(矢代視点)
俺は、意外性やギャップに弱い。
幼い頃から運動を……特にチームプレイをしてきたからだろうか。たいがいのことは対象物にしばらく視線を置いていれば内容が理解できたし、思考が読めた。
親からは『樹は眼力が強すぎるから、試合以外で人をじっと見るのはほどほどにしなさい」なんて揶揄われたこともあるけれど。
だから、例えば物静かそうだな、と思っていた子が、話し出すと表情をぱっと明るくして良くしゃべるのとか、めちゃくちゃヤバい。グッとくる。
――三上朋哉は、俺にとってそういう存在だった。
同学年とはいえ八クラスもあると、名前も顔も知らないヤツが多くいる。
三上のことも、情報Iの授業で課題ペアになるまで全く認識していなかった。
(大人しそう。共通の話題あるかな。まあ、課題をやるだけだから必要以上に話すこともないか)
そんな第一印象。
だけど。
課題を配布されるとキュッと口角を上げ、ものすごい速さでパソコンのキーを打ち始めた三上。
対面の椅子から隣の席に移っていた俺は、反射的にパソコンから三上の横顔に視線を移した。
すぐに目に入ったのは、眼鏡を通さない三上の目。
対面だったときはわからなかったけれど、まつ毛、長い。
真っ黒の黒い瞳、隣に座る俺からは全部が見えるわけじゃないけれど、キラキラしてる。
ていうか、めちゃめちゃ楽しそう。
学校の課題で? 担当が人気のない教師で、皆がダルがってる情報の授業で?
……ああ、三上ってパソコン系が好きなんだ。
いいな。好きなことがあるヤツの目って。
まさかの畑違いの授業で、バレー部のの仲間の目を思い出す。
……俺も、そうだったのだろうか。
懐かしさと、バレー部を辞めてから目標を失っている自分に唐突に焦りを感じた。そのときだった。
『はい。最初のところの俺の分終わったから、交代」
そう言って、三上は眼鏡を外して俺にニコッと笑った。
その瞬間、グッときた。
誰も三上を見ていなかった。でも俺は三上を見ていて、三上も俺を見ている。
(この目を見ているのは俺だけなのか)
また、胸になにか熱いものを押し当てられる感覚があった。
その後も、学校以外でパソコンやスマホをほとんど触ってこなかったために情報処理関係に疎い俺に、三上は熱心に教えてくれた。
また、課題は授業内で完結するものではなかったから、互いのトークアプリの登録をして、四日間メッセージのやりとりをした。
メッセージのやり取りひとつでも、性格が出ると俺は思っている。
ちなみに俺は、バレー部のグループでもクラスのグループでもリアクションを押すのみで、愛想がないと自覚している。
加えて指が太いから、ちまちまスマホの操作をするのが面倒で、反応が遅い。
反対に、三上は反応が早かった。たった数秒で丁寧な文章を送信してくる……敬語で。
同学年なのになんで敬語なんだ? と思わないでもなかったけれど、俺がわからないことを質問すると、画像や資料をつけた上でさらに丁寧に説明する文章を送ってくれた。
(丁寧、親切……っていうか、楽しいのか。今も目ぇ、輝かせてんのかな)
授業で一度だけ見た、裸眼の三上の笑顔を思い出すと、また、胸がグッとなった。
この感覚の正体を、俺は知っていた。
「好意」だ。それも、「親愛」じゃないやつ。
これまで、バレーボールに夢中だった俺の「好意」は「親愛」から「恋愛」に発展することがなかった。
また、年齢が上がるにつれ、少し話したことがあるだけの男女から「親愛以上の好意」を向けられるようになることが増えて困惑していた俺は、本当はありがたいことなのに、「好意」自体に辟易していた。
だから戸惑ってしまって。
男から好意を伝えられることはあっても、自分が他人に……同性に親愛以上の感情を抱くなんて、ないだろうと。
確かめたい。
でもどうやって? 確かめてどうする?
そんなときだった。
登校後に、姉から愛犬チョコの画像が送られてきた。
それを確認したのち、スマホをリュックにしまおうとすると、またメッセージが入った。
ドクッと胸が跳ねた。
(このアイコン、三上だ)
『やばい弁当忘れた。所持金ゼロ。言うこと一個聞くから昼になんか持ってきて』
家族へのメッセージを間違えて送信したようだった。
「ふは」
思わず息を漏らすように笑ってしまった。
知らず知らず緊張して入っていた肩の力も抜けた。
(あの丁寧な三上も『やばい』とか使うのか。ギャップ強)
他にはどんな言葉を使う? どんなことを話す?
……知りたい。三上のこと。
そして、俺のこの気持ちもちゃんと知りたい。
それで俺は、その日の午前の授業を終えると同時に食堂の売店に走った。
クラスのヤツらと食堂で食う約束をしていたけれど、たくさんのパンを買って向かったのは、三上のいる教室だった。
俺にとっては決死の覚悟みたいなところがあったのだけれど、カッコつけたくて余裕のあるフリをした。
あのときの俺は、三上の目に、どんなふうに映っていただろうか──
***
「好きだ。三上のこと、好きだ」
三上の誕生日。フェスの終わりに俺は告白を決行した。
昼食を共にするようになってから、三上に惹かれる一方だった。
もう理屈じゃなかった。
話しているときの柔らかい表情がいい。
パソコンを打つのもスマホメッセージの返信もあんなに早いのに、話すのはゆっくりなところ、かわいい。
頭の中で情報を集めて、人に気遣いながら話しているんだろう。
それに、ここに居ない人のことを話さないところ、裏表のない性格が現れていて、いい。
馬鹿げてるって思うけれど、俺は三上が友人の水野とどれほど親密なのかを、少し……だいぶ気にしていた。
だから二日目に三上の元へ行ったときに、目で彼を牽制した。
親から『あんたは目で物を言うタイプよね。こわw』なんて、これも昔から揶揄われていたから、俺たちの邪魔をすんなよ、と。
その後、二人だけで席に着いたとき、三上は水野のことを話題に出そうとしたけれど、すぐに口を噤んだ。
内容の良し悪しに関係なく、三上は口が硬い。浮ついたところがない。
――こう思い出して見ると、理屈じゃないと言いつつ、理屈は確かにあるのかもしれない。
けれど、それでも。
たとえば、客観的に見て三上にマイナスなところがあったとしても、俺はきっとそれさえも、まるごと好きなんだと思う。
そういうのが、理屈じゃねぇんだろうな、って思う。
うん……そう、こっちは三上を絶対に落とすつもりで距離を詰めてんのに、全然気づかない鈍感なところとか……まあこれは、男同士っていう壁があるから一筋縄ではいかないのは承知だったけれど……終業式後に突然逃走された後のことだ。
家を教えておいてほしかった俺は、直接はさすがに言いづらくて遠回しに言ったが、三上は華麗にスルーした。
それで、予行演習の日に『迎えにいくから家を教えてくれ』とはっきり言ったのに、そこも恐縮されただけで、意味を深堀りすることもなくあっさりスルーだった。
