誰がこの雪代宮を歩いているのだろうと身構える雪梅は、ぎゅっと自身を抱きしめるように二の腕を掴む。

 フラフラとした足取りで現れたのは――龍の文様に身を包む男性だった。

 その文様の服が着られる人は、この国でひとりしかいない。

 月明りで、彼の容姿も確認できた。艶のある長い黒髪に(ぐん)(じょう)色の瞳。親友である(バイ)(ワン)(チェン)が教えてくれた特徴そのままの男性。

(――まさか、皇帝陛下の(ワン)天翊(ティエンイー)さま!?)

 なぜ雪代宮に彼がいるのかと疑問を抱いたが、あまりにもフラフラな足取りだったため体調が悪いのかもしれないと駆け寄った。

 はぁっはぁっと息が荒く、夜でもハッキリとわかるくらい、顔面が赤くなっていた。

「……具合が悪いのですか?」

 雪梅の問いかけに驚いたのか、一瞬大きく体を揺らす。

「近づいてはならんっ!」

 顔を左手で覆い、右手を雪梅に突き付ける男性に息を呑んだ。雪梅はその右手をがしっと握り彼を引っ張った。

「体調が悪いのなら、休んでいってください!」
「馬鹿なことを言うんじゃない。(われ)から離れろ……!」

 口調は強かったが、身体は言うことを聞かないようで、雪梅の力でもやすやすと部屋まで移動させることができた。

 寝台の上に座らせ、「失礼いたします」と手のひらを彼の額に当てる。

 熱はないようだが、とてもつらそうだ。

「我は、忠告、したぞ……」

 額に当てていた雪梅の手首を掴み、彼女を寝台に押し倒した。

 目を大きく見開く雪梅は、自分を組み敷く男性を見上げる。

「――なぜ」
「後宮にいるのなら、我の妻だろう」

 そう告げられ、雪梅は彼が皇帝だと確信した。

 だが、長らく嬪の宮には近寄りもしていないはずだ。

 思考を巡らせた雪梅は、紫紺の瞳でまっすぐに彼の瞳を見つめる。

「……よいな、その目」

 熱に浮かされたように、天翊の瞳が細くなった。

 天翊は、強く掴んだため赤くなった雪梅の手首を労わるように、ちゅっと軽い音を立てて唇を落とす。

(――もしかして、陛下の足取りがフラフラしていたのは……)

 雪梅はなぜ自分に近づくなと言ったのかを理解し、目を伏せた。

 おそらく、誰かに媚薬を盛られたのだろう。

 ――昭儀の位を与えられてから四年、一度もこの雪代宮に渡らなかった皇帝が今、雪梅のもとにいる。

 (ひと)()のないところを探し、息を潜めて身体が落ち着くのを待つつもりだったのかもしれない、と天翊がこの場にいる理由を探しながら――この日初めて、雪梅は男性に抱かれた。

 媚薬を盛られた天翊は、初めてのことで戸惑う雪梅の()()な反応に心を奪われた。彼の瞳には、情欲の炎が宿っていた。

 雪梅は天翊に抱きしめられたまま、気を失ってしまう。

 たとえ媚薬のせいだとしても、初めて誰かに求められたという幸福感が胸を満たし、雪梅は天にも昇る心地で微笑んだ。