六月終わりの日。
俺、三上朋哉(みかみともや)は高校に登校後、教室で荷物を出しているときに、リュックに弁当が入ってないことに気づいた。

『やばい弁当忘れた。所持金ゼロ。言うこと一個聞くから昼になんか持ってきて』

俺は急いでスマホメッセージを送る。
母親は今日、パートの日だが、外回りの仕事をしているから頼めるはずだ。

その直後、始業チャイムが鳴って、校則に従いスマホは昼休みまでリュックにIN。
昼休みになりいそいそと取り出すと、新しいメッセージの通知は無し。

(おーい、オカアサーン、俺の昼飯ぃ)

そう思いながら、メッセージアプリを開けてボーゼン。
履歴一覧の一番上に、なぜか、【樹】というアカウント名――先月、情報Ⅰの合同授業で課題ペアになった別クラスの生徒との履歴がある。
なお、母親との履歴は朝見た時の位置のまま。

(やば! 打ち間違えた!)

提出物関連で四回しかやりとりしなかったアカウント名【樹】――矢代樹(やしろたつき)君と、たまにしかやり取りしない母親のアカウントが上下に並んでいたらしい。そして偶然にも、両方ともアイコンがトイプーの正面写真だったのだ。

おそるおそる履歴を開く。

(ぅああぁ、既読ぅ!)

やっちまったとばかりに、俺は天井に顔を向けて瞼をギュッと閉じた。 
ただ返事はない。矢代君は送信間違いだと察したんだろう。

(ここはこのままにしておくか? ひと言『間違えました。ごめんなさい』と送るべきか?)

目を白黒させて悩んでいると、友人の水野(みずの)が「朋哉~ご飯食べよ~」と、呑気に弁当を持って寄ってきた。
水野は学校では俺と同じく「生徒その①」タイプだけど、兄弟が多く他校に幼馴染の彼女もいるので、コミュニケーションスキルが意外に高いと俺は思っている。
 余談だが、奥目な水野は生まれつき赤茶色のふわふわくせ毛で、我が家のトイプーにちょっと似ていたりする。

(そうだ、水野に相談してからにしよう)

そう思った矢先だった。

「わ、矢代君がいる」
「タッキーじゃん、誰かに用事?」

女子の色めき立った声がした。
自然とそっちに視線を向けると、なんと、教室の入り口に例の矢代樹君が立っている。

女子の様子が物語っているように、矢代君は学年で人気のある生徒だ。
陽キャイケメン揃いの一組の、いわゆる「一軍」の人。かといって一軍に多いアイドル系ではない。怪我で退部したらしいけど元バレー部で、ガタイが良くて大人っぽく、男子からも好かれている。
短い期間だったけど、授業でペアになったときに気さくに接してくれた。中身も爽やかな人なのだろう。

――が、それきりの付き合いだ。二年連続クラスも別だし、「生徒その①」な平凡な俺とは接点がない。
それなのに。

「あ。いた。三上、昼飯食うぞ」

矢代君は食堂売店のパンの袋を片手に、俺の目の前までやってきた。

「へ? え?」 
(矢代君、俺なんかの名前を覚えてた? アプリのアカウント名も【tomoya】なのに)

青銀縁の丸眼鏡をかけた目を瞬かせる俺。
隣でまだ呆然としている水野。
女子だけでなく、男どももざわつく教室。

だけど矢代君は平然としている。

「早く食おうぜ。腹減った。三上の席、どこ」
「こちらでございます!」

(おいおい、なんでお前が答えるんだよ。)

なぜか答えたのは水野で、しかもなぜか敬語。
矢代君は「ども」と顔を突き出すように挨拶すると、顔なじみらしい女子から椅子を借りて、俺の席の机を挟んで座った。

クラスの皆の視線が俺たちに向いている。

そりゃそうだ。学校で目立つ一軍の人気者と、景色に馴染んでしまう薄い存在の俺との組み合わせは【異次元未知との遭遇】に他ならない。
水野が目線で「どういうこと?」と聞いてくるのがわかるが、こっちが聞きたい。

