ある日。当番に当たっていた私は、仕事へ向かう前に教会入口の掃き掃除をしていた。
「ん?」
無心で竹箒を動かしていると、反対側の通りからこちらを見つめる男の人と目が合った。特に気にせず視線を逸らしたけれど彼はニタニタ笑いながら近付いてくる。
「修道女か?あんた」
お酒に酔っているとわかる赤ら顔でそう尋ねられた。鼻にツンとくる、何ともいえない匂いがする。
「いいえ?」
「……ただの掃除婦か」
彼はちっ、と舌打ちをし私の髪に指を絡ませてきた。
「そうだよなぁ。あんたみたいな異人は修道女になんてなれねぇか」
異様な雰囲気だ。背筋に寒気が走る。
「ミサなら今日の分はもう終わりましたが」
「だーれが参加するかよ、あんなもん!」
彼の大声が通りに響き渡った。
「どうせ神様なんていやしねーんだよ!あんたもそう思うだろ?なぁ、姉ちゃん!」
強い力で手首を捕まれ、恐怖に身が凍る。
「やっ……」
「ハル!」
教会の中から走り出てきたシスターの先輩が、私を無理矢理連れて中に戻ってくれた。
「大丈夫!?」
「う、うん。ありがとう」
「またいたんだね。あの中年男」
先輩は扉越しに外を睨みながら言う。
「ミサの時間になると、決まってこの辺りをうろついてるの。教会に何の恨みがあるんだか知らないけど、ずっとあの調子。気味が悪い。どう見たってまともじゃないよ」
私の手首には、彼の指の痕が赤く残っている。気持ちがまだざわついて落ち着かなかった。
「あんたも不用意に外に出るんじゃないよ。相手にしちゃダメ」
「……わかった」
小さく頷き、二人でその場を離れた。
── その後の私は
繰り返し考える事になる。
この時、何を言っていれば彼を止める事が出来たのか。
それとも
どんな言葉をもってしても、止める事なんて出来なかったのか。
◇ ◇ ◇ ◇
全ての運命を変えた『その日』。
夜に教会で大規模な集会があった。
手伝いをする為仕事を休んだ私は、朝からシスターの仲間たちと共に準備に追われていた。
いつもミサに参加してくれるたくさんの人々が聖堂に会し、牧師さんが聖書を読み上げる中、静かにお祈りを続けている。
とても厳かな雰囲気だった。
最後列から見守り、途中でそっとその場を離れた。最後に参加者の皆さんにお配りするお菓子のお土産を準備する為だ。
キッチンへ続く廊下の角を折れた時、後ろを誰かが通過する気配がした。
「あら?」
オレンジ色のジャンパーを着た背中。男の人のようだった。繰り返し何かを呟きながら聖堂へ向かっている。
……途中から参加される方かしら?
声をかけようか迷いつつ、時間に追われている事を思い出しそのまま足を早めた。
キッチンは、さっき皆で焼いたクッキーの甘い香りでいっぱいだ。オーブンから取り出したそれをテーブルの上に広げて冷ます。
後は個別に分けてラッピングをするだけだ。一人で黙々と手を動かしていた時。
「っ、」
突然、背後に響いたのは
この世で一番苦手な音だった。