そんな鈍いところも、可愛い。三上のことを知り甲斐がある。
もっと、見せて。
俺が知らない三上をもっと教えて。
俺のことも、知って。
それで俺は、予行演習当日にちょっとばかり狡いことを策略した。
とりあえず外デートも少しするけれど、映画が終わったらすぐに三上を家に連れ帰ろう、と。
別に不埒なことを考えていたわけじゃない。ただふたりきりですごしたかった。
俺だけを三上の瞳に移して、ゆっくりと話す時間が欲しかった。
情報操作に疎いからって、部活を辞めてからそれなりに普通の遊びに時間を費やしてみた俺だ。行く先の予約が必要なことくらいは知っている。
だから敢えて予約しないと入れない店を昼食の場所に選び、敢えて予約をしなかった。
家の方は母親に友人を連れて来たいと伝え、三上が好みそうなお菓子を用意してもらったし、部屋の大掃除なんていつぶりか。三日間必死にやった。
『もしかしたら誘うかもと思ってた』的なことを三上に言いつつ、実は準備万端だったのだ。
家に誘ったとき、顔を赤くしてためらいがちに頷く三上は、その場で抱きしめたくなるほど可愛かった。
汗をかいてる、なんて嘘をついて頬に触れると、めちゃくちゃ動揺していた。
柔らかくて、滑らかな頬だったな……。
あの日、今日は特別だからとコンタクトレンズを着けてお洒落をしてきてくれた三上。
電車の中でも感じていたけれど、間違いなく俺を意識している。
(もっと、距離を詰めて絶対に落とす)
そう思っていたこと、微塵も気づいちゃいないだろう。
そこが三上の可愛いところ。落とし甲斐のあるところ。
ちなみに、俺はこれまで誰かを落としたことはない。これは、バレーボールをやっていた闘争心みたいなものが功を奏しているってことだ。
そんなわけで、俺の部屋でも存分に攻めさせてもらった。
あまりにも三上がかわいくてかなり煽られたものの、誕生日の告白を決行しようとしていた俺だ。
三上が俺をもっと意識するように、性別の壁を越えて恋愛感情を持つように画策した。
我ながら恥ずかしいセリフもスムーズだった思う。
手にも肩にも、腰にだって、何度も触れた。
三上は嫌がらなかった。
体を小さくして恥ずかしそうではあったけれど、頬を赤く染め、瞳を潤ませた。それらは俺に手応えを感じさせた。
――それなのに。
一気に仕掛けすぎたのだろうか。
三上はその夜から様子がおかしかった。明らかに俺との距離を取ろうとしていた。
(気持ち悪いと思われたか?)
不安な日々を過ごしつつ、それでも俺は、三上の誕生日に告白をする勢いを付けるための行動を遂行した。
三上のおかげで、俺にとっては第二の人生となるこれからの目標を見つけた。
スポーツ整形の医者になること。その意志を確実にするために、いくつかのオーキャンに出向いていた。
中途半端な俺では、三上の隣に相応しくない。
三上は物静かでおっとりして見えても、将来の職業まで決めている芯の強い男だ。
俺も今後の自分の方向を見定めてから、告白する。
そして、在校生に積極的に質問をして、合格を勝ち取るための医学系塾を教えてもらい、進路決定と共に、決めてきた。
これで告白する準備は整った。
今日俺は、三上がトイレに行っている間にフェスで読み上げられるメッセージ募集に応募していた。
『好きな人に告白するから絶対に読み上げてほしい』とコメントを添えて。
こうして、俺の思いの丈を綴ったメッセージは読み上げられた。
赤や青の淡い光でライトアップされた会場から応援の拍手が上がる中、俺より二十センチ弱は背の低い三上の細い腰に手を添え、口だけでなく目で、そして、全身で気持ちを伝えた。
勝算はあったけれど、当然緊張した。
いくら俺が相手の気持ちを感じ取れる方でも、百パーセントの確信はない。
男が男と恋愛するというイレギュラーなことに加え、親しくなってわずか一か月半の俺の告白を三上がどう受け止めるのか。
三上は目も口もまん丸にして俺を見上げている。
言葉も出ないほど、大きな衝撃を受けたようだった。
「三上?」
「……ぁっ、あの、俺、俺」
三上が俺のTシャツの胸元をギュッと握り込む。
みるみる頬を赤く染めて、裸眼の目を潤ませた。
(やばい、抱きしめたい)
そう思った直後だった。三上の額が、俺の胸に温かさを伝えた。
Tシャツを握る力が強くなったのがわかった。
三上が俺にしがみついている。
「っ、俺も、矢代君、好きだ」
小さな小さな声だった。
けれど、それは間違いなく手に入れたかった答えで。
俺は試合で勝利を勝ち得たときと同じ達成感を感じた。
腹の底から感情が沸き立って、もっと高みを目指したくなるときの、あの感じ。
叫び出したくなるほどの充足感。
俺の夢中は、バレーボールから三上朋哉になったんだろう。
これからの俺の目標は、医者になることはもちろんだけれど、三上と共に日々を過ごし、毎日その言葉を言ってもらえるような人間になることだ。
「三上のこと、一生大切にする。俺と付き合って」
「い、一生?」
あ。胸のところ、三上の温もりが気持ちよかったのに離れてしまった。
だけど、ビックリしたまんまる目で見上げてくるの、めちゃかわいい。
「一生」
俺が繰り返すと、三上は「あわわ」とか言葉にならない言葉をつぶやいた。驚きすぎているのか、俺の胸からパッ手を離してしまう。
(離すか)
三上の腰からその手へ俺の手を移し、固く繋いで歩き出した。
「矢代君?」
どうしたの、と聞いてくるかのように俺を呼ぶ三上。
戸惑っているのを感じるけれど、待ち合わせ場所からフェス会場に向かったときのように、手を払わずにちゃんと着いてきてくれる。
俺はメイン会場から少しだけ離れた場所まで早足で向かい、人の目から隠れられる木の裏に三上を連れ込んだ。
悪い男みてぇ。
自分がこんなことをする日が来るなんて思わなかった。
最初は多分、もっと時と場所を選ぶべきなんだろうけど、我慢できない。
「なあ、俺のこと、呆れないで?」
「へ? え?」
木の幹に三上の背を押し付けた俺を、きょとんと見つめるふたつの瞳。
好きだな。三上の目。
「キス、したいんだけど」
「ふぇっ」
「嫌? なら我慢する」
「ぃぃ嫌じゃやない。でも、俺やり方わかんない」
「ふは」
くっそかわいいことをいう。
俺もだけど、三上も初めてだって知れて嬉しい。
「俺もだけど?」
「うそ……ほんとに?」
頬に手を添えると、三上は少しだけ肩を揺らしながらもそう聞いてくる。
「なんで疑う」
「だって矢代君、かっこ」
「樹」
三上の言葉を遮った。
さっき告白をしたばかりの今で、性急だって思うけれど、俺だけの三上をたくさん吸収したい。
家族しか呼ばない呼び方で俺を呼んでほしい。
俺も、三上を特別な呼び方で呼びたい……水野は、まあ許す。
「朋哉、樹って呼んで」
「ひぇ」
「ふは。さっきから、漫画か」
