう言うイメージなのだろうか)
左耳に下げたピアスが揺れる。ひとつ白い羽根とひとつ白い真珠。白花の舞。
「ピアノの、音に誘われて」
「あっそう」
そいつは、僕の顔を疑わしそうにじろじろ眺めた。切れ長の目と言うものは時にこんなに刃のように光るのか。
「本当だよ」
僕は、すぐ近くの席にリュックサックを置いて、ていねいにその瞳をみつめかえした。
そう悪いものではないように思えた。校内にあふれる噂話はあくまで尾ひれに尾ひれがつきまくって九尾になっただけのように思えた。学校中に流れるこいつの評判は。
「素敵な音だなって、ずっと思ってた」
こんなに心を揺さぶる演奏が出来るなんて天才だ。僕は、動画サイトで聴くプロの美しい演奏より、こいつが弾く生々しい「ノクターン」のほうが好きだ。血と汗のにおいがする。(努力のにおいがする)

そいつは、しばし僕を珍しいものでも見るようにじろじろと眺めていた。
「顔色が悪いな」
まるでこちらが予想していなかった言葉を独り言のようにつぶやき、それから足元に置いていた黒いリュックサックの中をあさり、
新しいカイロをひとつ僕の胸に押しつけてきた。まだ封を切っていないもの。赤とオレンジのパッケージがあたたかそうなもの。
「ここで少し寝ていけよ。
勉強のしすぎじゃないか? 優等生」