(いや、俺がラインを間違えたせいだよな。だからってあの授業でしか絡みのない俺にわざわざ昼飯買ってくる?)
「あの、矢代君……?」
「早く座れよ。どれにする? クリーム、焼きそば、コロッケ、メロン。俺はカレー。あ、唐揚げもあるぞ」

問おうとすると、席に促された。
めちゃくちゃたくさん買って来てくれてる。

(これ、仲良くもない俺のために?)
「焼きそば……と、クリームパンも食べたい」

なんだか、食べないほうが申し訳ない気がして、俺は席に座った。
矢代君は頷くと、パンを俺に寄せてくれる。
俺はしどろもどろになりながら、貰う前に釈明を始めた。

「あの、お金っ、明日返すから。でも、あのっ、俺、ライン、母親と間違えて、その」

そうしたら、矢代君はわざわざ焼きそばパンの袋を開けてくれた。元バレー部だけあって、俺と違う大きくて男らしい手だ。

「だろうと思ったけど、昼飯がないと困るだろ。いいから食えよ」

キリッとした印象のイケメンが、ふわりと柔らかい笑顔を浮かべる。

なんという神々しさだ。なんという包容力だ。
タッパもあるから、座っていても俺より目線がずいぶん高い。
以前課題ペアになったときに、百八十五センチはあるんじゃないかと思った。

目だって切れ長で二重がはっきりしてて、眼鏡をかけてるせいか目元がぼんやりして見られがちな俺とは正反対。
共通点と言えば黒髪だけ。それでもちょっとくせ毛で扱いにくい(これでも毎朝アイロンはしているのだ!)コシのない俺の髪とは違い、短髪でも艶があって素直な髪質なのがわかる。

(顔も背も髪も、なんなら声もいいってなんなんすか)

しようとしなくても、平凡な自分と目の前の矢代君を比べるのは自然の流れというもの。
そして当然、この雲泥の差に気恥ずかしくなってくる。

俺は顔を熱くしてパンを受け取った。
安心してもらえたのか、矢代君もでっかいひと口でカレーパンにかじりつく。

(いやいや、パン食うだけでカッコイイって、なんなんすか)

共通の話題もないので俺から話すこともなく、内心で二度目のツッコミを入れていると、女子たちが話しているのが聞こえてくる。

「なんであの二人で食べてんの」
「絡みとかあったっけ」

(ええ、絡みは一回だけありますよ? あの授業のときも、みんな俺を羨ましそうに見てたじゃないか。けど、ほんそれ)

昼飯を恵んでくれただけでなく一緒に食べるだなんて、どうしてなのか俺が聞きたい。

「……ていうか、焼きそばパンうまっ」

焼きそばパンをひと口食べて、思わず声を漏らしてしまった。
母親がいつも弁当を作ってくれるし、食堂に行くのはどの学年も一軍の人たちが多いこともあって、食堂を利用したことが極端に少ない俺は、学食の人気商品、焼きそばパンを食べるのが初めてだったのだ。

(しまった)

慌てて唇を結ぶと、矢代君がまたフワッと笑った。

「なら良かった。なぁ、明日からも一緒に食おうぜ」
「ふぉ?」

またもや「なんで」が増えた。びっくりして変な声が出てしまった。

「なんで? 心配しなくてもお金は返すから」
「じゃなくて、これ」
 
矢代君はポケットからスマホを出し、ポチポチと操作をすると、画面を俺に向けた。
表示されているのは俺とのトーク画面だ。

「言うこと一個聞くから、って書いてある」
「……うん? いや、でもそれは母親に言ったのであって」 
「でも俺、昼飯持ってきたから権利あるよな?」

矢代君はペットボトルの緑茶を飲んで喉を潤すと、ただただ目をパチクリしているだけの俺をしっかりと見て宣言した。

「というわけで、三上は今後、俺と昼飯を食う。ってことで、よろしくな」
「「ええー」」

俺と、机はくっつけてないけど、隣の席に座っていた水野も、一緒になって驚きと戸惑いの声を出していた。



翌日。
朝から落ち着かない俺は、授業中も上の空。英語の授業では頓珍漢な解答をしてしまい、クラスで失笑を買った。

(くうぅ。恥ずかしい)

スマホやパソコンの長時間利用が癖になって猫背気味の背中が、ますます丸まってしまった。

そして、やってきてしまいました昼休み。

別に? 本当に矢代君が俺と弁当を食べるだなんて思ってないけど?
お金を返さないとだし、からかわれてたら恥ずかしいなって思うからソワソワしてただけだし?