「だって、だってさ」
あー、キョドってんの、マジでかわいい。ちょっと冷静になろうと思ったのに、ますます沸き立ってくる。
「朋哉、俺、もう待てないんだけど」
「は、は、はい! えっとあの、タツキ」
また、ちっさい声。
でも、意外にもすぐに呼んでくれた。もしかして、朋哉も俺を下の名前で呼びたいって思っていてくれたのかもしれない。
そうなら嬉しい。
「今の、キスの返事ってことでいいよな?」
ちょっと意地悪を言う。
「へぇ?」
朋哉の発声がますますおかしいけれど、ホント、もう、なにもかも好きだ。
「緊張するなら、眼鏡、取る?」
朋哉の眼鏡をそっと外した。
朋哉は一度キュッと目を閉じて、再び開くと俺をじっと見つめる。
少しだけ怯えたような表情だ。いや、照れまくってんのかな。白い肌が真っ赤だ。
俺の好きな目もうるうるさせて……ヤバいな、野獣になりそう。
なんでもいいから、早くキスしてぇ。かぶりつきたい。
(駄目だ。がっつくな。朋哉を怖がらせるな)
「えと、この距離なら眼鏡取っても見えちゃうんだけど……」
「なら、目ぇ閉じてな。怖かったり嫌だったりしたら、逃げてもいいから」
眼鏡を片手に持ち、もう一方の片手は三上の頭の後ろに当てた。
そして、ゆっくりと引き寄せていく。
三上は逃げなかった。ぎゅっと眉根を寄せたけれど、なにも言わずに瞼を閉じる。
閉じ合わせた長い睫毛がかすかに揺れた。
感じるのは、三上の心地いい体温と、夕方と夜の狭間の生ぬるい風。
互いの汗の香りが少しだけ鼻腔に絡んで、クラッとする。
聞こえてくるのはメイン会場からの音楽。
視界の端には暮れゆく赤紫色の空が見えるけれど、中心に映るのは「そのとき」を待つ朋哉だけ。
その中で、俺は三上の唇に自分の唇をそっと重ねた。
柔らかい。
初めて感じる柔らかさだ。
その感触に泣きたくなるほどの幸せを感じながら角度を変え、俺はさっきよりも深く唇を押し付けたのだった。
***
九月。二学期が始まった。
「樹! お待たせ」
二年生の階の階段の踊り場で朋哉を待っていると、ロングホームルームを終えた朋哉が手を振りながらやってきた。
俺たちは今ももちろん昼飯を一緒に食っている。そして、下校時もこうしてほぼ一緒だ。
予定が合わない日もあるけれど、塾のない日は一緒に図書館で勉強をするし、塾のある日もそれぞれの塾の場所が近いから一緒に行く。
『やっぱ意外な組み合わせ』
一学期よりも一緒にいる時間が増えた俺と三上を、クラスのヤツらはそう言った。
ただ、三上と付き合っていることは伝えていなくとも、医学部進学について話した俺は、今後は三上と勉強するのだ、とも伝えた。
ヤツらはそれで納得しているように思う。もちろん、ときどきは誘いに付き合っているし。
三上も同様だ。俺たちの高校生活で、余裕があるのはあとわずかな期間だ。
ふたりでずっと過ごしたい気持ちはあるけれど、友人も大事にしようと話し合った。
ただ、二学期は行事が目白押しだ。
文化祭に、修学旅行、日帰りの探索学習……自由行動時間は、できる限り朋哉との時間を作りたい。今から楽しみだ。
「図書館に行く前にお茶、買っていい?」
図書館に向かう通路の途中で、朋哉が中庭の方向を指さした。
中庭にある自販機に、朋哉が好んでいるお茶が入っている。
予行演習の日に俺が奢ったのと同じお茶だ。
朋哉は『他のお茶より甘みがあるんだよ』と言うけれど、正直、俺には味の違いはわかならない。
それでも、朋哉が俺との思い出……というにはあまりに小さなことだけれど、それを好んで選んでくれることが嬉しい。
「ああ、俺も同じの、買う」
「うん」
ふたりで並び、手の甲だけをくっつけながら向かい始める。
こんなふうな俺たちだけの密かな触れ合いに幸せを感じていると、背後から声がかかった。
「――樹先輩」
この声は、と思いながら振り返れば、後輩の藤田が俺たちを追いかけてきている。
俺はほんの少し身構えた。
一学期の終業式の日に、藤田が朋哉に対して非礼な言動をしたからだ。
ただ、その理由を俺は知っていた。
藤田は多分、先輩後輩以上に俺を慕っている。
俺はそのことに、ずっと気づかないフリをしてきた。
言葉にされない以上はできることもなかったから。
「よう、藤田。部活、遅れるぞ」
先輩らしい態度で応答する。同時に、一瞬ビクリと肩を揺らした朋哉を背に隠した。
好意の種類に関係なく、俺は藤田をかわいい後輩だとは思っているけれど、朋哉に嫌な思いをさせる可能性のあるヤツを、近づけさせたくはない。
すると、藤田は叱られた子どものように眉根を寄せた。手をグッと握りしめている。
「早く行けよ、部活」
俺はそんな藤田を促した。
けれど、藤田は唸るように言ってくる。
「――その人と、話をさせてもらえませんか」
「話ならここでもできるだろ」
「他に人、いるんで。……樹先輩にも、迷惑かけたくないんで」
藤田の手がかすかに震えている。
「じゃあちょっと移動しよう。俺も行くから。いいな?」
そう言うと、藤田は素直に頷いた。
三人で向かった場所は誰もいない体育館の裏だ。
朋哉が大丈夫だと言ったから、朋哉は俺の隣に立ち、藤田と向かい合っている。
「部活、遅れたらコーチにも部長にもドヤされるだろ。五分で話せるか」
移動したものの黙ってうつむいたままの藤田に声をかけると、藤田はゆっくりと顔を上げた。先に俺の顔を見る。
藤田は一度唇を引き結んでから、絞るように声を出した。
「先輩、気づいてますよね。俺、中学の時からずっと樹先輩だけを見てきた。ずっと、樹先輩が好きだった」
「……ああ」
「っでも、樹先輩が俺を同じ気持ちで見てくれることがないの、わかってたから。でもそれならせめて、高校にいる間は樹先輩の隣に誰も立ちませんように、って願ってましたっ」
藤田の声が震える。
俺は今まで、数人からの告白を受けた経験がある。
けれど、藤田の声は、これまでの誰よりも切実に耳に届く気がした。
叶わないと知っている想いを伝えるんだ。当然かもしれない。
だから、誠意を持って答えた。
「藤田の言うとおりだ。俺は藤田の願いを叶えられない。悪い。俺が隣にいてほしいのは朋哉だけだ」
「……っ」
藤田が声を詰まらせる。それから数十秒黙ったのち、今度は朋哉に赤い目を向けた。
「アンタは? アンタは樹先輩をどう思ってるんですか。中途半端な気持ちだったら、っ許さねぇからっ」
「藤田、先輩に対する口の聞き方じゃねぇぞ。それに、そういうことをおまえが聞く」
「――樹、いい。俺に話させて」
藤田を制止しようとすると、朋哉が俺の隣から一歩前に出た。
その横顔に、眼鏡を通さない目が見える。
その目は揺るぐことなく、しっかりと藤田を見据えていた。
「藤田君。俺、本当は、樹がいないところでもちゃんと伝える強さがないといけなかった。今になってごめん」
(いないところ?)
俺がいないところでふたりが顔を合わせる機会があったのか?
そんな疑問が浮かびつつも、朋哉が意志の強い目と声で伝えている。
そのことが、俺への気持ちの強さを表してくれている気がして、むしろ俺の方が早く答えを聞きたくなってしまう。
「俺、樹が好きだ」
(……!)
シンプルな言葉に胸を突かれた。
毎日言ってくれて、毎日メッセージに書いてくれている『好き』なのに、人前でこうもはっきりと宣言してくれると……。
(駄目だ。めちゃくちゃ照れる)
藤田にとっては辛い時間なのに、俺は最低な人間だ。朋哉の言葉に激しく胸を震わせている。
真顔を保っていられなくなり、俺は口元に手の甲を当ててうつむいた。
「樹先輩」
ヤバ……首から上がこれだけ熱いんだ。きっと顔が赤くなっていて、藤田に気づかれたんだろう。
「お、おう」
俺は口元から手を下ろし、できる限り平静を保って答えた。
「クソですか。めちゃくちゃ顔赤いんですけど」
「……っ、悪い」
小学校三年生からの付き合いの藤田に初めて睨まれてしまった。
けれど、顔は赤いままなのだろう。謝っても藤田はまだ俺を睨んでくる。
「だっさ。いっつもかっこよかった硬派な樹先輩、どこ行ったんすか。こんなの、俺の好きだった先輩じゃない。だっさ、だっさ!」
拗ねたようにそう言うと、今度は朋哉に突っかかった。
「いいよわかった。アンタの気持ち、ちゃんとしてるのわかったから、この浮かれた人のことは俺、忘れます。どーぞお幸せに!」
べ、と舌を出すと、クルッと背を向ける。
先輩相手にまたその態度! なんて言葉はもう出なかった。
藤田は俺よりは細身とはいえ、立派にバレー選手の身体つきをしている。そして、いつも勝ち気だ。
けれど今、その背中はひどく弱々しく目に映った。
「藤田」
「藤田君」
俺と朋哉の声が揃って、次の言葉も揃う。
「ありがとな」
「ありがとう」
藤田は多分、初めから気持ちにケリを付けるつもりで声をかけてくれたのだ。
藤田は一瞬振り向きかけたけれど、結局俺たちに視線を向けることなく体育館の入口側へと消えていった。
「俺が心配していい立場じゃやないけど、藤田くん、大丈夫かな」
朋哉が声のトーンを落として言った。
「そうだな……」
俺は答えにならない返事をした。
今はまだわだかまりが胸に渦巻いているだろう。
そのわだかまりが消える日は近いかもしれないし、遠いかもしれない。
藤田の気持ちの行き先は、俺には量ることができないけれど、いつかまた、先輩後輩として話せる日が来るように、と願う。
そして、願いはもうひとつ。
「朋哉、はっきり言ってくれてありがとな。いつかは、どこでも誰にでも、自分たちの気持ちに嘘をつかずに言えるようになるといいな。ていうか、するけど」
「うん。でも、俺の気持ちが変わることはないから、ゆっくりでもいいかな。俺たちのペースで行こうよ」
「……」
また顔が熱くなる。
それって殺し文句ってやつじゃないか?
フェスの日に俺が誓った『一生』が、朋哉の心の中にもちゃんとあるんだと思ってもいいよな?
「樹?」
「ああ、なんでもない。お茶買って、図書館行こ。席がなくなる」
「そうだね」
当たり前みたいにまたふたりで並ぶと、朋哉のスラックスのポケットの中で、スマホが振動したらしい。
朋哉はポケットから取り出して確認すると、トークアプリの画面を俺に見せた。
「水野のトークアプリから水野の彼女が送信してきてる」
『夏休みにデートした人とはどうなったの~~、知りたいよ~。詩愛瑠君、なんにも教えてれないんだもん』
「だって。あ、水野からも入った」
『ごめんよ~。ココちゃんすごく気にしててね』
「だって」
水野には、俺たちのことをフェスの翌日に伝えたと朋哉から聞いている。
心から喜んでくれたと言っていた。
水野は陰ながら俺を応援してくれていたヤツだ。そして、彼女にまで口を割らないなんて、さすが朋哉の親友。口が硬い。
そんな水野の彼女なら、変なふうに朋哉をからかったり傷つけたりすることは絶対にないだろう。
俺は画面を見ながらクスッと笑う朋哉の後頭部をそっと撫でた。
「朋哉がよければ俺はかまわないけど」
「うん。柊木さんには伝えたいかも。これでまたひとり、俺たちのことを知る人が増えたね」
眼鏡越しに見える目が弧を描く。
その笑顔がとても愛おしくて。
俺は自然と目を細めて頷いて、これからの日々もこの笑顔がそばにある幸せを噛みしめる。
そして、ふたりで並び、揃ってピースなんて作ってみた。
パシャッ……スマホカメラのシャッター音が鳴る。
写真を撮り終えたら、朋哉は鮮やかな操作で画像にエフェクトを加え、『俺たち付き合ってます』と文字入れをする。
「恥ずかしいから、逆に浮かれてる感出してみた。どう?」
「最高。後でエフェクト前のと一緒に俺にも送って」
「もちろん」
目を合わせ、くすくすと笑い合う。
俺たちのアルバムにふたりの写真が増えていく。
「よし」
朋哉が水野とのトークアプリに送信した。
──もちろん、送信間違いをすることなんてなく。
完
俺は、意外性やギャップに弱い。
幼い頃から運動を……特にチームプレイをしてきたからだろうか。たいがいのことは対象物にしばらく視線を置いていれば内容が理解できたし、思考が読めた。
親からは『樹は眼力が強すぎるから、試合以外で人をじっと見るのはほどほどにしなさい」なんて揶揄われたこともあるけれど。
だから、例えば物静かそうだな、と思っていた子が、話し出すと表情をぱっと明るくして良くしゃべるのとか、めちゃくちゃヤバい。グッとくる。
――三上朋哉は、俺にとってそういう存在だった。
同学年とはいえ八クラスもあると、名前も顔も知らないヤツが多くいる。
三上のことも、情報Iの授業で課題ペアになるまで全く認識していなかった。
(大人しそう。共通の話題あるかな。まあ、課題をやるだけだから必要以上に話すこともないか)
そんな第一印象。
だけど。
課題を配布されるとキュッと口角を上げ、ものすごい速さでパソコンのキーを打ち始めた三上。
対面の椅子から隣の席に移っていた俺は、反射的にパソコンから三上の横顔に視線を移した。
すぐに目に入ったのは、眼鏡を通さない三上の目。
対面だったときはわからなかったけれど、まつ毛、長い。
真っ黒の黒い瞳、隣に座る俺からは全部が見えるわけじゃないけれど、キラキラしてる。
ていうか、めちゃめちゃ楽しそう。
学校の課題で? 担当が人気のない教師で、皆がダルがってる情報の授業で?