だってさ。平凡な俺や水野は、陽キャのクラスメイトからカラオケに誘われて、いざ行ったら「なんでいるんだ?」「誰が誘ったんだ?」なんて空気になった経験があるくらいだ。

(ちなみに誘ってくれた陽キャ君は適当に声をかけまくって、最終的に誰に声をかけたのか覚えてなかったしなっ!)

だけど、なんとなく「いつもより豪華にして」と頼んで作ってもらったエビフライ弁当をリュックから机に出した瞬間、ふと気づく。

(一緒に食べるって、この教室でいいんだっけ。もしキラキラ一軍ばっかの一組で、とか言われたら死……!)

丸顔の頬を手で挟んでうつむく。すると、いつの間にそばに来ていたのか、水野の声がした。

「現れたよ……未知との遭遇」
「ほぇっ」

昨日の水野との下校中、矢代君との出来事を【未知との遭遇】として話をしたから、その言葉がなにを指しているのかすぐにわかった。間抜けな声を漏らした俺は、教室入口のドアに急いで顔を向けた。

「三上!」

うわっ。いる。爽やかイケメンが、ネット広告でよく見る高校生の恋愛リアリティ番組のワンシーンみたいに、俺に手を振っている。
 
(未知との遭遇、眩しっ……!)

丸眼鏡の奥の目を思わず細めてしまった。その間にも、矢代君はまっすぐに俺の席まで歩いてくる。

「あのっ、こちらの席へどうぞ!」

だからなんでかな? 席を促したのはまたもや水野だ。
水野は食堂へ行っている不在の生徒の椅子を借りてきたようだ。そして、水野自身はいつも通り自分の椅子を持ってきており、俺の隣に並べて座る。

その一連の動作を自然と目で追い終わり、ふっと矢代君に目を向けると、矢代君は水野をじっと見ていた。
じっと見ているから、キリッとした目がちょっとばかり鋭く見える。

「矢代く」
「三上と仲いいんだ?」

声をかけようとすると、矢代君が水野に声をかけた。ちなみにじっと見つめたままだ。

「は、はいっ、小学校からの腐れ縁で水野と申します! どうぞよろ……ぁっ……察し。そうか! 俺、はいっ、あっちで食べてきますので!」

自己紹介を始めた水野だったが、途中からなんか様子がおかしくなった。
落ち着きなく立ち上がり、本当に自分の席に戻ろうとする。

「え、水野、なんでだよ。一緒に食えばいいじゃん。な、矢代君」

水野の腕を掴んで言い、確認のために矢代君に目線を戻す。

「ああ、もちろん。割って入ったのは俺だし。別に、いい」

矢代君はすぐに返事をしてくれた。だが俺のことは見ていない。いまだに水野を見つめたままだ。

(なんだ? 矢代君は水野が気になるのか? あっ! そうか。矢代君にも水野がトイプーに見えるとか?)
 
矢代君のメッセージアプリのアイコン、トイプーだったしな。

(なるほど? 実は昼飯を一緒に食いたかったのはトイプー水野で、俺は口実だったり?)