……ああ、三上ってパソコン系が好きなんだ。
いいな。好きなことがあるヤツの目って。
まさかの畑違いの授業で、バレー部のの仲間の目を思い出す。
……俺も、そうだったのだろうか。
懐かしさと、バレー部を辞めてから目標を失っている自分に唐突に焦りを感じた。そのときだった。
『はい。最初のところの俺の分終わったから、交代」
そう言って、三上は眼鏡を外して俺にニコッと笑った。
その瞬間、グッときた。
誰も三上を見ていなかった。でも俺は三上を見ていて、三上も俺を見ている。
(この目を見ているのは俺だけなのか)
また、胸になにか熱いものを押し当てられる感覚があった。
その後も、学校以外でパソコンやスマホをほとんど触ってこなかったために情報処理関係に疎い俺に、三上は熱心に教えてくれた。
また、課題は授業内で完結するものではなかったから、互いのトークアプリの登録をして、四日間メッセージのやりとりをした。
メッセージのやり取りひとつでも、性格が出ると俺は思っている。
ちなみに俺は、バレー部のグループでもクラスのグループでもリアクションを押すのみで、愛想がないと自覚している。
加えて指が太いから、ちまちまスマホの操作をするのが面倒で、反応が遅い。
反対に、三上は反応が早かった。たった数秒で丁寧な文章を送信してくる……敬語で。
同学年なのになんで敬語なんだ? と思わないでもなかったけれど、俺がわからないことを質問すると、画像や資料をつけた上でさらに丁寧に説明する文章を送ってくれた。
(丁寧、親切……っていうか、楽しいのか。今も目ぇ、輝かせてんのかな)
授業で一度だけ見た、裸眼の三上の笑顔を思い出すと、また、胸がグッとなった。
この感覚の正体を、俺は知っていた。
「好意」だ。それも、「親愛」じゃないやつ。
これまで、バレーボールに夢中だった俺の「好意」は「親愛」から「恋愛」に発展することがなかった。
また、年齢が上がるにつれ、少し話したことがあるだけの男女から「親愛以上の好意」を向けられるようになることが増えて困惑していた俺は、本当はありがたいことなのに、「好意」自体に辟易していた。
だから戸惑ってしまって。
男から好意を伝えられることはあっても、自分が他人に……同性に親愛以上の感情を抱くなんて、ないだろうと。
確かめたい。
でもどうやって? 確かめてどうする?
そんなときだった。
登校後に、姉から愛犬チョコの画像が送られてきた。
それを確認したのち、スマホをリュックにしまおうとすると、またメッセージが入った。
ドクッと胸が跳ねた。
(このアイコン、三上だ)
『やばい弁当忘れた。所持金ゼロ。言うこと一個聞くから昼になんか持ってきて』
家族へのメッセージを間違えて送信したようだった。
「ふは」
思わず息を漏らすように笑ってしまった。
知らず知らず緊張して入っていた肩の力も抜けた。
(あの丁寧な三上も『やばい』とか使うのか。ギャップ強)
他にはどんな言葉を使う? どんなことを話す?
……知りたい。三上のこと。
そして、俺のこの気持ちもちゃんと知りたい。
それで俺は、その日の午前の授業を終えると同時に食堂の売店に走った。
クラスのヤツらと食堂で食う約束をしていたけれど、たくさんのパンを買って向かったのは、三上のいる教室だった。
俺にとっては決死の覚悟みたいなところがあったのだけれど、カッコつけたくて余裕のあるフリをした。
あのときの俺は、三上の目に、どんなふうに映っていただろうか──
***
「好きだ。三上のこと、好きだ」
三上の誕生日。フェスの終わりに俺は告白を決行した。
昼食を共にするようになってから、三上に惹かれる一方だった。
もう理屈じゃなかった。
話しているときの柔らかい表情がいい。
パソコンを打つのもスマホメッセージの返信もあんなに早いのに、話すのはゆっくりなところ、かわいい。
頭の中で情報を集めて、人に気遣いながら話しているんだろう。
それに、ここに居ない人のことを話さないところ、裏表のない性格が現れていて、いい。
馬鹿げてるって思うけれど、俺は三上が友人の水野とどれほど親密なのかを、少し……だいぶ気にしていた。
だから二日目に三上の元へ行ったときに、目で彼を牽制した。
親から『あんたは目で物を言うタイプよね。こわw』なんて、これも昔から揶揄われていたから、俺たちの邪魔をすんなよ、と。
その後、二人だけで席に着いたとき、三上は水野のことを話題に出そうとしたけれど、すぐに口を噤んだ。
内容の良し悪しに関係なく、三上は口が硬い。浮ついたところがない。
――こう思い出して見ると、理屈じゃないと言いつつ、理屈は確かにあるのかもしれない。
けれど、それでも。
たとえば、客観的に見て三上にマイナスなところがあったとしても、俺はきっとそれさえも、まるごと好きなんだと思う。
そういうのが、理屈じゃねぇんだろうな、って思う。
うん……そう、こっちは三上を絶対に落とすつもりで距離を詰めてんのに、全然気づかない鈍感なところとか……まあこれは、男同士っていう壁があるから一筋縄ではいかないのは承知だったけれど……終業式後に突然逃走された後のことだ。
家を教えておいてほしかった俺は、直接はさすがに言いづらくて遠回しに言ったが、三上は華麗にスルーした。
それで、予行演習の日に『迎えにいくから家を教えてくれ』とはっきり言ったのに、そこも恐縮されただけで、意味を深堀りすることもなくあっさりスルーだった。
そんな鈍いところも、可愛い。三上のことを知り甲斐がある。
もっと、見せて。
俺が知らない三上をもっと教えて。
俺のことも、知って。
それで俺は、予行演習当日にちょっとばかり狡いことを策略した。
とりあえず外デートも少しするけれど、映画が終わったらすぐに三上を家に連れ帰ろう、と。
別に不埒なことを考えていたわけじゃない。ただふたりきりですごしたかった。
俺だけを三上の瞳に移して、ゆっくりと話す時間が欲しかった。
情報操作に疎いからって、部活を辞めてからそれなりに普通の遊びに時間を費やしてみた俺だ。行く先の予約が必要なことくらいは知っている。
だから敢えて予約しないと入れない店を昼食の場所に選び、敢えて予約をしなかった。
家の方は母親に友人を連れて来たいと伝え、三上が好みそうなお菓子を用意してもらったし、部屋の大掃除なんていつぶりか。三日間必死にやった。
『もしかしたら誘うかもと思ってた』的なことを三上に言いつつ、実は準備万端だったのだ。
家に誘ったとき、顔を赤くしてためらいがちに頷く三上は、その場で抱きしめたくなるほど可愛かった。
汗をかいてる、なんて嘘をついて頬に触れると、めちゃくちゃ動揺していた。
柔らかくて、滑らかな頬だったな……。
あの日、今日は特別だからとコンタクトレンズを着けてお洒落をしてきてくれた三上。
電車の中でも感じていたけれど、間違いなく俺を意識している。
(もっと、距離を詰めて絶対に落とす)
そう思っていたこと、微塵も気づいちゃいないだろう。
そこが三上の可愛いところ。落とし甲斐のあるところ。
ちなみに、俺はこれまで誰かを落としたことはない。これは、バレーボールをやっていた闘争心みたいなものが功を奏しているってことだ。
そんなわけで、俺の部屋でも存分に攻めさせてもらった。
あまりにも三上がかわいくてかなり煽られたものの、誕生日の告白を決行しようとしていた俺だ。
三上が俺をもっと意識するように、性別の壁を越えて恋愛感情を持つように画策した。
我ながら恥ずかしいセリフもスムーズだった思う。
手にも肩にも、腰にだって、何度も触れた。
三上は嫌がらなかった。
体を小さくして恥ずかしそうではあったけれど、頬を赤く染め、瞳を潤ませた。それらは俺に手応えを感じさせた。
――それなのに。
一気に仕掛けすぎたのだろうか。
三上はその夜から様子がおかしかった。明らかに俺との距離を取ろうとしていた。
(気持ち悪いと思われたか?)
不安な日々を過ごしつつ、それでも俺は、三上の誕生日に告白をする勢いを付けるための行動を遂行した。
三上のおかげで、俺にとっては第二の人生となるこれからの目標を見つけた。
スポーツ整形の医者になること。その意志を確実にするために、いくつかのオーキャンに出向いていた。
中途半端な俺では、三上の隣に相応しくない。
三上は物静かでおっとりして見えても、将来の職業まで決めている芯の強い男だ。
俺も今後の自分の方向を見定めてから、告白する。
そして、在校生に積極的に質問をして、合格を勝ち取るための医学系塾を教えてもらい、進路決定と共に、決めてきた。
これで告白する準備は整った。
今日俺は、三上がトイレに行っている間にフェスで読み上げられるメッセージ募集に応募していた。
『好きな人に告白するから絶対に読み上げてほしい』とコメントを添えて。
こうして、俺の思いの丈を綴ったメッセージは読み上げられた。
赤や青の淡い光でライトアップされた会場から応援の拍手が上がる中、俺より二十センチ弱は背の低い三上の細い腰に手を添え、口だけでなく目で、そして、全身で気持ちを伝えた。
勝算はあったけれど、当然緊張した。
いくら俺が相手の気持ちを感じ取れる方でも、百パーセントの確信はない。
男が男と恋愛するというイレギュラーなことに加え、親しくなってわずか一か月半の俺の告白を三上がどう受け止めるのか。
三上は目も口もまん丸にして俺を見上げている。
言葉も出ないほど、大きな衝撃を受けたようだった。
「三上?」
「……ぁっ、あの、俺、俺」
三上が俺のTシャツの胸元をギュッと握り込む。
みるみる頬を赤く染めて、裸眼の目を潤ませた。
(やばい、抱きしめたい)
そう思った直後だった。三上の額が、俺の胸に温かさを伝えた。
Tシャツを握る力が強くなったのがわかった。
三上が俺にしがみついている。
「っ、俺も、矢代君、好きだ」
小さな小さな声だった。
けれど、それは間違いなく手に入れたかった答えで。
俺は試合で勝利を勝ち得たときと同じ達成感を感じた。
腹の底から感情が沸き立って、もっと高みを目指したくなるときの、あの感じ。
叫び出したくなるほどの充足感。
俺の夢中は、バレーボールから三上朋哉になったんだろう。
これからの俺の目標は、医者になることはもちろんだけれど、三上と共に日々を過ごし、毎日その言葉を言ってもらえるような人間になることだ。
「三上のこと、一生大切にする。俺と付き合って」
「い、一生?」
あ。胸のところ、三上の温もりが気持ちよかったのに離れてしまった。
だけど、ビックリしたまんまる目で見上げてくるの、めちゃかわいい。
「一生」
俺が繰り返すと、三上は「あわわ」とか言葉にならない言葉をつぶやいた。驚きすぎているのか、俺の胸からパッ手を離してしまう。
(離すか)
三上の腰からその手へ俺の手を移し、固く繋いで歩き出した。
「矢代君?」
どうしたの、と聞いてくるかのように俺を呼ぶ三上。
戸惑っているのを感じるけれど、待ち合わせ場所からフェス会場に向かったときのように、手を払わずにちゃんと着いてきてくれる。
俺はメイン会場から少しだけ離れた場所まで早足で向かい、人の目から隠れられる木の裏に三上を連れ込んだ。
悪い男みてぇ。
自分がこんなことをする日が来るなんて思わなかった。
最初は多分、もっと時と場所を選ぶべきなんだろうけど、我慢できない。
「なあ、俺のこと、呆れないで?」
「へ? え?」
木の幹に三上の背を押し付けた俺を、きょとんと見つめるふたつの瞳。
好きだな。三上の目。
「キス、したいんだけど」
「ふぇっ」
「嫌? なら我慢する」
「ぃぃ嫌じゃやない。でも、俺やり方わかんない」
「ふは」
くっそかわいいことをいう。
俺もだけど、三上も初めてだって知れて嬉しい。
「俺もだけど?」
「うそ……ほんとに?」
頬に手を添えると、三上は少しだけ肩を揺らしながらもそう聞いてくる。
「なんで疑う」
「だって矢代君、かっこ」
「樹」
三上の言葉を遮った。
さっき告白をしたばかりの今で、性急だって思うけれど、俺だけの三上をたくさん吸収したい。
家族しか呼ばない呼び方で俺を呼んでほしい。
俺も、三上を特別な呼び方で呼びたい……水野は、まあ許す。
「朋哉、樹って呼んで」
「ひぇ」
「ふは。さっきから、漫画か」
「だって、だってさ」
あー、キョドってんの、マジでかわいい。ちょっと冷静になろうと思ったのに、ますます沸き立ってくる。
「朋哉、俺、もう待てないんだけど」
「は、は、はい! えっとあの、タツキ」
また、ちっさい声。
でも、意外にもすぐに呼んでくれた。もしかして、朋哉も俺を下の名前で呼びたいって思っていてくれたのかもしれない。
そうなら嬉しい。
「今の、キスの返事ってことでいいよな?」