うむ、と一人で頷き、水野の腕を引く。

「矢代君がこう言ってるんだ。一緒に食おうぜ、水野!」

俺は水野の腕を掴んでいるのとは反対の手で「イイね」の指の形を作ってみせた。
だが、水野はプルプルと首を振り、俺の手を払ってしまう。

「いつか、いつかね! そうだ、俺、彼女がいるので。彼女がいるので! メッセージ送らないと! じゃ、お邪魔しました~!」
「は? おい、水野っ」

おい水野、彼女持ちアピールをなぜ二回した。 
そんな水野を呼び止めようとすると、矢代君が机の上に弁当を置きつつ対面の席に腰を下ろした。
周囲ではまたクラスの人たちが俺たちを斜めに見ているけど、矢代くんは今日も気にする様子はない。

「二人でいいんじゃね? 水野には彼女がいるんだな。よかったな」

そう言うと、にこっと笑う。

「うん? うん……幼馴染の彼女で仲良しで……」

言いかけてすぐにやめた。これ以上は水野の個人情報だ。俺がべらべら話していいことじゃない。

「あの、もし水野に興味があるんならさ、今度」
「いや、特にないけど」

うわぁ、即答。じゃあどうしてさっきずっと見てたんだろう……やっぱ、トイプー?

俺は弁当の横に置いてあったスマホを操作して矢代君に見せた。画面はメッセージアプリの矢代くんのホーム画面。
背景はバレーのネットが張られたコートで、アイコンはトイプーの正面写真だ。

「矢代君って、トイプー飼ってたりする?」
「矢代でいいけど」
「あ」

矢代くんのレスが早い。俺はパソコンのタイピングだけは早いけど、会話の回転は遅い方なので、スマホを持ったまま固まってしまった。
そうしたら、矢代君はそれにもすぐに気づいて反応した。

「悪い。いつもの感じで話してるな」

パン、と手を合わせて謝ってくれる。だから本当に悪気がないのがわかる。
いつもの感じ、というのは一軍内での会話だろう。陽キャの人たちって、話題も語彙も多くて、話がどんどん広がるイメージだもんな。

「ううん、俺が遅くて、ごめん。コミュ障ってことはないけど、いい感じに返せなくてごめ」
「三上は悪くないだろ。謝るな」
「あ」
「あ、ごめん。また」

ちょっと困り顔になる矢代君。そんな様子に親近感が湧いて、俺の口元は自然とほころぶ。
自分でも気づいてなかったけど、俺、矢代君が【未知との遭遇】過ぎて構えてたのかも。
大人っぽいし、かっこいいのはかっこいいけど、矢代君も俺と同じ高二なんだよなあ。
それに「謝るな」なんて言ってくれて、これって矢代君も俺を対等に見てくれてるからこそだよな。

「えと、じゃあ、謝るのやめる。ゆっくりペースに付き合ってもらうことになるけど、これからよろしく!」

嬉しい気持ちのまま、ニヒヒと笑って伝えた。
そうしたら、矢代君が小さく唸った。「うっ」なんて漫画みたいな唸り方で、頬を少し赤くしている。
まだ弁当を袋から出してもいないから食事が詰まったわけでもないだろうに。

「どうかした?」

覗き込むように顔を見ると、またちょっと唸る。だけど整えるように「ふっ」と息を吐くと、ゆるく首を振った。

「なんでもない。いや、なんでもなくはない」
「ん?」
「今ので三上を初めて認識した日のことを思い出した。っと、その前にトイプーの話だっけ」

落ち着きを取り戻した様子で話し始めた矢代君だが、わざわざ俺の問いかけに戻ってくれた。
でも、俺を初めて認識した日のこと、なんて言われると、そっちも俄然気になってくる。

「トイプーも気になるけど、そっちも聞きたい」

伝えると、矢代君が柔らかく笑った。

(あ、この笑い方、好き。キリッとした人がフワッとなるの、いいな)

そう思いながら待っていると、矢代君はお弁当の袋に手をかけた。

「とりあえずさ。食わねえ? これから学校の日は毎日一緒に食うからたくさん話せる。ゆっくり話そう」
「……うん!」

胸がフワッ、フワッと宙に浮かぶような感覚がした。
その中には、十分前くらいの「からかわれているだけかも」と少し疑った気持ちや、そう予防線を張ることで、もしからかわれていたとしてもショックを受けないようにしていた守りの気持ちも含まれていて、全部浮かんで空気中に消えていく。

これからの昼休みが、楽しいものになる予感がした俺なのだった。