ちょっと意地悪を言う。
「へぇ?」
朋哉の発声がますますおかしいけれど、ホント、もう、なにもかも好きだ。
「緊張するなら、眼鏡、取る?」
朋哉の眼鏡をそっと外した。
朋哉は一度キュッと目を閉じて、再び開くと俺をじっと見つめる。
少しだけ怯えたような表情だ。いや、照れまくってんのかな。白い肌が真っ赤だ。
俺の好きな目もうるうるさせて……ヤバいな、野獣になりそう。
なんでもいいから、早くキスしてぇ。かぶりつきたい。
(駄目だ。がっつくな。朋哉を怖がらせるな)
「えと、この距離なら眼鏡取っても見えちゃうんだけど……」
「なら、目ぇ閉じてな。怖かったり嫌だったりしたら、逃げてもいいから」
眼鏡を片手に持ち、もう一方の片手は三上の頭の後ろに当てた。
そして、ゆっくりと引き寄せていく。
三上は逃げなかった。ぎゅっと眉根を寄せたけれど、なにも言わずに瞼を閉じる。
閉じ合わせた長い睫毛がかすかに揺れた。
感じるのは、三上の心地いい体温と、夕方と夜の狭間の生ぬるい風。
互いの汗の香りが少しだけ鼻腔に絡んで、クラッとする。
聞こえてくるのはメイン会場からの音楽。
視界の端には暮れゆく赤紫色の空が見えるけれど、中心に映るのは「そのとき」を待つ朋哉だけ。
その中で、俺は三上の唇に自分の唇をそっと重ねた。
柔らかい。
初めて感じる柔らかさだ。
その感触に泣きたくなるほどの幸せを感じながら角度を変え、俺はさっきよりも深く唇を押し付けたのだった。
***
九月。二学期が始まった。
「樹! お待たせ」
二年生の階の階段の踊り場で朋哉を待っていると、ロングホームルームを終えた朋哉が手を振りながらやってきた。
俺たちは今ももちろん昼飯を一緒に食っている。そして、下校時もこうしてほぼ一緒だ。
予定が合わない日もあるけれど、塾のない日は一緒に図書館で勉強をするし、塾のある日もそれぞれの塾の場所が近いから一緒に行く。
『やっぱ意外な組み合わせ』
一学期よりも一緒にいる時間が増えた俺と三上を、クラスのヤツらはそう言った。
ただ、三上と付き合っていることは伝えていなくとも、医学部進学について話した俺は、今後は三上と勉強するのだ、とも伝えた。
ヤツらはそれで納得しているように思う。もちろん、ときどきは誘いに付き合っているし。
三上も同様だ。俺たちの高校生活で、余裕があるのはあとわずかな期間だ。
ふたりでずっと過ごしたい気持ちはあるけれど、友人も大事にしようと話し合った。
ただ、二学期は行事が目白押しだ。
文化祭に、修学旅行、日帰りの探索学習……自由行動時間は、できる限り朋哉との時間を作りたい。今から楽しみだ。
「図書館に行く前にお茶、買っていい?」
図書館に向かう通路の途中で、朋哉が中庭の方向を指さした。
中庭にある自販機に、朋哉が好んでいるお茶が入っている。
予行演習の日に俺が奢ったのと同じお茶だ。
朋哉は『他のお茶より甘みがあるんだよ』と言うけれど、正直、俺には味の違いはわかならない。
それでも、朋哉が俺との思い出……というにはあまりに小さなことだけれど、それを好んで選んでくれることが嬉しい。
「ああ、俺も同じの、買う」
「うん」
ふたりで並び、手の甲だけをくっつけながら向かい始める。
こんなふうな俺たちだけの密かな触れ合いに幸せを感じていると、背後から声がかかった。
「――樹先輩」
この声は、と思いながら振り返れば、後輩の藤田が俺たちを追いかけてきている。
俺はほんの少し身構えた。
一学期の終業式の日に、藤田が朋哉に対して非礼な言動をしたからだ。
ただ、その理由を俺は知っていた。
藤田は多分、先輩後輩以上に俺を慕っている。
俺はそのことに、ずっと気づかないフリをしてきた。
言葉にされない以上はできることもなかったから。
「よう、藤田。部活、遅れるぞ」
先輩らしい態度で応答する。同時に、一瞬ビクリと肩を揺らした朋哉を背に隠した。
好意の種類に関係なく、俺は藤田をかわいい後輩だとは思っているけれど、朋哉に嫌な思いをさせる可能性のあるヤツを、近づけさせたくはない。
すると、藤田は叱られた子どものように眉根を寄せた。手をグッと握りしめている。
「早く行けよ、部活」
俺はそんな藤田を促した。
けれど、藤田は唸るように言ってくる。
「――その人と、話をさせてもらえませんか」
「話ならここでもできるだろ」
「他に人、いるんで。……樹先輩にも、迷惑かけたくないんで」
藤田の手がかすかに震えている。
「じゃあちょっと移動しよう。俺も行くから。いいな?」
そう言うと、藤田は素直に頷いた。
三人で向かった場所は誰もいない体育館の裏だ。
朋哉が大丈夫だと言ったから、朋哉は俺の隣に立ち、藤田と向かい合っている。
「部活、遅れたらコーチにも部長にもドヤされるだろ。五分で話せるか」
移動したものの黙ってうつむいたままの藤田に声をかけると、藤田はゆっくりと顔を上げた。先に俺の顔を見る。
藤田は一度唇を引き結んでから、絞るように声を出した。
「先輩、気づいてますよね。俺、中学の時からずっと樹先輩だけを見てきた。ずっと、樹先輩が好きだった」
「……ああ」
「っでも、樹先輩が俺を同じ気持ちで見てくれることがないの、わかってたから。でもそれならせめて、高校にいる間は樹先輩の隣に誰も立ちませんように、って願ってましたっ」
藤田の声が震える。
俺は今まで、数人からの告白を受けた経験がある。
けれど、藤田の声は、これまでの誰よりも切実に耳に届く気がした。
叶わないと知っている想いを伝えるんだ。当然かもしれない。
だから、誠意を持って答えた。
「藤田の言うとおりだ。俺は藤田の願いを叶えられない。悪い。俺が隣にいてほしいのは朋哉だけだ」
「……っ」
藤田が声を詰まらせる。それから数十秒黙ったのち、今度は朋哉に赤い目を向けた。
「アンタは? アンタは樹先輩をどう思ってるんですか。中途半端な気持ちだったら、っ許さねぇからっ」
「藤田、先輩に対する口の聞き方じゃねぇぞ。それに、そういうことをおまえが聞く」
「――樹、いい。俺に話させて」
藤田を制止しようとすると、朋哉が俺の隣から一歩前に出た。
その横顔に、眼鏡を通さない目が見える。
その目は揺るぐことなく、しっかりと藤田を見据えていた。
「藤田君。俺、本当は、樹がいないところでもちゃんと伝える強さがないといけなかった。今になってごめん」
(いないところ?)
俺がいないところでふたりが顔を合わせる機会があったのか?
そんな疑問が浮かびつつも、朋哉が意志の強い目と声で伝えている。
そのことが、俺への気持ちの強さを表してくれている気がして、むしろ俺の方が早く答えを聞きたくなってしまう。
「俺、樹が好きだ」
(……!)
シンプルな言葉に胸を突かれた。
毎日言ってくれて、毎日メッセージに書いてくれている『好き』なのに、人前でこうもはっきりと宣言してくれると……。
(駄目だ。めちゃくちゃ照れる)
藤田にとっては辛い時間なのに、俺は最低な人間だ。朋哉の言葉に激しく胸を震わせている。
真顔を保っていられなくなり、俺は口元に手の甲を当ててうつむいた。
「樹先輩」
ヤバ……首から上がこれだけ熱いんだ。きっと顔が赤くなっていて、藤田に気づかれたんだろう。
「お、おう」
俺は口元から手を下ろし、できる限り平静を保って答えた。
「クソですか。めちゃくちゃ顔赤いんですけど」
「……っ、悪い」
小学校三年生からの付き合いの藤田に初めて睨まれてしまった。
けれど、顔は赤いままなのだろう。謝っても藤田はまだ俺を睨んでくる。
「だっさ。いっつもかっこよかった硬派な樹先輩、どこ行ったんすか。こんなの、俺の好きだった先輩じゃない。だっさ、だっさ!」
拗ねたようにそう言うと、今度は朋哉に突っかかった。
「いいよわかった。アンタの気持ち、ちゃんとしてるのわかったから、この浮かれた人のことは俺、忘れます。どーぞお幸せに!」
べ、と舌を出すと、クルッと背を向ける。
先輩相手にまたその態度! なんて言葉はもう出なかった。
藤田は俺よりは細身とはいえ、立派にバレー選手の身体つきをしている。そして、いつも勝ち気だ。
けれど今、その背中はひどく弱々しく目に映った。
「藤田」
「藤田君」
俺と朋哉の声が揃って、次の言葉も揃う。
「ありがとな」
「ありがとう」
藤田は多分、初めから気持ちにケリを付けるつもりで声をかけてくれたのだ。
藤田は一瞬振り向きかけたけれど、結局俺たちに視線を向けることなく体育館の入口側へと消えていった。
「俺が心配していい立場じゃやないけど、藤田くん、大丈夫かな」
朋哉が声のトーンを落として言った。
「そうだな……」
俺は答えにならない返事をした。
今はまだわだかまりが胸に渦巻いているだろう。
そのわだかまりが消える日は近いかもしれないし、遠いかもしれない。
藤田の気持ちの行き先は、俺には量ることができないけれど、いつかまた、先輩後輩として話せる日が来るように、と願う。
そして、願いはもうひとつ。
「朋哉、はっきり言ってくれてありがとな。いつかは、どこでも誰にでも、自分たちの気持ちに嘘をつかずに言えるようになるといいな。ていうか、するけど」
「うん。でも、俺の気持ちが変わることはないから、ゆっくりでもいいかな。俺たちのペースで行こうよ」
「……」
また顔が熱くなる。
それって殺し文句ってやつじゃないか?
フェスの日に俺が誓った『一生』が、朋哉の心の中にもちゃんとあるんだと思ってもいいよな?
「樹?」
「ああ、なんでもない。お茶買って、図書館行こ。席がなくなる」
「そうだね」
当たり前みたいにまたふたりで並ぶと、朋哉のスラックスのポケットの中で、スマホが振動したらしい。
朋哉はポケットから取り出して確認すると、トークアプリの画面を俺に見せた。
「水野のトークアプリから水野の彼女が送信してきてる」
『夏休みにデートした人とはどうなったの~~、知りたいよ~。詩愛瑠君、なんにも教えてれないんだもん』
「だって。あ、水野からも入った」
『ごめんよ~。ココちゃんすごく気にしててね』
「だって」
水野には、俺たちのことをフェスの翌日に伝えたと朋哉から聞いている。
心から喜んでくれたと言っていた。
水野は陰ながら俺を応援してくれていたヤツだ。そして、彼女にまで口を割らないなんて、さすが朋哉の親友。口が硬い。
そんな水野の彼女なら、変なふうに朋哉をからかったり傷つけたりすることは絶対にないだろう。
俺は画面を見ながらクスッと笑う朋哉の後頭部をそっと撫でた。
「朋哉がよければ俺はかまわないけど」
「うん。柊木さんには伝えたいかも。これでまたひとり、俺たちのことを知る人が増えたね」
眼鏡越しに見える目が弧を描く。
その笑顔がとても愛おしくて。
俺は自然と目を細めて頷いて、これからの日々もこの笑顔がそばにある幸せを噛みしめる。
そして、ふたりで並び、揃ってピースなんて作ってみた。
パシャッ……スマホカメラのシャッター音が鳴る。
写真を撮り終えたら、朋哉は鮮やかな操作で画像にエフェクトを加え、『俺たち付き合ってます』と文字入れをする。
「恥ずかしいから、逆に浮かれてる感出してみた。どう?」
「最高。後でエフェクト前のと一緒に俺にも送って」
「もちろん」
目を合わせ、くすくすと笑い合う。
俺たちのアルバムにふたりの写真が増えていく。
「よし」
朋哉が水野とのトークアプリに送信した。
──もちろん、送信間違いをすることなんてなく。
完



